2010年05月27日

守られるべき伝統

石井義人選手が、手書きのメンバー表で
石(義)井と表記される理由が判明しました。

関係者の話を総合すると
「その書き方がライオンズの“伝統”」なのだそうです。

ちなみに、楽天イーグルスのメンバー表も
山﨑武司選手や中村紀洋選手の名前が
山(武)﨑だったり中(紀)村という「西武型」。
ただ、ヤクルトスワローズの田中浩康選手は
田中(浩)の「一般型」だったので
チームによって色々あるんだなぁ、と実感しました。

いずれにしても“伝統”は
それが悪いものでない限り受け継がれていくべきなのです。

例えば、球場の放送席に座ったアナウンサーが
目の前の試合を実況することは当たり前の“伝統”といえます。
たとえ中継されていなくても
生の動きを喋ることが最高の練習となるからです。
まして、解説者も隣りにいない状態で実況し続けるので
本番以上に声と言葉を費やします。
真剣に取り組むともうヘトヘト・・・という感覚は
ピッチャーのブルペン投球に通じるかもしれません。

ところが、本番の実況中継で経験を積んでいくにつれ
僕は、生放送に関係のない現場に足を運ぶと
選手のプレーに合わせて口をブツブツ動かす
いわば“ツイッター実況”にとどめて
いつの間にか、プレーボールから試合終了の瞬間までを
しっかりと喋らないアナウンサーになっていました。
実況生中継に漂う独特の緊張感を知ってしまうと
あまりにも刺激がなく、エネルギーの無駄遣いに思えたからです。

ここ数年間の僕は“伝統”を放棄したも同然でした。

そんな折、昨日【ライオンズナイター】を中継するかたわら
とある関東地方の球場へ行くことになったのです。

今度の日曜に生中継が控えている身としては
ここで真剣に実況の練習をするべきだ、と踏んだ僕は
本番モードでガンガン喋り続けました。
何よりもありがたかったのは、放送席から手を伸ばせば
焼き鳥をつまみ食いできるくらいの至近距離に
お客さんがたくさんいらっしゃったこと。

僕の声が全て、彼らの耳に入ってしまうのです。

とびきり俊足の選手が出塁した時なんて
「一塁ランナーは超俊足の○○」と表現すると
僕の前に座る美しいご婦人が、隣りのダンナ様に・・・

“超”は大げさよねぇ

・・・と話しかける小声を聞き取ってしまい
かなりヘコみかけました(°∇°;)
でも・・・

リスナーがラジオに接する風景を
ダイレクトで見たようなものじゃないか!
貴重な体験だよ( ̄人 ̄)

・・・と思い直してひたすら実況し倒したのです。

すると、数人が何度もこちらを振り返るので
きっとうるさいんだろうなぁ、と
申し訳ない気持ちでいっぱいになっていると
イニングの合間に声をかけられました。

あのぉ・・・何で、ピッチャーの投げたボールが
「ド真ん中」とか
「インコース」って分かるんですか(#^.^#)

え~っと・・・見た感じ
「ド真ん中」だったり「インコース」だったりするから
そのように実況しています。
だから厳密ではありません。あくまでも適当です。

へぇ~、凄いですねぇ(〃▽〃)

こんな曖昧な回答の何が凄いのか理解しかねますが
『実況は人の心を動かす力に満ちている』
という事実を、プロ野球ファンとの会話で改めて思い知らされました。

ただ、その後に・・・

右中間スタンドに入ったぁーっ!
同点ホームラン、3-3!

・・・と絶叫して「よし、決まった!」と思ったら
実はセンターがフェンスの遥か手前で捕球していたのです( ̄◇ ̄;) 
僕の周辺の観客席には
これ以上はないほどの気まずい空気が流れていました。

放送席に座ったら、とにかく実況する。

僕は、この大切な“伝統”を
数年間もないがしろにした罰を喰らったのでしょう。
本番ではなかったことがせめてもの救いです( i_i)\(^_^) 

投稿者 斉藤一美 : 2010年05月27日 23:06

 

(C) 2005, Nippon Cultural Broadcasting Inc. All right reserved.