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2022年01月17日

直木賞候補作⑤ 『黒牢城』

最後は米澤穂信さんの米澤穂信 『黒牢城』にまいりましょう。
この作品はすでに昨年の各ミステリーランキングで
1位に選ばれている他、山田風太郎賞も受賞しています。
今回の候補作の中でも大本命の一冊です。

時は本能寺の変の4年前、天正6年冬に織田信長に反旗を翻し、
北摂の有岡城(伊丹城)に立てこもった荒木村重が本作の主人公。
村重に翻意を促すために、織田方が使者として差し向けたのが、
切れ者で知られる軍師・黒田官兵衛でした。

常の習いであれば、使者は返事をもたせて返すか、殺すかするところを、
何を思ったか村重は官兵衛の身柄を拘束し、土牢に幽閉してしまいます。

その後、城内で奇妙な事件が起きます。
村重が殺すなと命じていた人質が、何者かによって殺害されたのです。

人質は矢傷を負っていましたが、当の矢は現場では見当たりません。
また庭には雪が積もっており、足跡はありませんでした。
つまり籠城中の城のなかで密室殺人事件が起きてしまったわけです。

現場を検分するも、人質を殺した方法は皆目わかりません。
殺害方法がわからなければ、犯人の目星もつけられません。
しかも、村重の命令に反して人質を殺した者を罰することができなければ、
家来の士気にも関わります。
進退きわまった村重は、土牢に幽閉した官兵衛のもとを訪ねます。
そして官兵衛は、真犯人のヒントを示すのでした……。

この小説は、典型的な「安楽椅子探偵」ものです。
安楽椅子探偵(アームチェア・ディテクティブ)とは、
現場に足を運ばずに鋭い推理で事件を解決してしまう探偵のこと。
アガサ・クリスティのミス・マープルや、
ジェフリー・ディーヴァーのリンカーン・ライムなどが有名です。

おそるべき知性で事件の真相を見抜く官兵衛も安楽椅子探偵といえますが、
この物語のユニークなところは、官兵衛が囚われの身であること。
そのため、敵方の村重に答えを教えるわけにもいかず、
謎めいた和歌に託すなどして、事件の真相は匂わせる程度です。
このヒントを村重が読み解き、次々にふりかかる難題を
解決していくというのが物語のおおまかな流れです。

本作の最大の読みどころは、村重と官兵衛が相対する場面でしょう。
腹の底では互いを認めていながら、敵味方として対峙する二人の
緊張感あふれるやり取りは、読んでいてゾクゾクさせられます。

謎解きの連作ものではありますが、全体を通してみると、
官兵衛が囚われの身でありながら、実は獄中から村重に対して、
あることを仕込んでいたことがのちに明らかになるなど、
個々の事件の謎解きにとどまらない頭脳戦の面白さもあります。

籠城が続く中で、家来の心理がいかに揺らぐか、
また将たる村重がそれをどのように統率していくかなど、
時代小説としての面白さもしっかりと備えています。
つまり「時代小説」×「謎解き」という組み合わせを
ハイレベルで融合させたのが、この『黒牢城』なのです。
直木賞の大本命である所以です。

ただ、この作品の評判は、選考委員の耳にもしっかり入っているはず。
世間の評判をそのまま選考委員が受け入れるとは考えにくく、
他の候補作以上に粗探しが行われるような気もします。

ひとつポイントになるとすれば、
本作の最大の読みどころである村重と官兵衛が対峙する場面が、
議論になるのではないでしょうか。

読者からすれば、官兵衛のもとに行けば、
事件解決のヒントはもらえるとわかっているので、
逆にこの場面の描き方が難しくなってきます。

どのタイミングで村重が足を運ぶのか。
なんでもかんでもほいほい聞きに行けば、村重の存在が軽くなるし、
かといって、ああでもないこうでもないといつまでも悩んでいれば、
読者から「早く官兵衛のところに行けよ」とツッコミが入るでしょう。
描き方が難しいというのはそういうことです。

そういう視点でみると、なかには官兵衛のもとに今頃行くのかと
タイミングに不満を感じてしまったところもなきにしもあらず。
選考委員からはどんな意見が出るのか楽しみです。

投稿者 yomehon : 2022年01月17日 05:00