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2007年05月28日

この人の人生をひと言で表現すると?


35歳以上は会社で人間ドックの受診を義務づけられているため、
毎年この時期は半日ドックを受診するのが恒例となっています。

受診年齢に達したときは、自分が35歳になったということよりも、
倍にすると70歳になるということのほうに驚き動揺しました。

ぼくには昔から自分の実年齢を倍にしてあれこれ考える癖があります。
いまの自分の年齢を倍にして考えてみると、まだ若いのか、それとも年をとったのかが
なんとなく見えやすくなるような気がするからで、
20歳になったときは「倍にしても40歳、まだまだ若い、時間はたっぷりある」と安心し、
30歳のときは「倍にすれば還暦なのだから、そろそろ腰を据えて事に当たらねば」と
気を引き締めたりしていました。

ところが35歳になったときは
倍にするといよいよ70の大台に手が届くということもあって、
これまでとはちょっと違う感情に襲われました。

もしかするとその頃自分はこの世にいないかもしれない。
そんな考えがふと頭をよぎり、愕然としたのです。


もしぼくが死んだとして、
その一生をひと言で表すとしたら
いったいどんな言葉が冠せられるのでしょうか。


人の長い一生をひと言で表現するなんてできっこない。
普通はそう思います。でも世の中にはそういうことが得意な人がいるのです。

ドイツ文学者の池内紀さんは、人生の「一筆書き」の達人です。
名人が筆をとり、短冊にさらさらと流れるように文字を書きつけるように、
池内さんは、ある人物の生涯を見事な一筆書きで描き出してみせます。


『あだ名の人生』(みすず書房)は、有名無名を問わず、
けれどいずれも「あだ名」でその人生が象徴できるような
24人の面白い人物を集めたエッセイ集。

世の中には、あだ名を聞いただけで
その人の人生がくっきりと浮かび上がってくるような人がいます。
わかりやすいところをあげると
「大いなる野次馬」(ジャーナリスト大宅壮一)、
「妖怪博士」(明治の哲学者井上円了)というように。


でも面白いのはそのような著名人よりもむしろ
あだ名を頼りに「これ誰だろう?」とページをめくり、
あまり世に知られていない奇人変人の生涯を知ることです。

たとえば「不二のかしく坊」。

不二は富士、つまり富士山のこと。
天下に二つとない山という意味から、昔は「不二山」とも書いたそうです。
一方、かしく坊というのは「かしく」という法名を持つ坊さんのこと。
というわけで「不二のかしく坊」は、
名峰富士に魅せられ、富士山のもとから離れられずにその生涯を終えた
変わり者の坊さんの人生を描いたエッセイなのです。


「ピカピカおじさん」なんてものもあります。

これは少年時代を別府で過ごしたぼくにはお馴染みの人物です。
そこかしこから湯煙があがり、硫黄のにおいがあたり一面に漂う別府温泉。
この別府を天下に知らしめたのが、「ピカピカおじさん」こと油屋熊八翁です。

小柄でガニ股、はげあがった頭に銀縁メガネをかけた油屋熊八は、
亀の井ホテルのオーナーとして日本で初めてバスガイドつきの観光バスを走らせ、
「山は富士、海は瀬戸内、湯は別府」のコピーを考案し全国に広め、
別府に続いて由布院温泉も開発するなど八面六臂の活躍をしたアイデアマンです。
(しかもこれらすべてを人生の晩年でやってのけました。熊八が初めて別府に来たとき、
彼はもう49歳だったのです)

この本には他にも「山田の伝助」「博物大名」「ランプ亡国論」「風船画伯」など
目次だけ眺めてもなんのことやらわからない(けれどもとても興味をそそられる)
あだ名が並んでいます。


考えてみれば、あだ名をつける行為というのは、
その人の美点であったり欠点であったりを抽出してみせるパフォーマンスです。
言い換えれば、ある人物の本質をつかみ出す行為ともいえるでしょう。


池内さんのあだ名付けの技術が作家に向けられると、
また思いもよらない貌が浮かび上がってくるから不思議です。

『作家の生きかた』(集英社文庫)は、
池内さんが愛する20人の作家の肖像を描き出したエッセイ集。

こちらはあだ名ではないけれど、
たったひと言で見事にその人の人生を表現してみせるところは同じです。
たとえば・・・・・・


「飲み助 吉田健一」
「妬み 芥川龍之介」
「借用 井伏鱒二」
「貧乏 林芙美子」
「ホラ 寺山修司」

なんとなくわかるでしょう?

