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阿久悠さん特集!小西良太郎さん 2008年07月21日

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まもなく一周忌 ~ 阿久悠さん特集!
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(番組中のコメントより)
(弘兼)きのうもきょうも、カラオケでいったい何万人の人が
    歌っているのでしょうか。

 
  ~ 阿久悠さんによって生み出された曲を・・・ ~
 
7月21日(月=海の日)「ドコモ団塊倶楽部」
去年、2007年8月1日に亡くなられた作詞家の
阿久悠さんをテーマに2時間半の生放送でお送りいたしました。
 
題して 
   『生涯作詞5000曲 レコード大賞受賞5回!
     昭和の巨星・阿久悠が
       ボクら団塊世代に遺してくれたもの!』

 
オープニングでは「阿久悠作品」の ほんの一部 を
フラッシュ・メドレーでお聴きいただきました。
どれが阿久悠さんによって作られた作品なのか
詳しくなくとも、どなたでもよくご存知の曲ばかり・・・
 
♪ ペッパー警部 ~ 北の宿から ~ 勝手にしやがれ ~
~ ピンポンパン体操 ~ 五番外のマリーへ ~ 宇宙戦艦ヤマト ♪
 
番組スーパーバイザーの弘兼さんも
「ピンポンパン体操から演歌まで」と驚くほど、
さまざまな分野の歌を手がけられました。
 
 
そして今回のパーソナリティーには
阿久悠さんを特集するうえで、ぴったりの方をお招きしました。
 
1937年(昭和12年)生まれの阿久悠さんとは同学年で、
阿久さんが入院を周囲の人には内緒にする中で“アポなし”で
病室を訪ねることができた大親友、
そして仕事上での戦友でもあった
音楽評論家の小西良太郎(こにし・りょうたろう)さんです。
 
小西さんが最後に阿久悠さんにお会いになったのは、
亡くなられる5日前の07年7月27日。
「また来るから」  「うん」と言葉を交わし
病室を後にされたそうです。
 
お二人のお付き合いは1970年「ざんげの値打ちのない」
制作の時に始まり、以後37年にわたって、
仕事や遊びで同じ空間を共にされました。
 
“1970年に知り合って・・・付き合いは37年間続いた”
簡単な言葉で表現すると、このようになりますが
小西さんにとっては「39年目突入」となるようです。
 
(小西)亡くなられた後も阿久悠さん関連の仕事を手伝ったり、
    相談を受けていたので“しばらく会っていない”
    という感じで、亡くなったという感じがしない。

 
Konishi_080721_1.jpg
阿久悠さんとは親友で戦友の小西良太郎さん
  
小西さんからは、さすがは親友!というほど、
たくさんのエピソードをご紹介いただきました。
 
このリポートでも放送で明かされたお話の一部を
ご紹介してまいります。
 
そしてもちろん、時間の許す限り、曲もおかけしました。
阿久悠さんについてじっくり研究する今回の放送で
一曲目におかけしたのは
1977(昭和52)年に発売された ピンク・レディーの「UFO」
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小西良太郎、三木たかし両氏が語る阿久悠
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◎作詞5000曲の源は・・・
 
一つ一つの作品の素晴らしさもさることながら
阿久悠さんの膨大な仕事量にも驚かされます。
生涯の作詞は実に5000曲に及びます。
 
これはレコード会社専属ではなく、フリーだったことから
多くの仕事の依頼が飛び込んだことも
理由のひとつだったそうです。
それにしてもすさまじい数ですよね。
5000曲といっても膨大すぎてピンとこないかもしれませんが
「月産30曲」という数字ならば、きっと実感できるのでは?
 
