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2014年12月18日

20年ぶりの再会


その日、ぼくは書店のシャッターが開くのをいまかいまかと待ちわびていました。

開店前から書店に並ぶなんて、最近では『妖怪ウォッチ』の新刊発売日くらいかと思っていましたが、
まさかあのコミックスを手に入れるためにこうして並ぶ日が来ようとは!


しかし『妖怪ウォッチ』の発売日には、父親らしきサラリーマンたちが何人も
殺気を放ちながらシャッターの前に陣取っているものですが、きょうは並んでいるのはぼくひとり。
どうやら世間の人には、この新刊コミックスの発売は事件というわけではないようです。

そんな馬鹿な!!
ぼくにとっては十分に事件です。
なにしろこれまで読んできた膨大なコミックスの中でもっとも好きな作品、浦沢直樹さんの大傑作
『MASTERキートン』(小学館)の完全なる新作が20年ぶりに発売されるのですから!


こんな面白い作品を不幸にもご存知ない方のためにちょっと説明させていただくと、
オックスフォード大学の修士課程(マスター)を卒業した考古学者で、
元SAS(英国特殊空挺部隊)のサバイバル教官という戦いの達人(マスター)でもある
平賀=キートン・太一がこの作品の主人公です。

キートンは、ヨーロッパ文明の起源がドナウ川流域にあるという持説を証明するために必要な
発掘資金を稼ぐために、保険会社がらみの探偵業務をしながら生計をたてています。

そんなキートンが次から次にいろんな事件に巻き込まれるわけですが、
そのたびに考古学の知識や、軍隊で身につけた技術を駆使して難局を切り抜けます。

インテリジェンスにあふれ、サバイバルテクニックにも通じた主人公というと、
完全無欠のスーパーマンを想像するかもしれませんが、
実際は大学に就職口を探しても博士号を持っていないからいつも講師どまりだとか、
奥さんからはとっくに愛想をつかされて離婚していて、ひとり娘にも叱られてばかりだとか、
人生がなかなか思うようにいかずにため息をついている、いってみればぼくらと同じような人物。

基本的にストーリーは1話完結ですが、
古代から現代にまたがる各国の歴史や神話、
紛争や戦争などを素材に練り上げられた深みのある物語と
浦沢直樹さんの素晴らしい画力とが奇跡的な融合を果たした傑作シリーズなのです。


そんな『MASTERキートン』が浦沢さんと、
長く浦沢作品でタッグを組んできた長崎尚志さんの手によって
『MASTERキートン Reマスター』として甦りました!

大傑作の20年ぶりの新作が読める。
これが事件でなくてなんでしょう。

さて、入手したばかりの『MASTERキートン Reマスター』をわくわくしながら開きます。

「!?」

いきなりショック!!

あのキートンが老眼鏡を手にしているではありませんか!!!


そう、20年ぶりに再会したキートンは、歳をとっていたのでした・・・・・・。

最初はそのことにものすごく違和感をおぼえました。
しかし読み進めるうちに、いつしかぼくは深い感動にとらわれていました。


年をとったいまも、キートンはヨーロッパ文明の起源を突き止めるという夢を諦めていませんでした。
大人になった娘・百合子ともちゃんと向き合っていた。

ずっと会えずにいた20年のあいだも、キートンは自分の人生をしっかりと生きていたのです。


ひさしぶりに旧友と再会したシチュエーションを思い浮かべてください。

白いものが目立つようになった髪、
目じりに刻まれた皺、
少し丸みをおびた背中などから、
あなたは旧友がどんな人生の時間を過ごしてきたかを感じ取り、
そしてあなた自身が歩んできたこれまでと重ね合わせるのではないでしょうか。


この作品が素晴らしいのは、
作中でくどくどと説明することなく、
浦沢さんがペンだけで、キートンが歳を重ねたことを表現していることです。

先日、NHKのEテレで放送された『浦沢直樹の漫勉』という番組で、
超一流のマンガ家たちが、それこそ一本の線の引き方に至るまで
どれだけ心血を注いでいるかを目の当たりにして圧倒されたのですが、
まさにこの新作においても、浦沢さんは線の力でもって
主人公が重ねてきた歳月を表現してみせるのです。
この、世界に類をみない技術力の高さ。


考えてみれば、主人公が読者とともに歳をとることができる、というのはスゴイことではないでしょうか。

マンガというジャンルが、それだけ分厚くて幅広い読者層を抱えているということでもありますから。


それにとても贅沢なことでもあります。

大好きな主人公も、自分と同じように歳をとっていく。

「お互い、歳をとったなぁ」

ページを開けば、まるで旧友に再会したかのような感慨をおぼえる。

こんな贅沢な読書体験、小説にだってそうそうありません。


マンガは、ここまで成熟したのか――。

旧い友人との20年ぶりの再会に、そんなことを感じさせられました。


投稿者 yomehon : 2014年12月18日 22:33