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2014年12月30日

寂聴さんにおやかりたい

『死に支度』(講談社)

『私何だか死なないような気がするんですよ』(集英社文庫)

投稿者 yomehon : 12:54

2014年12月18日

20年ぶりの再会


その日、ぼくは書店のシャッターが開くのをいまかいまかと待ちわびていました。

開店前から書店に並ぶなんて、最近では『妖怪ウォッチ』の新刊発売日くらいかと思っていましたが、
まさかあのコミックスを手に入れるためにこうして並ぶ日が来ようとは!


しかし『妖怪ウォッチ』の発売日には、父親らしきサラリーマンたちが何人も
殺気を放ちながらシャッターの前に陣取っているものですが、きょうは並んでいるのはぼくひとり。
どうやら世間の人には、この新刊コミックスの発売は事件というわけではないようです。

そんな馬鹿な!!
ぼくにとっては十分に事件です。
なにしろこれまで読んできた膨大なコミックスの中でもっとも好きな作品、浦沢直樹さんの大傑作
『MASTERキートン』(小学館)の完全なる新作が20年ぶりに発売されるのですから!


こんな面白い作品を不幸にもご存知ない方のためにちょっと説明させていただくと、
オックスフォード大学の修士課程(マスター)を卒業した考古学者で、
元SAS(英国特殊空挺部隊)のサバイバル教官という戦いの達人(マスター)でもある
平賀=キートン・太一がこの作品の主人公です。

キートンは、ヨーロッパ文明の起源がドナウ川流域にあるという持説を証明するために必要な
発掘資金を稼ぐために、保険会社がらみの探偵業務をしながら生計をたてています。

そんなキートンが次から次にいろんな事件に巻き込まれるわけですが、
そのたびに考古学の知識や、軍隊で身につけた技術を駆使して難局を切り抜けます。

インテリジェンスにあふれ、サバイバルテクニックにも通じた主人公というと、
完全無欠のスーパーマンを想像するかもしれませんが、
実際は大学に就職口を探しても博士号を持っていないからいつも講師どまりだとか、
奥さんからはとっくに愛想をつかされて離婚していて、ひとり娘にも叱られてばかりだとか、
人生がなかなか思うようにいかずにため息をついている、いってみればぼくらと同じような人物。

基本的にストーリーは1話完結ですが、
古代から現代にまたがる各国の歴史や神話、
紛争や戦争などを素材に練り上げられた深みのある物語と
浦沢直樹さんの素晴らしい画力とが奇跡的な融合を果たした傑作シリーズなのです。


そんな『MASTERキートン』が浦沢さんと、
長く浦沢作品でタッグを組んできた長崎尚志さんの手によって
『MASTERキートン Reマスター』として甦りました!

大傑作の20年ぶりの新作が読める。
これが事件でなくてなんでしょう。

さて、入手したばかりの『MASTERキートン Reマスター』をわくわくしながら開きます。

「!?」

いきなりショック!!

あのキートンが老眼鏡を手にしているではありませんか!!!


そう、20年ぶりに再会したキートンは、歳をとっていたのでした・・・・・・。

最初はそのことにものすごく違和感をおぼえました。
しかし読み進めるうちに、いつしかぼくは深い感動にとらわれていました。


年をとったいまも、キートンはヨーロッパ文明の起源を突き止めるという夢を諦めていませんでした。
大人になった娘・百合子ともちゃんと向き合っていた。

ずっと会えずにいた20年のあいだも、キートンは自分の人生をしっかりと生きていたのです。


ひさしぶりに旧友と再会したシチュエーションを思い浮かべてください。

白いものが目立つようになった髪、
目じりに刻まれた皺、
少し丸みをおびた背中などから、
あなたは旧友がどんな人生の時間を過ごしてきたかを感じ取り、
そしてあなた自身が歩んできたこれまでと重ね合わせるのではないでしょうか。


この作品が素晴らしいのは、
作中でくどくどと説明することなく、
浦沢さんがペンだけで、キートンが歳を重ねたことを表現していることです。

先日、NHKのEテレで放送された『浦沢直樹の漫勉』という番組で、
超一流のマンガ家たちが、それこそ一本の線の引き方に至るまで
どれだけ心血を注いでいるかを目の当たりにして圧倒されたのですが、
まさにこの新作においても、浦沢さんは線の力でもって
主人公が重ねてきた歳月を表現してみせるのです。
この、世界に類をみない技術力の高さ。


考えてみれば、主人公が読者とともに歳をとることができる、というのはスゴイことではないでしょうか。

マンガというジャンルが、それだけ分厚くて幅広い読者層を抱えているということでもありますから。


それにとても贅沢なことでもあります。

大好きな主人公も、自分と同じように歳をとっていく。

「お互い、歳をとったなぁ」

ページを開けば、まるで旧友に再会したかのような感慨をおぼえる。

こんな贅沢な読書体験、小説にだってそうそうありません。


マンガは、ここまで成熟したのか――。

旧い友人との20年ぶりの再会に、そんなことを感じさせられました。


投稿者 yomehon : 22:33

2014年12月08日

2014年ミステリー界に現れた新人作家


年末恒例の本のランキングがいろいろなところで発表されていますが、
国内ミステリーの今年の収穫として上位にランクインしているのが、
『闇に香る嘘』下村敦史(講談社)です。
(もう一冊は米澤穂信さんの『満願』ですが、こちらはすでに直木賞予想の際に ご紹介しました


『闇に香る嘘』は、第60回江戸川乱歩賞を受賞して話題になった一冊。


個人的に乱歩賞受賞作を夢中になって読んでいたのはいつだっけか?とふと思って
歴代受賞者を調べてみると、だいたい第37回(平成3年)から第49回(平成15年)あたりでしょうか。

