« 2017年01月 | メイン | 2017年10月 »

2017年07月17日

第157回直木賞直前予想 受賞作は(たぶん)これ!


各候補作をみてまいりましたが、そろそろ最終予想とまいりましょう。

ごく常識的に考えれば、
今回は佐藤正午さんの『月の満ち欠け』(岩波書店)がとるのではないかと思うわけです。

北村薫さんや佐々木譲さんのように、
過去にも「なぜいまごろ?」というタイミングでベテラン作家がエントリーしたことがあって、
いずれも受賞しているという実績もあることですし。

功労賞というのか、「これまでお疲れさまでした」という意味合いもあるのかもしれません。
そう考えると、今回も佐藤正午さんで決まりかなという気がします。

ですが、ここはあえて「ちょっと待った!!」と言いたい。

果たしてそれでいいのか。
直木賞がこれまでのキャリアをねぎらうような賞であってもいいのでしょうか。

本が驚くほど売れない時代です。
であるからこそ直木賞は、ふだん本を読まないような人が手にとって
「なにこれ、めっちゃ面白い!」と夢中になるような作品が受賞して欲しい。

もちろん佐藤さんの『月の満ち欠け』は面白い一冊です。
ただ、先日も書きましたが、最初の瑠璃の恋愛の描かれ方にやや物足りなさを感じるんですよね。

小説初心者が読んだとしても、無条件に面白いと思える作品は、
ぼくは『月の満ち欠け』『よりも、
宮内悠介さんの『あとは野となれ大和撫子』(KADOKAWA)だと思います。

この作品に横溢する生き生きとした想像力は、
読む者に「小説ってなんて自由なんだろう」ということを教えてくれるはず。

手に汗握るストーリーの裏には、
移民や宗教対立などシビアな問題も隠れていますが、
そういう深刻なテーマを、面白い物語に見事に溶け込ませた手腕は見事というほかありません。

宮内さんは直木賞だけでなく、芥川賞でも候補になったことがありますが、
それだけの才能と技術の持ち主なのです。

というわけで、第157回直木賞受賞作は、
「こういう作品がとるべき」という主張も込めて、
宮内悠介さんの『あとは野となれ大和撫子』を推します。

最後に芥川賞にもひと言。

今回は今村夏子さんの『星の子』(朝日新聞出版)で決まりではないでしょうか。

宮内さんと同じように、今村さんも高く、遠くへとボールを飛ばせる想像力をお持ちの方です。

さて、どうなるでしょうか。

選考委員会は、7月19日(水)の午後5時から開かれます。

投稿者 yomehon : 00:00

2017年07月14日

第157回 直木賞直前予想(5) 『BUTTER』 


最後は、柚木麻子さんの『BUTTER』(新潮社)です。

木嶋佳苗死刑囚が引き起こしたとされる
首都圏連続不審死事件をモデルにしているということで、
刊行直後から大きな話題となっている一冊です。


週刊誌の記者をしている町田里佳は、
首都圏で起きた三件の殺人事件に関与した疑いで逮捕された
カジマナこと梶井真奈子の取材を進めていました。

被害者はいずれも40代から70代の独身男性で、
彼らは真剣に梶井との結婚を望みながら、
彼女に言われるがまま多額の金銭を渡していました。
三人とも自殺とも事故ともとれる死に方で物証はなかったものの、
直前まで彼女が傍にいたことが決め手となり、逮捕に至りました。

当初、取材の要請に応じることのなかったカジマナですが、
里佳が友人の伶子のアドバイスに従ってある一文を書いた手紙を送ったところ、
面会に応じると返事を寄越してきました。

里佳が記した一文。それは、「あなたが被害者の山科さんに作ったビーフシチューの
レシピがとても気になっています。一度、教えていただけないでしょうか」というものでした。

拘置所で初めて面会がかなったカジマナから、
里佳は「バター醤油ご飯を作りなさい」と告げられます。
カジマナはご丁寧にバターの銘柄も指定した上で、里佳がその味がわかるかどうか、
わかるような人間であればまた会ってもいい、ということを匂わせるのです。

里佳は言われた通りに、バター醤油ご飯をつくり、
その感想をもってカジマナに会いに行きます。

カジマナによって指定される食べ物を食べていくうちに、
次第に彼女が抱えていたものが里佳にも見えてくるようになります。
そして里佳自身も、徐々に変わり始めるのでした――。