さらに納得するには、小西さんの次のコメントをどうぞ。
(小西)夜中に飲んでいても、僕としゃべっていても
    頭の中は4~5チャンネルくらい動いている。
    頭の切り替えが早いのが一番の才能。

 
「頭の切り替え」に関しては、阿久悠さんと同じ
「一日4時間睡眠」の弘兼さんも自信があるようです。
「阿久さんより規模は小さいですが」と控えめながら
(弘兼)自分も似てるかもしれません。
 
この時の小西さんの切り返しもしっかりご紹介します。
(小西)(阿久さんと弘兼さんが)違うのは、阿久悠さんは
    酒や女など余分な時間は使わなかった(笑)

 
Hirokane_080721_2.jpg
阿久悠さんとの共通点も明らかになった弘兼憲史さん
 
阿久悠さんの“才能の蛇口”を開いた小西さん
 
阿久悠さんの仕事の“節目節目”に小西さんの存在がありました。
 
1970年に「ざんげの値打ちもない」が発売されたのをうけて、
音楽担当記者だった小西さんが
「日本の流行歌が変わる!
阿久悠が新しい歌謡界の旗手になる!」
と広く伝えたことから
お二人のお付き合いが始まりました。
その後、阿久悠さんはスポーツニッポン紙上において
さまざまな連載を担当されるのです。
1971年にエッセイ「無口なやつほどよく喋る」、
74~76年には
「阿久悠の実践的作詞講座」を連載。(ここから「舟唄」が誕生!)
77年には、一年間にわたる「処女小説」の連載、
78年には「プロ野球評論」。
そして1979年から2006年にかけて、夏の甲子園大会の期間
「甲子園の詩(うた)」を連載。
 
(小西)歌以外では、すべてスポニチデビューなんです。
    そのため、しょっちゅう打ち合わせがあり、同時に
    音楽担当記者だから彼の作品に入り込んでいく…
    親密だけど、無駄な世間話をするヒマがないという
    付き合いを徹底的にしてきたんです。

 
作詞以外にも仕事の領域を広げていった阿久悠さん。
さぞや積極的な方かと思ったら・・・
 
(小西)めちゃシャイ!“とっつきにくい”くらい。
 
阿久悠さんがいろいろな好奇心を内に秘めている・・・
このことに気がついたのが小西さんでした。
 
(小西)しゃべっているうちに、実はいろんな角度で好奇心を
    持っている人だとわかったので、結果的に、
    蛇口を一個ずつ開く役割りを果たしたんです。

 
 
先人が完成させた流行歌から別の道へ
 
「ざんげの値打ちもない」をヒットに導いた阿久悠さんは
作詞家として進む道を次のように定めました。
 
・「うらみ・つらみ・そねみ」のマイナス心情を書かない
・七・五調の文体を無視 → 話し言葉に
 
それまでの流行歌の常識にとらわれない阿久悠さんの登場は
時代の要求だったのかもしれません。
1970年代、世は空前のGSブーム。
ビートルズ体験がしっかりしみ込んだ世代の
“ポップス体質”の作詞家、作曲家が求められました。
 
阿久悠さんをはじめとした、この世代によって作詞家、作曲家は
レコード会社専属 から フリー の時代へと移り変わっていきました。
 
作曲家・三木たかしさんにお話を伺いました
 
阿久悠さんとのコンビで「津軽海峡冬景色」「思秋期」など
数多くのヒット曲を手がけられた作曲家の三木たかしさんに
阿久悠さんについて語っていただきました。
 
 いろいろな言葉があると思います。
 まともすぎるくらいまともで、面白くもないくらい真っ直ぐで、
 小学生といわれるくらい不器用で、
 むきになって、情熱家で……形容詞が足りないくらいです。
 スポンジみたいに全てを吸収する人で、
 そして「ああした方が、こうした方がいいよ」と具体的に
 言われたことは少ないけど、指針が感じられました。

 
 
なお、石川真紀ぴょんはインタビュー取材の際に
“個人的なお願い”として、自身のカラオケの十八番を
良い歌として歌いあげるためのアドバイスも伺ってきました。
 
【 三木たかしさんからのアドバイス 】
 いつどこでヒロインが未練を断ち切ったか
 ヒロインの心境を想像して、理解して歌ってください。

 
番組をお聴きの皆さんにとっても、
とても参考になる興味深いお話だったのではないでしょうか。
 
このパートでおかけした曲は、その石川真紀ぴょんのカラオケの
十八番、石川さゆりさんの「津軽海峡冬景色」
 
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石川真紀アナウンサーの十八番は「津軽海峡冬景色」
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「甲子園の詩」の裏側
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生放送中はたくさんのメールFAXをお寄せいただきました。
放送でもご紹介させていただいた中には
阿久悠さんに影響を受けた方からの次のようなメッセージも。
「阿久悠さんの影響で言葉の日記をつけています。
 良いと思ったフレーズをノートにすぐ書き留めるのです」

