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2006年08月30日

悪口の効用

時々いますよね。
口を開けばキツーイひと言。
でもなぜか憎めないキャラクターという人が。

2004年に出た『文学賞メッタ斬り!』(PARCO出版)で話題になった
大森望・豊﨑由美のお二人は、まさにそんな得難いキャラの持ち主です。

なにしろ『文学賞メッタ斬り!』では
多くの作家がやり玉にあげられボロクソにけなされています。
けれどもそれが読む者にまったく不快な印象を与えないのは、
ふたりの毒舌に文学に対する深い愛が込められているのを感じるからです。

それだけではありません。
悪口が芸になっているのも素晴らしい。

大森・豊﨑コンビの悪口は、他人を貶めるようなものではなく、
とり澄ました相手を指さして「王様は裸だ!」と叫ぶようなもの。

しかも彼らの悪口にはあらゆるバリエーションがあります。
「王様は裸だ!」だけではなく、
「王様はデブだ!」とか「王様は足が臭い!」とか
「王様のナニがはみ出ている!」とか。
次々と繰り出される悪口の巧みさに、読者は拍手喝采を送ったのでした。


『文学賞メッタ斬り!』が出て以来、
芥川賞や直木賞の選考会が開かれるたびに
「あのコンビならどう斬るだろう」と気になって仕方がなかったのですが、
このたびめでたく第二弾『文学賞メッタ斬り!リターンズ』が発売されました!!


新たに島田雅彦氏を迎えての鼎談がおさめられていたり
W杯形式で第一回「文学賞メッタ斬り!」大賞を選んだりと
前作にも増して内容は濃くなっています。


文学賞の各選考委員に対する辛辣な意見もあいかわらず。
たとえば●●●●センセイなんて(大物すぎるのでさすがに伏せ字)ボロクソです。
いくつか抜き出してみましょう。


「豊﨑  でも、●●●●みたいに、小説が読めないくせして選考委員を
山ほど引き受けている人もいますよね  」(16ページ)


「豊﨑  しかもさあ、●●●●って人物造形人物造形っていつもうるさいけど、
      あんたの人物造形はどうなんだってことですよ。(略)
大森   百三十二回の受賞作『対岸の彼女』(角田光代)の選評にはこんな一節も。

      一部のバイオレンスや時代小説のように、男性だけの話に終始して、
      存在感のないステレオタイプの女しか登場しない小説もあるのだから、
      本作のような作品が評価されても当然ともいえる。

豊﨑   それ、まんま御前様の小説だろう!“存在感のないステレオタイプの女しか  
      登場しない“御前様の小説なんだよっ! 」(80ページ)


とまあ、こんな具合。
ひどい言われようです。
でも『文学賞メッタ斬り!リターンズ』での●●●●センセイに対する
大森・豊﨑コンビの意見は全面的に正しい、とぼくは思います。


たとえば●●●●センセイの話題になった恋愛小説をみてみましょう。


女の手の動きを見たとき、菊治はなぜともなく、風の盆を思い出した。


この小説はこんな書き出しで始まります。
売れない作家である主人公が、ホテルでファンだという女性と出会う場面。


冬香の手が動いたのは、そのときであった。
傾きかけた陽が眩しいのか、左手をそっと額にかざす。
菊治はそのまま、掌を見せた女の細っそりとした指のしなりに見とれていた。
やわらかそうな掌だ、そう思った瞬間、なぜともなく、越中おわらの風の盆で見た、
踊り手の動きを思い出した


相手の女性の手の動きをみて越中おわら風の盆を思い出す、
その妄想力のたくましさに
「このエロじじぃ!」と
多少ツッコミを入れたい気はしますが、まあそれはいいでしょう。

問題はこのあとです。


「あのう・・・・」
菊治がつぶやくと、冬香は慌てたように額から手を引いた。
「おわらを、踊ったことは?」
冬香は一瞬、悪いことを見つかったように目を伏せてから、かすかにうなずいた。
「少しだけ・・・・」 


あ、ありえない・・・・。
ぼくは冒頭わずか2ページのこのやり取りだけで唖然としました。
どう考えてもありえないだろう、この展開は。

相手の女性にたいして何を妄想しようと勝手ですが、
信じられないことにその妄想を口にし、
さらに信じられないことにその妄想のとおりに事が運んでいく。

こういうのを世間では「御都合主義」というのではないでしょうか??


