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2022年01月21日

第166回直木賞決定!

直木賞は今村翔吾さんの『塞王の楯』
米澤穂信さんの『黒牢城』の同時受賞となりました。

この2作の一騎打ちとはみていましたが、
時代小説どうしの受賞は「ない」と思いっきり断言してしまいました。
見事に外れましたね。

時代小説2作の同時受賞は過去記憶にありません。
ただ、同じジャンルとはいえ、
米澤さんの作品はミステリーの要素も強いし、
今村さんの活劇的要素をふんだんに盛り込んだ作品とは
読み心地もまったく異なりますので、
ここはぜひ、両方とも読んでいただきたいと思います。

芥川賞のほうは乗代雄介さんの『皆のあらばしり』推しでしたが、
残念ながらこちらも外れ。
砂川文次さんの『ブラックボックス』が受賞しました。

元自衛官の経歴をもつ砂川さんは、
これまで主に戦争を題材にした作品を書いてきましたが、
受賞作はうってかわって自転車便のメッセンジャーが主人公です。

ただし、「メッセンジャーが主人公」といっても
えっ?と驚くようなかたちで物語が転換するのですけど。
コロナ禍の東京が舞台の小説ですので、こちらもぜひ読んでみてください。

みなさん本当におめでとうございます!

投稿者 yomehon : 05:00

2022年01月18日

第166回直木賞 受賞作予想

これまで5つの候補作をみてきました。
それでは最終予想とまいりましょう。

今回は時代小説の戦いになると思うのです。
完成度の高い『黒牢城』か、それとも、血湧き肉躍る『塞王の楯』か。

時代小説どうしの同時受賞はおそらくないでしょう。
(同時受賞があるとすれば、玄人好みの『新しい星』ではないかと)
でも、ここは一作にしぼりましょう。

今回は今村翔吾さんの『塞王の楯』が受賞すると予想します。

『黒牢城』は巧緻な物語ですが、少し理が勝っているように思います。
とても面白いのですが、読んでいて感情が揺さぶられることは
『塞王の楯』に比べるとそれほどありませんでした。
本格推理小説の要素もあるため、密室の状況説明などにそれなりに
紙幅を割かねばならず、物語のダイナミクスが削がれるのは仕方ないのですが。

また時代小説として比較した時に、戦いの迫力が圧倒的に
『塞王の楯』のほうが優れています。
そもそも『黒牢城』は小競り合いや局地戦程度の戦いしかありませんし、
西軍の総攻撃を受ける『塞王の楯』とは比較にならないのですが、
『黒牢城』の有岡城も、『塞王の楯』の大津城も、
どちらも籠城しているというシチュエーションは同じです。

同じ籠城という設定でありながら、その視点のベクトルは対照的です。
『黒牢城』の視点は内側(城内で次々に起きる事件)へと向かい、
『塞王の楯』はひたすら外側(敵の攻撃からどう守るか)に向いています。

多少図式的になりますが、内向きの物語と外向きの物語という
わけかたもできるかと思います。
ここから先は個人の嗜好になりますが、ぼくは外向きの物語が好きです。
なぜなら、あまり小説を読み慣れていない読者にも、
ハードルが低いように思えるからです。もっと小説を読んでもらうには、
『塞王の楯』のほうがその力を持っているのではないかと思うのです。

そんなわけで、今回の直木賞の受賞作は『塞王の楯』と予想します。

さて、最後に芥川賞にもちょっと触れておきましょう。
今回は芥川賞のほうもとても面白い候補作が揃っていました。

今回、『Schoolgirl』で初めて名前を知った九段理江さんは
二作目、三作目も読んでみたいと思いましたし、
注目している島口大樹さんの『オン・ザ・プラネット』も良かった。

そんな中で、ぼくは乗代雄介さんの
『皆のあらばしり』が受賞すると予想します。

乗代さんは前回も『旅する練習』で候補になりました
(この時は宇佐見りんさんの『推し、燃ゆ』が受賞)。
受賞はかないませんでしたが、『旅する練習』は、
あらためて振り返っても、コロナ禍をテーマに書かれた
小説の中ではピカイチの傑作でした。
年末の新聞で年間ベストにあげている評者がいましたが、同意します。
乗代さんにはいま勢いがあります。
この波に乗って受賞するのではないでしょうか。

選考委員会は1月19日(水)に行われます。

投稿者 yomehon : 05:00

2022年01月17日

直木賞候補作⑤ 『黒牢城』

最後は米澤穂信さんの米澤穂信 『黒牢城』にまいりましょう。
この作品はすでに昨年の各ミステリーランキングで
1位に選ばれている他、山田風太郎賞も受賞しています。
今回の候補作の中でも大本命の一冊です。