 (墨田区の38歳の男性)
 
 
(小西)大きな日記帳に個人史、世界史、日本史、庶民史・・・
    心を動かしたものを全部列挙して、毎日書いていた。
    「あの頃の○○」と思い出すには、日記をめくれば
    すぐにその時に戻れる。

 
    (甲子園大会期間中、一日1試合の「詩」を書いていた)
    スポニチの「甲子園の詩(うた)」を連載中には
    一日に行われる4試合全ての試合で
    阿久悠式スコアブックに一球ずつ、
    メモを書いていました。
    1試合の原稿料しか払ってないのに、
    どうして4試合全部つけるのか・・・?
    はじめから、有名選手や伝統校の一戦を狙って見ると
    凡戦に終わることもある。そして残り3試合の中に
    とんでもないいいシーン、いいキャラクターが出たときに
    「それを見落として、阿久悠は何を見ているのか」と
    思われたくないんです。

 
一球も見逃さないには“テレビから目を離さないで食べられる”
「ドンブリもの」を食べるという徹底振りだったそうです。
 
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作詞家・弘兼憲史誕生なるか?!
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数多くの大ヒット曲を世に送り出した阿久悠さんであっても
全ての曲が大ヒットにつながったわけではありません。
売れる曲もあれば、そうではない曲がある――しかし、
けっして売れたとはいえない曲の中にも
「実はあの曲は素晴らしい」と高く評価されることもあります。
しかし「売れることがファンの信任を得ること」と信じるて
阿久さんにとって“売れなかったけれども高い評価を得る”ことでは
けっして満足しなかったそうです。
 
(弘兼)(我々漫画家は)会心の作品が描けた時、
    売れないこともあるけど、自分は満足してしまう。
    それじゃイカンのだな、と今わかりました。
    今、お話を介して学んでいるところです。

 
このお話の流れで・・・
実は阿久悠さんは、劇画に携わっていたこともありました。
阿久さんと弘兼さんの意外な共通点を発見した小西さんは
弘兼さんを作詞の世界に引っ張り込むという
アイディアが浮かんだようですよ。
 
以下、生放送中の小西さんの発言です。
(小西)作詞をやってみてはいかがです?
    おいプロデューサー!今度、この人に依頼してみよう。

 
突如浮上した“弘兼憲史作詞家デビュー計画”は
はたして実現するのでしょうか?
 
 
話題は「甲子園の詩」に戻りまして、
阿久悠さんの最後の詩となった早稲田実業×駒大苫小牧の
決勝再試合を掲載した2006年8月22日の詩を
石川アナウンサーが朗読いたしました。
 
 「2006年 いい年」(朗読:石川真紀)
 
 
そしてこのパートの最後にお聴きいただいたのは
沢田研二さんの「時の過ぎゆくままに」
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阿久悠ワールドはこうして生まれた
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阿久悠さんをあまりご存じない世代の人は
この日のオープニングのフラッシュ・メドレーを
同じ作詞家の作品だと信じられるでしょうか。
 
“都会の退廃”や“女心のせつなさ”
「ピンポンパン体操」に「サウスポー」・・・
 
なぜ、ひとりの人がこれらの歌を作れるのか。
小西良太郎さんの見解を伺いました。
 

(小西)少年の頃の想いをそっくりそのまま持っているんです。
    僕らは少年の頃に何があっても「卒業」していくけど
    彼は当時の“ドキドキ感”などすべて持っていて
    歌を書くときに使えたんじゃないかと思う。

 
    各年代ごとの、記録ではない「記憶」のフィルムが
    おさまって維持されていたんじゃないかな。

 
(弘兼)いろんな引出しがあって、
    ファイルをためこんできたんでしょうね。

 
    もともと広告マンでしたから、
    頭の中でマーケティング・リサーチが
    できる方だったんでしょうね。

 
(小西)放送作家だから、テレビで放送されるものが
    時代や大衆に“入っていく”のを
    (野球でたとえると)
    ネット裏の観客の立場から見ていた。
    だから、いろんな角度が見えて、どうすれば
    お客さんが沸くのかがわかるんです。