柚木麻子さんは、女同士の人間関係を描くのが上手ですが、
今回も、梶井真奈子という闇の深い人物を中心に、
里佳、伶子それぞれが抱えた問題が巧みに炙り出されていきます。

そこからみえてくるこの小説のテーマは、
ひと言でいえば、「女はなぜ生き辛いのか」ということになるでしょうか。

それぞれの女性が抱えているものを炙り出すために、
柚木さんは登場人物がどんな女性なのか、
そのディティールを徹底して細かく描いているですが、これが舌を巻くほど上手い。

たとえば里佳が伶子の新婚家庭を訪れた時に、玲子が出すメニューが、

「こくのあるアンチョビソースとたっぷりの蒸した冬野菜のバーニャカウダ、
塩漬けした豚をゆでて薄く切ったもの、長ネギの豆乳グラタン、
土鍋で炊いた牡蠣の炊き込みご飯にお味噌汁」
「デザートは手作りだという栗の渋皮煮と、甘酒と米粉のシフォンケーキ、しょうがの効いたチャイ」

なのです。これだけでもう、伶子がどういう人物かが伝わってきます。
オシャレでセンスのいい女性、ただしかなりの「意識高い系」であるということが。

対する伶子の夫の亮介は、人の好いスポーツマンだけれど、
食卓の話題がカジマナに及んだときに、
無邪気にカジマナの容姿を「デブ」と表現して、伶子がほんのわずかに眉をひそめたりする。

読者はキャリアを断念して専業主婦になった伶子のほうが、
明らかに亮太よりも知的であることに気づかされる。
また男が無意識に女性の容姿をあげつらうことが、いかに女性を不快にさせるかも。

この作品はこういう細かい、繊細な感覚というものがひとつの鍵になっています。

カジマナが食べろと言った「バター醤油ご飯」にしても、
エシレバターとカルピスバターの違いが事細かに語られたりする。

作者は、女性が抱く世間や男たちへの違和感を丁寧に掬い上げ、言語化していきます。
その積み重ねの結果、本書はまさに高級なバターのような濃厚な読み口に仕上がっている。

でも、バターに引っ掛けて決してふざけて言うわけではないのですが、ちょっとくどい。
この執拗で、細かい描写の連続は、読むのに覚悟がいります。

もう少し作品を刈り込んでも良かったのでは?と思いました。


それともうひとつ。
作品本来の価値とはなんら関係のないことではありますが、
やはりモデル小説って難しいですね。

すでに木嶋死刑囚本人がブログであれこれ本書を批判しております。

昔、取材の一環で、彼女が逮捕前に書いていたブログを一気読みしたことがあります。
その時の印象をもとにいえば、彼女は自分に注目が集まれば集まるほど嬉しいはずです。

確定死刑囚ですので、自由に情報発信はできないとはいえ、
近況を伝える最新のブログのエントリーでも、さりげなく直木賞の選考会に触れている。
これが受賞ともなれば、きっとこれまで以上にテンションが上がるんだろうなーと思うわけです。

木嶋佳苗死刑囚のブログを読んだときにどうにも「いたたまれなさ」を感じてしまうのは、
フェイスブックやインスタなどで、リア充ぶりをアピールせずにはおれない我々自身のイタさを
眼前に突きつけられたような気がするからだと思うのです。

つまり「木嶋佳苗的なるもの」は、我々自身の中にもある、というわけで。
だからこそ、本書が受賞して彼女がまたブログではしゃぎ……という流れを考えると、
なんだかなぁと思ってしまうのであります。

この作品は、木嶋佳苗事件に材をとっているとはいえ、
「梶井真奈子」というキャラクターは作者のオリジナルです。
ですので、メディアは本書が受賞したとしても、
あまりモデルのことだけをいたずらにクローズアップしないでほしいと思います。

それは作者が伝えたかったこととはほとんど関係のないことであるばかりか、
そうした騒ぎこそ木嶋佳苗死刑囚が望んでいることだと思うからです。

まあこれは作品の評価とはまったく別の話、余談もいいとこでした。

投稿者 yomehon : 07:00

2017年07月13日

第157回 直木賞直前予想(4) 『あとは野となれ大和撫子』


続きましては、宮内悠介さんの『あとは野となれ大和撫子』(KADOKAWA)です。

ヤンキースでホームランを量産しているアーロン・ジャッジ選手をご存知でしょうか。
身長2m18cm、体重、128㎏の恵まれた体躯から放たれた打球は、
大きな放物線を描いて、スタンド上段へと吸い込まれていきます。
今年のオールスターのホームラン競争を制したのもジャッジ選手でした。