時は本能寺の変の4年前、天正6年冬に織田信長に反旗を翻し、
北摂の有岡城(伊丹城)に立てこもった荒木村重が本作の主人公。
村重に翻意を促すために、織田方が使者として差し向けたのが、
切れ者で知られる軍師・黒田官兵衛でした。

常の習いであれば、使者は返事をもたせて返すか、殺すかするところを、
何を思ったか村重は官兵衛の身柄を拘束し、土牢に幽閉してしまいます。

その後、城内で奇妙な事件が起きます。
村重が殺すなと命じていた人質が、何者かによって殺害されたのです。

人質は矢傷を負っていましたが、当の矢は現場では見当たりません。
また庭には雪が積もっており、足跡はありませんでした。
つまり籠城中の城のなかで密室殺人事件が起きてしまったわけです。

現場を検分するも、人質を殺した方法は皆目わかりません。
殺害方法がわからなければ、犯人の目星もつけられません。
しかも、村重の命令に反して人質を殺した者を罰することができなければ、
家来の士気にも関わります。
進退きわまった村重は、土牢に幽閉した官兵衛のもとを訪ねます。
そして官兵衛は、真犯人のヒントを示すのでした……。

この小説は、典型的な「安楽椅子探偵」ものです。
安楽椅子探偵(アームチェア・ディテクティブ)とは、
現場に足を運ばずに鋭い推理で事件を解決してしまう探偵のこと。
アガサ・クリスティのミス・マープルや、
ジェフリー・ディーヴァーのリンカーン・ライムなどが有名です。

おそるべき知性で事件の真相を見抜く官兵衛も安楽椅子探偵といえますが、
この物語のユニークなところは、官兵衛が囚われの身であること。
そのため、敵方の村重に答えを教えるわけにもいかず、
謎めいた和歌に託すなどして、事件の真相は匂わせる程度です。
このヒントを村重が読み解き、次々にふりかかる難題を
解決していくというのが物語のおおまかな流れです。

本作の最大の読みどころは、村重と官兵衛が相対する場面でしょう。
腹の底では互いを認めていながら、敵味方として対峙する二人の
緊張感あふれるやり取りは、読んでいてゾクゾクさせられます。

謎解きの連作ものではありますが、全体を通してみると、
官兵衛が囚われの身でありながら、実は獄中から村重に対して、
あることを仕込んでいたことがのちに明らかになるなど、
個々の事件の謎解きにとどまらない頭脳戦の面白さもあります。

籠城が続く中で、家来の心理がいかに揺らぐか、
また将たる村重がそれをどのように統率していくかなど、
時代小説としての面白さもしっかりと備えています。
つまり「時代小説」×「謎解き」という組み合わせを
ハイレベルで融合させたのが、この『黒牢城』なのです。
直木賞の大本命である所以です。

ただ、この作品の評判は、選考委員の耳にもしっかり入っているはず。
世間の評判をそのまま選考委員が受け入れるとは考えにくく、
他の候補作以上に粗探しが行われるような気もします。

ひとつポイントになるとすれば、
本作の最大の読みどころである村重と官兵衛が対峙する場面が、
議論になるのではないでしょうか。

読者からすれば、官兵衛のもとに行けば、
事件解決のヒントはもらえるとわかっているので、
逆にこの場面の描き方が難しくなってきます。

どのタイミングで村重が足を運ぶのか。
なんでもかんでもほいほい聞きに行けば、村重の存在が軽くなるし、
かといって、ああでもないこうでもないといつまでも悩んでいれば、
読者から「早く官兵衛のところに行けよ」とツッコミが入るでしょう。
描き方が難しいというのはそういうことです。

そういう視点でみると、なかには官兵衛のもとに今頃行くのかと
タイミングに不満を感じてしまったところもなきにしもあらず。
選考委員からはどんな意見が出るのか楽しみです。

投稿者 yomehon : 05:00

2022年01月14日

直木賞候補作④ 『ミカエルの鼓動』

次は柚月裕子さんの『ミカエルの鼓動』にまいりましょう。
柚月さんも『孤狼の血』シリーズや『盤上の向日葵』などで
人気作家の地位を確立しています。

『ミカエルの鼓動』は、手術支援ロボット「ミカエル」をめぐる
医療サスペンスです。物語の主人公は、北海道の大学病院で、
ミカエルを駆使する心臓外科医の西條。

西條が世間の注目を浴びる中、ドイツから天才外科医の真木が
大学病院に赴任してきます。

かたや最先端のロボットを駆使するスター医師。
かたやおそるべきメスさばきをみせる天才医師。
二人は、心臓に難病を抱えた少年の治療方針をめぐり対立します。
そんな中、西條を慕っていた若手医師が自ら命を発ちます。
どうやら自殺の原因は、ミカエルにあるらしい。