面白いのは与謝野晶子で、タイトルは「子沢山」。
(与謝野晶子は12人の子を産みました)
一方、堀口大學をみると「腹話術」とタイトルがつけられている。
堀口大學なんていまそんなに読まれない作家ですから
思わず「なんだろう?」と興味をおぼえますよね。


ぼくが唸らされたのは田中小実昌を取り上げた最終章です。

田中小実昌ほどその実体をつかまえづらい作家はいません。

54歳で小説家としてデビューするまでは海外ミステリの翻訳家として知られ、
けれどもそれ以前となるとさまざまな職業を転々としていたようだけれど
経歴にはよくわからないところも多い。
ではその作品はといえば、特に強烈なメッセージがあるわけでもなく、
けれど読んだ者には忘れがたい余韻を残す不思議な作風で・・・・・・というように。

この田中小実昌を扱った章に池内さんがつけたタイトルは「生きのびる」でした。

そして池内さんの文章を読んだ後
ぼくの中で初めて田中小実昌の小説が呼吸を始めたのです。

ある人の文章によってある人の作品にいのちが吹き込まれる。
本を読んでいてたまらなく幸せな気持ちになるのはこういうときです。

投稿者 yomehon : 10:00

2007年05月14日

未来を指さす建築


人に対する好き嫌いはあっても
本に関する好き嫌いはまったくなし!
日頃からそんな本の博愛主義者を自認してはいるものの、
それでも我が家の本棚をみると、
なんとなく趣味の偏りのようなものが感じられるから不思議です。

気がつくといつのまにか増えているのが建築関係の本。
時々、自分はなぜこんなにも建築が好きなのだろうと考えます。

勉強のほうは数学がからきしダメだったので
そもそも建築学科に進もうなどと考えたことすらありませんし、
いつかこの手で理想の一戸建てを建ててやるなんて大それた野望を
抱いているわけでもありません。(貯金もないしね)

唯一、思い当たることといえば、
幼い頃、建築士だった祖父の事務所が遊び場で、
製図台に座らせてもらっては、
青焼きの設計図の裏に色鉛筆で思い思いに線を引き、
設計の真似ごとをしていたことくらいでしょうか。

まあ「好き」の理由なんてなんでもいいのかもしれません。

ぼくと同じように「とにもかくにも建築が好き!」という人には
たまらない展覧会が現在開かれています。

東京オペラシティのギャラリーで開催されている
「藤森建築と路上観察 第10回 ヴェネチア・ビエンナーレ建築展帰国展」

まだ藤森照信さんの建築に触れたことがない人には
ぜひ足を運んでいただきたい展覧会です。


藤森照信さんの建築はとても魅力的です。
その魅力をひと言で言えば、
「とても新しいにもかかわらず、どこか懐かしい」


藤森さんは東京大学で建築史を教える先生です。
専門は近代建築で、その分野では何冊もの著作があります。
同時に、かの有名な路上観察学会の中心人物でもあります。
このように、大学教授でありながら建築探偵でもあるというのが、
藤森さんに対する世間一般のイメージだったといえるでしょう。

だから、藤森さんが自ら設計した建築作品を発表したとき、人々は驚きました。

それが、これまで誰も目にしたことがないような建築物だったからです。


1991年に完成した「神長官守矢史料館」は、
古来より諏訪大社の祭祀を神長官(じんちょうかん)として司ってきた
守矢家に伝わる古文書などを展示する史料館です。

守矢家は古事記にも先祖が登場するほど歴史が古く、
現在の当主で78代目を数えるのですが、
この78代目が藤森さんと幼なじみだったことなどが
設計を手がけるきっかけとなったようです。

こうして誕生した建築家・藤森照信の記念すべきデビュー作
「神長官守矢史料館」は、建築界に衝撃を与えました。

藁を混ぜたモルタルと、焼いた杉板がコントラストをなす壁、
諏訪大社の御柱を思わせる屋根からニョキッとのびた柱。

それはまるで、縄文時代の建築物が現代に甦ったような建物だったのです。


以来、藤森さんは数々の話題作を発表し、建築界に旋風を巻き起こします。

ぼくがもっとも好きなのは、長野県茅野市にある「高過庵」という作品。
この建物は信じられないデザインをしています。
高さ6メートルの2本のクリ材のうえに
小さな小屋がちょこんとのった様子は、
きっと古代縄文のムラにあった物見小屋は
こんな感じだったのではないかと思わせます。
けれどこの不思議な建物の用途が茶室だというのですから驚きます。


