2006年06月30日

前橋の語り部

今日は、古き良き時代に思いを馳せてしまいました。
タクシーの運転手さんが熱く語って下さったからです。

西武・オリックス戦の中継のため、前橋に日帰りで出張してきました。
新幹線で高崎まで行き、JR吾妻(あがつま)線に乗り換えて
【新前橋】という駅で降りてタクシーを拾い
僕が敷島公園の野球場までお願いしますと行き先を告げると
運転手さんは、待ってましたとばかりに話しかけてきました。

『今夜はプロ野球の試合があるんですよね?
 仕事で観に行けないけど楽しみだなぁ。
 あそこは、昔、巨人がオープン戦で来てたんですよ。
 試合前の打撃練習で、長嶋や王が外野スタンドへ
 次々とピンポン球のように運ぶから
 “プロはスゴいな・・・”と感心していたら
 相手チームのブルペンに、もっとスゴいのがいたんですよ!』

S運転手(仮名)の口調は
まるで昨日の出来事を聞かせるかのように生き生きとしています。
その衝撃的な選手とは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
当時、東映フライヤーズの新人だった
“怪童”尾崎行雄投手でした。 

『あのね、ストレートが地を這うように伸びてくるんですよ!
 それでホームベースの手前で浮き上がって
 キャッチャーの胸元に、こう、バシッ!!って収まるの!
 も~それはそれはスゴい球だったんだから!!!
 星飛雄馬をテレビで観た時、すぐに
 “あ、尾崎のボールだ”って思ったぐらいですよ!!!!』

後で調べてみると1962年の出来事なので
S運転手は、まだ弱冠12才の少年。
古い記憶ほど美化されるのは世の常ですが
僕はこの話を無条件で信じました。
だって、伝説の剛腕・尾崎行雄を知る誰もが
口を揃えて全く同じことを言うからです。
ましてや、高2の甲子園で優勝→中退→プロ入り→即、20勝・・・って
マンガみたいな野球人生だと思いませんか?

とにかく、S“少年”がうらやましいのは
17才の怪童・尾崎の投球練習を
捕手の真後ろから目撃していること。
今、ブルペンは客席から遠い場所ならばまだ良い方で
ほとんどは、ファンの目に触れることのない《室内》にあるため
プロの投手のボールを間近で見るなんて、奇跡に近いのです。

『現に、巨人打線を全く寄せつけなかったんですよ!
 “こりゃ大変なルーキーだ”って思いました!!』

56才のベテラン・タクシードライバーを
一瞬にして12才の少年に変えてしまう野球体験の引力。
もっともっと、尾崎投手の話を聞かせて欲しかったのですが
いつに間にやら、球場に着いてしまいました。チェッ!

それにしても、尾崎行雄と松坂大輔が
同じマウンドで投げたのかと思うと感慨深いものがあります。

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珍しい、生け垣のバックスクリーン。
情緒豊かな球場です。

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選手が乗り込んだバスを待つファン。
きっと、昔もこうだったんですよね。

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でも、これぞ現代的光景。
リリーフを仰いだ先発ピッチャーがヒーローインタビューを受ける際
ユニフォーム以外の姿でグラウンドに現れることがありますが
今夜はさすがに笑いました。

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Tシャツ・短パンだけでもビックリしたのに、この足元。
ちょっとくつろぎ過ぎじゃありませんか?
外国人選手だから、しょうがないのかなぁ・・。

でも、これはこれで、前橋の思い出。
S運転手のように数十年かけて語り継いでいきます。
30秒で話せてしまうのが悲しいですけどね。

投稿者 斉藤一美 : 23:56

2006年06月29日

引っ越し準備

四ツ谷から浜松町・新社屋へのお引っ越し。
ついに残り1ヵ月を切りました。
社内にいても、どことなく慌ただしいです(((^^;)(;^^) ))
今日はヒマだし、いっちょやるか!とばかりに
デスクの中の片付けを済ませて、気分がスッキリしています。