小説家にも、飛距離の大きい作家がいます。
もちろんバットを振り回すわけではありません。
小説家にとって飛距離を生み出す武器となるのは「想像力」です。

私たちが到底思いつかないような地点までボールを飛ばしてしまう想像力。
宮内悠介さんは、この想像力の生み出す放物線がひときわデカい作家なのです。


舞台となるのは、中央アジアのアラルスタンという架空の小国。
アラルスタンは、かつてアラル海があった場所につくられた国です。

海が干上がったあとですから、大地は塩で覆われています。
ここに「最初の七人」と呼ばれる科学者たちが新しい国をつくったのです。

物語は荒唐無稽です。
なにしろこのアラルスタンを率いる大統領が暗殺されて
国が大混乱に陥る中、臨時の指導者として起つのが、
後宮(ハレム)と呼ばれる教育機関に属する女の子たちなのですから。

その中には、紛争で両親を失い、後宮に拾われた日本人の女の子もいました。
物語はこのナツキを主人公に、中央アジアのパワーゲームの中で、
懸命に国を運営していこうとする少女たちの奮闘を描きます。

宗教対立やゲリラによるテロ、環境破壊、油断ならない周辺国との駆け引き……などなど、
少女たちの前には難問が山積み。
ところが彼女たちは、持ち前の明るさとたくましさで、果敢にこれらの難問と向き合うのです。


それにしても、よくこれだけ荒唐無稽な話を思いつくものだと感心させられます。
これこそが想像力による飛距離で、宮内さんは誰よりもその放物線が大きい。
今回の候補作の中でも、その発想力の豊かさは、一頭地を抜いていると思います。

でも荒唐無稽だからといって、
根も葉もないデタラメを並べているかといえばそうではありません。

巻末にあげられた膨大な参考文献をみればわかるように、
作者は土台をしっかりと事実で固めた上で、壮大なホラ話を吹いているのです。

たとえばアラル海が干上がっているのが事実であることはご存知でしょうか。
NASAによって写真が公表されていますが、かつては世界で4番目に大きな湖だったのが、
農業用水を確保するためにソ連が灌漑を進めたことで徐々に干上がっていき、
塩分濃度が上昇して、わずかながらに残った湖も、
ごく一部の地域を除いて魚が棲めない塩湖となってしまいました。

さらには気温の調節に大切な役割を果たしていた水がなくなったことで、
この地域の気候にも重大な影響が及びました。
冬はこれまで以上に寒く、夏もよりいっそう暑くなったのです。

このような自然破壊によって生み出された過酷な環境の上に、
作者はアラルスタンという架空の小国を建ててみせたわけです。

歴史的、科学的な事実の上で、
作者はまるで自由自在に遊んでいるかのようです。
これがとても楽しい。

年配の選考委員の中には、この作品を受け付けない人もいるでしょう。
いくらなんでも危機に瀕した国を率いるのが少女たちというのはないだろう、とか。
これじゃあまるでマンガやアニメじゃないか、とか。

もしそんなことを述べる選考委員がいたとしたら、
ぼくはその人の文学観こそ貧しいと言いたい。
そんな狭く凝り固まった考えだからこそ、小説が読まれなくなったのだと言いたいのです。

いまこそ物語を読む醍醐味を取り戻すべきではないでしょうか。
清々しくなるほどに荒唐無稽なホラ話に身を委ねる快楽を、
ふたたびこの手に取り戻すべきではないでしょうか。

「沙漠の小国を少女たちが守る」
そんなのあり得ない、とツッコミを受けるアイデアであることは、作者は百も承知でしょう。

でも作者は細部のリアリティを徹底的に突きつめることで、
最後の最後にそのリアリティの上に見事「大嘘」の大輪を花開かせることに成功しています。

恐るべき才能の持ち主というしかありません。

投稿者 yomehon : 07:00

2017年07月12日

第157回 直木賞直前予想(3) 『月の満ち欠け』


続いて、佐藤正午さんの『月の満ち欠け』(岩波書店)にまいりましょう。

岩波書店の作品が直木賞の候補になるということ自体、
滅多にないことでビックリなのですが、それ以上に驚かされるのは、
佐藤正午さんほどの作家がこれまで候補になったことがなかったという事実です。

