5月24日放送分後記

みなさま、こんにちは。
今回のゲストは、私の“酒の友”!【あべ静江】さんでした。

あべさんとはこれまで、数えるほどしかお会いしたことはないんですが、
な・ぜ・か(?)お酒があるお店で鉢合わせしたことが何度かあります。

とくに覚えているのは、元モーニング娘。の保田圭ちゃんの
モー娘。引退パーティー。
そこで、なんと私とあべさんは、若く元気な娘さんたちを
差し置いて、イッキ飲みまでして大盛り上がり・・・(汗)。

盛り上がり過ぎて、
私はお店の自動ドアの溝にハイヒールがはまり見事にズッコケ、
有名な酒豪のあべさんはあまりに飲み過ぎの酔いすぎで猛反省!
しばらく禁酒したとのこと・・・。

思い出すだけでもちょっと恥ずかしい記憶ですが、
「お酒に酔って素の部分を出せる人は信用できる人」
というのが、私の1つの人間評価の基準。
(ただし、悪酔いのからみ酒はNGよ~!)

1あべ小.jpg


今回、あべ静江さんと初めてシラフでお話して、
この評価基準に誤りはないと証明されました!

本番前のスタッフとの打ち合わせでも、1つ1つの質問に
丁寧に答えるあべさんは本当に誠実で芯のしっかりした女性でした。

そんなあべ静江さんの芯の強さは、アイドル歌手デビュー前から
発揮されていました!

なんといってもお母様が歌手、お父様がバンドマンという家庭環境!
音楽の英才教育を受けて育ったあべさんは、
子供歌手、子役として、まだ生ドラマがあった時代からご活躍されて
いたそうです。

でも、自分は芸能界に向かない
と一度は普通の生活に戻ったところなんかは、
流されない芯の強さの表れなんでしょうね。
高校時代には弁論部の主将もつとめていたなんて
その意外さにビックリ!

そして、お話を聞きながら感じたのは
あべさんの自己分析力の高さでした。

あべさんは、外見は美人で色っぽい女性ですが、
自己分析力も高いし、サバサバしていて
実はとっても男らしい!(失礼・・・)

さて、次回は、あべ静江の「外見は女性、中身は男性」
を裏付けるこ~いお話がどんどん飛び出します!
どうぞお楽しみに

2009.05.25

5月17日放送分後記

みなさま、こんにちは!
今回は前回に引き続き元ガロの【大野真澄さん】を
お迎えしました。

前回もお話ししましたが、愛知県岡崎市から上京した
大野さんは、デザイン学校に通いながら、
アメリカから入って来たロックミュージカル『ヘアー』
のオーディションを受け、
そこで、私とも出会うことになるわけですが、
実は後にガロを結成することになる堀内さんと日高さん
とも『ヘアー』で出会っていたんです。

結局日高さんは『ヘアー』のステージには立ちませんでしたが、
意気投合して後にガロ結成に至ったわけです。
そしてすぐに「学生街の喫茶店」で人気が大爆発!

2大野小.jpg


私も『ヘアー』を通して
ガロの3人のことは知っていましたが、
『ヘアー』のすぐ後に、留学してしまったので
日本の情報には疎くなっていました。
帰国したある日、テレビをつけると
なんと3人が歌っているじゃありませんか!?
あのときは本当にビックリしましたね・・・。

でも、意外にも、大野さんとしては「学生街の・・・」
のヒットはちょっと複雑だったということを
今日初めて知って、これまたビックリ!

なんでも「学生街の・・・」はB面の曲で、
しかもロックをやりたかった3人は、フォークのような
「学生街の喫茶店」のヒットに戸惑ったそうなんです。

しかも、大野さんは「学生街の・・・」がヒットしている
最中に体をこわして入院。
病院のベッドで2人がテレビで「学生街の・・・」を歌う
姿を遠い世界を見るような目で見ていたんだとか。

誠実で真面目な性格の大野さんはそれまで、
バンドの仕事をとってきたり、ライブの準備をしたりと
マネージャー的なこともしていたそうで、
大ヒットによる多忙な状況の中で、一気に疲れが出て
しまったんでしょうね。

「学生街の・・・」がヒットしたことは当然うれしいけど
本当はロックをやりたいというジレンマともあいまって、
精神的にズタズタ。そして、ついにバンドが解散。

でも、こんなつらい時期を乗り越えられた大野さんの強さは、
やっぱり、新聞少年までして夢をかなえようとしていた
少年時代に培われたものなんでしょうね。

自分たちがやったことの責任は自分たちで受け入れる。
だからこそ、冷静に過去を振り返れるんだと思います。

そして、大野さんと私、同世代の方々も、
外見はおじさん、おばさん、になっても
まだまだ青春時代は終わっていません!
まだまだやれることはいっぱいあります!
みなさん、あきらめないで
がんばっていきましょうね!

さて、次回はあべ静江さんを
お迎えします。どうぞお楽しみに!

2009.05.18

5月10日放送分後記

みなさま、こんにちは!
今回は、元ガロの【大野真澄さん】をお迎えしましたが、
いや~いっきに青春時代にタイムスリップしてしまいました!

今からさかのぼることなんと40年前。
アメリカから入って来たロックミュージカル『ヘアー』の
オーディションを受けた大野さんと私。
お付き合いはそこから始まったのです!

