ドコモ団塊倶楽部

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2007年07月16日 谷沢健一さん 2007年07月16日

 
~松坂、佑ちゃん、日本のプロ野球にYBC…球界のMr.団塊・谷沢健一の熱血!野球教室~
 
7月16日(月・祝) 31回目の『ドコモ団塊倶楽部』のパーソナリティーは名球界プレーヤー、プロ野球解説者で社会人野球クラブチーム「YBCフェニーズ」監督の谷沢健一さん。と、なればテーマはもちろん野球!
 
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松坂大輔投手のメジャー挑戦、東京六大学野球のスーパースター、早大・斎藤佑樹投手の活躍と、プロからアマチュアまで盛り上がりを見せる野球界。
また、一流選手のスーパープレーで我々を魅了するプロ野球の発展の背景には、優秀な人材を排出するアマチュア球界の存在を欠かすことはできません。
 
社会人クラブチームの監督を務める谷沢さんが語る社会人野球の現状とは…?

そして、年代別に見る野球ヒーローは誰か?
 
昔を振り返りつつも球界の今を見つめる2時間半となりました。
  
 
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なお、団塊倶楽部スーパーバイザー弘兼憲史さんと谷沢さんは同じ年同じ月に生まれ、同じ早稲田大学を卒業した同窓生という間柄。 谷沢さんが活躍する大学野球の応援に行ったこともあったのだとか。(4年間で優勝は一度だそうです)
 
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≪ 野球少年~スタープレーヤー 谷沢健一 野球人生 ≫ 
 
この日紹介されたエピソードを年代順にいくつか紹介すると…
 
少年時代は、近所の農協のグランドや倉庫が野球場。 スポーツ店を経営する実家から売り物にならないバットを持っていって野球三昧。
打球が屋根を越えたらアウト!(飛ばし過ぎはNG!でも遠くへ打球を飛ばすのは気持ちいい!という板ばさみ)
ガラスを割ったらゲームセット。逃げて帰る!(野球小僧の全国共通ルール?)
 
ところでこの時代、「グローブは宝物だった」という弘兼さん。 この発言に対し「そんなピュアな時があったんですね!」と自分のことのようにうれしがる真紀ぴょんが印象的でした。
 
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谷沢さんの高校時代のトレーニング秘話としては、よく一般的にイメージされる「タイヤ打ち」はもちろんのこと、動体視力を鍛えるために、電車にはつま先立ちで乗り、窓の外から視界に飛び込む文字を読み取るといったことも実践していたとか。
  
早大野球部時代には「ホームランを打ってガッツポーズをしたら怒られた」ことがあったとか。 “大学野球を引っ張っていかなければいけない”早大にはいろいろと規制が多かったそうです。
 
野球の練習に明け暮れた毎日。当時は今と違って「水分をとってはいけない」というのが常識。 しかし、選手もあの手この手を駆使して水分補給を試みるようです。 谷沢さんが教えてくれたのは・・・
近所の家に水を置いて、ボールを捜すフリをして水を飲みに行く。
雨水をためておいて飲む。

「ボウフラが生きているんだから大丈夫!」とのことですが…、これには真紀ぴょんも「丈夫に生きる秘訣ですね」とうなるばかり。
 
なお、野球に熱中していた時代は遊びも野球にちなんだもの。 野球選手が描かれたいたメンコを集めるのが趣味だったそうです。
 
 
プロ入りは1970年。、ドラフト1位で中日に入団すると、1年目からレギュラーに定着し新人王を獲得。そして76年と80年に首位打者を獲得! 76年には最後の最後に4打数3安打と固め打ちしてわずか7糸差で大逆転!!
(○割○分○厘○毛の毛のさらに下
 
絶対に打てるという確信があったそうで、あらかじめ新聞取材のコメントを考える余裕があったとは驚きです。
 
谷沢さんに憧れた野球少年は数多くいますが、マリナーズ・イチロー選手もその一人で、子供時代のスーパースターが谷沢さん! イチロー選手が打席で腰を振るのは谷沢さんの影響なんだそうです。 ちなみに、打席で投手にバットを向ける一連の動作は田尾安志さんの影響。
 
このエピソードを聞いた弘兼さん、
「いいこと聞いた!飲み屋で言おう!」
 
 
≪ 社会人クラブチーム設立 ≫
 
85年に2000本安打し、86年、39才で引退された谷沢さんは現在、NPO法人「谷沢コミュニティ千葉」を設立し、社会人野球のクラブチーム「YBCフェニーズ」の監督に。
 
社会人野球の現状としては企業チームが減り、そのかわりに近年は高校・大学を卒業する選手の受け皿、プロ入りへのクッションとして、クラブチームが急増しているそうです。
 
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≪ 団塊リポート ~ 健在!大正生まれのプレーヤー ≫
  
「団塊の世代」に明日への希望と勇気を与えたい!そんな思いを込めた「団塊リポート」では、今年9月で60才を迎える、還暦野球チーム「杉並アメニティーズ」のルーキー(!)山岸治夫さんに電話でお話を伺いました。  
還暦野球とは「60才になっても何かできるスポーツを…」という趣旨から誕生したもので、山岸さんは、還暦を迎えるにあたって、経営しているお店のお客さんから誘われてチーム入りしたそうです。 
これって、れっきとしたスカウトですよね!?
 