新しいオフィスに持ち込める荷物はダンボール2箱まで。
フランス&日韓W杯やシドニー五輪のスクラップといった
過去の資料は迷わず捨てることができますが
あれも必要、これも必要・・と考えていると
机の上が、こんな有様になってしまいました。

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マンガの単行本の前に並んでいるのは
左から、アントニオ猪木・田中リングアナ・マサ斎藤のフィギュアと
猪木の師匠・力道山のプロマイド(もち、マルベル堂で購入)。
ここまではいいとして・・・
金色の光沢を放つ、ボクシンググローブ。
趣味でもないのに、将棋盤。
なぜか知らねど、銀玉鉄砲。
その下には、お鈴(りん)。
どれもここにある理由が思い出せません(一。一;;)?
僕にとっての永遠のアイドル・菊池桃子のフォトフレームには
文化放送OBの“元祖・絶叫アナウンサー”
戸谷真人(とやまこと)氏の証明写真が挿入されています。
手の込んだスタッフのイタズラに苦笑しながら
ほったらかしにして飾っていたのが懐かしいです。

それにしても仕事とは無関係なモノだらけ。
こんな社員でも“お咎めなし”という
自由な社風の中~( ̄▽ ̄~)(~ ̄▽ ̄)~
16年余りを過ごしてきたんだなぁ、とつくづく感じました。

38才の男がゼロから創り上げるデスク空間は
一体どんなものがふさわしいのでしょうか( ̄~ ̄;)・・・
遅まきながら、いっぱしのサラリーマン気分に浸っています。

投稿者 斉藤一美 : 23:41

2006年06月21日

20才を想う

交流戦がついに終わりました。
僕は、ライオンズの広島遠征へ再びついて行き
翌日が20才の誕生日という
“涌井秀章・十代ラストマウンド”を目の当たりにして
カープの打者にストレートで真っ向勝負を挑む
彼の爽快なピッチングに酔いしれたのです。

快勝の後にグイッ!と飲む生ビールが
またウマいのなんの(~0~)/□☆□\(~▽~ )
広島市民の方々ですら
昼間はたった2分間の信号待ちもキツかったようで
銀行やデパートの入口まで後ずさりして涼む光景が見られたぐらい
蒸し暑い一日だったもので、ノド越しも格別でした。

焼肉の名店“照美”(てるみ。名前を聞いただけでどこか微笑ましいのは
僕が【てるてるワイド世代】だからでしょう)の名物はガリ(ブタの喉仏)。
軟骨のようなコリコリした食感を楽しんでいると
隣のテーブルに若い男の子4人組がやってきました。
中ジョッキで乾杯すると、すぐにカルビとロースを頬張りながら
大盛ライスをかきこむ彼らの姿に、もうあ然( ̄∇ ̄ ;) 
訊くと、全員20才だそうです。

  そういえば自分もこのくらいの歳で
  白いごはんをつまみにビールを飲んだら
  一緒に食事に行ったバイト先の社員の方々が
  目を丸くして驚いていたっけ。
  あの時は、周りがえらくオジサンに見えたもんだよなぁ。
  20才って、すげーなぁ~\(_ _;)/~ ・・・・・・・・・・・・・・

正直、こんな言葉が頭をよぎったのです( ´△`)
確実に老けてきた自分を認めざるをえない
セ・パ交流戦最後の夜でした。

投稿者 斉藤一美 : 23:55

2006年06月16日

ホームランボール、ゲットだぜ!

“一発レポーター”の仕事中に
愛する西武ライオンズのホームランボールをゲット!
しかも、打ったのはアレックス・カブレラ!

