5月29日放送分後記

皆さま、こんにちは。安藤和津です。
今回お迎えしたゲストは、先週に引き続き、
国際政治・軍事アナリストの小川和久さんでした。

小川さんは、陸上自衛隊 航空学校をご卒業されたあと、
同志社大学の神学部へ進まれます。…が、なぜ神学部だったのでしょう?
「当時、自分が一番関心のあったことを突き詰めたら神学だった」。
そういった想いで同志社大学 神学部の扉を叩きますが、
正式に洗礼も受けていなかった小川さんは、一時、入学を断られます。
しかし、そこは小川さん!
「万人に門戸を開くキリスト教の教えは嘘なのか」と、学長に直談判!
見事、入学を認めてもらいました。が、しかし、当時は学生運動の最盛期。
バリケード封鎖によってほとんど授業を受けられず、
「授業をしていないのに学費をとるのか」と、苦労して入った大学を去ることに…。
大学時代ひとつとっても、こんなに意外エピソードがてんこもり~!(笑)

その後、地方紙の新聞記者を経て、講談社『週刊現代』のライターへ。
足掛け9年、政治問題や社会問題などを追い続けました。
週刊誌のお仕事は大変ハードらしく、週に2日は完全徹夜。
記者の皆さんは、体力的にも厳しくなる35歳を目安に
独立を考えられるのが自然な流れだとか…。
そこで小川さんが選んだ道が、軍事アナリストだったのです!
小川さんが軍事の専門家を選ばれたのは、自衛隊にいたからではありません。

2小川.jpg


「軍事問題と医学は同じ、人間の生命の問題」。
けっして戦争に勝つための分析や解説ではなく、
「戦争を避けて平和を維持するために務める」というのが小川さんの決意。
現在、特定非営利活動法人『国際変動研究所』の理事長として、
世界に通用する若手専門家の育成にも尽力されています。

小川さんの研究内容は、有料メールマガジン『NEWSを疑え!』や
最新著書『もしも日本が戦争に巻き込まれたら』などで知ることができます。
とくにメールマガジンは有料ということで、研究支援の意味もあります。
これからの社会、みんなでしっかりと考えていきたいものですね。

さて次回は、魚類学者でタレントの【さかなクン】をお迎えします。
ギョギョ~ッ!とするお話が飛び出しそうです。お楽しみに!!

2011.05.30

5月22日放送分後記

皆さま、こんにちは。安藤和津です。
今回お迎えしたゲストは、
国際政治・軍事アナリストの小川和久さんでした。

素敵なロマンスグレーという言葉がぴったりの小川さん。
そ、そ、それなのに、なんと、額に大きな絆創膏を貼ってご登場。
「すわ、夫婦ゲンカ?」と思いきや、
奥様が重い荷物を運んでいるのを助けようとして、
段差でつまずき、頭から地面に直撃したのだとか。
テレビから受ける冷静沈着な印象からは、ちょっと想像できません(笑)
今回、お伺いした小川さんの生い立ちも、驚くことばかりでした。
とくに私が感銘を受けたのは、お母様の波乱万丈な人生!
お母様は12歳のときに一人で移民船に乗ってブラジルに渡り、
帰国後は横浜でカフェを経営。そこで財を築き、
次は上海に渡って英国系のカレッジへ。実業家として成功を収め、
日本に戻り、終戦とともに息子である小川さんを出産されます。
ひと言でいうと『愛国心に満ちた国際人』。お母様の生き様を伺って、
小川さんのルーツを垣間見ることができたように思います。

1小川.jpg

「こう見えて気性が激しかったんです」と小川さんご自身がおっしゃるように、
陸上自衛隊 生徒教育隊で学んでいた頃にはこんなエピソードも…。
授業中、教官が手品を披露したところ、ほかの生徒たちがみんな喜ぶ中で
小川さんだけ「授業は授業です」と抗議。
次の授業でも教官が手品を行ったときには、試験で白紙の答案を提出したそう。
ご自分の意志を貫く姿勢は、間違いなくお母様のDNAです。

そして、小川さんのこれまで歩んでこられた道のりも
お母様に負けていません! 自衛隊で学び、同志社大学の神学部へ進み、
新聞記者を経て雑誌のライター。
もう、お聞きしたいことが次から次から出てきて大変(笑)
まるで100%濃縮還元ジュースのような人生です!

