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2008年05月27日

『浜松町かもめ亭 寿輔・喜多八二人会』ご来場御礼!

第17回『浜松町かもめ亭』が5月23日(金)文化放送メディアプラスホール で開催されました。
大勢のご来場、有り難うございます!

当日の番組は以下の通りです。

kamomeNETA.JPG

『間抜け泥』    柳家緑君
『あくび指南』   柳家喜多八
『ぜんざい公社』 古今亭寿輔
     -仲入り-
『杯の殿様』    柳家喜多八
『文七元結』   古今亭寿輔

寿輔師匠、喜多八師匠はともにコアな寄席ファン(喜多八師匠曰く「友達のいない人たち」)に愛好されている存在。大人向けのちょっとひねった笑いを提供してくれる「寄席のマエストロ」は、それぞれ得意ネタと、ちょっとめずらしいネタの組み合わせで(言うまでもなく貴重かつ有意義であったのは寿輔師匠の「文七」です)観客を堪能させてくれました。
詳しいリポートは近く「浜松町かもめ亭」公式サイトにUPされます

また、対照的なビジュアル(喜多八=偽虚弱体質。寄席の風情を追求する芸風。 寿輔=哀しき熱帯魚。偽悪的なビジュアルで客に対峙)のお2人が交互に高座にあがることで、客席の雰囲気がじわっと変化するのがたいへん楽しい二人会でした。最近の二人会は、出演順が「AB中入りBA」と中入りで入れ替わることが多いのですが、今回のように「AB中入りAB」と続くのが効果的であり、面白いと個人的には思います。その意味は二つあり、出演者がテレコになることで、雰囲気が変化するのがひとつ。もうひとつは、片方の演者がトリと中入りになることで、当然、その会の焦点が絞られます。つまり今回のかもめ亭で言えば、フィーチャーされているのは寿輔師匠で、喜多八師匠はその前に出て小品をぴりっと(落語において小品の噺は大ネタに比類します)聴かせるという役まわりになりました。そのほうが会の全体像がハッキリすると思うのですがいかがでしょう。 (余談ですが以前、イイノホールで「談春・白鳥二人会」があったとき、出演順が古式に「談春・白鳥 中入り 談春・白鳥」だったのですが、このときの談春が良かった。ネタは「星野屋」でした。後ろがあるという状況の中で、引き締まった芸になっていたのです)

とにもかくにもお客様ならびに両師匠に感謝です!

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□おまけ□

かもめ亭終演後の打ち上げ風景です。

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さて。今後の予定です。

■ 6月30日(月) 第18回 浜松町かもめ亭 日向ひまわり真打昇進披露会
  出演 神田ひまわり改め初代・日向ひまわり(二席) 春風亭小柳枝 瀧川鯉昇

■ 7月7日(月) 第19回 浜松町かもめ亭 立川生志真打昇進披露会
  出演 立川笑志改め初代・立川生志 立川志の輔 立川談春

■ 8月29日(金) 第20回 浜松町かもめ亭 怪談噺の会
  出演 「猪怪談」柳家喬太郎  「もう半分」五街道雲助 

前売り情報などは当ブログおよび「浜松町かもめ亭」公式サイトでお知らせをいたします。

六月公演は現在発売中です。
七月公演は6/7よりチケットぴあで発売開始。
八月公演はかもめ亭6月公演のロビーにて先行発売いたします。


皆様のご来場をこころよりお待ち申しあげます。

松本尚久 (浜松町かもめ亭)


投稿者 落語 : 11:40

2008年05月25日

五夜お疲れ様でした、生志さん!

五夜連続!立川生志真打昇進披露興行
      『・・・のようなもの』

が、大盛況のうちに千秋楽を迎えました。

生志さん 興行番組表.jpg

千秋楽
生志さんの師匠である、談志家元「金玉医者」を。
そして生志さんご自身は「禁酒番屋」を。

番組表をご覧になってもお分かりかと思いますが、
本当に様々な方に愛されていらっしゃるなぁ、と。
そんなお人柄の良さと温かさが高座から滲み出てくる会でした。

20年の長期熟成ののちに誕生した真打、生志さん。
20年て言ったら・・・ワインもものっすごく美味しくなる熟成期間。

まだご存知ないという方に・・・いったいどんな方なのか。

『鼻水を垂らして大喜びの己の姿を送信してくださる方』・・・どないやねんっ!実話やねん(笑)!

まだ聞いたことがない、という方は、ゼヒゼヒ!
聞いてみてください!

近々ですと、こちら。まさに披露興行と同じ会場です。

立川生志 らくごLIVE ひとりブタ
生志さん ひとりブタ.jpg


6月25日(水)
18:30会場 / 19:00開演
会場:千代田区立内幸町ホール
料金(全席指定):前売り 3000円 / 当日3500円
お問い合わせ:オフィスぷくぷく office@pukupuku.org
*発売中です☆*

そして浜松町かもめ亭でもこんな豪華な会がございます!!