(弘兼)昔の作詞家さんとは違いますね。
 
(小西)テレビでたとえると昔の作詞家さんは
    一つのカメラで“情景”を追いながら“人”も追う。
    阿久さんは二つのカメラで
    1カメで主人公のクローズアップを撮りながら
    2カメで景色を撮って、それをつないでいく。だから
    理屈で言うより、イメージとして浮かんでくるんだよね。

 
(石川)「津軽海峡冬景色」は本当に映画のようで、
    カメラがいくつか設定されていて、
    どこにクローズアップするか――という絵が
    浮かんできますね。

(小西)「上野発の夜行列車 下りた時から
     青森駅は雪の中」・・・
    上野から青森まで一気に2行で行ってしまう。
    そのスピードはすごい。

(弘兼)作詞家の力ですね。
 
Konishi_080721_2.jpg
阿久悠さんの思い出話はつきません
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阿久悠×弘兼憲史 二人の世界が交わるか?
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「阿久悠作品」の中には好きな作品が“たくさんありすぎる”、
なかでも特に好きな歌は「ざんげの値打ちもない」
という弘兼憲史さん。
「劇画の世界ですよね」とその魅力を
ひとたび熱く語りはじめると止まりません。
 
(弘兼)一番自分に響く歌は
    石川さゆりさんの「みちゆき博多発」。
    かけ落ちで博多を出て、関門海峡を抜けて 
    本州に入った時に、やっと
    “あなたのとなりに座ります”という女心や
    「みかん むく手が震えます」とか
    本当にすごくいいんです!

(石川)“弘兼さんワールド”とリンクしますよね。
 
(弘兼)本当にインスパイアされます。
    阿久さんの詩からストーリーが浮かんで
    「なるほど、こういう世界を描いてみよう」と
    いうのがありますから。

 
ひょっとしたら、このひと言から大きなプロジェクトが
動き出すことになるかも??
弘兼さんの熱意のこもった発言を、何やら思いを巡らしながら
聞いていた小西さんがおもむろに・・・
 
(小西)この人(弘兼さん)もう少し、暇になりませんかね?
    阿久さんの曲のストーリーを書いてもらいたいな。

(弘兼)描きたいですね!
    お許しを頂けたら企画できます。

(小西)(わたしが)すぐかけあいますよ。
(弘兼)誰か聞いてないかな?小学館とか講談社とか。
 
  
(弘兼)一般の方から「あらすじ・プロット」を募集して、それを
    僕が漫画にしてラジオドラマ化する企画がありますから
    阿久さん作品から「黄昏流星群」に
    入れるというのもいいですね。

(石川)そんな豪華なことができたらいいですね。
(小西)弘兼さんを使う仕事が、これで2個できた。
 
またもや生放送中に、実現が楽しみな企画が立てられました。
もし世の中に「テンション」の度合いを測る
「テンション計」なるものが存在したら
きっとこの時の弘兼さんは針が振り切ることでしょう。
  (今の時代に「針」を使うの??と言われそうですが)
 
Hirokane_080721_1.jpg
弘兼憲史さんと阿久悠さん作品のコラボなるか
 
なお、弘兼さんの発言にあった「あらすじ・プロット」募集、
「黄昏流星群」ラジオドラマ化というのは、
弘兼憲史さんの作品「黄昏流星群」の連載300回を記念して
文化放送が企画している「大人の恋愛ストーリー」募集のことです。
 
大賞作品には賞金100万円に加え
弘兼さんのアレンジによる「黄昏流星群」特別篇としての
コミック化&ケータイコミック化、さらに文化放送の
特別番組としてラジオドラマ化が予定されています。
詳しくはこちらをご覧ください。(締切:2008年9月1日)
 
このパートの最後におかけしたのは、弘兼さんが大好きな曲
北原ミレイさんの「ざんげの値打ちもない」
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団塊リポート
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2年前に定年退職されたのを機に、昔から抱いていた
「俳優になりたい!」という“夢”を実現させた
61才の佐藤さんに電話でお話を伺いました。
 
 
Q.お芝居の経験と、定年後の挑戦の動機は?
 
 子供の頃に児童劇団に居たほか、日本舞踊を習ったので
 「舞台に立ちたい」という気持ちがありました。
 二十歳のときに夢を封印したんですが
 会社勤めをしながら想い続けていました。

 
Q.所属している演劇倶楽部『座・シェイクスピア』を
  選んだ理由は?
 