ジャ~ン。

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ついに僕たちの夢が叶いました。

土・日の【文化放送ホームランナイター】は
昔から巨人戦中心の放送です。
他局と同じカードなので「少しでも独自性を出そう」
当時のスタッフが生み出したのが“ホームランレポーター”。
運よくホームランボールをキャッチした方を探し出し
インタビューをしながら外野スタンドの熱気を伝える、という仕事です。
初代・寺島尚正アナが長く務めた後は
入社2年目のスポーツアナウンサーが1シーズンずつ任されてきました。

で、1991年に4代目・ホームランレポーターを僕が担当したのですが
ちょうどこの頃から、セ・リーグの本拠地は次々に
『スタンドでのレポートはファンをいたずらに煽ることにつながり
 トラブルの火種になりかねない』
と主張し始めました。
ならば、放送席に戻って喋るしかありません。

僕は外野スタンドに陣取り
打者のデータと自分の勘を頼りにレフトとライトを何度も往復して
ホームランボールを待ち構えたものでした。
なぜなら、ホームランが出る→ボールを探す→話を伺う→
放送席へダッシュ→マイクを握ってレポート・・という流れの中で
少しでも時間を短縮して、ファンの声を伝えたかったからです。

でも「そこまで無理してやることもない。ここらが潮時」
スタッフは判断し、この年でホームランレポーターは
無念のお蔵入りとなりました。

。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

9年後の2001年。
ライオンズに、規格外のパワーと集中力を兼ね備えた
ベネズエラ人選手が入団します。
ご存知、アレックス・カブレラです。
彼がとんでもないハイペースでホームランを量産するので
「外野スタンドから
カブレラの打席を実況してみたら面白いのでは?」

という話がまとまり、西武ドーム(当時)の全面バックアップの下
実現したのが《カブレラ・ホームラン実況》。
担当したのは、僕でした。

その日、彼が2本のアーチを架けただけでも有り難かったのに
僕が実況していた“センターの横”と“左中間”の
それぞれ目の前にぶち込んだのです!
もちろん偶然とはいえ
これですっかり盛り上がった【文化放送ライオンズナイター】のスタッフが
「西武ドーム限定で、ホームランレポーター復活だ!!
 喋り手も“派手な花火を打ち上げる感じでレポートする”
 っていうイメージで〔一発レポーター〕なんて呼び方はどうだ?」
と息巻いて、少々形は変えながらも
QR名物の封印は解かれた、というわけなのです。

当番制を敷いているため
各スポーツアナに“一発”の出番はやってきます。
僕はその度に15年前を思い出し、虎視眈々と狙っているのが

自分の手でホームランボールを獲る
ってヤツ。

ついに、その時がやってきたのです。

2006年6月14日。西武vs中日・3回裏・2死一塁。
投手・マルティネス。打者・カブレラ。
いつもは右中間スタンドでレポートを入れるところを
この時ばかりは左中間エリアにポジションを変えていました。
直前まで、ドラゴンズ・谷繁がレフトスタンドへ放った
ホームランボールの取材をしていたからです。

カキーン!
快音を残した打球は
ライナーでこちらに向かってグングン伸びてきます。

      あ、来る。

今考えると、不思議なほど冷静でした。
ボールはみるみるうちに大きくなり
信じ難いスピードでレフトスタンドに突き刺さったのです。

このブログでも何度か触れましたが
インボイスSEIBUドームの外野席はスロープ型なので
ホームランボールがその場に留まることは99%ありえません。
むしろ、ワンバウンドごとに上のスペースへ跳ね上がって来るのです。
僕の立ち位置はスタンド最後部。
しかも、打球の軌道の延長線上です。
      
      チャンス。

焦らず、一歩前に出ました。
ワンバウンド、ポーン。
ツーバウンド、ポーン。
それでも僕の左足のすぐ横を抜けていく球足の速さです。
直後にパスッという音が聞こえました。
ビニールシートの上にあったお客さんの荷物に当たったのです。

そこから先は、もう無我夢中っスよ!

駆け上がって来る中日ファンに左から回り込むように背を向け
緩やかな上り坂に這いつくばりました。
目の前には、カブレラのホームランボール!

      よし、獲れる!

そう思った瞬間、ボールに覆いかぶさる人影が見えました!
荷物の後ろに、ちっちゃな男の子があぐらをかいてペタンと座っていて
え、な~に?とばかりに身を乗り出してきたのです!
      
      坊や!
     申し訳ないけど
     君はこのボールがここにある意味が
     まるでわかってない!
     なら、いいだろ!?
      
