« 食らえ丼飯っ!! | メイン | 「落語娘」  »

2008年05月07日

芸術協会、侮るべからず。 ~書生・落語協会VS芸人・芸術協会~

「落語協会の方が芸術協会より高級」ってイメージは、安藤鶴夫氏・飯島友治氏辺りに広まり、現在の落語ファンの間にも「芸術協会を侮る」雰囲気は残っております。
でもね、特に寄席の場合、最近よく感じることなんですけど、芸術協会の方が番組全体に彩りやヴァラエティ性に富んでると感じられませんかね?
実は先日、落語協会のある若手の落語家さんから、「ウチの協会って、何人も続けて聞くと飽きてきません?」という、ちょいと衝撃的な質問を投げかけられ、私は思わず「そうそう」と膝を打っちゃいましたよ。
事実、落語協会の団塊の世代から若手真打さん世代の方々は、芸がみんな同じ色合いで、寄席興行としては彩りやヴァラエティ性にどうも乏しい。
落語協会・立川流では、描写力など話術のテクニックに長けている中堅・若手の落語家さんに限って、どうも芸風が似ちゃっていて、良くいえば“芸が書生っぽい”。悪くいえば“芸にいかがわしさがなくて素人っぽい”。
ですから、たとえば落語協会で、三三師匠・さん喬師匠・市馬師匠・雲助師匠・白鳥師匠・志ん輔師匠・・・と続く寄席番組があるとしたら(もちろん、色物を挟んで)、落語の上手い師匠揃いで個人個人は面白いけれど、「上手さがひと色」「みんな落語と真面目に取り組む書生さんみたい」なんで印象があって、聞いているうちに飽きてくる自分が分かるんです。独演会でも二席聞くと飽きてきちゃう。この点は立川流もやや似ているんだなァ。
「落語研究会じゃないよ~! 春風亭一朝師か三遊亭歌武蔵師匠、三遊亭歌之介師匠か林家種平師匠を挟んでくれェ!」と叫びたくなってくる。妙な言い方ですけど、落語協会ではあの川柳川柳師匠だって、落語への取り組み方に関しては“書生っぽい”面が強いと私は思います。

一方、現在の芸術協会は50代~60代以上の師匠連が個性派揃い!で面白い。
三笑亭笑三師匠・橘ノ圓師匠・三笑亭可楽師匠・三遊亭圓輔師匠・三笑亭茶楽師匠・三遊亭小遊三師匠・古今亭壽輔師匠・桂歌春師匠・三遊亭栄馬師匠・柳亭楽輔師匠・瀧川鯉昇師匠 etc.etc.
この師匠たちには「落語家らしさ」「芸人らしさ」も色濃く残っていて、話術の上手い下手とは関係なく、それぞれの「芸人人生」を濃厚に感じさせてくれる高座ぶりですから、続いて出演されても聞いてて飽きないんですよ。
もちろん、芸術協会の師匠それぞれ、話術もしたたかに上手いんでずが、個性が上手さを隠してくれるもんだから、観客としては「面白い高座だ」と感じる部分優先の芸になっているんですね。「話術の芸術的洗練をめざす」なんてヒヨワな優等生じゃないのであります。
圓輔師が『三枚起請』『文違い』などの廓噺で聞かせてくれる古風で手堅い情味・・・茶楽師のサラリと洒脱な『明烏』や『紙入れ』の色気・・古今亭壽輔師(今、芸術協会で私は一番好っき!)の自虐的に皮肉な漫談や静~かな『代書屋』『猫と金魚』『ぜんざい公社』の味わい・・・歌春師のクネクネしたおかしさ・・・栄馬師の『替り目』『長短』の五代目小さん師とは違うモゾモゾした楽しさ・・・鯉昇師の『長屋の花見』や『千早振る』の飄々とナンセンスな佇まい・・・柳家蝠丸師匠が『柳田角之進』を25分で演じちゃう軽快さ・・・などに触れてると、「寄席は大人の遊び場」って雰囲気がしみじみと満喫出来て嬉しくなってきちゃう。先々代の春風亭柳橋先生から先代圓遊師匠や先代助六師匠、先代柳好師匠、亡くなった文治師匠や柳昇師匠を培った芸術教会の底力の継承、といったものすら感じられるのです。

