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2009年06月19日

朗読紙片第6回「のすたるぢやの青い猫」

朗読紙片第6回「のすたるぢやの青い猫」

を掲載致します

目で見ながら、もう一度、松井五郎さんの世界を感じてみては

いかがでしょうか・・・


のすたるぢやの青い猫

無彩色の街の輪郭に
夕闇がもうすぐ線を引く
向こうとこちらを隔てる風は
逃げてしまった金糸雀の
羽根の匂いをさせている

痩せて剥き出す骨を鳴らして
また腹の虫がやかましい
あれはいつのことであったろう
愚かで醜い生き物に
もらった餌が懐かしい

もう世界には誰もいない
でも世界はこんなに美しい

人はどこへ行ったのですか
私の首に鈴をつけたまま
雨乞いの祈りの続きを教えもせずに
夜明けに消えた夢の続きを教えもせずに

空き家の屋根に錆びたアンテナ
ちぎれた星の尾が掛かる
どこかの部屋に置き去りの
巻き残ったオルゴール
最後の音が静かに鳴った

蓋をせねばならない記憶を
どれだけ抱えて生きていくやら
夕立ちが刺さった道の轍に
架かる虹を渡ってみせた
あの金魚売りも二度と来ることはない

もう世界には誰もいない
でも世界はこんなに美しい

人はなにを知ったのですか
ネズミの群れを水辺に誘い
つがいにしかなれない命の絶望に迷い
孤独にはなれない絆の希望に背いて

人はどこへ行ったのですか
私の首に鈴をつけたまま
雨乞いの祈りの続きを教えもせずに
夜明けに消えた夢の続きを教えもせずに


投稿者 agqr : 17:12 | コメント (0)

第19回~バミューダ・トライアングル~

皆さん、こんばんは。

お休み前のひととき、いかがお過ごしになりましたか?

今回も番組を振り返っていきましょう。

第19回はバミューダ・トライアングルをご紹介しました。

私たちが住むこの世界は不思議に満ちています。21世紀の現在、科学で解明できないものなど
存在しないという風潮がありますが、最先端の科学を以ってしても解くことの出来ないミステリーも
少なくありません。

アメリカ・フロリダ半島の先端、マイアミと、大西洋に浮かぶプエルトリコ、そしてバミューダ諸島を結ぶ
大きな三角形の海域は、『謎のバミューダ・トライアングル』とか、
『魔の三角海域』などと呼ばれています。
この海域では100年以上も前から、突然、船や飛行機が消えてしまうという、
なんとも不可解な事件が多発してきたからです。

様々な説が持ち上がりましたが、どれ一つとして、確証が得られるものはありませんでした。
そんな中、バミューダの謎を解明しようとした一人、ローレンス・クシュの本には、
こんな言葉が記されています。

「私も、よいミステリーや、心に食い入る謎が好きなことにかけては人後に落ちない。
われわれはみな、論理的、科学的に解明できないように見える怪奇現象を信じていたいと いう
心情を持っている。しかし同時に、そうした謎に挑戦し、正しい答えを見つけることにも、
喜びを感ずるのである」。

クシュの言うように、正しい答えを見つけることも喜びですが、不思議の世界でさまざまな想像を
働かせることも、また喜びです。不可解な謎は、いつの時代も私たちの好奇心を刺激します。

現代に残されたミステリー、「バミューダ・トライアングルの謎」。
謎の答えは出されないまま、これからもずっと伝説として生き続けることでしょう。

バミューダ1.jpg

番組では皆さんからのメールをお待ちしています。


番組の感想、能登さんに聞いてみたいことなど、何でも送ってきてくださいね。

投稿者 agqr : 16:58

2009年06月05日

朗読紙片第5回「氷の舟の行くところ」

朗読紙片第5回「氷の舟の行くところ」

を掲載致します

目で見ながら、もう一度、松井五郎さんの世界を感じてみては

いかがでしょうか・・・


氷の舟の行くところ

空が解く帯のように
オーロラが揺らめくと
あっけなくさらされた
天鵞絨の海

水の記憶を継いで
生まれたことさえ忘れ
いずれ溶ける氷の舟を
沖へ漕ぐ

波に削れる舵の重さは
たぶん命のそれと同じ
海図を開いたところで
どこも海原

なのに羅針盤が示すのは
逸れることのできない航路
大地の匂いを探しながら
北の星に鋲を打つ

何処へ行けと言うのでしょう
何処かはここと変わりないのに
いま来たところへまた向かう
ねじれた旅のくりかえし

いつまで行けと言うのでしょう
いつかは昨日と変わりないのに
果たされぬ運命のその先で
誰もが櫂から手を離す

水面に垂れる
希望の糸を
魚影は巧みに
嘲笑う

飢えた子供の
泣く声に
海鳥がまた
螺旋を描く

何処へ行けと言うのでしょう
何処かはここと変りないのに
いま来たところへまた向かう
ねじれた旅のくりかえし

いつまで行けと言うのでしょう
いつかは昨日と変わりないのに
果たされぬ運命のその先で
誰もが櫂から手を離す

何処へ行けと言うのでしょう
何処かはここと変わりないのに
氷の舟はゆらゆらと
積み荷も持たずゆらゆらと

いつまで行けと言うのでしょう
いつかは昨日と変わりないのに
氷の舟はゆらゆらと
港も知らずゆらゆらと

何処へ行けと言うのでしょう
何処かはここと変わりないのに

いつまで行けと言うのでしょう
いつかは昨日と変わりないのに

何処へ行けと言うのでしょう

いつまで行けと言うのでしょう


投稿者 agqr : 11:30

第18回~宇宙~

皆さん、こんばんは

お休み前のひととき、いかがお過ごしになりましたか?

今回も番組を振り返っていきましょう。

第18回は宇宙をご紹介しました。

星空を見上げると、その天頂近くに、光のしみのような天体がかすかにほのめいています。
私たちの銀河系、天の川の最も近くにある巨大銀河、『アンドロメダ銀河』です。
お隣さんとはいえ、地球からの距離は230万光年。
そんなところにある天体を、私たちが見ているということは、今から230万年前の遠い昔にこの天体を
旅立った光が、230万年かかって、いまようやく私たちの瞳に到達したということです。

私たちが夜空の星を見ているとき、視野の中には、地球に近い星も、遠い星も、同時に入っています。
ということは、『いま』という瞬間に、遠い過去から近い過去までの時空の広がりを
同時に見ていることになります。
この考えを、目には見えない電波にまで広げれば、私たちの体には、137億年前に起きた
宇宙の始まり、『ビッグ・バン』の残り火である宇宙電波も降り注いでいるわけですから、
私たちは宇宙が始まって以来のすべての情報の海の中にいることになります。
すなわち、私たちが星を見るという営みは、はるか宇宙の彼方に至るまでの137億光年という
途方もない時空の広がりを、『今』という一瞬に凝縮して体験しているということです。
そういえば、『人間は考える葦(あし)である』という有名な言葉を残したフランスの哲学者パスカルが、
こんなことを言っています。

「人間の尊厳は、一瞬のうちに全宇宙への想いをめぐらすことが出来るところにある――」

たかだか100年くらいの人生しか送れない私たち人間が、一瞬のうちに宇宙のすべてと向き合っているということは、実に不思議です。と同時に、時空のひとしずくにも満たないちっぽけな人間の、
大きな存在の意味のようなものを考えずにはいられません。


望遠鏡.jpg

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投稿者 agqr : 11:21

 

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