いったい、どこから、どういった経緯で現在の軍事アナリストに!?
次回も引き続き、小川和久さんをお迎えしてお届けします。
どうぞお楽しみに!!

2011.05.23

5月15日放送分後記

皆さま、こんにちは。安藤和津です。
今回お迎えしたゲストは、先週に引き続き、
競泳のシドニーオリンピック銅メダリスト・田中雅美さんでした。

オリンピック初出場のアトランタを経て、大学でも水泳を続けた田中さん。
さらなる記録を目指して師事するコーチのいる中央大学へ進みますが、
なんと当時は男子部しかなく、女性は田中さん一人だったそうです。
狼の檻の中に小羊一匹状態?
男子選手に交じって、何から何までまったく同じトレーニングメニューを
こなしていたというのですから驚きです。

驚くといえば、試合前日の脱毛話も!
競泳選手の皆さんは、0.1秒を競うために、
背中から指の関節部分にいたるまで体中のうぶ毛をキレイに剃ってから
試合に挑むのだそうです。私たちには感じ取れないような小さな“抵抗”が
勝負の明暗をわけることもあるなんて、本当にすごい世界!!

2田中.jpg

田中さんはそんな研ぎ澄まされた世界で泳ぎ続け、シドニー五輪では、
競泳女子400mメドレーリレーで銅メダルに輝きました。
このメダルに「救われた」という田中さん。実はシドニーでは調子が上がらず、
苦しみながら調整を重ねるも、自分の泳ぎができないまま当日を迎えたそう。
選考会で次々に日本新記録を出し、周りからの期待も大きかったため、
泳げない辛さのあまり水泳を「嫌い」になってしまっていたのだとか…。
そんな状況の中、仲間と力を合わせて獲った銅メダル。
田中さんがすごいのは、次のアテネオリンピックにも出場していることです。
3大会連続でオリンピックに出場している選手はなかなかいませんよね。

ちなみに、新婚二年目となる田中さんの旦那様は、
とっても朗らかでキュートな方です♪ 現在、スポーツキャスターや
水泳講師として全国を回る妻をやさしく支えているのだとか。
私も田中さんの水泳教室を受けようかしら?
…だとしたら、息つぎから教えてもらわなくっちゃ!
田中雅美さん、よろしくお願いします(笑)

さて次回は、軍事アナリストの小川和久(おがわ・かずひさ)さんを
お迎えします。お楽しみに!!

2011.05.16

5月8日放送分後記

皆さま、こんにちは。安藤和津です。
今回お迎えしたゲストは、
競泳のシドニーオリンピック銅メダリスト・田中雅美さんでした。

実は、田中さんとはよく一緒に飲みに行かせてもらっているんですが、
今回お話を伺って改めて感じたことがあります。
それは、アスリートの女性は地道で忍耐強く自己分析ができる!
プロゴルファーの東尾理子さんをお迎えした時にも、同じ印象を受けました。

田中さんが本格的に水泳を始められたのは小学2年生のとき。
お父様は体育教員、お母様は元アスリートという体育会系のご両親のもと、
着実に“平泳ぎ”の才能を伸ばされていった田中さん。
15歳で上京するまで、出身地・北海道でトレーニングを積み重ねてきました。
真冬の夜の練習後には、髪が濡れたまま外に出ると瞬間冷凍していたそう!
そういった環境の中で鍛えられ、全道大会から中学生のときには全国大会へと
徐々にステップアップしていきます。

1田中.jpg

しかし当時の田中さんには、まだオリンピックの道は見えていなかったのだとか。
その頃、同じ年の岩崎恭子さんがバルセロナで金メダル。
田中さんにとって岩崎選手は雲の上の存在だったらしく、
大会で隠し撮りをしたこともあるそうです。
田中さんがオリンピックを目指すようになったのは、高校に入ってから。
1994年、日本水泳選手権にて、100m・200m平泳ぎで2冠を達成。
翌年には、100m平泳ぎの日本記録を11年ぶりに更新しました。すごい!!
そうそう、高校時代は水泳漬けの毎日で恋をする暇もなかったのでは?
…と思いきや、しっかり恋愛も充実していたそうで安心しました(笑)

