8月28日放送分後記

皆さま、こんにちは。安藤和津です。
今回お迎えしたゲストは、北野大さんでした。

北野大さんと言えば、皆さまご存知の通り、北野武さんのお兄様です。
そして、北野家を語る上でかかせない存在といえばお母様!
13歳で屋敷奉公に出て、大変なご苦労をしてきたというお母様の口癖は
「勉強して上の学校に行くんだよ」だったそう。
けっして裕福ではない家庭の中で、貧乏の悪循環を断ち切るのは教育だ!
といった信念をお持ちでした。

お母様の教えはそれだけではありません。
食べ物を美味しい、不味いと言って好みをむき出しにするのは卑しい事だとし、
他人に対して偉そうにすることを「自慢、傲慢、バカがする」と教えました。
北野家のお母様の教えは、けっして学歴にかたよったものではなく、
“人間としての品性”を子どもたちに伝えていたんだなと思います。

そして、そんなお母様の教えを、
兄弟の中で一番忠実に守っていたという北野さん。
小学校・中学校と試験で10番以下をとったことがないそうです。
その変わり、運動の方はてんでダメだったとか(笑)
運動会の徒競走は必ずビリで、挙げ句、あまりにも遅すぎて
北野さんがゴールする頃には次の組のためのゴールテープが張られていたほど!
高校時代には、泳げない生徒だけが着る“赤パンツ”の水着で授業に出て
恥ずかしい思いをしたそうです。北野さんにもそんな頃があったんですね〜(弱笑)

1北野.jpg


高校に入って初めて挫折感を味わったこともありました。
そんなある日、お母様に、めったに口にできないお寿司を食べに連れて行ってもらい、
「ほかの兄弟には内緒だよ」と一言。
自分に対する親の期待を感じ、「頑張らねば!」と北野さんは思い奮起したそうです。
でも実はコレ、お母様はほかの兄弟たちにも同じことを言っていた事が後から判明!
やっぱり、お母様の方が一枚上手ですね(笑)
こういうお話を伺うと、心の底から思います。「母は強し!」

さて次回も、引き続き、北野大さんをお迎えします。
これまで北野さんが語ったことのない部分に切り込んでいきますよ(笑)
どうぞお楽しみに!!

2011.08.30

8月21日放送分後記

皆さま、こんにちは。安藤和津です。
今回お迎えしたゲストは、先週に引き続き、
ソウルオリンピック銅メダリストの小谷実可子さんでした。

高校生のときにシンクロでアメリカのジュニアチャンピオンとなり、
自信をもって挑んだ日本の大会。
しかし、結果は小谷さんにとって厳しいものでした。
理由のひとつは、アメリカとの採点方法の違い。
表現力重視のアメリカと違い、日本は基本に忠実。思うように点数が伸びず、
約3年も苦しい期間を過ごし、一時は「引退」を考えるほどだったとか。
アメリカで勝ち上がった小谷さんは、
なかなか素直に基本練習ができなったそうです。
…が、シンクロから離れていた間に、「やっぱりシンクロが好き」と実感。
地道に練習を積み重ね、翌年には見事優勝をつかみとります。

そして迎えたソウルオリンピック。
誰よりも練習した、だから負けるはずがないと、
「300%の気持ち」で大会に挑み、ソロとデュエットで銅メダルを手にします。
小谷さんにとっては、メダルを獲って当たり前という気持ち。
明確な数字となって結果が出る競技の世界に生きる人は、
キッパリと潔いものなんですね。本当に素敵だと思いました。

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素敵といえば、やっぱり水の中の小谷さん!
シンクロでとくに大変な点はというと、「デュエット」で合わせる事なのだとか。
2人の息が合わず、足の角度が少しでもズレていると、如実にわかります。
逆に、心が合わさると、“2人の水流が一緒”になり、
相手の動きを見なくてもピタリと「シンクロ」するそうです!