☆7月7日(月) 『立川生志真打昇進披露会』☆
出演 立川笑志改め 立川生志さん
    立川志の輔さん
    立川談春さん
料金 4000円(税込み)
*6月7日一般発売です*

こりゃー、ゼヒゼヒ☆


いくら演目名でも、公共の場で「きんたま~…」と言うのはマズいと後から気づいた 
文化放送 吉田涙子でしたん☆

投稿者 落語 : 15:43

2008年05月21日

☆☆☆☆☆落語十一夜☆☆☆☆☆☆

終わってしまいました・・・・・・・・・・・・・・・・。

読み終わるのがもったいなくて、チビリ、チビリとまるで日本酒のように読んでいた本が。

立川談春さんが書かれた「赤めだか」。
もうお読みになった方のほうが多いでしょうね。

本屋さんでも、様々なコーナーで平積みになってますものね。

何なんでしょう、あの文才は。
もっともっと、読みたいなぁ、談春さんの文章。
つーか、そっちの世界でご活躍を・・・・・・・ダメだダメだ、そしたら落語が聞けなくなるし(^^;)。
やっぱ、このままでいいのだ。ねー。

・・・・・・・・・ということをつらつらと書きつつ。

先日、三遊亭白鳥さんの独演会「産みたて卵」に行ってきました。
ネタおろし、二席。

勧進帳」と、「札所の霊験」でした・・・・・・・・・・・・・。

・・・・・・・・・・・・白鳥カラーに染まりきった、白鳥さんワールド全開。
札所の~では、座布団の角に手拭いを巻きつけて、首絞めてました(笑)。

そういう白鳥さん、大好きです。
そんな白鳥さんは、本日(21日)がお誕生日。
産みたて卵をされた白鳥さんが生まれた日でございます。
はっぴーばーすでー♪

この会を開いてらっしゃるのは、”落語王”さん。渡辺敏正さんです。
私がこのブログでよ~く書いてしまう柳家喬太郎さんや春風亭栄助さん、三遊亭天どんさん
の会などを開かれている方。
同じようにこのブログでよ~く書いてしまう会(先日だと、”渦”など)を開かれているもうお一方、
木村万里さん

つまりはこのお二人が開いてくださる会が、私のツボだったりするのです。
このお二人から教えて頂いた笑いが、ものっすごく沢山あるのです。
お二人とも、とってもハートのある方。ステキな方。芸への愛情が満タンな方。

ん~、どうしたらその満タンさが伝わるかしらん・・・・・。

ステキな写真集が、昨日発売されました。

橘蓮二さんの「落語十一夜」。
レンジさん 落語十一夜☆.jpg

蓮二さんは(前にも書きましたか)、仏像好き&ゆるキャラ好き・・・な私の気持ちを理解してくれる
貴重な方です。あ、そういう紹介じゃないですね(^^;)。

とにかく、”かっけ~!”って写真をバンバン撮影される方。あのセンス、大好きです。
落語の世界を、今までの歴史上一番カッコよく見せてくれているのじゃないかしら・・・・
生意気な言い方になりますが、そう言えちゃうくらい、カッコいい写真です。

この写真集に登場する噺家さんは、11人。

柳家三三さん
春風亭昇太さん
林家彦いちさん
林家たい平さん
三遊亭白鳥さん
立川談春さん
柳家喬太郎さん
柳家花緑さん
春風亭小朝さん
笑福亭鶴瓶さん
立川志の輔さん

それぞれの噺家さんの”ここ!”ってトコが切とられてます。ゼヒご覧下さい。

そしてそれぞれの噺家さんが選んだ”この人”が、その噺家さんについて文章を寄せているんです。
これまた読み応えがあります。愛情とユーモアに溢れていて。

 ここでようやく話が繋がります(長くてすまんこってす・・・)。
先ほど書いた渡辺敏正さんと木村万里さんが文章を書いてらっしゃるんです。

どなたについて書いていらっしゃるのか、またどんなに愛情溢れていらっしゃるか。
また他の噺家さんについて書かれたのはどなたなのか・・・・・・・。

ゼヒ、実際にお手にとってご覧下さいませ☆

まだ落語を聞いたことがない方も、”写真から入る” ”紹介コラムから入る”って、アリだと思います・・・。


ワイン片手にページをめくってたら、泣き笑いだった  文化放送 吉田涙子でしたん☆

投稿者 落語 : 13:17

2008年05月20日

五代目柳家小さん:その脅威と孤高の芸

五代目柳家小さん師匠が亡くなって、5月16日で七回忌を迎えました。
そこで、6月下席の新宿末広亭をはじめとして、今年前半、東京の落語界では、「五代目柳家小さん七回忌追善」を冠につけた公演が多いようです。

その五代目小さん師が得意としたネタに関して遺された「小さん語録」とでもいうべき文言を、私は昨年からお弟子さんに伺い、「柳噺研究会」のプログラムに連載しているのですが、実に興味深い文言の連続なのであります。
また同時に、その語録の断片を組み合わせて行く中で、小さん師が東京落語の演じ手として作り上げた世界の驚異的な高さには、改めて驚かされてもおります。

お弟子さんの言葉の中で、特に印象的なのは、次のひと言でした。

お弟子さん 「黒門町の文楽師匠(八代目)や圓生師匠(六代目)と違って、小さん師匠の芸を分析して書いている人って、いまだに誰もいないでしょう。師匠の高座を普通に聞いるだけじゃ、どこが良いかも、どこが悪いかも書けない。まして、それをお客や読み手に分からせるのはもっと難しい