 主宰する壤 晴彦(じょう・はるひこ)さんの舞台を観て、
 特に日本語を大事にしよう、
 お客さんに伝えよう、という考えに共鳴したからです。

 
Q.稽古のペースはどのくらい?
 
 月15回くらいレッスンがあります。
 それに部隊の本番があると、ほとんど毎日です。

 
Q.収入にはなるんですか?
 
 公演に出ますと若干ですけどギャラは出ます。
 
 
(弘兼)実は小西さんも役者をなさってるんです。
 
(小西)新聞社に入った時は、役者の世界に
    コネができるかな、と思ったんですが、
    ドンドン、記者になっちゃって…。
    63まで夢を果たせなかったんですが、会社を卒業して
    「さぁやるぞ!」と、今は川中美幸一座の役者です。

    (お話を)聞いてて、そばで肩をたたきたいくらい!
 
Q.これまでどれくらい舞台に立たれましたか?
 
 「座」に入ってから再演を含め6作品7回です。
 
Q.舞台に立たれる気分は?
 
 最後、どん帳が下りたときの何とも言えない気持ちは
 一度味わったら・・・。

 
(小西)頭蓋骨の裏がジンジンジンジン(するんです)
    この間は明治座で西郷隆盛をやりましたが亡くなる役、
    「水戸黄門」に出た時は瀕死の病人でした。

    
Q.演じていて、高揚感を感じるのではないですか?
 
 お客さんの波動が伝わってきます。
 それも“ライブ”なので、毎回違います。

 (独特のライブ感が)たまりません。
 
Q.夢は明治座の舞台に立つことだそうですね。
 
 子供の頃によく行っていた舞台ですので。
 
 
現在は、旅行会社の関連会社にお勤めになりながら
並行してお芝居に取り組んでいらっしゃる佐藤さん、
次回の公演に向けて充実した毎日を過ごしているそうです。
 
  演劇倶楽部『座』次回の公演は
 
  『今はむかし』 2008年8月8日~8月10日
          恵比寿・エコー劇場・入場料:5000円
 
  演劇倶楽部『座』のホームページはこちら
  演劇倶楽部『座』事務局の電話番号
  03-6431-0377(受付10~18時)
 
このパートの最後におかけしたのは、リクエストが
多く届いた 八代亜紀さんの「舟唄」
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ついに!トリビュート・アルバム発売へ
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番組後半には作曲家でプロデューサーの
山崎一稔(やまざき・いちねん)さんにも加わっていただきました。
 
Yamazaki_080721_1.jpg
トリビュート・アルバムをプロデュースした山崎一稔さん
 
山崎さんは7月30日に発売される
阿久悠トリビュート・アルバム
『歌鬼(Ga-Ki)~阿久 悠トリビュート~』をプロデュースされました。
 
このアルバムをプロデュースするにあたっての心構えは
どのようなものだったのでしょうか。
(以下、山崎一稔さんのコメントを再現します) 
 
 なんせ楽曲がすごい、数もすごいですから、
 どこから手をつけていこうか・・・、
 「1枚だけ」ということはないだろうから、
 どこまでできるか、先も考え

 (2枚目、3枚目の予定も)そのつもりで動いています。
 
○テーマは?
 
 一枚目は「王道」でいこうと決めました。
 そこで小西先生に「歌力(うたぢから」というアドバイスを
 いただき、本質的な歌う力…“歌唱力”はもちろん、
 “ハート”がある人、“時代を作った人”
 “聴いて「この人」とすぐ分かる人”を大事にしました。

 
○歌手の方には「がんばらないで」
 
 名曲のオリジナルを超えることは無理だと思い、
 「オリジナルを超えよう」「がんばろう」という意識を
 捨ててもらうため「がんばらないでください」と言って、
 製作スタッフにも“手抜き”という意味ではなく
 「力を抜いてください」とお願いしました。

 
○もし「今」作られていたら
 
 アレンジされたサウンドを取り払い、
 「メロディ」と「歌詞」だけを見て
 「もし今、作られたとしたら、誰が歌ったら一番自然か」
 と考えたんです。
 「ざんげの値打ちもない」は今だったら
 “フォークタッチ”の方が合うんじゃないかな。

 
○「熱き心に」に元ちとせさんというのは?
 