水の中からスラッと伸びる小谷さんのつま先の美しさ、
覚えていらっしゃる方も多いのでは?
収録後、小谷さんの足を触らせてもらったのですが、
キュッと引き締まった筋肉は常人とは違い、
鍛えられた美しさに思わずオヤジ化してしまった私でした(笑)

さて次回は、北野大さんをお迎えしてお送りします。
どうぞお楽しみに!!

2011.08.22

8月14日放送分後記

皆さま、こんにちは。安藤和津です。
今回お迎えしたゲストは、小谷実可子さんでした。

小谷さんは、シンクロナイズドスイミングの元日本代表!
ソウルオリンピックでは、ソロとデュエットで2つの銅メダルに輝いた方です。
小谷さんがオリンピックを夢見たきっかけは、小学生のとき。
コマネチ選手に憧れて機械体操や新体操、水泳をはじめられ、
9歳のとき、その水泳教室のコーチに才能を見いだされてシンクロの道へ。
そして、中学入学と同時に、名門・東京シンクロクラブに入部。
もともと素晴らしい身体能力をもっていた小谷さんですから、
周りから「日本チャンピオンになれる」と言われつづけ、
「いつかNO1になるんだ!」と信じてシンクロ漬けの日々を送ります。
ご本人いわく、調子に乗りやすいので“その気”になったとか(笑)

小谷1.jpg

高校1年のときには、「もっと練習したい!」という思いから、
両親の反対を押し切り、当時シンクロで世界一だったアメリカへ留学。
世界のトップ選手たちと肩を並べて練習に励む中で、
小谷さんの“ロケットジャンプ”は誰よりも高く、称賛の的だったそう。
ここでまた小谷さんは自信を身につけ、
その技術と表現力で、アメリカのジュニアチャンピオンになります!

自分を信じると書いて「自信」。小谷さんは前向きに自分自身を信じつづけ、
その自信をエネルギーに変えてきた方なんですね~。
ソウルオリンピックに出場した際にも、
「負けるわけがない」と絶対の自信をもっていました。
その自信を裏付けるものは、並大抵ではない「努力」にほかなりません。
誰よりも練習したという思いが自信となり、自信がエネルギーとなる。
なんてポジティブなパワーに満ち溢れた女性なんでしょうか!
小谷さんは、現役を引退されたのが19年前ということですが、
まったく変わらない美貌にもビックリ。

さて次回も、引き続き、小谷実可子さんをお迎えします。
アメリカから帰ってきた小谷さんを待っていた挫折と復活。
どうぞお楽しみに!!

2011.08.15

8月7日放送分後記

皆さま、こんにちは。安藤和津です。
今回お迎えしたゲストは、先週に引き続き、具志堅用高さんでした。

前回もご紹介した具志堅さんの最新著書、
『ふかあ〜い具志堅用高のはなし』は本当に一見の価値あり!
私も読ませてもらったんですが、
電車の中なのにブーッと何回も吹き出して周囲の注目の的になっちゃいました〜(笑)
爆笑エピソードあり、裏話あり、人生哲学あり!

さまざまなお話の中から、収録では、
WBA世界ジュニアフライ級チャンピオンになったときのお話を
詳しく伺うことができました。
プロデビュー9戦目で早くも世界戦にチャレンジ。
1週間も前から大きな緊張感があったそうですが、
リングに上がったとたん、闘志がメラメラとわいてきたのだとか。
そして、具志堅さんのファーストパンチがばっちり命中!
気づけば、7ラウンドで強敵をKO。 世界が一転した瞬間でした。
「リングの中で人生が変わる」。
具志堅さんは身をもってそれを体験し、
以後、13回にも及ぶ連続防衛の日本記録をうちたてます。

2具志堅.jpg

無敵のチャンピオンだった具志堅さんですが、
現役時代、試合前は必ずトイレに閉じこもっていたとか…。
お母様から、「人に暴力をふるう人間にはなるな」と育てられた具志堅さん。
毎回、やはり試合は怖かったそうです。
「臆病は恥じゃない。逃げることが恥」とは、具志堅さんの体験からの名言。
実は今の奥様も、自分から前へ前へと攻めたそうです♪
一目惚れで即アタックし、小まめなジャブで勝利したのだとか(笑)