最近の芸術協会だと、四月中席の池袋演芸場昼席に驚かされちゃいました。
仲入り前の出番で、壽輔師が『文七元結』のうち、吾妻橋から近江屋内までをなんと五日間、毎日、演じたのであります(『文七元結』の部分口演ってェのも初めて聞きました)。
実は壽輔師、四月上席、広小路亭の主任でも五日間、『文七元結』を吾妻橋から最後まで演じていたというのです(そのうち二日間は聞きました)。
ご当人曰く、「今まで新作中心だったけれど、何となく演ってみたくなったから演っただけです。特に何処かで演るという予定はありません」とのこと。
こういうノンシャランとした、「上手さの研鑽」を追及しない「大人の感覚」って奴が、落語協会には割と乏しいんですよね。
話を四月中席池袋演芸場に戻すと、壽輔師が『文七元結』を近江屋内で切り、「この続きは、次の出番の新宿末広亭で演じます」と、お客が唖然とするような口上を言って高座を降りると、続く仲入り(中主任)は茶楽師の出番。
初日の茶楽師は「只今は、壽輔さんが三遊亭圓朝作の名作『文七元結』で」と軽く触れただけで、『紙入れ』に入りましたけれど、二日目からは「続きを新宿末広亭まで聞きに行くの、皆さん大変でしょ。あたくしも演るんですが、よろしければ、続きを演りましょうか?(観客拍手・あったりまえである)え~と、佐野槌が分かったとこまででしたね・・」
そうマクラを振ると、ヒョイと気軽に近江屋内の終盤から達磨横丁の大団円まで、リレー落語で聞かせてくれたのです。しかもこのリレー、なんと四日間、続いたのだ! 私ゃ面白くて、全日、通ってしまいましたけれど、寄席の仲入り前で、何の企画もなく『文七元結』のリレーなんて聞いたことがありません。
落語協会ならば、ややミニホール落語化した感のある鈴本演芸場辺りで“特別企画『文七元結』リレー落語”てな具合に演りそうですが、それじゃさ、ちょいと客寄せ意識・商売根性が先立って嫌でしょ。お客に何の宣伝もせず、ベテラン二人が気楽に『文七元結』のリレーをしてるってェのが、如何にも寄席らしくて好ましいんですな。

こうした私の実見談を、先日、落語協会のとあるベテランの師匠にしたら、こう答えてくれました。
「この人から、上手い落語を聞かなくても良いって人、いるじゃない。“感心させてくれなくても、楽しければ良い”っていうか、それは芸人として大きな武器ですよ。
黒門町の文楽師匠や目白の小さん師匠にも、その雰囲気はあって、なおかつ落語が上手いから大したもんなんだけどね。
そういう意味でいうと、今は芸術協会の落語家さんの方が、“芸人として生活している”というか、個性的な人が多いよね。ある意味、“目標がない良さ”というか、“オレは自分が好きだから、こういう風に演ってるんだ”という雰囲気を感じますよ
一方、最近、うちの協会の連中は、みんなが“感心させよう、上手く演じよう”っていう、一つの方向を追っかけてるでしょう。
確かに、落語協会の落語家の方が、色んな意味で恵まれてることもあって、噺を演じるテクニックは上手いんだけど、みんなどっか温室育ちで、“芸人として個性的”だって人は少なくなったと思います。小さん師匠もよく楽屋で言ってましたよ。“最近の奴らは上手くなった。そのかわり凄く上手い奴はいねェ」

あと、「芸人らしさ」が落語協会より感じられる原因としては、芸術協会の師匠たちの方が、マクラや地の部分を語る際、「~でございます」という言葉遣いが遥かに多いのも、影響してるかもしれません。「~でございます」は、お客に対してへりくだっている訳ですけど、それが如何にも芸人さんのしたたかな謙虚さを感じさせてくれるのですね。
落語協会の師匠たちは、談志家元や古今亭志ん朝師匠、柳家小三治師匠の影響かと思いますが、「~ですよ」「~でしょ」が多く、下手すりゃ「~だろ」とくる。お客に対して、学校の友だちみたいな感覚の言葉遣いなのでございますよ。これじゃ「芸人らしさ」は感じにくいや。

それとね、芸術協会の師匠方の落語を寄席で聞いていると、比較的、スイスイスイッと噺が運ばれて行くんですね。
思い入れを強くしない落語、溜めない落語が多いもんだから、観客としては、聞いてて楽なんであります。それも「寄席向き」「寄席の彩りとして楽しい」ってとの一因かもしれませんな。
ひと頃、コミックの世界で流行した(今はそれが当たり前になっちゃたけど)「ヘタウマ」みたいなもので、「上手く見せないでお客を楽しませる術」ってェのが、芸術協会の師匠たちには感じられますね。
壽輔師と並ぶ“寄席の怪人”桂南なん師匠の頼りないような、アホみたいな高座なんか、「ヘタウマ」の典型なんじゃないかなァ。このタイプの落語家さんも落語協会にはいるかな? 橘家文左衛門師匠みたいに、「悪党ぶってる、その不良っぽ印象で上手さを隠している人」はいるけれど・・・
かつて、談志家元が「圓生師匠が好きだと言って、東横落語会や落語研究会で『札所の霊験』だ『包丁』ばっかり聞いてる奴らは飽きないのかね?『寄合酒』や『湯屋番』や『四宿の屁』といった馬鹿馬鹿しい噺、セコいけどおかしい、楽しい部分も含めて、圓生師匠の魅力があるんじゃないの?」
といった表現をされておりましたけど、全くその通りなんで、「拙を蔵する楽しさ(を作る上手さ)」が落語や寄席の根底にはあるんじゃないでしょうか。