藤森照信さんの建築の特長は、
奇想天外でありながらどこか懐かしさを感じさせる点にあります。

現代の建築にはみられない古代から抜け出してきたような奇抜な造形。
けれどもその造形は、奇抜でありながらも決して受けいれがたいものではありません。
古代から受け継がれてきたぼくらのDNAの記憶に
ダイレクトに訴えかけてくるかのような懐かしさを帯びています。


このようにきわめて独創的な作品を生み出す藤森さんの
建築に対する考えがもっともよくわかるのは、
『人類と建築の歴史』(ちくまプリマー新書)という本です。

この本のなかで藤森さんは、人類の建築の歴史は
アメ玉を紙で包んで両端をねじったような形をしている、と言います。

人類が最初に建てた家は、木の柱に獣皮や樹皮をかぶせた円形の家でした。
新石器時代のことです。その後、文明が誕生し、四大宗教が現れ、
世界各地で多様な建築物が生み出されますが、20世紀になると、
コンクリートとガラス窓の画一的なモダニズム建築が世界中にひろがります。

最初、人類の建築はたったひとつのスタイルしかなかったのが、
その後、多様性の歴史を経て、20世紀にふたたび画一的なものとなります。
藤森さんはこれを、1万年して人類の建築の歴史が振り出しに戻った、と言います。

藤森さんの建築家としての強みは、
建築をこのように人類の長いながい歴史的スパンのなかで
とらえているところにあるのではないかと思います。


1万年たって振り出しに戻った建築は、これからどうなっていくのでしょうか。

「藤森建築と路上観察展」では、
建築家であり歴史家でもある藤森さんが考える
未来の建築もみることができます。

会場で靴を脱ぐように指示される一角があり、
茶室の躙り口のような入り口をくぐりぬけると、
目の前に巨大な土の柱がそびえ立っています。
人工物なのか自然の造形物なのか、
その境目すら曖昧なその建築物こそが、
藤森さんが夢想する未来の建築。これだけでも一見の価値ありです。

藤森照信さんの建築は、
「住むこと」に対するぼくらの固定観念を柔らかくほぐしてくれます。
展覧会は7月1日まで。
ぜひ足を運んでみてください。

投稿者 yomehon : 10:00

2007年05月04日

驚異の2打席連続ホームラン


小説の世界では時おり、デビュー作でいきなり大ブレイクする作家が現れます。
けれどデビュー作が大成功をおさめた作家は、ほぼ例外なく2作目で失敗します。
失敗、という表現がキツすぎるなら、2作目は影が薄いと言い換えても構いません。

確かめてみましょう。
たとえば村上龍さんのデビュー作は何でしょうか。
この質問に答えるのはそんなに難しいことではありません。
そう。ベストセラーとなった『限りなく透明に近いブルー』です。

では2作目は何でしょう???
この問いに即答できる人はそうそういないはずです。
(答えはこちら)

同じようにデビュー作がベストセラーとなった田中康夫さんはどうでしょうか。
彼のデビュー作はこれもまた有名な『なんとなく、クリスタル』ですが、
では2作目はとなると、もはや知っている人はほとんどいないのではないでしょうか。
(答えはこちら)

ことほどさようにデビュー作が成功した作家にとって
2作目というのは難しいものなのです。


万城目学さんが『鴨川ホルモー』という変なタイトルの作品をひっさげて
突然ぼくらの前に姿を現したのは昨年のことです。
一読、そのあまりの面白さと新しさに驚愕したぼくは、
8月23日付のブログでこの本を取り上げました。

『鴨川ホルモー』は京都の大学を舞台にした青春キャンパス小説です。
でもただの青春小説ではありません。
京大生の主人公が、「ホルモー」という奇妙な名前の
オニを戦わせる競技にかかわるはめになるという、実に奇抜な設定の小説なのです。

オニ語を操り、式神を使役し、相手チームと戦うという競技の面白さもさることながら、
若者にありがちな恋の悩みであるとか、
京都ならではの風物詩であるとかもしっかり盛り込まれていて、
読み始めると止まらない見事なエンターテイメント小説に仕上がっていました。