そうそう! 高校卒業後、すぐにプロデビューした背景には、
具志堅さんいわく、「大学に着く前に協栄ジムに拉致された」
…という事があったのだとか(笑) 大学進学のために上京したはずなのに、
気づけばバッグひとつで、羽田空港からジムに直行していたそうです!
それだけ、当時からプロの世界でも注目されていたんですね〜。

さて次回は、北野大(きたの・まさる)さんをお迎えします。
どうぞお楽しみに!!

2011.08.08

7月31日放送分後記

皆さま、こんにちは。安藤和津です。
今回お迎えしたゲストは、具志堅用高さんでした。

WBA世界ジュニアフライ級チャンピオンを13回連続で防衛した、
すごい記録の持ち主です!その強さの秘密は何だったのでしょうか。

具志堅さんは石垣島生まれ、子どもの頃は海に山にと裸足で駆け回る
島のガキ大将だったとか。 体のバランスは足の親指でとるそうですが、
石垣島の豊かな自然の中で元気いっぱいに遊ぶうち、
ボクシングで大切なバランス感覚を知らず知らず養っていたんですね〜。

そして、お父様が、なんとカツオの一本釣り漁師!
無口なお人柄だったそうですが、ガッツと闘志に燃える、
「男の中の男」を父の背中に見たそうです。
カツオとの一騎打ち、その戦果をカツオ漁船同士でも競い合う
「海の男」の血をひいているのが具志堅さん。
身を粉にして働く母の姿にも、学ぶことが多かったのだとか。

1具志堅.jpg

そんな具志堅さんがボクサーになるきっかけとなったのが、
高校受験のとき、テストの答案用紙に名前を書き忘れたこと!
無記名だったため受験は失敗。 地元の高校には入れず、
本島の那覇市の高校に推薦入学することになりました。
具志堅さんらしいお茶目なエピソードですね(笑)
でも、これは運命だったのかもしれません。
具志堅さんが進学したのは、スポーツで有名な興南高校。
さらに、下宿先は、
偶然にもボクシングジムが経営する銭湯だったのです。

さまざまな出会いに恵まれ、導かれるようにボクサーの世界へ。
石垣島で培われた闘志と身体能力をもって、
本島でボクサー生活をスタートさせた具志堅さん。
最新著書『ふかあ〜い具志堅用高のはなし』にも、
具志堅さんの生い立ちや爆笑エピソードが満載ですので、
ご興味のある方はぜひ!

さて次回も、引き続き、具志堅用高さんをお迎えします。
どうぞお楽しみに!!

2011.08.01

安藤和津 トークマルシェ

安藤和津さんがさまざまなジャンルで活躍されている方をお迎えして、その時々に興味と関心の高い話題を伺います。安藤和津さんは、エッセイストとして、二人の娘の母として、俳優・映画監督の妻として、CNNの元ニュースキャスターとして、母の介護をしてきた女性として・・・いろいろな視線で優しく面白くインタビューしています。日曜日の朝、トークのマルシェ(市場)へようこそ。


プロフィール

東京生まれ。初等科から高校まで学習院に学ぶ。
上智大学独文科卒業後、イギリスに留学。エッセイストやコメンテーターとしてテレビ番組に出演。夫は、俳優・映画監督の奥田瑛二氏。著書は『女盛りは子育て盛り-Momoko&Sakura』文化出版局、『月うさぎ』奥田瑛二絵、あすなろ書房、『あいうえお-安藤和津の主婦と生活』PHP研究所、『愛すること愛されること』講談社、『てきぱき家事絵本』小学館、『忙しママの愛情レシピ121』講談社、『愛すること愛されること』講談社<講談社文庫>、『さくらうさぎ』奥田瑛二絵、ミキハウス、『オムツをはいたママ-母との愛と格闘の日々』グラフ社、『長い散歩』学習研究社 など