近年の落語ブームのおかげで、古今亭志ん朝師匠に関する書物を中心に、あまた落語家さんに関する文章・出版物が氾濫する中、確かに小さん師の落語を、詳細に分析したものは見た記憶がありません。
小さん師の芸の評価にしても、「滑稽落語・与太郎物の名手」「顔立ちを活かした表情の巧さ」「トボケた味わいがある」といった程度の表現に留まる場合が多く、分析的な検証は極めて少ないのですね。
その原因としては、明治時代から現在に至るまで、落語に関する分析・評論の著者には作家系が多いため、評価が文学的、芸術的範疇に傾きすぎている、というマイナス面が挙げられると、私は思っております。
確かに、小さん師の速記を読んでも、「名人文楽」と称された文楽師匠の「四万六千日、お暑い盛りでございます」のように、極めて濃密に攻勢された描写のフレーズや、志ん生師匠の「火鉢と甚兵衛さんと一緒に買っちゃったみたいだ」という優れた諧謔のフレーズには乏しいでしょ。
速記としてみれば、ごく当たり前の日常的な言葉を使った、ごくありふれた会話が存在しているだけですから、字面からは芸の切れ味や、表現の奥行きが分かり難いため、文学的・芸術的な分析・評論の対象となりにくいのは、こりゃ確かですわ。

また、小さん師の高座映像を参照したとしても、「昭和の大名人」と立川談志家元が称する圓生師匠のように、踊りや邦楽の素養をふんだんに取り入れ、華麗に演じて見せるという面は殆どありません。
その上、奇声などの飛び道具が決して目立たないよう、繊細に計算され尽くした小さん師の高座は、論理的に見えない分、ますます評価がしにくい!
「笑芸」に対する歴史的な評価の低さもあって、『強情灸』で熱さを我慢すると顔が真っ赤になる小さん師の演技はまことに凄いのですけれど、歌舞伎役者の見せる腹芸や、文楽の大夫さんの音遣いによる表現などに比べると、芸術としては評価されにくいのでしょう。実際は、真っ赤になった主人公の表情から、相手の表情に変わると顔色が平気で普通に戻るという凄い技術なのにも関わらず・・であります。
正直、戦後日本の蝉丸千人的世の中で、小さん師がよくぞ重要無形文化財=人間国宝に選ばれたものだわいと、私などは思ってしまうのです。

では、小さん師匠は落語家として、文楽師匠・志ん生師匠・圓生師匠と比べて、何が傑出しているのでしょうか? お弟子さんと、何回か話して得た一つの結論は、「最大のポイントは会話のリアクションにある」ということでした。

石井 「小さん師匠の落語って、クスグリが目立つ訳ではないのに面白い。リアクションの呼吸が凄いんですね。何でもないことを言っているのに、受け方が抜群に巧いんで実にオカシイ。良~く聞き返してみると、登場人物がお互いの言うことをちゃんと聞いているのが分かります」

お弟子さん 「その人物の料簡になってんですよ。たとえば、小さん一門で最初に習う『道灌』でいえば、師匠は隠居さんと八っつぁんの料簡で、ちゃんと八っつぁんらしい受け答えをしてるんです

「人物の料簡になる」。
この言葉は、小さん師匠の芸談にしばしば登場します。
しかし、これは「料簡」から連想される「一個人の考え方」を表す言葉でもなきゃ、西洋演劇のスタニスラフスキー・システムに則った、「ある個人の人格の設定」に基づく、心理のリアルな表現形式でもありません。
むしろ、「一個人の人格」という狭い範囲を超えちゃって、「人間の普遍的なおかしさ」に繋がって行く点に、最大の特徴がありましたね。
極端に言うと、「集合的無意識」などに近い意識のあり方であります。

十八番の一つ『お化け長屋』を例に挙げてみましょう。
噺の中盤、古狸の杢兵衛が「怪談噺で長屋を借りにきた男を追い返した」と、長屋の仲間に語る件があります。その途中から、杢兵衛の話は怪談調を帯びてきます。

杢兵衛 「ふいと見るてェと枕元に殺されたお神さんが。緑の黒髪をおどろに乱してこれからこれが血みどろ血まみれ。越してきた人の顔を下からこのズーッと・・・」
仲間 「(怯えた表情で)やだなァおい、分かったよ、もう! ウン、そいで?」

「分かったよ、もう!」までは、どの落語家さんでも当たり前に出来るリアクションでしょうが、ほとんど間を置かずに語られる、「ウン、そいで?」という鋭いリアクションは小さん師独自の表現であり、ここで表現される心理の内容こそが、小さん師の芸の根幹となる「料簡」であると私は思います。
「ウン、そいで?」のひと言で、怪談噺に思わず引き込まれた長屋の仲間=個人の気持ちが表現されるだけでなく、引き込まれた結果、「その怪談、後はどうなるのだろう?」と、誰もが思ってしまうに違いない、という普遍的な心理(感情を伴った心理)が見事に表現されているのですね。実に自然で、しかも、普通の価値観の人なら、誰でも共感出来るリアクションなのであります。
それは同時に、“人間がなぜか表してしまうおかしさ(いわば業ですわ)”の表現として、落語ならではの奥行きある人間観を作っちゃう。
しかもこの時、心理的な状況において、観客もまた長屋の仲間と同一化するのです。仏教用語で言う「自他不二」みたいな世界が小さん師にはあるんだなァ!