落語協会の場合は、最初にいったように、落語への取り組み方が、みなさん大変に真面目で、書生風に研究的、かつ文芸的。おかしさより上手さを優先して追求している印象が最近ますます強まっているように思うのですよ。
古典芸能批評家の小山観翁氏がかつて、今の松本幸四郎丈以降の世代で、歌舞伎役者の日常の生活ぶりが余りにも“普通の社会人化”していることへ、「普通の若者の舞台を、観客が金を払って見たいと思うか?」と懸念を表しておられましたけれど、落語協会の落語家さんにも、「学生・研究者・文化人の落語を聞いて面白いか?」という疑念を私は感じてしまうのであります。
その結果、描写力は上手くなっても、同時に説明的になっちゃって、聞いていて肩が凝るというか、うっとおしい。そういう研究的・文芸的な落語に、ある意味、安藤鶴夫氏・飯島友治氏などが昭和三十年代、落語鑑賞に関して示した呪縛から、いまだに抜け出せない弱みを感じるんですね。
「自らを掘り下げろと 井戸替えじゃあるめえし」という川柳がありますけど、研究的・文芸的だと、「落語なのに野暮になる」という致命的な欠陥も生まれちゃうでしょ。

私ゃ落語協会のベテラン・中堅では、春風亭一朝師匠が大好きなんですがね、何故かってェと、一朝師の高座には先代柳朝師匠譲りの「理屈でなく江戸っ子」「上手さを隠すテレ」が感じられて、それが寄席でも落語会でも、一服の清涼剤になってるからなんでありんす。
もちろん、落語協会の中には「オレは優等生じゃねェ」と突っ張っている“個性派の師匠”もいらっしゃいます。でもね、その突っ張りにしても、圓生師や小さん師・彦六師匠の体から立ち上るように感じられた「落語家らしさ」や「芸人らしさ」を、あくまでも「芸人の矜持」「落語家はかくあるべき」って理屈として学び、目標にして突っ張ったり、スネてみせている印象が強いのです。
だから、どう傍若無人に振舞おうと、私にはなんだか青臭くて、嘘臭い印象が拭えません。「大学行っちゃったからなァ・・落語家らしさを頭で理解しちゃったり、目標にしちゃっても仕方ないか」と思えるのであります。
そりゃね、落語協会にも純然たる「書生っぽくない師匠」たちはいらっしゃいますよ。鈴々舎馬風会長や三遊亭圓歌前会長、三遊亭金馬師匠、橘家圓蔵師匠、桂文楽師匠といった、「非落語エリート」として育ち、そこから寄席の中軸を担ってきた師匠連には、「落語家らしさ」「芸人らしさ」が色濃く残ってます。けどね、各師匠が七十代を迎え、加えて“如何にも落語家らしかった”柳家小せん師匠や三遊亭歌奴師匠、桂文朝師匠が亡くなり、林家こん平師匠本格的復帰ならず、個性的エネルギッシュ派の古今亭圓菊師匠に年齢的な衰えが見える今、彩り、ヴァラエティ性が単調に感じられるのは否めませんでしょ。

かたや、芸術協会の師匠連に話を再び戻すと、「好き勝手に落語をしてる、長屋の熊公八公半ちゃん的町内の半端者の集まり」(褒めてるんですよ)ってェか、如何にも暢気に浮世離れした個性派が揃いも揃っている上に、洗練され過ぎていない演出やクスグリ、ネタまでもが、落語協会よりふんだんに残っているってェのが、落語ファンとしては嬉しい限りですねェ。
そういう演出やクスグリは、“感心させよう、上手く演じよう”という芸術的な落語洗練の見地からすりゃあ、「アナクロニズム」なのかもしんないけど、「笑芸」という落語本来の在り方としては、寧ろ正しいようにも思えてなりません。
なんたって、『酉の市』や『葛湯』みたいなネタが、芸術協会の寄席だと日常的に聞けるのだから、こりゃ凄いや。
クスグリと言えば、さきほどの池袋の『文七元結』で、長兵衛が吾妻橋から身を投げようとする文七を止めるのに、「なんでいきなり飛び込もうとするんだ。オリンピックだって、ブザーが鳴ってから飛び込むんだ」と壽輔師が言ったのは、時期的にもタイムリーでおかしかったですね。
一緒にしちゃ怒る「真面目な方」もおいででしょうが、『崇徳院』の「都市対抗だね」とか、『近日息子』の「イースーピンが通るからって、チーピンがと折るとは限らない」など、落語ならではの見事にバカバカしい、タイムリーなクスグリを残された、三代目・三木助師匠絶妙のセンスが、どっかで芸術協会に受け継がれているんじゃないでしょうかね。
そう、「芸術協会、今や侮り難し」なんでございますよ、皆さん。


妄言多謝                    石井徹也(放送作家)


---------------------------------------------------------------------

■ 5月23日(金) 第17回 浜松町かもめ亭 寿輔・喜多八二人会
  出演 古今亭寿輔 柳家喜多八 各二席申し上げ候

http://ent.pia.jp/pia/event.do?eventCd=0813168&perfCd=001

投稿者 落語 : 2008年05月07日 21:06