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2006年08月30日

悪口の効用

時々いますよね。
口を開けばキツーイひと言。
でもなぜか憎めないキャラクターという人が。

2004年に出た『文学賞メッタ斬り!』(PARCO出版)で話題になった
大森望・豊﨑由美のお二人は、まさにそんな得難いキャラの持ち主です。

なにしろ『文学賞メッタ斬り!』では
多くの作家がやり玉にあげられボロクソにけなされています。
けれどもそれが読む者にまったく不快な印象を与えないのは、
ふたりの毒舌に文学に対する深い愛が込められているのを感じるからです。

それだけではありません。
悪口が芸になっているのも素晴らしい。

大森・豊﨑コンビの悪口は、他人を貶めるようなものではなく、
とり澄ました相手を指さして「王様は裸だ!」と叫ぶようなもの。

しかも彼らの悪口にはあらゆるバリエーションがあります。
「王様は裸だ!」だけではなく、
「王様はデブだ!」とか「王様は足が臭い!」とか
「王様のナニがはみ出ている!」とか。
次々と繰り出される悪口の巧みさに、読者は拍手喝采を送ったのでした。


『文学賞メッタ斬り!』が出て以来、
芥川賞や直木賞の選考会が開かれるたびに
「あのコンビならどう斬るだろう」と気になって仕方がなかったのですが、
このたびめでたく第二弾『文学賞メッタ斬り!リターンズ』が発売されました!!


新たに島田雅彦氏を迎えての鼎談がおさめられていたり
W杯形式で第一回「文学賞メッタ斬り!」大賞を選んだりと
前作にも増して内容は濃くなっています。


文学賞の各選考委員に対する辛辣な意見もあいかわらず。
たとえば●●●●センセイなんて(大物すぎるのでさすがに伏せ字)ボロクソです。
いくつか抜き出してみましょう。


「豊﨑  でも、●●●●みたいに、小説が読めないくせして選考委員を
山ほど引き受けている人もいますよね  」(16ページ)


「豊﨑  しかもさあ、●●●●って人物造形人物造形っていつもうるさいけど、
      あんたの人物造形はどうなんだってことですよ。(略)
大森   百三十二回の受賞作『対岸の彼女』(角田光代)の選評にはこんな一節も。

      一部のバイオレンスや時代小説のように、男性だけの話に終始して、
      存在感のないステレオタイプの女しか登場しない小説もあるのだから、
      本作のような作品が評価されても当然ともいえる。

豊﨑   それ、まんま御前様の小説だろう!“存在感のないステレオタイプの女しか  
      登場しない“御前様の小説なんだよっ! 」(80ページ)


とまあ、こんな具合。
ひどい言われようです。
でも『文学賞メッタ斬り!リターンズ』での●●●●センセイに対する
大森・豊﨑コンビの意見は全面的に正しい、とぼくは思います。


たとえば●●●●センセイの話題になった恋愛小説をみてみましょう。


女の手の動きを見たとき、菊治はなぜともなく、風の盆を思い出した。


この小説はこんな書き出しで始まります。
売れない作家である主人公が、ホテルでファンだという女性と出会う場面。


冬香の手が動いたのは、そのときであった。
傾きかけた陽が眩しいのか、左手をそっと額にかざす。
菊治はそのまま、掌を見せた女の細っそりとした指のしなりに見とれていた。
やわらかそうな掌だ、そう思った瞬間、なぜともなく、越中おわらの風の盆で見た、
踊り手の動きを思い出した


相手の女性の手の動きをみて越中おわら風の盆を思い出す、
その妄想力のたくましさに
「このエロじじぃ!」と
多少ツッコミを入れたい気はしますが、まあそれはいいでしょう。

問題はこのあとです。


「あのう・・・・」
菊治がつぶやくと、冬香は慌てたように額から手を引いた。
「おわらを、踊ったことは?」
冬香は一瞬、悪いことを見つかったように目を伏せてから、かすかにうなずいた。
「少しだけ・・・・」 


あ、ありえない・・・・。
ぼくは冒頭わずか2ページのこのやり取りだけで唖然としました。
どう考えてもありえないだろう、この展開は。

相手の女性にたいして何を妄想しようと勝手ですが、
信じられないことにその妄想を口にし、
さらに信じられないことにその妄想のとおりに事が運んでいく。

こういうのを世間では「御都合主義」というのではないでしょうか??


ダメ押しでつけ加えておくと、
このやり取りの後は、


「どうして、わかったのですか」
「ただ、なんとなく・・・・」
「凄いな、先生・・・・」

みたいな会話が続きます。
小説を読み慣れた人で、
もしこの先を読み続けられる人がいたとしたら
その人はそうとうに忍耐強いと思います。


小説はフィクション(虚構)です。
本来、フィクションはフィクションとして楽しむべきもの。
ですから小説の登場人物と作者を重ねあわせて読んだりするのは
幼稚な読み方ということになります。

でも、●●●●センセイの小説には明らかに
●●●●センセイの女性観が色濃く投影されています。
たとえばそれはこんな女性だったりします。


不倫旅行で高級温泉旅館に連れて行くと
「前は誰と来たのかしら」と拗ねてみせ、
床のなかでは男の性技によって初めてほんとうの快感を知り、
床のなかでは男のテクニックによって豹変し乱れに乱れ、
男の命令に従ってどんな淫らなことでもやり、
男の胸に顔をうずめ「あなたって、ずるい」と言い・・・・・


心ある女性が読めば頭にくることうけあいのステレオタイプな女性像が描かれています。
こういう人が権威ある文学賞の選考委員をつとめているのですから、
大森・豊﨑コンビが悪口のひとつも言いたくなるのもうなずけます。

いまいちばん面白いのはこの小説!
いま読むべきはこの作家!

文学賞は僕ら読者にそういうことを指し示してくれるものであってほしい。
選考委員はそのための良き導き手であってほしいと思います。

ですから、いい加減な選評を垂れ流して恥じない者がいれば、
たとえそれが文壇の大物だろうと
ぼくらは遠慮なく悪口をぶつければいいのです。

「王様は裸だ!!」と。

投稿者 yomehon : 2006年08月30日 10:00