私の知る限り、他の落語家さんに、この強烈な普遍性はは殆ど見られません。申し訳ないけれど、お弟子さんでも継承されている方は一人もいないと私は思います。
(お弟子さんではないけれど、橘家文左衛門師匠の『道灌』は、現在の演者の中では、小さん師の考えた「料簡」にかなり即していると思う。独得の不良っぽい個性の影に小さん師的世界を隠している辺りは、如何にも落語家さんらしいテレなのだが)

演劇の場合ならば、相手の言葉や行動へのリアクションだから、呼吸を詰めて相手の言葉を聞けば、そのように表現が出来るのも分かりますよ。
でも、完全な一人芸である落語で、相手役の言葉を完璧に聞き、一瞬にして他人格の奥行きあるリアクションとして表現されるのだから、これは凄い!
「この人、いったいどういう頭の構造になってるの?」と私などは思っちゃいます。
小さん師匠の落語がしばしば、「職人芸の極み」といった程度の、安易な理解による安易な形容で称されてしまうのも、こうした落語でしかありえないリアクション、つまりは、「料簡」の在り方によるものなのではないでしょうか。

この「料簡」のあり方は十八番中の十八番『睨み返し』でも効果を発揮しています。
終盤に出てくる壮士風の借金掛合い屋(那須正勝という役名で知られている)は、非常に居丈高な言葉や態度で、睨み屋を散々威嚇します。
しかし、その威嚇に決してひるまない、睨み屋の強硬にして不屈の表情に不安を感じるや、次の瞬間、「いや、あ~、そういえばことが穏やかでないけどもねェ」と借金掛合い屋一気に言葉の調子を変えて引くのです。このリアクションも、一門の皆さんをはじめ、誰にも表現出来ない、小さん師ならではの妙技ですゾ。

お弟子さん 「睨み屋で息をグッグッと詰めてたのが、瞬時に切り替えし、那須正勝で一気に引くんですからねェ。凄い計算に裏打ちされてますよ。小さん師匠に教えて貰ったように、そういう料簡にはボクもなれますけれど、それを客に分かるようにリアクションとして表現出来ちゃうのが師匠の凄さだな。料簡を表現まで芸として高めるのは本当に難しい
石井「そういう緻密な計算や鍛錬が、ちょっと聞いただけでは分からないように演出されているのが、小さん師匠の凄い所ですよね」
お弟子さん 「談志師匠の言う“落語は人間の業の肯定だ”なんてのより、小さん師匠が普通に淡々と演ってる落語の中の業の方が凄いんじゃないかと思いますね。しかも、ウチの師匠はそういう難しいとこ、必ず受けてましたからねェ。それが味になってるから、クスグリを取っ払っても師匠の噺は面白いんですよ

『睨み返し』のこの件に関しては、後日、立川談志家元にも伺いましたが、「あれは完璧。あんな凄いこと、オレには出来ない」と、絶賛をされておりました。

さて、五代目小さん師の芸系を甚だ大雑把に現すと、夏目漱石をして「名人である」と言わせしめた訥弁の名人・三代目小さん師匠の芸と、逆に能弁で名高い四代目小さんの芸を受け継いでいることになりますね。
また、四代目の能弁・警句百出の芸風には「気違い馬楽」と称される三代目蝶花楼馬楽師匠の芸が大きく影響しているようです。
つまり、五代目小さん師の芸は、三代目小さん・四代目小さん・三代目馬楽の芸がミックスされて育まれた芸だと考えられます。
また一方、小さん師は二ツ目から真打時代、目にし、耳にした、どちらかといえば「落語家として一流とはいえなかった先輩たち」の長所や、優れた演出も、自分の身の丈に仕立て直して、細かく取り入れられています。 具体的に言えば、『禁酒番屋』で酒屋の手代が言う「どっこいしょ」や、『笠碁』で首を振りながら歩く演出などは、晩年は落語界から遠ざかり、困窮死をされたと伝えられる三代目柳亭燕枝師匠譲りです。

けれど、それはあくまでも芸の系譜や伝承の話で、小さん師個人の芸は様々な形で受け継ぎ、取り入れた芸を徹底的に自己流の鍛錬で磨き上げ、「孤高」と呼べるほどに高く、奥行きのある落語的表現として精製したものといえるでしょう。
高弟である立川談志家元や柳家小三治師匠は、どちらも優れた落語家さんだと思いますが、この二人をはじめとして、志ん朝師匠など落語協会の後輩ばかりでなく、文楽師匠や圓生師匠、三代目金馬師匠、三代目三木助師匠ら先輩をしても、小さん師の「孤高」には到達しえていないと、私には思えてならないのです。