 元ちとせさんは独特の歌い方に大きな存在感。
 “大きな歌”を歌っていただきたいな、と思い
 「熱き心に」が合うんじゃないか、と打診したところ
 「おもしろいね!」と一発で決まりました。

 
 
(石川)一青窈さんが歌う「白い蝶のサンバ」も
    “一青窈さんらしさ”と“一青窈さんなの?!”という
    意外性と両方ありますね。

 
(山崎)実は違う曲をオファーしていたんですが
    「これを歌わせてください」と言われ、
    「これを歌ってくださるんですか?!
    ぜひぜひ
(お願いします)!!」と驚いたんです。
 
○『歌鬼(Ga-Ki)』というタイトルについて
 
 コピーライターの方に考えていただいた言葉の中に
 「歌神」というものがあって「いいな」と思ったんですけど
 もし阿久先生に見せたら「俺は神じゃない」と言うだろうな
 と思って…、神じゃなかったら、あの顔も含めて「鬼」と
 書いたら喜んでもらえるんじゃないかと思いました。

 
 実は「歌の鬼(=阿久悠さん)のほかに
 もうひとりの「鬼」がいまして
 「画鬼」と書いて“上村一夫さん”。

 (ジャケットには上村一夫さんのイラストが使われています)
 
○コンセプト
 
 「あんたをまだ死なせやしない」というキャッチコピーも
 作っていただいたんですが、これがコンセプトです。
 阿久悠さんに向けての言葉でもあるんですが、
 実はこの番組にぴったり「団塊の世代」の人たちに
 送る言葉として使いたいと思いました。

 
Yamazaki_080721_2.jpg
「あんたを死なせやしない」と語る山崎さん
 
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データで見る阿久悠
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阿久悠さんがいかにすごいか――データで検証しました。
 
■歴代作詞家シングル総売り上げ
 
2位に2千枚近くの差をつけて断トツの1位に輝くのが
阿久悠さんで、その数は6,818万枚! 
 
■阿久悠作詞シングル売上トップ3
 
3位「北の宿から」(都はるみ)    155.4万枚
2位「サウスポー」(ピンク・レディー)146万枚
1位「UFO」  (ピンク・レディー)  143.5万枚
 
■カラオケ ランキング
 
3位「宇宙戦艦ヤマト」(ささきいさお)
2位「津軽海峡冬景色」(石川さゆり)
1位「居酒屋」(五木ひろし、木の実ナナ)
 
(弘兼)あなた(石川アナ)が歌いたい曲が入ってますね。
 
    「宇宙戦艦ヤマト」が3位に入ってるんだ?!
    そんなにみんな歌ってるんだ。

 
最近と昭和のヒット曲のちがいとして
昭和の曲は“歌詞を見なくても歌えそうな歌”ばかり
ということが話題になりました。
 
(山崎)最近のヒット曲は
    「イントロを聴いただけではわからない」
    「どこから歌い始めていいかわからない」
    「歌詞を見ないと歌えない」――曲が多いですが
    昭和のヒット曲は、阿久さんの作品に限らず
    歌詞を見なくても歌えますね。

 
(弘兼)最近は、何を言っているのか
    よくわからない曲が多くて
    言葉の途中でフレーズを切る作り方をしているので
    覚えられないんですけど、
    阿久さんの場合は、メロディと歌詞が
    かたまりになっていますよね。

 
(山崎)“詩曲の密着度”がいいですよね。それから
    当時のアレンンジャーがすごくいい仕事をします。
    「アレンジ」は“もうひとつの作曲”で
    「イントロ・感想・曲・詩」をがっちり組んでいるんです。
    だからまとめて覚えられる。

 
    阿久先生の曲は30数年超えて残っていますが
    今の曲が30年後に残っているかというと
    難しいですよね。

 
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小西さん(左)を「棟梁」と呼ぶ山崎さん(右)
 