ご存じない方のために少し説明をしておくと、
佐藤正午さんは、特にミステリー小説の世界ではお名前を知られた方。
83年デビューですからかなりのキャリアです。
読者をあっ!と驚かす計算し尽くされた緻密なストーリーが特徴で、
昨年は『鳩の撃退法』が山田風太郎賞を受賞し話題になりました。

そんな佐藤さんが手がける『月の満ち欠け』は
どんな仕掛けがほどこされた作品なのでしょうか。

冒頭、小山内という男が東京駅で、
「るり」という名前の少女とその母親と
待ち合わせをしている場面からはじまります。
ところが、この「るり」という女の子が少々おかしい。
とても大人びていて(というか大人で)、
初めて会う小山内のことをよく知っているんです。

ほどなく小山内には「瑠璃」という亡くなった娘がいることが明かされます。
この瑠璃にも、7歳のある日、異変が起きました。
黛ジュンの歌を口ずさみ、デュポンのライターを知っているなど、
説明のつかない行動や言動がみられるようになったのです。

この時点でもう、勘のいい読者はピンとくるはず。
さぁ、あなたの脳内に、RADWINPSの『前前前世』のサビを響かせましょう。
そう、この小説は、「前世」や「生まれ変わり」をモチーフとした作品なのです。

物語はこのあと、瑠璃という名のある女性の悲恋が描かれ、
月の満ち欠けのように生と死を繰り返す
「瑠璃」の魂の存在が明らかにされていきます。

と聞くと、すごく単純なストーリーのように思うかもしれませんが、
物語は、瑠璃を取り巻く男たちの人生も絡まりあって一筋縄ではいきません。
それにもちろん最後にはあっ!と驚く仕掛けもあって、
「前世」というキーワードがわかっていても、ネタバレにはならないのでご心配なく。

緻密な構成。
最後に世界の見え方ががらりと変わるような仕掛け。

この作品で初めて佐藤正午の作品に触れる人は、
小説を読む愉しさを存分に味わえるでしょう。

ただ、個人的にやや物足りなさを覚えたのは、瑠璃の恋愛の描き方です。
愛する人と再会するために生と死を繰り返すという、
それほどまでの行動をとる動機として納得できるほどには、
瑠璃の恋愛がドラマティックなものには感じられませんでした。

ある男性と出会い、許されぬ恋に瑠璃は踏み出してしまうわけですが、
ここはもっと切なく、もっと命がけの恋として描くべきではなかったか。

淡泊な筆致であるがゆえに、よくある男女の話に思えてしまうし、
よくある男女の話に思えてしまうがゆえに、
「そうまでして会いたいかなー」という疑問が最後まで拭いきれませんでした。

おそらくこの点は、選考委員のあいだでも議論になるのではないでしょうか。

投稿者 yomehon : 05:00

2017年07月10日

第157回 直木賞直前予想(2) 『会津執権の栄誉』

続いては、佐藤巖太郎さんの『会津執権の栄誉』(文藝春秋)です。

実はこの方のことはまったく存じ上げませんでした。
それもそのはず。
この『会津執権の栄誉』が初めての著書となる新人作家なのです。

著者は福島県出身。東京でサラリーマン生活をしていたところ、
家の事情で故郷に戻ることになり、そこで東日本大震災を経験、
「やりたいことをやらなければ」という心境になり、初めての小説執筆にのぞんだそう。

そんな短いキャリアにもかかわらず候補になるのですから、その実力は推して知るべし。
とても新人とは思えない腕前、かなり面白い歴史時代小説に仕上がっています。


舞台は戦国末期の会津地方。
400年にわたりこの地を治める芦名氏が、
伊達政宗に滅ぼされるまでを連作短編集のかたちで描いています。

当時、芦名氏では男系の嫡流が途絶え、
当主を常陸の佐竹氏から迎えるか、それとも仙台の伊達家から迎えるかで揉めていました。
その後、佐竹氏でいこうということで、いったん話はまとまりますが、
こんどは芦名側の反佐竹派と佐竹氏の家臣とのあいだで内紛が起きる。

タイトルにある「会津執権」というのは、
芦名氏家臣の金上盛備(かながみ・もりはる)を指します。
秀吉も目にかけるほどの卓越した政治手腕を持っていたようで、
芦名と佐竹、双方のあいだに立って、亀裂の修復にあたってきました。