それほどまでに、「料簡を表現まで高める」鍛錬としては、小さん師が長年修練された剣道の呼吸法が知らず知らずのうちに活かされているのではないか?と私は考えているのですが、これはまだあくまでも私見であります。
(剣道の呼吸が、自分の表現を自由自在に律するだけでなく、聞き手の側の感覚すら鍛錬することは十分にありえます。実は、剣道の呼吸法で多数の人間の能力を高める技法を、某予備校が英語の授業で使って成功を収めているのです。
また、小さん師のお弟子さんの中では、柳家さん喬師匠・柳亭市馬師匠の話術に、剣道の呼吸法を私は最近感じることがあります。芸能における、武道の呼吸や自他の間合いの取り方の導入は、結構面白い研究課題じゃないかしらん?)。

お弟子さん 「若い時、随分稽古したんだと思いますよ。演ってやろう!じゃなく、人物が自然と出るじゃないですか。話芸やテクニックを見せようなんてんじゃなく、出てくる人たちがみんな生きてるのが師匠の噺です。落語の好きな人は、小さん師匠を好きになりますよ

現在の東京の落語界にも、八代目文楽、六代目圓生両師匠の芸に到達出来るレベルの芸を持つ方はいると私は思っておりますが、同時に、五代目小さんの芸には誰も到達出来ないのではないか!とも思います。
「東京の落語でしか表わせない世界」は、小さん師の中にこそ、あったのではないでしょうか(あと、あるとしたら、志ん生師匠の中かな)。


妄言多謝
石井徹也(放送作家)

投稿者 落語 : 10:12

2008年05月14日

「落語娘」 

落語界を舞台にした映画が、またひとつ誕生です。

タイトルは、「落語娘」
落語娘.jpg


本日行われた完成披露試写会に行ってきました。

真打ちを目指して頑張る女性の前座さんと、その師匠の物語。
前座さん・三々亭香須美を演じるのは、女優のミムラさん
そしてその師匠・三々亭平佐津川雅彦さん

破天荒な師匠のお世話と前座修行に奮闘する女前座さんの何と大変なことよ。
つーか、落語家さんって、大変だ。
改めて思いました。

もう1つの核となるのが、架空の禁断噺「緋扇長屋」

明治時代にこの噺を作った名人がナゾの死。その後も演じた噺家さんたちが次々に急死してるという、何ともいわくつきなこの噺。
この噺に挑戦してもらって、テレビのスペシャル番組を作ろう。
そんな提案を引き受けてしまう師匠。
さてさて、どうなりますやら。

ミムラさん、表情豊かで愛らしく、また落語も上手だし、ステキです☆
津川さん、お見事!引き込まれるような語りっぷり☆
お二人とも、お稽古ほんとに大変だったことでしょう、あっぱれ!

落語の監修と指導を担当されたのは、柳家喬太郎さん・隅田川馬石さん・柳家喬之助さん
映画の中にもちょっと登場されてます。
更には春風亭昇太さんもちょろっとご出演。
落語家さんではない役で(笑)。え~、ここにいるんかぁ~いっ!て場所に。

なんとな~く、モデルになった噺家さん方がいらっしゃるのかも~って匂いがそこここに。
平佐師匠が常にバンダナ巻いてたりさ(笑)。

今年晩夏にロードショーとのこと。

ゼヒご覧あれ~い!

・・・・・・・・・・落語界ってば、大変だ・・・・・・・・私にはムリです・・・(^^;)。
気ままな人生驀進中の文化放送 吉田涙子でしたん☆

投稿者 落語 : 17:27

2008年05月07日

芸術協会、侮るべからず。 ~書生・落語協会VS芸人・芸術協会~

「落語協会の方が芸術協会より高級」ってイメージは、安藤鶴夫氏・飯島友治氏辺りに広まり、現在の落語ファンの間にも「芸術協会を侮る」雰囲気は残っております。
でもね、特に寄席の場合、最近よく感じることなんですけど、芸術協会の方が番組全体に彩りやヴァラエティ性に富んでると感じられませんかね?
実は先日、落語協会のある若手の落語家さんから、「ウチの協会って、何人も続けて聞くと飽きてきません?」という、ちょいと衝撃的な質問を投げかけられ、私は思わず「そうそう」と膝を打っちゃいましたよ。
事実、落語協会の団塊の世代から若手真打さん世代の方々は、芸がみんな同じ色合いで、寄席興行としては彩りやヴァラエティ性にどうも乏しい。
落語協会・立川流では、描写力など話術のテクニックに長けている中堅・若手の落語家さんに限って、どうも芸風が似ちゃっていて、良くいえば“芸が書生っぽい”。悪くいえば“芸にいかがわしさがなくて素人っぽい”。
ですから、たとえば落語協会で、三三師匠・さん喬師匠・市馬師匠・雲助師匠・白鳥師匠・志ん輔師匠・・・と続く寄席番組があるとしたら(もちろん、色物を挟んで)、落語の上手い師匠揃いで個人個人は面白いけれど、「上手さがひと色」「みんな落語と真面目に取り組む書生さんみたい」なんで印象があって、聞いているうちに飽きてくる自分が分かるんです。独演会でも二席聞くと飽きてきちゃう。この点は立川流もやや似ているんだなァ。
「落語研究会じゃないよ~! 春風亭一朝師か三遊亭歌武蔵師匠、三遊亭歌之介師匠か林家種平師匠を挟んでくれェ!」と叫びたくなってくる。妙な言い方ですけど、落語協会ではあの川柳川柳師匠だって、落語への取り組み方に関しては“書生っぽい”面が強いと私は思います。

