12月27日放送分後記

みなさま、こんにちは。
今回のゲストは【発明家のドクター・中松さん】でした。
いかがでしたか?

数々の発明をされている中松さんですが、
改めて詳しくお話をうかがい、もう凄いのひと言です!

醤油ちゅるちゅる(いわゆる醤油ポンプ)
フロッピーディスク ・・・などなど。
そして、ソーラーシステムも中松さんだったなんて!

中松さんの発明は私たちの生活に密着したモノばかり。
中松さんもおっしゃっていましたが発明の出発点は“愛情”。

お醤油を入れるのに苦労されていたお母様の姿を見ていた
少年時代の中松さんは、楽にさせてあげたいという愛情が
醤油ポンプ発明のキッカケになりました。

でも、楽にさせてあげたいと思うことは誰にでも出来ます。
中松さんの凄い所は、愛情から出発した発想を、ただ単に
“夢を夢で終わらせていない”ということ!

1中松.jpg


夢を実現させるために中松さんは猛烈に理論を勉強された
わけです。
中松さんの発明の3要素「1スジ、2ピカ 3イキ」を
(スジ=理論、ピカ=ひらめき、イキ=世の中で生きる)
少年の頃から今でも実践されているパワーには脱帽です。

夢を夢で終わらせないためにコツコツと勉強し、理論を
身につける目に見えない努力と根気・・・
なかなか真似したくても私たちには出来ません!!
そして、なによりも中松さんの突き抜けた発想に
感心するばかりでした。

さて、次回もドクター・中松さんをお迎えします。
箱根駅伝放送があるために次回、1月3日の放送はお休みで、
新年第1回目の放送は1月10日になります。
是非お聞き逃しなく!

今年も1年間、本当にありがとうございました。
来年もどうかよろしくお願いいたします。
みなさまによい年が訪れますように。

2009.12.28

12月20日放送分後記

みなさま、こんにちは。
今回はファッションデザイナーのコシノジュンコさんを
お迎えしての2回目をお送りしました。
いかがだったでしょうか?

コシノジュンコさんは日本が世界に誇るファッションデザイナー、
ということは皆様もよくご存知だと思いますが、
いかに凄いかを今回詳しくうかがうことができました。

パリコレなど名だたるファッションショーに参加されているのは
当然として、何が凄いのかと言いますと、
この国でショーを開くなんて無理でしょう?
と思いたくなるような場所でショーを成功させているのです!

2コシノ.jpg


例えば、
1985年 北京で中国最大のファッションショー
1990年 日本人初のショーをベトナムで開催。
1996年 キューバで外国人デザイナーとして世界初のショー

まだ今よりも規制の厳しかった北京。
コシノさんがショーを開催した後になんと現地にモデル事務所が
出来てしまったほどの影響力!
それ以来中国でもモデルというお仕事が定着したというから驚きです。

そして、今年8月!
なんと軍事政権下のミャンマーで著名外国人デザイナーとして初めての
ファッションショーを開催されたコシノさん。

世界と遮断されているような国に、ファッションを通じて一石を投じ、
つなげる。これぞまさしく真の文化交流の1つの形ではないでしょうか。

そのためには「夢や感動が必要」とコシノさんはおっしゃっていましたが、
コシノさんご自身も実は誰よりも「夢や感動」を得ていらっしゃるんだと
思います。感動を与えることでご自身が夢・感動というエネルギーを得て、
さらに次へとつなげていらっしゃいます。

そして、そんなグローバルな活動を続けるコシノさんの根本にあるのは
日本文化への理解と愛情です。

世界に文化を発信するためにはまず自分の国の文化を知らなければ出来ません。
トークマルシェでは世界を舞台に活躍するお客様をよくお招きしていますが、
みなさん一様にそうおっしゃいますが、私も大賛成!
日本文化を知ってはじめて外国の文化も尊敬することができるんだと思います。

今回改めてコシノジュンコさんのお話をうかがいながら
そんな思いを強くしました。
そして、こんなに頼もしい先輩が、まだまだ私の前を歩いていることに
心強さと誇らしさも感じています。私もまだまだ休めません!(笑)

さて、次回はドクター中松さんをお迎えします。どうぞお楽しみに!

2009.12.21

12月13日放送分後記

みなさま、こんにちは。
今回はファッションデザイナーのコシノジュンコさんを
お迎えしての1回目をお送りしました。
いかがだったでしょうか?