ダメ押しでつけ加えておくと、
このやり取りの後は、


「どうして、わかったのですか」
「ただ、なんとなく・・・・」
「凄いな、先生・・・・」

みたいな会話が続きます。
小説を読み慣れた人で、
もしこの先を読み続けられる人がいたとしたら
その人はそうとうに忍耐強いと思います。


小説はフィクション(虚構)です。
本来、フィクションはフィクションとして楽しむべきもの。
ですから小説の登場人物と作者を重ねあわせて読んだりするのは
幼稚な読み方ということになります。

でも、●●●●センセイの小説には明らかに
●●●●センセイの女性観が色濃く投影されています。
たとえばそれはこんな女性だったりします。


不倫旅行で高級温泉旅館に連れて行くと
「前は誰と来たのかしら」と拗ねてみせ、
床のなかでは男の性技によって初めてほんとうの快感を知り、
床のなかでは男のテクニックによって豹変し乱れに乱れ、
男の命令に従ってどんな淫らなことでもやり、
男の胸に顔をうずめ「あなたって、ずるい」と言い・・・・・


心ある女性が読めば頭にくることうけあいのステレオタイプな女性像が描かれています。
こういう人が権威ある文学賞の選考委員をつとめているのですから、
大森・豊﨑コンビが悪口のひとつも言いたくなるのもうなずけます。

いまいちばん面白いのはこの小説!
いま読むべきはこの作家!

文学賞は僕ら読者にそういうことを指し示してくれるものであってほしい。
選考委員はそのための良き導き手であってほしいと思います。

ですから、いい加減な選評を垂れ流して恥じない者がいれば、
たとえそれが文壇の大物だろうと
ぼくらは遠慮なく悪口をぶつければいいのです。

「王様は裸だ!!」と。

投稿者 yomehon : 10:00

2006年08月28日

1年間待ったノンフィクションがついに!

「次回作はどんなテーマでお書きになるんですか?」

あれは1年前のこと。
『ナツコ 沖縄密貿易の女王』というノンフィクション作品を読んで
「これは今年いちばんのノンフィクションに違いない!!」と大コーフンしたぼくは、
さっそく著者の奥野修司さんを番組ゲストとしてお招きしたのでした。

収録が終わって奥野さんと世間話をしているときに、
ふと次はどんなテーマを準備していらっしゃるのだろうと思い、
軽い気持ちで聞いてみたのです。
ところが奥野さんから返ってきた答えに、ぼくは耳を奪われました。

「30年以上前に起きたもうひとつの“酒鬼薔薇事件”を書こうと思っています。
実はもう何年も殺された少年の遺族を取材しているのです」

もうひとつの“酒鬼薔薇事件”だって??
“酒鬼薔薇事件”というからには犯人は少年なんだろうけど、
それにしても、30年以上も前にそんな猟奇的な事件があったなんて・・・。

さらに奥野さんは驚くべきことを口にしました。

「しかも加害者の元少年は、現在は有名な弁護士として活躍しています。
その一方で、殺された少年の遺族はいまも事件の後遺症に苦しんでいるんですよ」


『心にナイフをしのばせて』(文藝春秋)は、その待ちに待った成果です。
夢中で読み始めて、気がつくと、1年間も待った作品であるにもかかわらず
たった1日で読み終えてしまっていました。


事件が起きたのは1969年(昭和44年)の春です。
神奈川県にあるカトリック系の私立高校で、
入学して間もない少年Aが同級生をナイフでメッタ刺しにしたうえ、
首を切断するという凄惨な事件が起こりました。

殺された少年は加賀美洋くんといいます。
少年Aとは中学時代からの同級生でした。
加賀美くんは背が高く、登山を愛する明るい子供だったそうです。
家族はメーカーに勤務する父と社会保険事務所でパート勤めをする母、
それに3歳下の妹がいました。