当然のことながらこの作品は話題となり、
先日の本屋大賞でも多くの書店員の支持を集め、
デビュー作にしていきなり上位に食い込むという快挙を成し遂げました。


このようにデビュー早々大成功をおさめた万城目学さんが
2作目として世に問うたのが『鹿男あをによし』(幻冬舎)です。
さて、はたしてこの作品に「2作目のジンクス」は当てはまるのでしょうか。


物語の舞台は奈良。
主人公は大学院で人間関係に行き詰まり、
女子校に理科の代理教員として赴任した青年です。

冒頭では、生徒にからかわれて主人公が大人げなくキレたり、
キレたことに対して自己嫌悪に陥ったり、
いかにも学園ものな感じの場面が続きますが、
主人公が鹿に話しかけられるところから(!)
物語はあらぬ方向に動き始めます。


奈良を訪れたことのある人であれば
「そうそう!」と頷いてくれるのではないかと思いますが、
あの街にはあっちにもこっちにもこれでもかというくらい鹿がいます。
鹿が道路を悠々と横切り、そこらかまわずプリプリと糞を落とし、
観光客とみれば鹿せんべい目当てにわらわらと寄ってきます。

奈良において鹿はひとつの風景です。
まわりに鹿がいるのが当たり前になっている。
でもいくら鹿が日常の風景のひとつだからといって、
その鹿がいきなり話しかけてきたらいくらなんでも驚きます。

人目につかないところでこっそり鹿せんべいを食べてみた主人公に
「鹿せんべい、そんなにうまいか」と話しかけてきた鹿は、
「神無月だから先生の出番だ」「目を探せ」などと訳のわからない命令を下します。

鹿はなぜ言葉をしゃべれるのか。
「目」とはなにか。
主人公はどんな使命を負わされたのか。

ここまでくるともう、一読、巻を措く能わず。
あっという間に読み終えたあなたはきっと、
この作品がデビュー作を凌ぐほどの傑作であることを知り驚くことでしょう。


『鹿男あをによし』の物語の構造は、前作『鴨川ホルモー』と似ています。

主人公の安定した日常が、
突拍子もない出来事によって
ガラガラと音をたてて崩れていく一方で、
大昔から僕らの日常を裏でひっそりと支えていた別の原理が姿を現す。

『鴨川ホルモー』の場合、
物語が進むうちに姿を現してきたのは、
平安期の陰陽道でした。

『鹿男あをによし』でもその構造は同じ。
ただしネタとなっているのは、
平安よりもはるかに時空を遡る弥生時代。
この時代にいくつものクニを統一して
女王として君臨したある人物が物語の鍵となります。

けれども物語の構造(パターン)が同じだからといって、
『鹿男あをによし』が前作の二番煎じというわけではありません。

『鹿男あをによし』を読む人は、
この作品がある小説と似ていることに気がつくはずです。

都会から地方の学校に赴任してきた
正義感に燃える若き主人公が騒動を巻き起こすお話といえば?

そう、『坊っちゃん』です。

『鹿男おをによし』は『坊っちゃん』ととてもよく似ています。
(もっといえば漱石の『坊っちゃん』+カフカの『変身』=『鹿男』なんですが、
これ以上あれこれ言うとネタばらしになってしまうので控えておきます)

たしかに前作とパターンは似ているかもしれない。
けれども、前作をはるかに凌ぐ読後感の爽やかさがこの小説にはあります。
青春小説としてみた場合、こちらのほうが優れているのではないかとさえ思います。

それはきっと『坊っちゃん』を思わせるような主人公と
テンポの良い文章のせいではないでしょうか。


つい先日のこと。

三浦展さんの新刊『吉祥寺スタイル』(文藝春秋)を読んで
ひさしぶりに吉祥寺の街を歩いてみたくなって、
あちこちお店をのぞいていると、パルコの地下のリブロで
『鹿男あをによし』がワゴンに山積みで売られているのを見つけました。

見ると手書きのPOP広告に「吉祥寺在住!」と書いてあります。
「へぇ~そうなんだ」と呟きながら、ふと考えました。

出身は大阪で、デビュー作で京都、2作目で奈良と、
歴史が層をなすような街を取り上げてきた万城目学さんが、
東京を舞台に小説を書く日は来るのだろうかと。

もしそのような作品が書かれることがあるのならぜひ読みたい!

初打席から2打席連続でホームランを放った
この才能あふれる作家から、
ぼくはもう目を離すことができません。

投稿者 yomehon : 10:00