一方、現在の芸術協会は50代~60代以上の師匠連が個性派揃い!で面白い。
三笑亭笑三師匠・橘ノ圓師匠・三笑亭可楽師匠・三遊亭圓輔師匠・三笑亭茶楽師匠・三遊亭小遊三師匠・古今亭壽輔師匠・桂歌春師匠・三遊亭栄馬師匠・柳亭楽輔師匠・瀧川鯉昇師匠 etc.etc.
この師匠たちには「落語家らしさ」「芸人らしさ」も色濃く残っていて、話術の上手い下手とは関係なく、それぞれの「芸人人生」を濃厚に感じさせてくれる高座ぶりですから、続いて出演されても聞いてて飽きないんですよ。
もちろん、芸術協会の師匠それぞれ、話術もしたたかに上手いんでずが、個性が上手さを隠してくれるもんだから、観客としては「面白い高座だ」と感じる部分優先の芸になっているんですね。「話術の芸術的洗練をめざす」なんてヒヨワな優等生じゃないのであります。
圓輔師が『三枚起請』『文違い』などの廓噺で聞かせてくれる古風で手堅い情味・・・茶楽師のサラリと洒脱な『明烏』や『紙入れ』の色気・・古今亭壽輔師(今、芸術協会で私は一番好っき!)の自虐的に皮肉な漫談や静~かな『代書屋』『猫と金魚』『ぜんざい公社』の味わい・・・歌春師のクネクネしたおかしさ・・・栄馬師の『替り目』『長短』の五代目小さん師とは違うモゾモゾした楽しさ・・・鯉昇師の『長屋の花見』や『千早振る』の飄々とナンセンスな佇まい・・・柳家蝠丸師匠が『柳田角之進』を25分で演じちゃう軽快さ・・・などに触れてると、「寄席は大人の遊び場」って雰囲気がしみじみと満喫出来て嬉しくなってきちゃう。先々代の春風亭柳橋先生から先代圓遊師匠や先代助六師匠、先代柳好師匠、亡くなった文治師匠や柳昇師匠を培った芸術教会の底力の継承、といったものすら感じられるのです。

最近の芸術協会だと、四月中席の池袋演芸場昼席に驚かされちゃいました。
仲入り前の出番で、壽輔師が『文七元結』のうち、吾妻橋から近江屋内までをなんと五日間、毎日、演じたのであります(『文七元結』の部分口演ってェのも初めて聞きました)。
実は壽輔師、四月上席、広小路亭の主任でも五日間、『文七元結』を吾妻橋から最後まで演じていたというのです(そのうち二日間は聞きました)。
ご当人曰く、「今まで新作中心だったけれど、何となく演ってみたくなったから演っただけです。特に何処かで演るという予定はありません」とのこと。
こういうノンシャランとした、「上手さの研鑽」を追及しない「大人の感覚」って奴が、落語協会には割と乏しいんですよね。
話を四月中席池袋演芸場に戻すと、壽輔師が『文七元結』を近江屋内で切り、「この続きは、次の出番の新宿末広亭で演じます」と、お客が唖然とするような口上を言って高座を降りると、続く仲入り(中主任)は茶楽師の出番。
初日の茶楽師は「只今は、壽輔さんが三遊亭圓朝作の名作『文七元結』で」と軽く触れただけで、『紙入れ』に入りましたけれど、二日目からは「続きを新宿末広亭まで聞きに行くの、皆さん大変でしょ。あたくしも演るんですが、よろしければ、続きを演りましょうか?(観客拍手・あったりまえである)え~と、佐野槌が分かったとこまででしたね・・」
そうマクラを振ると、ヒョイと気軽に近江屋内の終盤から達磨横丁の大団円まで、リレー落語で聞かせてくれたのです。しかもこのリレー、なんと四日間、続いたのだ! 私ゃ面白くて、全日、通ってしまいましたけれど、寄席の仲入り前で、何の企画もなく『文七元結』のリレーなんて聞いたことがありません。
落語協会ならば、ややミニホール落語化した感のある鈴本演芸場辺りで“特別企画『文七元結』リレー落語”てな具合に演りそうですが、それじゃさ、ちょいと客寄せ意識・商売根性が先立って嫌でしょ。お客に何の宣伝もせず、ベテラン二人が気楽に『文七元結』のリレーをしてるってェのが、如何にも寄席らしくて好ましいんですな。

こうした私の実見談を、先日、落語協会のとあるベテランの師匠にしたら、こう答えてくれました。
「この人から、上手い落語を聞かなくても良いって人、いるじゃない。“感心させてくれなくても、楽しければ良い”っていうか、それは芸人として大きな武器ですよ。
黒門町の文楽師匠や目白の小さん師匠にも、その雰囲気はあって、なおかつ落語が上手いから大したもんなんだけどね。
そういう意味でいうと、今は芸術協会の落語家さんの方が、“芸人として生活している”というか、個性的な人が多いよね。ある意味、“目標がない良さ”というか、“オレは自分が好きだから、こういう風に演ってるんだ”という雰囲気を感じますよ
一方、最近、うちの協会の連中は、みんなが“感心させよう、上手く演じよう”っていう、一つの方向を追っかけてるでしょう。
確かに、落語協会の落語家の方が、色んな意味で恵まれてることもあって、噺を演じるテクニックは上手いんだけど、みんなどっか温室育ちで、“芸人として個性的”だって人は少なくなったと思います。小さん師匠もよく楽屋で言ってましたよ。“最近の奴らは上手くなった。そのかわり凄く上手い奴はいねェ」