コシノさんは何と言っても今も昔もチャレンジ精神旺盛な方!
時間の関係で残念ながら放送では出てこなかったエピソードで、
高校時代の運動会、クラスの仮装行列の衣装は全てコシノさんが
プロデュースし、さらに学校全体のポスターや看板なども
全てコシノさんが制作されたということをお聞きして、
今も昔も変わらないそのエネルギーと根性に脱帽です。

1コシノ.jpg


才能のかたまりであると同時に、
ご自分の才能を世の中にぶつけてみよう!というチャレンジ精神も
いまだに衰えていません。

そんなコシノさんの“才能”に出会ったのは、私が12,3歳の頃。
私の母がオシャレ好きで、
娘の私にも人とは違う服を着せたかったんでしょうね、
「銀座の小松ストアにセンスのいいお店が出ている」
とコシノさんのコーナーに連れて行かれたのが最初の出会いでした。

コシノさんは当時まだ20代ちょっと過ぎ。
チョー若いデザイナーさんでした。
生地をあれこれ選び、コシノさんがその場でデザイン画を描いて下さって
それが衝撃的なお洋服!

少女服と言えばフリルにリボンの時代に、ジッパーで取り外し可能な袖、
黒と白のギンガムチェックに赤のアクセント! 見事でした。
他にも背中がバックリとウエスト近くまで開いたワンピース!

兄が服を見て「こんな大胆なモノを着させるんじゃないっ!」
と母に怒っていたことを昨日のことのように思い出します(笑)

もう50年も前のことですが、それだけ衝撃的な出会いでした。
以来、コシノさんとは長いお付き合いをさせていただいています。
お会いする度に思うのは、コシノさんは“ひらめき型”の天才
ということです。

ひらめいてはチャレンジし、またひらめいてはチャレンジする!
本当に日本が世界に誇るスーパーレディーだと思います。

さて次回は、世界を舞台に活躍するコシノさんの
スーパーレディーぶりをさらに詳しくうかがいます!
どうぞお楽しみに!

2009.12.14

12月6日放送分後記

みなさま、こんにちは。
今回のゲストは先週に引き続き
【作詞家の阿木燿子さん】でした。

作詞家、映画監督、女優など様々な創作活動を
なさっている阿木さん。

今回お話に出たフラメンコは12年間無我夢中で
のめり込み、結果は「才能がない」と踊るのを
きっぱり諦め、次に情熱をかけたのが、プロデュース。
それも近松門左衛門の「曽根崎心中」とフラメンコを結びつけた作品!
本場スペインでも評価される、阿木さんのライフワーク
と言えるものとなりました。

2阿木.jpg


もちろんご本人の溢れんばかりの才能と
並々ならぬ努力もありますが、
ほとんどすべての創作活動で大成功をおさめています。
たとえ失敗したとしても阿木さんは
「すぐに忘れる」ことができるんだそうです。

私はいつもこれを「体内シュレッダー」と呼んでいますが
これはストレスをため込まないためには
とても大事な能力だと思います。

阿木さんはひと言でいえば、「神様に愛されている女性」
なのではないでしょうか。
そして、宇崎竜童さんとのご夫婦仲の良さ!!
普段、あまり他人をうらやましいと
思わないようにしている私ですが
でも、阿木さんから少しおすそ分けが欲しい!(笑)

さて、次回はコシノジュンコさんをお招きします。
どうぞお聞き逃しなく!

2009.12.07

安藤和津 トークマルシェ

安藤和津さんがさまざまなジャンルで活躍されている方をお迎えして、その時々に興味と関心の高い話題を伺います。安藤和津さんは、エッセイストとして、二人の娘の母として、俳優・映画監督の妻として、CNNの元ニュースキャスターとして、母の介護をしてきた女性として・・・いろいろな視線で優しく面白くインタビューしています。日曜日の朝、トークのマルシェ(市場)へようこそ。


プロフィール

東京生まれ。初等科から高校まで学習院に学ぶ。
上智大学独文科卒業後、イギリスに留学。エッセイストやコメンテーターとしてテレビ番組に出演。夫は、俳優・映画監督の奥田瑛二氏。著書は『女盛りは子育て盛り-Momoko&Sakura』文化出版局、『月うさぎ』奥田瑛二絵、あすなろ書房、『あいうえお-安藤和津の主婦と生活』PHP研究所、『愛すること愛されること』講談社、『てきぱき家事絵本』小学館、『忙しママの愛情レシピ121』講談社、『愛すること愛されること』講談社<講談社文庫>、『さくらうさぎ』奥田瑛二絵、ミキハウス、『オムツをはいたママ-母との愛と格闘の日々』グラフ社、『長い散歩』学習研究社 など