そして、高校3年で念願のオリンピックに初出場!
夢を叶え、憧れだった岩崎選手とともに競泳日本代表としてアトランタへ。
アトランタ五輪では日本勢のメダルゼロという残念な結果でしたが、
田中さんは自己ベストを更新し、初めてのオリンピックを
「良い意味で楽しめた」と語ってくれました。
世界の壁は厚く、勝負の世界は厳しい!

さて、次回も引き続き、田中雅美さんをお迎えしてお届けします。
シドニーオリンピックでの栄光に隠された秘話。どうぞお楽しみに!!

2011.05.09

5月1日放送分後記

皆さま、こんにちは。安藤和津です。
今回お迎えしたゲストは、先週に引き続き、
女子プロゴルファーの東尾理子さんでした。

華奢な体格の理子さんは、
プロゴルファーとしてはけっして恵まれているとはいえません。
それゆえ、コツコツと反復練習を積み重ね、技を磨くことに専念したのだとか。
フロリダ大学に留学していた頃も、ゴルフと学業を両立させていた理子さん。
今回、改めてお話を伺って、
『元気で可愛い』から『芯のしっかりした地道な努力型』に
私のイメージはすっかり変わりました!
地道にコツコツ頑張れるタイプは、ゴルフに向いているそうです。
私は説明書を読むのも面倒なタイプだからゴルフには向いてないかも~(笑)

そして理子さんといえば、新婚!ですよね。
お相手の幸運な男性は、皆さんご存知の通り、俳優の石田純一さんです。
お二人の出会いは理子さんがまだ高校生のとき。
大人になって、仕事の現場で一緒になり、
2人で食事に行くなどデートを重ね、ゆっくりと想いを育んでいったそうです。
結婚の決め手は、「一緒にいて楽」だったからなのだとか。
一生をともにするわけですから、気を遣わない相手が一番!

結婚後も、旦那様はクリスマスにサンタクロースの扮装で家に帰って驚かせたり…と、
とても楽しい日々だそうです。
理子さんのお父様の東尾修さんとも2人で飲んだり、
ゴルフをしたり、旦那様とお父様はとっても仲良しなんですって♪
石田さんのことを、「仏様みたいに優しい人」ともおっしゃっていました。
どうもごちそう様でした~(笑)

東尾家の方々とは親子二代に渡ってのお付き合いなので、
私も陰ながら理子さんの幸せを見守っています!

2東尾.jpg


さて次回は、シドニー五輪競泳銅メダリストの田中雅美(たなか・まさみ)さんを
お迎えします。どうぞお楽しみに!

2011.05.02

安藤和津 トークマルシェ

安藤和津さんがさまざまなジャンルで活躍されている方をお迎えして、その時々に興味と関心の高い話題を伺います。安藤和津さんは、エッセイストとして、二人の娘の母として、俳優・映画監督の妻として、CNNの元ニュースキャスターとして、母の介護をしてきた女性として・・・いろいろな視線で優しく面白くインタビューしています。日曜日の朝、トークのマルシェ(市場)へようこそ。


プロフィール

東京生まれ。初等科から高校まで学習院に学ぶ。
上智大学独文科卒業後、イギリスに留学。エッセイストやコメンテーターとしてテレビ番組に出演。夫は、俳優・映画監督の奥田瑛二氏。著書は『女盛りは子育て盛り-Momoko&Sakura』文化出版局、『月うさぎ』奥田瑛二絵、あすなろ書房、『あいうえお-安藤和津の主婦と生活』PHP研究所、『愛すること愛されること』講談社、『てきぱき家事絵本』小学館、『忙しママの愛情レシピ121』講談社、『愛すること愛されること』講談社<講談社文庫>、『さくらうさぎ』奥田瑛二絵、ミキハウス、『オムツをはいたママ-母との愛と格闘の日々』グラフ社、『長い散歩』学習研究社 など