あと、「芸人らしさ」が落語協会より感じられる原因としては、芸術協会の師匠たちの方が、マクラや地の部分を語る際、「~でございます」という言葉遣いが遥かに多いのも、影響してるかもしれません。「~でございます」は、お客に対してへりくだっている訳ですけど、それが如何にも芸人さんのしたたかな謙虚さを感じさせてくれるのですね。
落語協会の師匠たちは、談志家元や古今亭志ん朝師匠、柳家小三治師匠の影響かと思いますが、「~ですよ」「~でしょ」が多く、下手すりゃ「~だろ」とくる。お客に対して、学校の友だちみたいな感覚の言葉遣いなのでございますよ。これじゃ「芸人らしさ」は感じにくいや。

それとね、芸術協会の師匠方の落語を寄席で聞いていると、比較的、スイスイスイッと噺が運ばれて行くんですね。
思い入れを強くしない落語、溜めない落語が多いもんだから、観客としては、聞いてて楽なんであります。それも「寄席向き」「寄席の彩りとして楽しい」ってとの一因かもしれませんな。
ひと頃、コミックの世界で流行した(今はそれが当たり前になっちゃたけど)「ヘタウマ」みたいなもので、「上手く見せないでお客を楽しませる術」ってェのが、芸術協会の師匠たちには感じられますね。
壽輔師と並ぶ“寄席の怪人”桂南なん師匠の頼りないような、アホみたいな高座なんか、「ヘタウマ」の典型なんじゃないかなァ。このタイプの落語家さんも落語協会にはいるかな? 橘家文左衛門師匠みたいに、「悪党ぶってる、その不良っぽ印象で上手さを隠している人」はいるけれど・・・
かつて、談志家元が「圓生師匠が好きだと言って、東横落語会や落語研究会で『札所の霊験』だ『包丁』ばっかり聞いてる奴らは飽きないのかね?『寄合酒』や『湯屋番』や『四宿の屁』といった馬鹿馬鹿しい噺、セコいけどおかしい、楽しい部分も含めて、圓生師匠の魅力があるんじゃないの?」
といった表現をされておりましたけど、全くその通りなんで、「拙を蔵する楽しさ(を作る上手さ)」が落語や寄席の根底にはあるんじゃないでしょうか。

落語協会の場合は、最初にいったように、落語への取り組み方が、みなさん大変に真面目で、書生風に研究的、かつ文芸的。おかしさより上手さを優先して追求している印象が最近ますます強まっているように思うのですよ。
古典芸能批評家の小山観翁氏がかつて、今の松本幸四郎丈以降の世代で、歌舞伎役者の日常の生活ぶりが余りにも“普通の社会人化”していることへ、「普通の若者の舞台を、観客が金を払って見たいと思うか?」と懸念を表しておられましたけれど、落語協会の落語家さんにも、「学生・研究者・文化人の落語を聞いて面白いか?」という疑念を私は感じてしまうのであります。
その結果、描写力は上手くなっても、同時に説明的になっちゃって、聞いていて肩が凝るというか、うっとおしい。そういう研究的・文芸的な落語に、ある意味、安藤鶴夫氏・飯島友治氏などが昭和三十年代、落語鑑賞に関して示した呪縛から、いまだに抜け出せない弱みを感じるんですね。
「自らを掘り下げろと 井戸替えじゃあるめえし」という川柳がありますけど、研究的・文芸的だと、「落語なのに野暮になる」という致命的な欠陥も生まれちゃうでしょ。

私ゃ落語協会のベテラン・中堅では、春風亭一朝師匠が大好きなんですがね、何故かってェと、一朝師の高座には先代柳朝師匠譲りの「理屈でなく江戸っ子」「上手さを隠すテレ」が感じられて、それが寄席でも落語会でも、一服の清涼剤になってるからなんでありんす。
もちろん、落語協会の中には「オレは優等生じゃねェ」と突っ張っている“個性派の師匠”もいらっしゃいます。でもね、その突っ張りにしても、圓生師や小さん師・彦六師匠の体から立ち上るように感じられた「落語家らしさ」や「芸人らしさ」を、あくまでも「芸人の矜持」「落語家はかくあるべき」って理屈として学び、目標にして突っ張ったり、スネてみせている印象が強いのです。
だから、どう傍若無人に振舞おうと、私にはなんだか青臭くて、嘘臭い印象が拭えません。「大学行っちゃったからなァ・・落語家らしさを頭で理解しちゃったり、目標にしちゃっても仕方ないか」と思えるのであります。
そりゃね、落語協会にも純然たる「書生っぽくない師匠」たちはいらっしゃいますよ。鈴々舎馬風会長や三遊亭圓歌前会長、三遊亭金馬師匠、橘家圓蔵師匠、桂文楽師匠といった、「非落語エリート」として育ち、そこから寄席の中軸を担ってきた師匠連には、「落語家らしさ」「芸人らしさ」が色濃く残ってます。けどね、各師匠が七十代を迎え、加えて“如何にも落語家らしかった”柳家小せん師匠や三遊亭歌奴師匠、桂文朝師匠が亡くなり、林家こん平師匠本格的復帰ならず、個性的エネルギッシュ派の古今亭圓菊師匠に年齢的な衰えが見える今、彩り、ヴァラエティ性が単調に感じられるのは否めませんでしょ。