このパートの最後では
『歌鬼(Ga-Ki)~阿久 悠トリビュート~』の1曲目に収録された
鈴木雅之さんが歌う「ジョニイへの伝言」
じっくりとお聴きいただきました。
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石川真紀ぴょんの過去の夢が明らかに
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「スター誕生!」から芸能界入りを果たした
山口百恵さんの“成功”を阿久悠さんは
早くから予測していた――という話題の際、
石川真紀ぴょんが、弘兼さんも初めて耳にする
驚きの過去を告白しました。
 
(石川)「スター誕生!」を見て
    私もアイドルになりたいと思っていたので・・・

 
  (山崎)石川さんがですか?
  (弘兼)初めて知った!
  (石川)すいません、もう時効かな、と思って
      言うんですけれども・・・。

 
おそらく十数年間はほとんど口外されることが
なかったであろう事実に、一瞬、トークの進行が止まって
驚きに包まれたスタジオ・・・。
その瞬間、スタジオ内の出演者はもとより、
副調整室のスタッフ、関係者の目と耳が
真紀ぴょん一点に集中したことをお伝えしておきましょう。
 
結局、それ以上の話は聞けませんでしたが
もう少し詳しく知りたいと思った方は
少なくないのでは?
 
なお話題は、芸能界入りを果たすことは人生をかえてしまう
ことであるから、受け入れる側もかんたんに決めることは
できず、審査の席では真剣に熟慮された、という
舞台裏のお話へと続きました。
 
Ishikawa_080721_1.jpg
アイドルになりたかった過去を明かした石川アナ
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たくさんのご参加ありがとうございました
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この日の放送では、事前にいただいたメールも含め
本当にたくさんのリクエスト、メッセージを
お寄せいただきました。
皆さまのご参加、ありがとうございました。
  
そして番組の締めくくりでは
尾崎紀世彦さんの「また逢う日まで」
お聴きいただきました。
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エンディング
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エンディングでは、小西良太郎さんと山崎一稔さんの
お二人から番組をお聴きのリスナーの皆さまに
メッセージをいただきました。
 
(小西)思い思いに自分らしく生きていこうよ!
    たまに、とっても戦闘的に、牙剥くくらいの
    気持ちになるのも心地良いぜ!

 
(山崎)あんたをまだ死なせやしない!
    阿久悠さんに対しても、
    そして番組を聴いていただいている皆さんに
    送りたいと思います。
    これからも元気で
    小西さんみたいに頑張ってください!

 
(石川)阿久悠さんの名曲をこれからも
    自然に歌い継いで、語り継いでいきたいと思います。

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放送を終えて
 
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次回の放送のお知らせ
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次回の「ドコモ団塊倶楽部」は
8月9日(土曜日) 午前11時~12時55分
 
スポーツライターの武田 薫さんをお迎えして
北京からの現地リポートを交えた
オリンピック特集をお送りいたします。
 
どうぞお楽しみに!
 
なお、弘兼さんは
この放送のあとに文化放送の北京オリンピック特派員として
北京からリポートを届けてくださることになっています。
8月9日の「ドコモ団塊倶楽部」とあわせて
弘兼憲史さんのリポートを文化放送の番組で
お楽しみください。
 
(石川)弘兼さんにはいろいろ“調整”を
    していただいています。

(弘兼)“締め切り前倒し”ですよね。
 
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番組の中でおかけした曲目
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UFO / ピンク・レディー
津軽海峡冬景色 / 石川さゆり
時の過ぎゆくままに / 沢田研二
ざんげの値打ちもない / 北原ミレイ
舟唄 / 八代亜紀
ジョニイへの伝言 / 鈴木雅之
思秋期 / 森山直太朗
また逢う日まで / 尾崎紀世彦
 
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「ドコモ団塊倶楽部」は熱い青春時代からラジオを お聞きいただいている団塊世代の皆様に、心地よい 音楽と話題にのせてエールを送り続けている番組です。 番組は毎月1回の放送で、2005年1月よりスタート、 あの頃も、そして今も輝き続ける団塊仲間の方のお話 を伺ったり、懐かしい時代を紐解いてみたり・・・・。 レトロに浸る心地よさと同時に、今をそしてこれからを 楽しんで生きる気分をお届けしています。 番組のスーパーバイザーは1947年生まれ団塊ド真ん中・ 漫画家の弘兼憲史さんと団塊ジュニアを代表して石川真紀アナウンサー。

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dankai@joqr.net