しかしその努力も空しく、家中からは伊達家に内通する者も出てきて、
摺上原(すりあげはら)の戦いで芦名は伊達に滅ぼされてしまうのです。

作者の地元愛のなせるわざなのかもしれませんが、
まずこういう手垢にまみれていないテーマを選んだところが素晴らしい。

芦名家の内紛も、金上盛備の存在も史実とはいえ、
一般的にみれば「知る人ぞ知る」というレベルでしょう。
さんざん書き尽くされてきた戦国時代に、
「まだこんなドラマもあったのか」と読者は新鮮な思いで読むことができるはずです。

さらには、400年も続いた名家があっという間に凋落していく様は、
現代にも通じるところがあります。

なぜ芦名は潰れてしまうのか。
それは少しずついろんなことの歯車が狂っていくからなのですが、
意外にもその原因のひとつは、名執権とうたわれた金上盛備にあります。

金上盛備は何かを決断する時に、
これまで続いてきた体制を前提に決断をするんですよね。
でもこれはことごとく裏目に出ます。

これまでのやり方が通用しないことに当のリーダーが気づいていない。
ある日突然、経営破たんしてしまう現代の名門企業にも当てはまる話ではないでしょうか。


さて、本書はデビュー作というだけあって、
読んでいてもやはり作者の並々ならぬ気合が伝わってきます。

摺上原の戦いへとすべての要素が収斂していくように、
各短編が配置されるなど、構成も凝りに凝っている。

ただし気合が入り過ぎてしまったのか、
その仕掛けが目につきすぎてしまうということは、やはり指摘しておかねばなりません。

たとえば、無名の足軽にフォーカスした『退路の果ての橋』という作品。

ひとり戦地をさ迷う足軽は、逃げ遅れて物盗りとなった老婆と遭遇するのですが、
あることがきっかけで、その老婆の姿に、自分が慕っていた武将の姿を重ね合わせます。


「この先を行くのか。これから戦が始まるぞ」
老婆が立ち止まって、向きを変えた。
「けっ、うぬは怖いのか。わしはすべてを失くして、もう怖いものなどないわ」
そう言って、草原の斜面を下りて行く、白い蓬髪を乱した後ろ姿は、
この世のものとも思えない幽鬼のように見えた。
市川が纏っていた鎧の黒色と、老婆の髪の白色。黒と白とが混じり合うように、
市川誠士郎の姿と、荒れ野を彷徨う老婆の姿が重なった。


黒と白の対比が、ひじょうに図式的に描かれています。
しかも説明をし過ぎている。
気合が少し空回りし、狙いや意図が見えすぎてしまうと思うのは、
たとえばこういう箇所であったりするわけです。

このように、作者が頭の中でこしらえた構成や仕掛け、絵面や演出といったものが、
わりと無防備に出てしまっているところが隋所で見受けられます。

こういったところは、経験豊富な作家であれば上手く隠したり、
さりげなくほのめかして読者に想像させるところではないでしょうか。

面白いテーマを扱っているにもかかわらず、新人ぽさも目につく。

というわけで、今回のエントリーは顔見世的な側面が強いと思われます。

投稿者 yomehon : 00:02

2017年07月06日

第157回 直木賞直前予想(1) 『敵の名は、宮本武蔵』


では候補作を順にみていきましょう。

まずは木下昌輝さんの『敵の名は、宮本武蔵』 (KADOKAWA)です。

木下さんといえば、デビュー作『宇喜多の捨て嫁』(文春文庫)
いきなり第152回直木賞の候補作に選ばれたのが記憶に新しいところ。

この作品は直木賞こそ逃しましたが、
第2回高校生直木賞や第9回船橋聖一文学賞といった
複数の賞を受賞するなど、高い評価を受けました。
デビュー作で即、要注目作家になった並々ならぬ実力の持ち主です。

この『宇喜多の捨て嫁』の何が凄いって、
肉親を平気で裏切るなど戦国時代屈指の謀略家として知られた宇喜多直家を、
巷間伝えられている悪評とはまったくかけ離れた人物として描いてみせたことでしょう。

血の匂いふんぷんたるダーク・ヒーローが、
作者の筆によって浄化されていく様はまさに圧巻でした。


そんな実力派が剣豪・宮本武蔵を描くというのですから、面白くないわけがありません。

ただ、宮本武蔵は、信長や利休のように時代小説では手垢にまみれた題材であることも事実。
吉川英治から井上雄彦まで、これまで多くの作家によって描かれてきた武蔵像とどう差別化するのか、
興味津々で手に取りました。