『心にナイフをしのばせて』は、序章から終章まで
ぜんぶで13の章からなりますが、そのうちの実に2章から11章までが
被害者の加賀美家の記述に費やされています。

愛する息子を喪ったが親がどんなふうに壊れていくか。
兄を殺された妹がどんなふうに道行く人に指をさされるか。
母親はショックでどんなふうに記憶を失い、
父親はどんなふうに歯をくいしばって悲しみに耐えようとするか。

圧倒的なディテールをもって、被害家族の「その後」が語られていきます。


2004年度の数字ですが、
政府が犯罪加害者の更生にかける支出は年間約466億円。
これに対し、被害者のための予算はわずかに11億円なのだそうです。

「更生」の名のもと、加害者に対しては国家の手厚い保護がなされ、
被害者側にはなんのケアもない。
その法律の不備が加賀美家に地獄をもたらしたのです。


少年Aが事件後、どんな人生をおくって弁護士になったかについては
ぜひ本でお読みください。
元少年Aは弁護士になってから被害者の母親と接触します。
ここで彼が母親に対して示した言動や行動に、多くの読者はショックをおぼえることでしょう。

 
最後に、このノンフィクションが独特のスタイルで書かれていることにも
触れておかなくてはなりません。
奥野さんは、加賀美家のその後をまとめるにあたって、
ノンフィクション作品ではひじょうに珍しい、
母親や妹が一人称で語るスタイルを採用しています。
より正確にいえば、彼女たちの記憶が欠けている部分は
奥野さんが取材して補足したうえで、モノローグとして再構成する手法をとっています。

この試みは成功しています。
事件以後、ずっと悪い夢のなかに閉じこめられ続けているような感じが
延々と続くモノローグによってよく伝わってくるからです。
それだけではありません。この手法の工夫からは
「なにがなんでも被害者の声を伝えよう」という奥野さんの思いも感じられます。


奥野修司さんは取材力に定評のあるジャーナリストです。
去年、大宅壮一ノンフィクション賞や講談社ノンフィクション賞をダブル受賞した
『ナツコ』を執筆したきっかけは、飲み屋でオジィやオバァが懐かしそうに
「ナツコ」という名前を語るのを聞いて興味を持ったことだったそうですが、
いざ取材を始めてみると文献資料などの手がかりがまったくなかったそうです。

平凡な記者ならそこであきらめるでしょう。
しかし奥野さんは違います。
ナツコの出身地だという糸満へ行き、バス停で降りると、
まず目の前にあったタバコ屋に飛び込み、そこから一軒、一軒、しらみつぶしに
「ナツコさんを知っていますか?」と尋ねてまわったといいます。
この話を奥野さんからうかがったときには、
「本物の記者というのはこういう人のことを言うのだろうな」と溜め息がでました。

今回も被害者の心の扉を開くのに、奥野さんは誠実な努力を重ねています。
超一流のジャーナリストによる執念のルポルタージュ『心にナイフをしのばせて』
ぜひ多くの人に手にとっていただきたいと思います。

投稿者 yomehon : 10:00

2006年08月23日

新しい小説の「方程式」

「あのさ、その小説がどんな話かというとね、
大学に入学したばかりの新入生がサークルの新歓コンパで
すごく可愛い同級生の女の子に出会って恋しちゃうわけよ・・・」

もしも、読んだことのない小説についてこんなふうに説明されたら、
あなたはその小説を「読んでみたい!」と思いますか?

思わないな。きっと。
だって、キャンパスで新しい出会いがあって、みたいなストーリーは
あまりにもありふれたものだし。
そんな小説、わざわざ読みたいとは思わない。


じゃあもっと詳しく、
たとえばこんなふうに説明されたらどうだろう?

「そのサークルっていうのが変わったサークルでね、
新入生の上は3回生しかいない、つまり2回生が存在しないんだ。
2年ごとに新しいメンバーが加わるという奇妙なルールがあるんだよ。
しかも驚くなかれ、現在のサークルの会長はなんと第499代目になるんだ!」


そんな面白そうな小説、読みたいに決まっている!!