ミカエルは、現代の医療にとっての福音なのか、それとも……。
西條はミカエルについて密かに調べ始めます。
一方、少年に対するミカエルを用いた手術が刻一刻と近づいていました……。

とても現代的なテーマを扱った作品です。
例えばミカエルのせいで手術を失敗としたとしたら、
その責は執刀医に求められるべきでしょうか、それともメーカーでしょうか。
これは自動運転の車が事故を起こした場合などにも共通するテーマです。

物語は、こうした今日的なテーマも扱いながら、
ミカエルの背後に隠された大学病院の闇へと迫っていくのですが、
その過程で「医療は誰にためにあるのか」という、
より根源的なテーマが浮かび上がってきます。

惜しむらくは、ミカエルの不具合をもう少し掘り下げて欲しかった。
手術支援ロボットの欠陥にしても、メーカーと大学との癒着にしても、
もっとドラマがあると思うのですが、
本作ではそのあたりの記述がわりとあっさりめです。

また西條の家庭の問題も、もう少し濃密に描けたのではないか。
妻に対する西條の態度は淡白だし、妻も西條に判断を丸投げしているしで、
夫婦の描写はそれなりに出てくるのですが、あまり印象に残りません。
ちょっともったいないなぁと思いながら読んでいました。

西條と真木の対立の構図はとてもわかりやすく、
このまますぐにでも映像化できそうな作品ですが、
読み終えた後、心に爪痕が残るようなインパクトがあるかといえば、
いまひとつという感じです。

投稿者 yomehon : 05:00

2022年01月13日

直木賞候補作③ 『塞王の楯』

次は今村翔吾さんの『塞王(さいおう)の楯』にまいりましょう。
今村さんはすでに時代小説の分野で人気作家の地位を確立しています。
デビュー以来、ほぼ全作品を読んでいると思いますが、
どれも文句なしの面白さ。ストーリーテリングに長けた作家だと思います。

本作の主人公は、穴太衆(あのうしゅう)の若きリーダーです。
穴太衆というのは織豊時代に活躍した石工の集団のこと。
石工とは城や寺院などの石垣をつくる職人のことですね。

穴太衆は、近江の穴太(現在の滋賀県大津市)を本拠に活躍した技術者集団で、
安土城の城壁の普請に関わったことで知られるようになりました。

自然のままの形状を活かした石をそのまま積み上げる方法を
「野面積み(のづらづみ)」といいますが、穴太衆はことにこの積み方がうまく、
後に穴太衆が手がけた野面積みの石垣は、「穴太積み(穴太衆積み)」と
呼ばれるようになったほどです。

自然石を積み上げ、堅牢な石垣を築くには、石の声を聴き、
その声に従って組んでいくのが極意らしいのですが、本作の主人公、
匡介(きょうすけ)には、幼い頃からこの能力が備わっていました。

ふるさとの越前・一乗谷を信長に滅ぼされ、父母と妹を失った匡介は、
石の声に導かれて山中を逃げる途中、石工の源斎に助けられます。
源斎は穴太衆の中でも一目置かれる飛田屋の頭目で、
匡介は長じて後継者と目されるようになりました。

戦によって家族を奪われた匡介は、絶対に破られない石垣をつくれば、
世の中から戦をなくせると考えていました。

ところがここに正反対の考えを持つ者が現れます。
鉄砲職人の国友衆の若き頭目・彦九郎は、最強の兵器である銃が
あまねく天下に行き渡ることで、戦はなくせると考えていました。
秀吉が病死し、世にふたたび戦乱の気配がしのびよる中、
匡介は京極高次から琵琶湖畔にある大津城の石垣の改修を依頼されます。
京極高次は世間から凡将と軽く見られている武将でしたが、
匡介はこの依頼を引き受けます。

一方、毛利元康の軍勢がこの大津城を攻め落とそうとします。
難攻不落の城を落とすのに、毛利は国友衆に鉄砲づくりを依頼しました。
かくて大津城を舞台に、「最強の楯」と「最強の矛」との
戦いの火蓋が切って落とされるのでした。

有名な「矛盾」の故事をこれほどまでに面白い物語に
仕立て上げるとは、やはり今村さんの物語る力には凄いものがあります。

楯と矛の戦いという構図が、あまりに図式的というか、
単純すぎるというツッコミがあるかもしれません。
それはその通りなのですが、物語の豊かなディテールが、
その点をあまり気にならないものにしています。