ちなみに、山岸さんが所属するチームには80才過ぎの方が多いそうで、中には大正8年(1919年)のお生まれで、88才で試合に出場している選手までいるとか!
 
また山岸さんは30年以上、商店街チームや少年野球の監督・コーチを務めていて、夢は教え子の中から甲子園出場、プロ入りする選手が出ること。
 
そんな山岸さんをバックアップすべく、谷沢さんが指導法についてこんなアドバイスをしてくださいました。

「(自身も)学ぶ姿勢がないと子供は教えられない」
「根気がいります」
「基本が大事!」
  
  
指導法については弘兼さんからもあらためて質問がありました。
 

Q.社会人野球の指導法で気をつけていることは?


谷沢さんの答えはここでも単純明快、「基本が大事」
ひとつ具体例として「キャッチボールを丁寧にやること」を挙げてくださいました。
 
これに加えて番組前半でご紹介いただいた「自分のやり方を貫き通すこと」、これがプロで通用する秘訣なんですね。
 
さて、将来YBCフェニーズからプロ入りする選手は誕生するでしょうか?
  
 
≪ 印象に残るライバルたち ≫
 
谷沢さんが現役時代に印象に残った名選手を何人か挙げていただきました。  真っ先に名前が挙がったのは巨人の堀内恒夫さん。 そして堀内さんとの間のエピソードにスタジオは騒然!
 
「(プロ入り後)2年間は打率1割台。
 3年目にちょっと打てるようになったんですが…」
 
 
その理由とは…シーズン中のある日、焼肉店で一緒になった二人。
堀内さんはお酒を飲んで酔っていたそうですが、なんとライバル球団の主軸打者である谷沢さんに対して自分の投球を打つためのヒントを伝授!! 翌日、試合で対戦したその結果は、谷沢さんの4打数4安打! 勝負の世界にこういうこともあるんですね~。
 
反対に谷沢さんが手の内を明かしてしまったのが巨人の江川卓さん。  江川さんと対戦した際に打席での待ち方やクセを「ポロっと言っちゃった」そうです。 するとその後の対戦では配球を変え、クセもキッチリと直してきたとか。
 
そのほか、ズルい選手のエピソードや、守備の名手として有名な選手が試合中にとった 意外な行動など、たくさんの裏話を披露していただきました。
 
 
また、番組では街頭で20~60代の方にお聞きした野球ヒーローもご紹介しました。
 
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7/16(祝)は谷沢健一さん登場!! 2007年07月14日

7月の「ドコモ団塊倶楽部」は、
16日(月)海の日午前8時30分からの放送です。
パーソナリティは、プロ野球名球会の谷沢健一さん。
題して「ボクらの野球を考える」

谷沢さんは、昭和22年生まれの「団塊」バリバリ。 習志野高校、早稲田大学を経て中日ドラゴンズに入団。 二度の首位打者など、輝かしい成績を収めています。
その谷沢さんが、昨年、NPO法人「谷沢野球コミュニティ千葉」を立ち上げました。
動機は現在の野球界に対する危機感です。 
自分で出来ることは何かを考え、地元に帰って野球クラブを作り、
自らグラウンドに立って監督も努めています。
 
リスナーからのメール、FAXは、「ボクらの野球」に関する
メッセージや思い出、マイヒーロー、ヒロイン
などを募集します。

コラム:町田忍の団塊コレクション 2回 2007年07月07日

『アイロンのある風景』
 
 ここに紹介したアイロンは我家で使用していたもので
昭和30年頃に購入したものだ。
 
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 メーカーは「ナショナル」で、木製の箱に入っていて、
アルミダイキャスト製、フードは布の織ったものとなっている。
 デザイン的にはシンプルで機能的である。
よく見ると実に美しいフォルムで実際手にとってみると
うまくなじんで使いやすい。
 当時のアイロンの思い出といえば、母親が舌に指をつけ
ツバをアイロンにあててその温度をチェックしていた姿である。
何かのミスで白いワイシャツに三角のアイロンのコゲ跡を
つけてしまったことも思い出した。
 
 昭和30年代中頃の新聞広告から当時のアイロンの
価格を知ることができた。安いものだと580円、
高いものは1240円で、どれも木箱付きとなっているが、
これを現在の価格に置き換えると5千円から1万円強と
いうことになるので、決して安いものではなかった。
 
三種の神器(テレビ、洗濯機、電気冷蔵庫)の登場以前より
おそらく一般家庭に普及していた電化製品としては
先輩格のもの、ということになるだろう。
 
ちなみにこのアイロンは現在でも使用できる。
 
(町田忍)

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「ドコモ団塊倶楽部」は熱い青春時代からラジオを お聞きいただいている団塊世代の皆様に、心地よい 音楽と話題にのせてエールを送り続けている番組です。 番組は毎月1回の放送で、2005年1月よりスタート、 あの頃も、そして今も輝き続ける団塊仲間の方のお話 を伺ったり、懐かしい時代を紐解いてみたり・・・・。 レトロに浸る心地よさと同時に、今をそしてこれからを 楽しんで生きる気分をお届けしています。 番組のスーパーバイザーは1947年生まれ団塊ド真ん中・ 漫画家の弘兼憲史さんと団塊ジュニアを代表して石川真紀アナウンサー。

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