『鴨川ホルモー』万城目学(産業編集センター)は、
いってみればルーキーが初打席でいきなり放ったホームランのような小説。
いやーおみそれしました。
この発想力、筆力、新人作家のデビュー作とはとても思えません。


そもそも「鴨川ホルモー」とはなにか。

Q:まず「鴨川」とは?
A:これは簡単。京都の鴨川です。

Q:では「ホルモー」は?
A:これはですね、京の都に代々伝わる競技の名称です。

Q:どんな競技?
A:うーん、説明が難しい。あのですね、ホルモーとは、
 式神や鬼を自由に使って行うある種の対戦型競技です。

Q:えっ!?その競技はどこかで観戦できたりするんですか?
A::できません。ふつうの人には鬼はみえないのです。
  特別に選ばれ、訓練をつんだ者だけが鬼を呼び出し、使役することができます。


そう、この小説は、
「ホルモー」という、京の都で千年の長きにわたって伝えられてきた
伝統を受け継ぐハメになった大学生を主人公にした、類例のない青春小説なのです。


陰陽道に詳しい人はご存知だと思いますが、
京都は御所を中心に、東に青龍、西に白虎、南に朱雀、北に玄武と配置された
四神に守られた都です。

そしてちょうどこの位置には、うまいぐあいに大学があるのです。
すなわち東は京都大学、西は立命館、南は龍谷大、北は京都産業大学。

さらにこの4大学にはホルモーを競い合うサークルが存在します。
すなわち京大青龍会、立命館白虎隊、龍谷大フェニックス、京産大玄武組。
この4サークルが行う対抗戦が「ホルモー」というわけです。

「ホルモー」のルールを簡単に説明しましょう。

1チームは10人。1人につき、100匹の鬼が使えます。
競技者は「鬼語」を使って鬼を自由に動かし、敵の鬼と戦わせます。
ですから、ゲームが行われる場所(神社であったり河原であったりします)には、
20人の競技者と、彼らに使役される2000匹の鬼がひしめきあうことになります。

試合はどちらかのチームの鬼が全滅するか、
どちらかの代表者が降参を宣言するまで続きます。

ちなみに「ホルモー」というのは、
勝負を続けられなくなった競技者が最後に耐えきれず叫ぶ言葉。
敗者は声の限りを尽くしてこの言葉を絶叫しなければなりません。

なぜ「ホルモー」などという響きの言葉なのかについては
物語の最後のほうで明らかにされます。
また、「ホルモーーー!!」と絶叫して脱落した競技者には、
試合後、「ある変化」がおきます(うーん、ここでバラしてしまいたい・・・)。

どうですか?「読んでみたい!」と思いませんか?

この小説の面白さは、
「陰陽道」と「スポーツ」と「青春キャンパスライフ」というバラバラな要素を
三題噺のように見事に結びつけてみせたところにあります。

まさか「陰陽道」+「スポーツ」+「青春キャンパスライフ」の方程式から
こんな面白い小説が生まれるなんて!

異質な要素を結びつけることで、これまでみたこともないような物語が生まれる。

ぼくはこの方程式こそ、いま多くの若手作家によって書かれている
ライトノベルに代表されるような新しい小説に共通した方程式ではないかと
にらんでいます。

そんな時代の最先端をいく小説についてのお話は、いずれまた機会をあらためて。    

投稿者 yomehon : 23:30

2006年08月16日

永田町の名言

我が家はいちおう夫婦共働き。
でも、なぜか稼ぎはすべてヨメが管理しています。
「それはおかしい。財布は別にしよう」とたびたび提案しているのですが、
「あんたにお金の管理をまかせると全部遣ってしまうからダメ!」だといいます。
「ではせめて貯金の額を明らかにせよ」と迫っても、
「そんなものは知らなくていい!」とにべもありません。
そんなわけで、ぼくはいま我が家にいくらお金があるか知りません。

いいのだろうか、こんなことで。
いいわけがないだろう、こんなことでは。

そう考えて、「我が家のバランスシートを明らかにせよ!」と要求しているだけなのに 
ヨメは頑として拒むのです。
どうもヨメには世間並みの常識というものがまったく通じないらしい。