たとえば、石工集団の仕事がきっちり描かれているところ。
山から石を切り出す「山方」、それを運ぶ「荷方」、
そして石を積む「積方」。そのうちのどれが欠けても石垣はできません。
どのように石を切り出し、現場までどう運ぶか。
物語を通じて、当時のロジスティクスが見えてくるのが面白い。

楯と矛の戦いの描写だって想像を超える面白さです。
国友衆きっての天才・彦九郎が開発した新兵器が石垣を傷つけると、
穴太衆がすぐさま修復をする。穴太衆の仕事は石垣をつくって終わりでは
ないのです。このような攻防は、他の時代小説でもみたことがありません。

また、生死をかけた戦いの描写の中で、
魅力的な光を放つのが京極高次のキャラクターです。
高次の人生は負けの連続でしたが、妹を豊臣秀吉の側室として差し出し、
淀君の妹を正室に迎えるなどして地位を挽回させます。
そのため、閨閥の七光りによって出世したとして
「蛍大名」と陰口を叩かれるような存在でした。

ところが歴史上では、大津城の戦いは、
西軍1万人を食い止め、関ヶ原に向かわせなかった
非常に重要な戦いでもあったのです。
世間では愚将とされた京極高次を、
作者は有能なリーダーとして描いています。

信長に二度も謀反を起こし、東大寺焼き討ちなど「三悪」を犯した
「悪人」とされた松永久秀を描いた『じんかん』もそうでしたが、
今村さんは世評の低い人物の印象を180度変えてみせるのがとても上手いですね。

手に汗握る読書体験を味わいたければ、
候補作の中で本作の右に出るものはありません。

投稿者 yomehon : 05:00

2022年01月12日

直木賞候補作② 『新しい星』

次は彩瀬まるさんの 『新しい星』です。

彩瀬さんは『くちなし』が直木賞候補になり
(この時の受賞作は門井慶喜さんの『銀河鉄道の父』でした)、
またこの作品で高校生が選ぶ高校生直木賞を受賞しています。

『くちなし』は幻想的な作風でしたが、この『新しい星』は
うって変わってオーソドックスな小説です。『くちなし』の奇想の印象が
強かったので、「ほんとに同じ作家の作品?」と思わず作者プロフィールを
確かめてしまったほど。

この作品は、大学の合気道部で一緒だった男女4人の人生を描いた
連作短編集です。各短編に共通しているのは、「人生はうまくいかない」
ということ。

たとえば表題作の主人公、森崎青子は、生まれたばかりの娘が
保育器の中で急死し、そのことがもとで夫と別れてしまいます。
実家の母親ともうまくいかず家を出ることになって、
塾講師をしながら独り暮らしを始めますが、
仕事では生徒の親に理不尽なクレームをつけられ……という具合。

青子の親友でもある茅乃は乳がんになり、
受験を控えた娘との向き合い方に悩んでいるし、
玄也は就職した後に引きこもりになったことを周囲に言えずにいます。
家庭をもった卓也も、第二子の出産を機に実家に帰った妻が
コロナで戻れなくなり、夫婦仲がぎくしゃくし始めます。

茅乃ががんを患ったのをきっかけに4人は合気道を再開し、
それぞれの人生が交わるようになります。
その中で起きる出来事を静かに丁寧に描いた作品です。

とても繊細な小説です。誤解を恐れずにいえば、
この小説で描かれているのは、ありふれた出来事です。
配偶者とのすれ違いも、子どもとうまく向き合えないことも、
職場でのパワハラも(もちろん本来あってはならないことですが)。
がんですら日本人の死因第1位ですから珍しくはありません。

普通はこうしたありふれた出来事を描こうとすると、
作品を際立たせるために思いっきり小説的な仕掛けを施します。
主人公を極端なキャラにするとか、物語の舞台設定にひねりを加えるとか。
でもこの小説はそうしたギミックとは一切無縁なのです。

かといって、この作品が平凡かといえばそうではありません。
ありふれた出来事でも作家の鋭い感性が切り取るとこうなるのかと
感心させられたところがいくつもあります。
直木賞の選考委員も実作者なので、よりいっそう彩瀬さんのうまさが
わかるかもしれませんね。その意味では玄人好みの作品かもしれません。

ただ、直木賞でこのような一見普通にみえる小説が
受賞するだろうかと考えると……どうでしょう。
今回の候補作なので中ではもっとも派手さや華やかさとは遠いところにある作品です。

