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2006年08月07日

若沖展がスゴイことになっている

休日の朝9時半だというのに、
JR上野駅の公園口改札には人・人・人!
改札を出ると、みんなぞろぞろと同じ方角へ歩いていきます。
涼しげな噴水やにぎやかな動物園には目もくれず、
広い公園のなかを一列に横切っていくさまはなんとも奇妙です。
でも仕方ありません。なぜなら、目の前にある東京国立博物館では
いま話題の展覧会が開催中だからです。
『プライスコレクション 若沖と江戸絵画』展です。

それにしても、混雑を避けてこうして早い時間にやってきたというのに
この人の多さはなんだろう!?
だいたい朝家を出て、駅のホームで隣にいた女性がひろげていた雑誌が
若沖特集をやっているBRUTUSだった時点で嫌な予感がしたのでした。
案の定、その女性とは上野までずうっと一緒。

ぼくが暮らす小さな町ですら同じことを考えている人間がいるわけですから、
いったい首都圏一体からどれくらいの人がこの上野にやってくるのやら。
いや~過熱していますね。若沖ブームは。


伊藤若沖は江戸中期(18世紀)の京都で活躍した画家です。
若沖が健筆をふるったこの頃の京都は、奇跡のような空間でした。
曾我蕭白、円山応挙、長澤蘆雪といった天才画家たちが、
なぜかこの時代の京都にひとかたまりとなって現れたのです。
まるでルネッサンスのように、独創的できらびやかな作品たちが
この時代の京都で生み出されました。


でも彼らの絵は、長いあいだ世間から評価されることがありませんでした。
あまりに独創的だったために「異端」のレッテルを貼られ、
美術史の正統に位置づけられることがなかったのです。

ここに光をあてたふたりの人物がいました。

ひとりはアメリカの大富豪ジョー・プライス氏。
プライスさんには、「ある日、スポーツカーを買うつもりでニューヨークの街を
歩いていたら、たまたま骨董屋の店先で日本の絵をみつけてしまい、
それ以来病みつきになってしまった」という有名なエピソードがあります。

プライスさんはあっという間に若沖の絵の虜になりました。
彼が江戸時代の絵を集め始めた1950年代当時は
これらの絵はまだ価値を認められておらず、値段も安かったそうです。
でも、プライスさんは世間の評価などは気にせず、自分の眼だけを信じて
後に「プライスコレクション」の名で知られることになる見事なコレクションを
つくりあげていきました。


もうひとり忘れてはならないのは、辻惟雄(つじ・のぶお)さんです。
このブログの前身のコラムで「眼の革命」と題して辻さんの本を取り上げた際にも
詳しく書きましたが(バックナンバーの3月15日のところを参照してください)、
辻さんは、異端とされた若沖や蕭白らの作品を「奇想」というキーワードで
くくり直し、日本美術史のなかにきちんと位置づけてみせたのです。
その歴史的名著『奇想の系譜』が発表されたのは1970年のことでした。

このおふたりがいなければ、ぼくたちはきっと
江戸のアバンギャルド画家たちの魅力に気づくことはなかったでしょう。


さて、この『プライスコレクション 若沖と江戸絵画』展ですが、
今回はとてもユニークでぜいたくな試みを堪能することができます。

その作品たちとは最後の展示室で出合えます。
そこでは、ガラス窓を取っ払ったなかに作品が置かれ、
ゆっくりと明るさの変わる照明が絵を照らし出しています。

手を伸ばせば届きそうな距離にナマの作品が置かれ、
日の出から夕暮れまでを再現するかのように
照明が明度を変えていきます。

光によって刻々と表情を変える絵をみていると不思議な思いにとらわれます。
まるで自分が絵の所有者になって、
一日中眺めているかのような気分になるのです。
それはとてもぜいたくな経験です。

しかも、絵は光のあたりかたでぜんぜん見え方が違うということも体感できます。
江戸時代には幽霊の絵がよく描かれていますが、
これなどは、照明が夕暮れ時くらいの明るさになると表情をがらりと変えます。
幽霊がいまにも動き出しそうな迫力を帯びるのです。


すべての絵を見終わったら、
「親と子のギャラリー あなたならどう見る?ジャパニーズ・アート」の展示室にも
忘れずに足を運びましょう。

プライスコレクションのなかから選ばれた8点の本物の絵が飾られ、
子供たちが絵の見方を親と学べるよう工夫が凝らされています。

プライスさんがそれぞれの絵に微笑ましいコメントをつけていたり
いろんな道具を使って絵を観察できるようになっていたり
じつに楽しい展示室になっているにもかかわらず、
この展示室を見落として帰って行くお客さんが意外に多いんです。

子供だけではなく大人にとっても
絵の見方を学べる場になっていますから、ここもぜひおさえておきましょう。


絵の見方を学べるといえば、絶好のテキストがあります。
『日本美術応援団』赤瀬川原平 山下裕二(ちくま文庫)がそれ。
葛飾北斎は「肺活量が大きい」とか尾形光琳には「乱暴力がない」とか
権威や教養にとらわれない自在な絵の見方を教えてくれる本。
若沖や蕭白、応挙も取り上げられていますから、
この本を読んでから展覧会に行くのもオススメです。

投稿者 yomehon : 2006年08月07日 10:00