ここで作者がとった手法は、武蔵その人を正面から描かないことでした。
武蔵に敗れた人物を描くことで、彼らの目に映った武蔵像を浮かび上がらせようとしたのです。

このたくらみは見事に成功しています。
敗者の目に映る武蔵は、これまで我々がみたことのない新しい宮本武蔵像です。


本書を読みながら思い出したのが、長谷川穂積さんのことでした。

長谷川さんは、バンタム級、フェザー級、スーパーバンタム級の3階級を制覇し、
昨年世界王者のまま現役を引退したボクシング界のレジェンドです。

以前、テレビ番組で彼が、敗者について語っていたことがとても印象的だったのです。

長谷川さんが語っていたのは、「自分が負かした相手のために戦う」ということでした。

もし自分が無様な負け方を喫してしまうと、
自分が負かした相手も「あんな弱い奴に負けたのか」と言われてしまう。
だから恥ずかしくない戦いをしたい。自分は敗者の人生も背負って戦っているのだ……。

長谷川穂積さんは大略、そんなことを述べていました。

本書で描かれる宮本武蔵は、まさにこの偉大な世界チャンピオンの言葉と重なります。

生死をかけて剣を交えた相手の最期はさまざまです。
ある者は武蔵によって死に場所を見つけ、またある者は武蔵に遺志を託して逝きます。
なかには生涯剣を手にすることが出来なくなり、別の道を見出す者もいる。

そうした者たちについて、武蔵自身が直接なにかを語ることはありませんが、
彼らの人生も背負って武蔵が歩き続けていることは、十二分に伝わってきます。
このあたりの作者の描き方は、あいかわらず上手い。

上手いといえば、武蔵の父親の宮本無二の描き方は、
『宇喜多の捨て嫁』における宇喜多直家の描き方を彷彿とさせます。

戦国最低の梟雄の呼び声も高い宇喜多直家を
純粋な魂の持ち主として描いてみせて読者をあっと言わせたように、
血も涙もない凶暴で粗野な宮本無二も、
読んでいるうちにまったく違った人物に見えてくるから驚きます。

この筆力は、もはや安定の域。
作者には怒られてしまうかもしれませんが、
野球にたとえるなら、7割ぐらいの力で剛速球を投げているような感じがするんですよね。

宮本武蔵は有名な人物ですし、佐々木小次郎はもちろん、
クサリ鎌のシシドだとか、吉岡憲法だとかの登場人物もよく知られています。

そのような読者とある程度共有できている知識をベースに書いているところが、
7割ぐらいの力に見えるところなのかもしれません。


宇喜多直家などはそれほど一般に知られた人物ではありませんから、
やはりデビュー作のほうが本作よりも、もっと全力投球している感じはありました。

本作は、安定銘柄です。
ただし、安定していればそれで良しかと言えば、そうでもないわけです。

すいすいと安定したピッチングをしている投手に対して、
「もっと全力投球したら、いったいどんなピッチングをするんだろう」と思ってしまうような、
そんな一読者としてのワガママな思いも抱いてしまうのでした。

投稿者 yomehon : 00:00

2017年07月03日

第157回 直木賞候補作 発表されてます!


7月の声を聞くと、直木賞の季節がやってきたなぁと思います。

第157回直木賞の候補作はすでに発表されております。
今回のラインナップは以下の通り。


木下昌輝 『敵の名は、宮本武蔵』 (KADOKAWA)

佐藤巖太郎 『会津執権の栄誉』 (文藝春秋)

佐藤正午  『月の満ち欠け』 (岩波書店)

宮内悠介 『あとは野となれ大和撫子』 (KADOKAWA)

柚木麻子  『BUTTER』 (新潮社)


なかなか面白い名前が並んでいます。

時代小説が2作。注目の書き手とまっさらの新人が並んでいます。

意外にも初エントリーのベテラン作家もいれば、
あらゆる作風で作品を発表し続ける気鋭の作家もいます。

それから今回は、モデル小説がエントリーしているのも面白い。

出版社では、KADOKAWAが2作品のエントリーで、
これはいやがおうにも版元は期待しちゃうでしょうね。
あと岩波書店がエントリーというのも珍しい。

選考委員会は、7月19日(水)に行われます。

当欄でまた受賞作を予想してまいりますので、お楽しみに!


投稿者 yomehon : 06:00