世間の常識が通じないといえば、
ヨメ以外に思い浮かぶのが「永田町」。

たとえば永田町にはこんな言葉があるそうです。


「政治家の約束は紙に書いたら破れる」


すごいですねー。
世間ではふつう、紙に書いたら証拠になる、と考えます。
でも永田町ではそうではない。逆なのです。

ちなみにこの言葉は、先頃お亡くなりになった橋本龍太郎氏のもの。
ある人物を幹事長にすると一筆書いてくれと頼まれた橋本さん、
こう答えたそうです。

「政治家の約束は紙に書いたら破れるよ。口約束というのは破りようがないが、
紙はピーッと破いたらおしまいだからね」


『永田町の回転ずしはなぜ二度回らないのか』(小学館)は、
政治家の名言や永田町に伝わる格言をあつめた一冊。
著者は、90年代を通じてさまざまな新党の事務局長を務め
「新党請負人」の異名をとった、政治評論家の伊藤惇夫さんです。

内閣改造を目前に控えたある時、伊藤さんは知り合いの代議士と話をしていました。
ふだんは穏やかで、永田町人士には珍しく欲望とは無縁にみえた代議士が、
いつもと違いそわそわとしています。
「やっぱり大臣になりたいんですか」
幾分、皮肉をこめた伊藤さんの問いに、代議士は恥ずかしそうにこう呟いたそうです。
「昔からいうじゃないか、
『永田町の回転ずしは一度取り損なったら二度と回ってこない』って」

心のなかで「なるほど!」と膝を打った伊藤さんは、
それ以来、「永田町の名言・格言」の収集家となりました。
そのコレクションの一端をまとめたのがこの本、
『永田町の回転ずしはなぜ回らないのか』というわけです。


ぱらぱらと眺めていて思うのは、
いかにも名言然とした言葉が意外に面白くないことです。
たとえば、


「10年先を思う者は木を植える。100年先を思う者は人を植える」


後藤田正晴氏の言葉です。
なんか経営者あたりにウケそうな言葉ですが、
明らかにこれ、ご本人は名言っぽさを意識して口にしていると思います。
披露宴などで何日も前から準備された挨拶みたいな
練りに練った感じがあって、ぼくにはあまりグッときません。

むしろ深い味わいがあるのは政治家がふともらした言葉です。


「一瞬が意味あるときもあるが、10年が何の意味を持たないこともある」


この言葉の主は大平正芳氏。
1978年(昭和53年)、福田赳夫氏と自民党総裁選を争って勝利した直後に
側近にもらした言葉だそうです。
この時の総裁選は圧倒的に「福田有利」といわれていました。
しかし福田氏に怨念を抱いていた田中角栄氏の号令のもとに田中派が動き、
形勢が一気に逆転したのです。
政治は時として予測不可能なほどのダイナミズムをみせる。
そのダイナミズムの前では努力など意味をなさないこともある。
コツコツと努力するタイプだった大平氏の述懐だけに重みがあります。


このほかにも
「人間は間だよ」(田中角栄)
「政策に上下なし、酒席に上下あり」(渡辺美智雄)
「尻尾が犬を振る」(渡辺恒三)
などユニークな言葉がたくさん出てきますが、
実はこの本のなかでいちばん面白いのは
「詠み人知らず」の格言ではないかと思います。
たとえば・・・・


「受けた恩は仇で返せ。かけた恩は一生忘れるな」


政治家とだけは友達になれそうもありません。

投稿者 yomehon : 10:00

2006年08月10日

痛快無比のピカレスク時代劇!