1大野小.jpg


大野さんは、昔も今も全然変わらずちょっとシャイで誠実。
そして、若々しい!(ということは実は昔は老けていた?(笑))
もう40年も前のことをまるで昨日の出来事のように事細かに
語る大野さんの記憶力・・・物忘れの激しい私にとっては、
うらやましい限りです。おかげで、大野さんとお話しながら
当時が鮮やかに蘇りました。

知り合う前の大野さんは、
地元・愛知県岡崎市で丸坊主の学生時代を過ごされたとか・・・。
当時の最先端カルチャー『ヘアー』やロックとはかけ離れた
チョーマジメな少年だったんですねぇ。

上京してからの大野さんしか知らない私は、
長髪にジーンズのヒッピーファッションのイメージしかないので
ちょっと丸坊主の大野さんは想像できません。

規則違反もせずにいた大野少年ですが、
実は心の中にはビートルズがきっかけとなったロックへの情熱の
炎がメラメラと燃えていました。

親に金銭的負担をかけたくないように
中学から高校まで新聞少年をやっていたんだとか。
そうしてコツコツと自分で貯めたお金で楽器を揃え、
会場を借りて、ライブをする・・・
まさに青春デンデケデケデケの世界です。

親の脛をかじらずに、6年間も新聞少年をしていたなんて、
大野さんの誠実な人柄をよく物語るエピソードだと思います。

そして、当時の最先端のカルチャーになんとか触れたい!
そんな夢を抱いて上京して飛び込んだ『ヘアー』の世界。
きっと大野少年にとっては本当に刺激的で、
忘れられない日々だったんだと思います。
当時を語る大野さんの目はキラキラ輝いていました!

その思いは私とて一緒。
青春と言う言葉は多分、私たちにとっては『ヘアー』
で共に過ごした日々・・・。
いっきに20代の私に帰った気分でした。


さて、来週も引き続き【大野真澄さん】をお迎えして、
『ヘアー』と深い関係にあるガロ結成の秘話や、
ガロの人気の意外な裏話などをお聞きします。
どうぞお楽しみに!

2009.05.11

5月3日放送分後記

みなさま、こんにちは!
お迎えしたゲストは、前回に引き続き、
歌手の山崎ハコさんでした。

前回は、阿蘇に抱かれた九州・大分県日田で、
おおらかに育ったハコさんが、
横浜に出てきて、デビューするあたりまでを
うかがいました。

2山崎小.jpg


ハコさんはヒットを連発していました。
よくある話でいけば、ハコさんも芸能界に慣れ、
どんどん擦れていって、
悪い意味での「ザ・芸能人」になりがちですが、
そこはハコさん。

まっすぐで、人を疑わない性格は「悪」には
染まりませんでした!
でも、悲しいことにこの素直さ、純粋さを利用する
悪い人がいるんです…。

ハコさんは元事務所の社長の、
言いつけをそのまま鵜呑みにして
守りながら活動していました。

ギターを抱えると壁にあたってしまうような
狭い部屋に押し込められ、ボーイフレンドが出来
たら音楽の才能がなくなるなんて
脅され、作品を作っては出し、作っては出しを
続けていました。

普通なら、「おかしい!」
と疑問を口にすると思いますが、
ハコさんは、「男に反発してはいけない」
という明治生まれのお婆さんの言いつけが
疑問を抱くたび頭をよぎり、
何も言えなかったそうです。

そして、結局、社長に何から何までとられた揚句、
事務所が解散、部屋も放り出されてしまいました。
一文無しで宿なしになってしまったハコさんは、
皿洗いをして、
引っ越しの費用をねん出したそうですよ。
なんだか、人間の悪の部分を見せつけられているようで
本当に悲しくて、切ない・・・。

でも、ハコさんは、何も恨みの感情はないそうです。
「呪い」という歌を作ってはいますが、
本人曰く「恨み方がわからない」。
結局、恨むという感情がわからなかったんでしょうね。

ハコさんのこのきれいな心、
そして、極貧生活を助けてくれた
売れない舞台役者さんたちの心を
知って、何だか救われた気がします。

そして、ハコさんが苦しい生活を
通して最終的にたどり着いた結論は、
「私には歌しかない」

ハコさんの歌はこれからもっともっと
素晴らしくなっていくんだと思います!

ハコさん、頑張って!


さて、次回は元ガロの大野真澄さんを
お迎えします。どうぞお楽しみに!

2009.05.04

安藤和津 トークマルシェ

安藤和津さんがさまざまなジャンルで活躍されている方をお迎えして、その時々に興味と関心の高い話題を伺います。安藤和津さんは、エッセイストとして、二人の娘の母として、俳優・映画監督の妻として、CNNの元ニュースキャスターとして、母の介護をしてきた女性として・・・いろいろな視線で優しく面白くインタビューしています。日曜日の朝、トークのマルシェ(市場)へようこそ。


プロフィール

東京生まれ。初等科から高校まで学習院に学ぶ。
上智大学独文科卒業後、イギリスに留学。エッセイストやコメンテーターとしてテレビ番組に出演。夫は、俳優・映画監督の奥田瑛二氏。著書は『女盛りは子育て盛り-Momoko&Sakura』文化出版局、『月うさぎ』奥田瑛二絵、あすなろ書房、『あいうえお-安藤和津の主婦と生活』PHP研究所、『愛すること愛されること』講談社、『てきぱき家事絵本』小学館、『忙しママの愛情レシピ121』講談社、『愛すること愛されること』講談社<講談社文庫>、『さくらうさぎ』奥田瑛二絵、ミキハウス、『オムツをはいたママ-母との愛と格闘の日々』グラフ社、『長い散歩』学習研究社 など