     これは、俺たちの夢なんだぁーーーーーーーーっ!

言葉で整理するなら、そんな感情が脳裏をよぎったのです。
どちらの手でボールをさらったかも、まるで覚えてません。
確かなのは・・・・・・
20年余りの歴史がある
文化放送のホームランレポーター&一発レポーター全員の
“悲願”が達成された、ということです。

     さぁ、レポートしなくっちゃ!!!

すぐそばに、機材を担いでくれているスタッフがいますから
その場で喋ればよかったのですが
僕は気がつくと、200m以上離れた放送席へダッシュしていました。
ε=ε=(┌ ‐)┘ε=ε=(┌ ‐)┘ε=ε=(┌ ‐)┘
たぶん、一刻も早く、解説の大塚光二さんと実況の上野智広アナに
このホームランボールを触ってもらいたかったのかもしれません。
息を切らせてブースに駆け込み
上野アナのマイクを背後から奪うように喋ったような記憶があります。


『やった!
 ボール、獲った!
 カブレラの!僕が!
 ホームランボール!・・・』

“取り乱す”って、こういうことなんですね。

今日、ホームランを打った本人にサインをしてもらいました。

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このボールは、新社屋の〈社宝〉です。

スタッフに勧められ、僕もサインをさせていただきました。
価値が下がるのでは、とも思ったのですが
「文化放送の歴代レポーターを代表して」と割り切った次第です。
いつの日か、イベントで公開できたらいいなぁ。


投稿者 斉藤一美 : 23:58

2006年06月10日

モンナシーヌに大爆笑

最近、深夜の帰宅後の楽しみになっているのは
昼間に録っておいた
『吾輩は主婦である』
を観て大笑いすることです。
由緒ある放送枠【花王・愛の劇場】なりの
クドカン・ワールドが炸裂!って感じで
頭の中を空っぽにすることができます。

主演の斉藤由貴は
若い頃よりカワイくて面白い!というのが最大の発見です。
コロコロしたポッチャリ体型で、クルクルと表情を変えながら
架空のミュージカル“モンナシーヌ”を歌い出すたびに
寝ている家族を起こさぬよう、声を出さずに爆笑するのが
もはや、僕の日課となっています。
これだけ笑わされてしまうと、復活する『スケバン刑事』
松浦亜弥の母親役をどんなにシリアスに演じられても
『吾輩・・・』にハマったせいで吹き出してしまいそうです。

小さな発見は
川平慈英が経営する喫茶店のウエイトレス・つぼみ役が
香里奈の実のお姉さん(能世あんな)だということ。
言われてみれば、確かに似ているかも。

この手の“濃い”コメディーには、いつも心を奪われます。
だから、世紀の傑作『下妻物語』を撮った中島哲也監督の新作
『嫌われ松子の一生』を早いトコ観に行きたいのに
セ・パ交流戦の日程がハード過ぎるので、全く時間が取れません。
あと10日間の辛抱です。

え?
じゃあ、間もなくペナントレースの日程も半分終わるってことですか!
早ぇ~っε=ε=ε=( ^o^)/

投稿者 斉藤一美 : 00:15

2006年06月09日

恐怖の保存画像

先日、息子の友達のお母さんから
一緒に遊んだ時に撮った子供達の写真が
メールで送られてきました。
「どれどれ?アハハ。このアイスクリーム美味しかった?」
な~んて言いながら、カミさんと息子の3人で
PCの画面を覗き込んでいたのです。

添付された写真を拡大しながら
次のイメージ→次のイメージ・・・・という具合に
左クリックを繰り返すたびに出てくる子供の写真を見て
和気あいあいと過ごしていたその時に、突然現われました。


MEGUMIの写真がΣ( ̄ロ ̄lll)

しかも
水着からこぼれ落ちそうなくらいの
胸の谷間を強調した
前かがみポーズの
写真が( ̄□ ̄;)!!

一瞬、何が起きたのか分かりませんでした。
だって、この画像を取り込んだ覚えがないんですよ!