「面白い小説は一気に読み切るべし!」

読書に関する秘伝の奥義書がもしあったなら、
そこには絶対にこう記されているはずです。

一気に読み切れなかった場合はどうなるかといえば、
読みかけの小説を入れたカバンが
まるで大金でも入っているかのように始終気になるようになり、
営業の途中で喫茶店をみつけると無性に入りたくなり、
スポンサーさんの前で話をしているときも一刻もはやく切り上げて
再び続きを読みたくてたまらなくなってしまうという、悲惨な状態に陥ります。

ぼくも最近、不覚にも読み終わらなかった小説のために、
まったく仕事の手につかない一日を過ごすハメになりました。

『悪忍』海道龍一朗(双葉社)は、加藤段蔵という天才忍者を主人公にした
めっぽう面白い時代小説です。

この加藤段蔵、伊賀や甲賀といった忍者の“名門”を敵に回し、
たびたび命を狙われながらも、類い希なる強さで生き延びる“抜け忍”なのです。

段蔵の強さとは、ひとことでいえば“生き延びるためには手段を選ばない強さ”。
たとえば物語の冒頭からすでに加藤は手段を選びません。
冒頭、湯女と寝ているところを伊賀者に襲撃された段蔵は―――、


「段蔵は素早く眠りこけた湯女の乱れ髪を掴み、己の前に引きずり起こす。
ぎゃあぁ。
悲鳴とともに女の背中から段蔵の鼻先に向けて忍者刀の切先が飛び出る。
咄嗟に湯女を楯にしたこの漢の顔に生温い血飛沫が降った。
二人の忍者が同時に女の首と心の臓を突き刺し、湯女は何が起こったのか
わからないまま一瞬で絶命していた。
段蔵はその背中を蹴り上げ、正面から襲いかかった敵に向けて突き放す。
同時に自らはくるりと後転して身構えた。左手には枕の下に忍ばせてあった
短刀が握られていた」(6ページ)


どうですか!このスピード感。
息つく間もない戦闘の雰囲気を味わっていただくために、
あえて長めに引用してみました。
それにしても一夜をともにした女を躊躇なく楯に使うとはなんてヒドイ奴だ。

このあと段蔵は七人の伊賀者を斬り殺したうえに、
現場に血文字で「伊賀之阿呆」とわざわざ書き残すのです。
ちなみに甲賀のときは「甲賀之間抜」と書き残すのですから、
これはもう両者にあからさまにケンカを売っている。
ケンカを売っていながらぬけぬけと生き延びているのですから
段蔵がいかに強いかということです。

しかも強いだけではありません。
越前の朝倉家と加賀の一向一揆のあいだに情報戦をしかけ、
おいしい汁を吸い上げるなど、権謀術数の天才でもあるのです。

このようにとんでもない悪忍なのですが、
そんな彼にも苦手なモノがあります。
女装のはぐれ忍者、お六とお七の弁天姉妹は、
ストーカーのように段蔵をつけ回し辟易させます。

この女装の忍者のほか、計算高い商売人の忍者、黒狛の座無左、
蝦蟇蛙そっくりの風貌で火薬が大好きな児雷也の勝市など、
脇役もそれぞれキャラが立っています。


ともかく、ストーリーは圧倒的スピード感をもって二転三転。
そして、最後に「あっ!」と驚く加藤段蔵、真の姿があかされる。
読み始めたら止まらなくなること確実。
時代小説の世界にひさびさに現れた、
魅力あふれるピカレスク(悪漢)の縦横無尽の活躍ぶりを
とくとご堪能ください!

投稿者 yomehon : 10:00

2006年08月07日

若沖展がスゴイことになっている

休日の朝9時半だというのに、
JR上野駅の公園口改札には人・人・人!
改札を出ると、みんなぞろぞろと同じ方角へ歩いていきます。
涼しげな噴水やにぎやかな動物園には目もくれず、
広い公園のなかを一列に横切っていくさまはなんとも奇妙です。
でも仕方ありません。なぜなら、目の前にある東京国立博物館では
いま話題の展覧会が開催中だからです。
『プライスコレクション 若沖と江戸絵画』展です。

それにしても、混雑を避けてこうして早い時間にやってきたというのに
この人の多さはなんだろう!?
だいたい朝家を出て、駅のホームで隣にいた女性がひろげていた雑誌が
若沖特集をやっているBRUTUSだった時点で嫌な予感がしたのでした。
案の定、その女性とは上野までずうっと一緒。

ぼくが暮らす小さな町ですら同じことを考えている人間がいるわけですから、
いったい首都圏一体からどれくらいの人がこの上野にやってくるのやら。
いや~過熱していますね。若沖ブームは。