かたや、芸術協会の師匠連に話を再び戻すと、「好き勝手に落語をしてる、長屋の熊公八公半ちゃん的町内の半端者の集まり」(褒めてるんですよ)ってェか、如何にも暢気に浮世離れした個性派が揃いも揃っている上に、洗練され過ぎていない演出やクスグリ、ネタまでもが、落語協会よりふんだんに残っているってェのが、落語ファンとしては嬉しい限りですねェ。
そういう演出やクスグリは、“感心させよう、上手く演じよう”という芸術的な落語洗練の見地からすりゃあ、「アナクロニズム」なのかもしんないけど、「笑芸」という落語本来の在り方としては、寧ろ正しいようにも思えてなりません。
なんたって、『酉の市』や『葛湯』みたいなネタが、芸術協会の寄席だと日常的に聞けるのだから、こりゃ凄いや。
クスグリと言えば、さきほどの池袋の『文七元結』で、長兵衛が吾妻橋から身を投げようとする文七を止めるのに、「なんでいきなり飛び込もうとするんだ。オリンピックだって、ブザーが鳴ってから飛び込むんだ」と壽輔師が言ったのは、時期的にもタイムリーでおかしかったですね。
一緒にしちゃ怒る「真面目な方」もおいででしょうが、『崇徳院』の「都市対抗だね」とか、『近日息子』の「イースーピンが通るからって、チーピンがと折るとは限らない」など、落語ならではの見事にバカバカしい、タイムリーなクスグリを残された、三代目・三木助師匠絶妙のセンスが、どっかで芸術協会に受け継がれているんじゃないでしょうかね。
そう、「芸術協会、今や侮り難し」なんでございますよ、皆さん。


妄言多謝                    石井徹也(放送作家)


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■ 5月23日(金) 第17回 浜松町かもめ亭 寿輔・喜多八二人会
  出演 古今亭寿輔 柳家喜多八 各二席申し上げ候

http://ent.pia.jp/pia/event.do?eventCd=0813168&perfCd=001

投稿者 落語 : 21:06

2008年05月02日

食らえ丼飯っ!!

ゴールデンウィークですねぇ。

どうですか、お休みはありますか?
ご予定は決まっていますか?

5月1日から4日まで、下北沢にある「しもきた空間リバティ」で、ナイスな会が開かれていますよ☆

「渦 18」
渦18.jpg


らくご・トーク・コント・シャッフル・と、日替わりなメニューの4日間。

1日の「らくご渦」に行ってきました~。
タイトルは「食らえ丼飯っ!!」
食事会ではありません。・・・・・・・・・・落語会です〈笑)。

春風亭栄助さんの独演会。
前にもここで書かせて頂きましたが、栄助さんは私の大好きな二つ目さんのうちのお1人。
9月に真打ちになられます。

真打ちになってからのお名前は、「百栄(ももえ)」さん。
モモエちゃん・・・ふふふ(^^)。
なんともお名前がぴったりくる、おかっぱ頭の可愛い45歳さんです。

今回も、涙が出るほど笑わせて下さいました・・・(^W^)☆


何でも、この「百栄」というお名前はご自分で考えたのだとか。
候補は他にもあったそうで・・・ビビるよ。聞いたら。

・・・・・・・・角栄

しかも、田中家 角栄 (笑)。

流石に師匠には言えなかったそうです。
理由は・・・・・・・・・・。

「それ、いいね!」と言われかねないから〈笑)。
えぇ?!そ、そっちなのかいっ!と(笑)。

師匠は、春風亭栄枝さん
ナイスなエピソードが満載な方だとマクラで話してくださいました。

スゴいわ、ほんと。面白すぎる!

栄助さんに最初に提案した二つ目の名前が・・・
サントリー亭モルツ(マジで)!!

「サントリーからきっと仕事が来るよー。」だって(笑)。
なるほど・・・・角栄・・・賛成しかねないナイスさです(笑)。

で、栄枝さんの師匠は、春風亭柳枝さん
栄枝さんの面白エピソード。

柳枝さんが亡くなったとき、形見分けを選ぼうということになったそうです。
栄枝さんは四番弟子。着物や羽織など、かなり上等な、良い物を形見として受け取れる順番にありました。

そこで栄枝さんが放った言葉は・・・・・・・・・・・「じゃぁ・・・」

「・・・・・・・・・コーヒーメーカーを下さい。」えぇぇぇぇ~~~~~~~~~~~(笑)!!!!!

素敵な師匠のもとでの素敵な栄助さん。
ナイス師弟!であります!
ぜひ、落語、聞いてみてください!!

そして、「渦 18」、おでかけくださいませませ。リバティでの公演、毎回楽しいですよ☆

毎日コーヒーを20杯は飲む大女 文化放送 吉田涙子でしたん☆


投稿者 落語 : 14:26