なのに、MEGUMIの巨乳が

突然デ~ン!と画面を占拠したのです。

僕の両サイドを固めた2人は一斉にこちらを向いた後
ニヤ~ッと笑いながら食い入るようにPCを見つめました。
「え~っ!何これ!?」
「パパってMEGUMIのファンだったの!?」
「ここに保存するほどMEGUMIが好きなんだぁ~」
「ママ知ってた?」「うう~ん、初耳ーっ!」

違う!断じて違う!!本当に知らないんだ!!!
頼む・・・信じてくれぇ ・・・・・と弁解するそばから
カミさんと息子は
「MEGUMI!MEGUMI!あ、それMEGUMI!MEGUMI!」
と手拍子を始め、全く聞く耳を持ってくれません・゜゜⌒(TOT)⌒゜゜・

カミさんはいいんです。謝れば済みます。
でも息子に見られたのは、さすがに大ダメージです( ̄~ ̄;)
乳の、いえ父の威厳は、もう二度と回復することはないでしょう。

それ以来、息子が僕の耳元で囁きます。
「パパの名前は斉藤MEGUMI」って。

小学生に弱みを握られるって、ホントにやっかいですよ。
MEGUMIのファンではないだけに(MEGUMIさん、すみません)
心底悔いが残ります。
きっと、あなたのPCにも
取り込んだ覚えのない画像が残されているはずです。
人前で見る時は、くれぐれもご注意を。

投稿者 斉藤一美 : 03:29

2006年06月05日

ヒロシマ。8月6日へ向けて。

広島に行くと、どうしても“ヒロシマ”を感じます。
この街のシンボルが遠くに見えてきました。

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《あの日》までは、モダンな4階建ての建物。
かつての広島県産業奨励館です。
今や、原爆ドームと呼ばれています。

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爆心点のほぼ真下にあったため倒壊を免れました。
そこにあるだけで、訪れた人々に大切なメッセージを伝えてくれます。
まさに世界遺産です。

平和記念公園は、修学旅行生で大賑わい。
被爆した当時のヒロシマを語るボランティアの方の話に
真剣な表情で聞き入る姿があちこちで見られました。

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すぐそばにある“原爆の子の像”です。

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原爆が投下されてから10年後の秋
中1の佐々木禎子(さだこ)さんが白血病で天国へ逝きました。
入院中、病気の完治を祈りながら
ひたすら彼女が折っていたのが、千羽鶴です。

この姿を見てきた禎子さんの友達は胸を痛めました。
そして、大きな志を遂げることなく旅立った仲間の霊を慰め
世界中に永遠の平和を呼びかけるために
『“原爆の子の像”を作ろう!』と立ちあがったのです。
善意の輪は瞬く間に広島市、全国、さらには海の向こうへと広がり
1956年のこどもの日に完成・除幕されたので
今年でちょうど50年が経ったことになります。

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この銅像の周りには毎年たくさんの折り鶴が捧げられ
皆、専用のブースにこうして吊り下げていくのです。
ここに大学生が放火して14万羽が焼かれてしまい
ニュースになったこともありました。

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こちらは、2002年度だけで全国から寄せられた折り鶴。
ほぼ1000万羽はあるはずです。

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この建物の1階は、こんな造りをしています。

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実は、日本銀行だったりして。

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正しくは、旧日本銀行・広島支店。
爆心地から400mも離れていない所にある
地上3階・地下1階(金庫フロア)の、耐震設計が施された
鉄筋コンクリートの頑丈な建物です。
1945年8月6日の朝は
鎧戸を閉じていた1・2階に大きな被害はありませんでした。
ただし3階は開いていた分、ひどい目に遭ったそうです。
それでも2日後には業務を再開したことから
市民にとって原爆ドーム同様、復興の象徴となり
現在は市の重要文化財に指定されています。

今なお、ほぼ当時の姿を残す旧日銀の
しかも甚大な被害があった3階に
これだけの折り鶴が保管され、完全開放されるようになってから
間もなく1年が経とうとしています。


平和記念公園に戻ってきました。
ここなら原爆ドームと広島市民球場を一度に臨むことができます。

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原爆慰霊碑の前に立ちました。
設計者は巨匠・丹下建三。
家の形をしているのは
犠牲者の霊を雨露から守る意志の表れです。

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花輪がかけられた石の棺には
『安らかに眠って下さい
 過ちは繰返しませぬから』
と刻まれていました。
“この文の主語は誰?誰が過ちを繰り返さないという意味?
『繰返しませぬから』ではなく
『繰り返させませぬ』ではないのか?”