真保裕一、桐野夏生、中嶋博行、藤原伊織、野沢尚、渡辺容子、福井晴敏、池井戸潤、
新野剛志、首藤瓜於、高野和明、赤井三尋……受賞者には錚々たる名前が並びます。
中には亡くなった方もいらっしゃるとはいえ、みなさんいまも第一線でご活躍中の方ばかり。


その後、やや乱歩賞への興味が薄れてしまったのは、
一部例外もあるとはいえ、
往時に比べると全体的に受賞作が小粒になったように感じられたからでした。

かつては豪速球でファンを沸かせるような大型新人が毎年出て来ていたのに、
気がついたら変化球主体のこじんまりとまとまった投球をする新人ばかりになっていたというか。

そんなふうに一時よりは熱が冷めていたものですから、
この第60回の受賞作には本当に驚かされました。
面白いもので、物事の節目にはちゃんとこういうメルクマールとなるような作品が出てくるのですね。

間違いなくこの作品は、今年のミステリー界の収穫といえるでしょう。


『闇に香る嘘』のすごいところ。
それは、主人公を目の不自由な人物に設定した点に尽きます。


中年になってから全盲となった元カメラマンの村上和久は、
腎臓移植が必要な孫娘のために、みずからの腎臓を提供しようとしますが、
検査の結果、適合しないことが判明します。
ならばと実家を継いでいた兄の竜彦に移植を頼み込むのですが、
なぜか兄は検査を受けることさえも拒否します。

頑なに検査を拒む竜彦に、村上は違和感をおぼえます。

実は竜彦は、中国で生き別れとなり、その後再会した残留孤児でした。
けれども竜彦が帰国した際、村上はすでに失明していて、兄の顔はみていません。

竜彦はほんとうに兄なのだろうか?
偽物ではないのか?

竜彦の態度に不審な点を感じるのと時を同じくして、
村上の身辺におかしなことが起き始めます。

兄の正体を探るべく、村上は白杖を手に真相を追い始めるのでした――。


物語は、目の見えない主人公の一人称で進行します。
この一人称の効果が絶大というか、
目が見えない人が抱く不安や恐怖がストレートにこちらに伝わってくるのです。

たとえば、自分の部屋に何者かがいて、じっとこちらの様子を覗っているように感じるとか。
あるいは、腕をひいて一緒に歩いてくれていた人が、突然何も言わずに姿を消すとか。

主人公の視界に映るものが、作品から取り除かれることで、
これほどまでに物語に緊張感が増すのかと驚かされました。


結果的に作品全体にもたらされた効果を考えれば、
主人公を目の不自由な人物に設定したのは成功といえるでしょう。

でもそれはあくまで結果論に過ぎません。
そのようなアイデアは同時に、作者にとてつもなく高いハードルを課すことにもなります。
なにしろ主人公が感じている感覚だけを頼りにするしか、物語を前に進める術はないのですから。

読みながらぼくは、かつて同じような高いハードルに挑んだ作品があったことを思い出していました。

孤高のハードボイルド作家・香納諒一さんの傑作『梟の拳』(徳間文庫)です。

この作品の主人公は、全盲の元ボクサーです。
世界チャンピオンにまで登りつめたものの、網膜剥離が原因で失明した主人公が、
原発利権を背景とした巨大な敵に徒手空拳で立ち向かうというストーリー。

単行本が出たのが1995年で、いま振り返ってみれば、
当時ここまで原発利権のことを突っ込んで描いたのも凄いのですが、
それよりも初読時には、目の見えない主人公の内面描写に圧倒された記憶のほうが強いです。

かつて世界チャンピオンだった主人公が、なす術もなく見えない敵に殴られ、足蹴にされる。

主人公の恐怖や屈辱、無力感があますことなく描き出されていて、
世の中にはとんでもない筆力の作家がいるものだと驚愕したおぼえがあります。


目が不自由な人物を主人公にした作品を読んだのはそれ以来になるわけですが、
『闇に香る嘘』がもっと評価されていいと思うのは、作者が新人作家であるという点にもあります。


主人公のキャラクター造型にここまで高いハードルを課したデビュー作がかつてあったでしょうか。

しかもその果敢な挑戦に作者は見事に成功している。

一人称の内面描写を追いながら、
どこかに綻びがあるのではないかと探してもみましたが、
その描写は終始緊張感を保ったまま、ただ一点の瑕疵もありませんでした。

高いハードルをたくましい跳躍力で超えてみせた作者の力量に拍手をおくりたいと思います。


選考委員の選評によれば、
この作者は乱歩賞の最終候補にこれまで5回選ばれたらしい。
4回も落選してもめげずに応募し続けた執念もまた、称賛に値するのではないでしょうか。

物語を書くという作業は、そういうしつこさがないと無理だと思いますし、
この作家はこれからも書き続けていくことのできる人なのではないかと感じました。

というか、そもそもデビュー作でここまで凄いのなら、
次回作はどれだけレベルが高いんだという話ですよ。


と思っていたら、講談社の「新刊速報」で、
2作目の『叛徒』という作品が2015年1月20日に発売されることを知り狂喜しました。

こんどの主人公は、新宿署の「通訳捜査官」らしい。

「家族を巡る贖罪の警察小説は、衝撃の結末を迎える」とあります。

ヤバい・・・・・・。こんどの作品もむちゃくちゃ面白そうです。

クリスマスも正月も早送りで、はやく1月20日にならないものか。

こんなふうに首を長くして新作を待つことができる作家と今年も出会えたことが、
ぼくはなによりも嬉しいのです。

投稿者 yomehon : 17:29