投稿者 yomehon : 05:00

2022年01月11日

直木賞候補作① 『同志少女よ、敵を撃て』

では候補作をみていきましょう。
トップバッターは逢坂冬馬さんの『同志少女よ、敵を撃て』です。
逢坂さんは本作で第11回アガサ・クリスティー賞を受賞しています。
新人作家がデビュー作でいきなり直木賞にエントリーされたことになります。

いやはや凄い作品です。とてもじゃないですが、新人作家のデビュー作とは思えません。
物語の主人公は、第二次世界大戦で、ナチスドイツとの戦闘の最前線に送り込まれた
ソ連の女性狙撃手セラフィマです。

小さな村で幸せに暮らしていたセラフィマをある日悲劇が襲います。
母親と狩猟に出ていた時、村がドイツ兵に襲撃されたのです。
村人たちが皆殺しにされるのを見かね、応戦しようとした母親は、
ドイツの狙撃兵に射殺されてしまいます。セラフィマはすんでのところで
ソ連の部隊に命を救われ、女性兵士だけで構成された部隊に編入されます。
そして戦闘の激しさで知られる独ソ戦の最前線へと駆り出されるのでした。

物語にはいくつかの柱があり、それがこの作品を読み応えのあるものにしています。
ひとつは、復讐譚です。母親を殺した狙撃兵への復讐が大きな柱になっています。
また、狙撃兵という特殊な戦闘要員への考察も読みどころのひとつとなっています。
スナイパーは、標的を仕留めるためには何時間でも、時には何日でもひとつの場所で
じっとしています。ひとりの時間が長いということは、そこに自己との対話が生まれます。
つまり個人の内面がクローズアップされるのです。

軍隊というのは一糸乱れぬ規律が求められる組織なわけですが、
狙撃兵は組織の中にあって例外的に個の力が求められる存在です。
狙撃手小説では『極大射程』という傑作がありますが、主人公のボブ・リー・スワガーは
巨大な陰謀にひとりで立ち向かっていきます。この『同志少女よ、敵を撃て』でも、
怒りや迷い、悲しみといったセラフィマの内面が丁寧に描かれていて、
軍隊の中での個の存在を浮かび上がらせることに成功しています。

さらにこの小説は、女性兵士の連帯もうまく描いています。
友情ではなく連帯であるところに注意してください。
軍隊という男性中心の組織の中で、女性たちが生き抜いていくのはただでさえ大変です。
だから時には互いの好き嫌いを超えて女性同士、助け合うことがある。
本作はそうしたシスターフッド(女性の連帯)を見事に描いた作品でもあります。

第二次世界大戦でソ連は100万人近くの女性兵士たちが従軍しました。
この小説もそうした史実をベースにしているわけですが、加えて、
以下の本が元ネタとなっています。

ひとつは、ノンフィクション作家として初めてノーベル文学賞を受賞した
スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの『戦争は女の顔をしていない』です。
当時戦争に関わった多数の女性たちへのインタビュー集で、
この本は、女性が戦争に参加するとはどういうことかを教えてくれます。

そしてもうひとつがリュミドラ・パヴリチェンコの
『最強の女性狙撃手 レーニン勲章の称号を授与されたリュミドラの回想』です。
こちらは第二次大戦でわずか一年の間に確認されただけでも
300人以上のドイツ兵を殺した女性狙撃手の回想録です。
ドイツ軍きっての狙撃兵を射殺するなど、ゴルゴ13の実録版みたいな
迫力のあるノンフィクションです。

これらのノンフィクションは元ネタというだけでなく、
物語の中にも著者が登場したりします。
小説を楽しんだ後は、ぜひこれらの本も手にとってみてください。

投稿者 yomehon : 05:00

2022年01月02日

第166回直木賞エントリー作品

2022年になりました。
年が明ければすぐにやってくるのが直木賞。
すでに第166回直木賞の候補作が発表されています。

逢坂冬馬(あいさか・とうま)『同志少女よ、敵を撃て』(早川書房)

彩瀬まる 『新しい星』(文藝春秋)

今村翔吾 『塞王(さいおう)の楯』(集英社)

柚月裕子 『ミカエルの鼓動』(文藝春秋)

米澤穂信 『黒牢城』(KADOKAWA)

逢坂さんを除く4人は以前も候補になったことがあります。
実力は折り紙つき。
ただ、逢坂さんもデビューしたばかりでいきなり候補ですから侮れません。
実際、デビュー作は大評判になっていますし。

前回にも増して実力派揃いの第166回直木賞。
今回も候補作を紹介していきます。お楽しみに!

投稿者 yomehon : 05:00