という論争も、以前に起きたそうですね。

ちょうどこの日は、慰霊碑の前に広がる
芝生広場の雑草取りをしていました。
年3回のうちの1回なので、出くわすのは珍しいかもしれません。

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8月に入ってからもう1回だけ雑草を抜き
この上に数え切れないほどのパイプイスを並べると
今年も、平和記念式典への準備が整います。

訪れた人々に
様々な感慨を与える“ヒロシマ”。
これからも、何度でも足を運んでみたい街です。

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投稿者 斉藤一美 : 05:45

2006年06月01日

カープファンファン

*一つ前のブログ
 『広島。何かと個性的。』を読んでおいて下されば
 より、内容を理解して頂けるかと思います<(_ _)>


外野スタンドをウロウロする仕事【一発レポーター】を
昨日に続いて担当しました。

今日が最後のチャンスです。
余計なお世話であることは百も承知で
レフトスタンドの広島カープ応援団に物申したのです。

なぜ、スクワット応援をしないのですか?と。

その場にいらした団長は、女性。
美人であることは間違いありませんが
カープを愛してこの道22年、という猛者だけに貫禄は十分です。

『いや、あの応援は
私達が強制しているものじゃなくてさ、自然発生的なものなのよ。
だから、やっちゃダメ、とも言ってないワケ。 
それにしても・・・えぇ?スクワットしてなかったっけ?
確か、ずっと立ちっ放しだったわよね。
きっと、座席がないから、やるきっかけが作れなかったのよ!
だって“広島スクワット”って
最初は座ってるところから始めるんだもん』

つまり、何となくそうなった、ということで納得しましたが
「僕は放送席から眺める“スクワット”が大好きなので
正直言って淋しいです・・・」
と言い残して
西武の応援席・ライトスタンドへ向かいました。

しかし、いざ試合が始まってみると・・・・・・・・・

東出!(立ちあがる人、座ったままの人。各自メガホン振り上げる)
東出!(立っていた人は座り、座っていた人は立つ)
東出!(座った人は立ち、立った人は座る)
東出!(もう1回、座り込んだり、立ち上がったり)
東出ーっ!(立つ、座る)
東出ーっ!(座る、立つ)

スクワット
やってるじゃん!
Σ( ̄ロ ̄lll)

熱い!激しい!美しい!
何と統制のとれた応援でしょうか。

間近で観たのは初めてだったので、素直に感動しました。
幸い、カブレラが先制2ランをレフトスタンドに運んだので
ホームランボールを探しに行きがてら
団長の元へ真相を伺いに馳せ参じたのです。

『あれはね・・・文化放送のためにやったのよ。
お兄さんが帰った後、他の団員達に事情を話したらOKしてくれて
“カープファンの皆さん!
文化放送からリクエストが来ましたので
よろしければ、今夜はスクワットで応援して下さい!”
って呼びかけたら、ああなったの』

う、う、嬉しすぎて・・・("⌒∇⌒")
感謝の言葉がすぐには出てきませんでしたm(_ _)m
やっぱり何事も言ってみるものですね。
でも、7回表には“ほぼ立ちっ放し”に戻っていたのはご愛嬌。
さすがに疲れたのでしょう。
1試合に700~1000回、しかも、いつもより深めの屈伸なんですから。
それでも9回表は全員が寄り添うように密集。
凄まじい大声で応援している光景は、まさに圧巻でした。

カープファンの懐の深さとチームへの献身的な愛情に
心から敬意を表します。
カープファンのファンになってしまいそうです(^◇^;)


投稿者 斉藤一美 : 23:29

 

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