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2017年07月10日

第157回 直木賞直前予想(2) 『会津執権の栄誉』

続いては、佐藤巖太郎さんの『会津執権の栄誉』(文藝春秋)です。

実はこの方のことはまったく存じ上げませんでした。
それもそのはず。
この『会津執権の栄誉』が初めての著書となる新人作家なのです。

著者は福島県出身。東京でサラリーマン生活をしていたところ、
家の事情で故郷に戻ることになり、そこで東日本大震災を経験、
「やりたいことをやらなければ」という心境になり、初めての小説執筆にのぞんだそう。

そんな短いキャリアにもかかわらず候補になるのですから、その実力は推して知るべし。
とても新人とは思えない腕前、かなり面白い歴史時代小説に仕上がっています。


舞台は戦国末期の会津地方。
400年にわたりこの地を治める芦名氏が、
伊達政宗に滅ぼされるまでを連作短編集のかたちで描いています。

当時、芦名氏では男系の嫡流が途絶え、
当主を常陸の佐竹氏から迎えるか、それとも仙台の伊達家から迎えるかで揉めていました。
その後、佐竹氏でいこうということで、いったん話はまとまりますが、
こんどは芦名側の反佐竹派と佐竹氏の家臣とのあいだで内紛が起きる。

タイトルにある「会津執権」というのは、
芦名氏家臣の金上盛備(かながみ・もりはる)を指します。
秀吉も目にかけるほどの卓越した政治手腕を持っていたようで、
芦名と佐竹、双方のあいだに立って、亀裂の修復にあたってきました。

しかしその努力も空しく、家中からは伊達家に内通する者も出てきて、
摺上原(すりあげはら)の戦いで芦名は伊達に滅ぼされてしまうのです。

作者の地元愛のなせるわざなのかもしれませんが、
まずこういう手垢にまみれていないテーマを選んだところが素晴らしい。

芦名家の内紛も、金上盛備の存在も史実とはいえ、
一般的にみれば「知る人ぞ知る」というレベルでしょう。
さんざん書き尽くされてきた戦国時代に、
「まだこんなドラマもあったのか」と読者は新鮮な思いで読むことができるはずです。

さらには、400年も続いた名家があっという間に凋落していく様は、
現代にも通じるところがあります。

なぜ芦名は潰れてしまうのか。
それは少しずついろんなことの歯車が狂っていくからなのですが、
意外にもその原因のひとつは、名執権とうたわれた金上盛備にあります。

金上盛備は何かを決断する時に、
これまで続いてきた体制を前提に決断をするんですよね。
でもこれはことごとく裏目に出ます。

これまでのやり方が通用しないことに当のリーダーが気づいていない。
ある日突然、経営破たんしてしまう現代の名門企業にも当てはまる話ではないでしょうか。


さて、本書はデビュー作というだけあって、
読んでいてもやはり作者の並々ならぬ気合が伝わってきます。

摺上原の戦いへとすべての要素が収斂していくように、
各短編が配置されるなど、構成も凝りに凝っている。

ただし気合が入り過ぎてしまったのか、
その仕掛けが目につきすぎてしまうということは、やはり指摘しておかねばなりません。

たとえば、無名の足軽にフォーカスした『退路の果ての橋』という作品。

ひとり戦地をさ迷う足軽は、逃げ遅れて物盗りとなった老婆と遭遇するのですが、
あることがきっかけで、その老婆の姿に、自分が慕っていた武将の姿を重ね合わせます。


「この先を行くのか。これから戦が始まるぞ」
老婆が立ち止まって、向きを変えた。
「けっ、うぬは怖いのか。わしはすべてを失くして、もう怖いものなどないわ」
そう言って、草原の斜面を下りて行く、白い蓬髪を乱した後ろ姿は、
この世のものとも思えない幽鬼のように見えた。
市川が纏っていた鎧の黒色と、老婆の髪の白色。黒と白とが混じり合うように、
市川誠士郎の姿と、荒れ野を彷徨う老婆の姿が重なった。


黒と白の対比が、ひじょうに図式的に描かれています。
しかも説明をし過ぎている。
気合が少し空回りし、狙いや意図が見えすぎてしまうと思うのは、
たとえばこういう箇所であったりするわけです。

このように、作者が頭の中でこしらえた構成や仕掛け、絵面や演出といったものが、
わりと無防備に出てしまっているところが隋所で見受けられます。

こういったところは、経験豊富な作家であれば上手く隠したり、
さりげなくほのめかして読者に想像させるところではないでしょうか。

面白いテーマを扱っているにもかかわらず、新人ぽさも目につく。

というわけで、今回のエントリーは顔見世的な側面が強いと思われます。

投稿者 yomehon : 2017年07月10日 00:02