伊藤若沖は江戸中期(18世紀)の京都で活躍した画家です。
若沖が健筆をふるったこの頃の京都は、奇跡のような空間でした。
曾我蕭白、円山応挙、長澤蘆雪といった天才画家たちが、
なぜかこの時代の京都にひとかたまりとなって現れたのです。
まるでルネッサンスのように、独創的できらびやかな作品たちが
この時代の京都で生み出されました。


でも彼らの絵は、長いあいだ世間から評価されることがありませんでした。
あまりに独創的だったために「異端」のレッテルを貼られ、
美術史の正統に位置づけられることがなかったのです。

ここに光をあてたふたりの人物がいました。

ひとりはアメリカの大富豪ジョー・プライス氏。
プライスさんには、「ある日、スポーツカーを買うつもりでニューヨークの街を
歩いていたら、たまたま骨董屋の店先で日本の絵をみつけてしまい、
それ以来病みつきになってしまった」という有名なエピソードがあります。

プライスさんはあっという間に若沖の絵の虜になりました。
彼が江戸時代の絵を集め始めた1950年代当時は
これらの絵はまだ価値を認められておらず、値段も安かったそうです。
でも、プライスさんは世間の評価などは気にせず、自分の眼だけを信じて
後に「プライスコレクション」の名で知られることになる見事なコレクションを
つくりあげていきました。


もうひとり忘れてはならないのは、辻惟雄(つじ・のぶお)さんです。
このブログの前身のコラムで「眼の革命」と題して辻さんの本を取り上げた際にも
詳しく書きましたが(バックナンバーの3月15日のところを参照してください)、
辻さんは、異端とされた若沖や蕭白らの作品を「奇想」というキーワードで
くくり直し、日本美術史のなかにきちんと位置づけてみせたのです。
その歴史的名著『奇想の系譜』が発表されたのは1970年のことでした。

このおふたりがいなければ、ぼくたちはきっと
江戸のアバンギャルド画家たちの魅力に気づくことはなかったでしょう。


さて、この『プライスコレクション 若沖と江戸絵画』展ですが、
今回はとてもユニークでぜいたくな試みを堪能することができます。

その作品たちとは最後の展示室で出合えます。
そこでは、ガラス窓を取っ払ったなかに作品が置かれ、
ゆっくりと明るさの変わる照明が絵を照らし出しています。

手を伸ばせば届きそうな距離にナマの作品が置かれ、
日の出から夕暮れまでを再現するかのように
照明が明度を変えていきます。

光によって刻々と表情を変える絵をみていると不思議な思いにとらわれます。
まるで自分が絵の所有者になって、
一日中眺めているかのような気分になるのです。
それはとてもぜいたくな経験です。

しかも、絵は光のあたりかたでぜんぜん見え方が違うということも体感できます。
江戸時代には幽霊の絵がよく描かれていますが、
これなどは、照明が夕暮れ時くらいの明るさになると表情をがらりと変えます。
幽霊がいまにも動き出しそうな迫力を帯びるのです。


すべての絵を見終わったら、
「親と子のギャラリー あなたならどう見る?ジャパニーズ・アート」の展示室にも
忘れずに足を運びましょう。

プライスコレクションのなかから選ばれた8点の本物の絵が飾られ、
子供たちが絵の見方を親と学べるよう工夫が凝らされています。

プライスさんがそれぞれの絵に微笑ましいコメントをつけていたり
いろんな道具を使って絵を観察できるようになっていたり
じつに楽しい展示室になっているにもかかわらず、
この展示室を見落として帰って行くお客さんが意外に多いんです。

子供だけではなく大人にとっても
絵の見方を学べる場になっていますから、ここもぜひおさえておきましょう。


絵の見方を学べるといえば、絶好のテキストがあります。
『日本美術応援団』赤瀬川原平 山下裕二(ちくま文庫)がそれ。
葛飾北斎は「肺活量が大きい」とか尾形光琳には「乱暴力がない」とか
権威や教養にとらわれない自在な絵の見方を教えてくれる本。
若沖や蕭白、応挙も取り上げられていますから、
この本を読んでから展覧会に行くのもオススメです。

投稿者 yomehon : 10:00