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2011年08月21日

京都に住みたい!


誰にでも一生のうちにいちどは住んでみたい街や国があるでしょう。
ぼくの場合、京都は昔から憧れの街のひとつ。

なぜ京都?
それは人生における楽しみをこれほど満喫できる街はないから。

ぼくの人生の楽しみは実にシンプルで、
本を読むことと食べること、このふたつしかありません。

京都はまず本屋さんがとても充実しています。
寺町二条の三月書房なんて小さいのに人文学系の品揃えが素晴らしいし、
一乗寺の恵文社なんてその後東京でもマネする店が続出したセレクト書店の走りだし、
百万遍あたりにもいい古書店がいくつもあるし、
ともかく日がな一日本を読んで過ごすのにこれほど適した街はありません。

食べ物屋さんの充実ぶりは言うに及ばず。
といっても、「京都の食」というと、京懐石などをイメージされる方が
多いのではないかと思いますが(たしかにそれも美味しいですけど)、
京都はむしろ日常の食がとても充実しているのです。

哲学者の鷲田清一さんがお書きになった
『京都の平熱』(講談社)という面白いエッセイ集があります。

平熱というのは日常のことで、京都育ちの鷲田さんが
いくつもの京都の日常の顔をみせてくれる実に楽しい一冊なのですが、
この本の中で、「京都はラーメン王国である」という指摘が出てきます。

おっしゃるとおり京都はラーメン激戦区で、
「本家第一旭」とか「新福菜館」とか
東京でも知られる「天下一品」とか有名な老舗ラーメン店が多数あります。

この他、昔あるコメンテーターの方から、
「いや、京都人はモダンだから洋食も充実しているよ」と教えられて、
そういう目で探してみると、なるほど美味しい洋食店がとても多いことに気づいて
意外の念に打たれたこともあります。

個人的にはここに「カフェ王国」という言葉を加えてみたい。
朝早くからやっている老舗カフェが多いのも京都のいいところ。
イノダコーヒー本店で「京の朝食」を食べながら、
あるいはスマート珈琲店でフレンチトーストをつまみながら、
朝からゆっくり文庫本を開く……。
もう想像するだけでカラダじゅうが幸福感に包まれていきます。

はぁ……、京都に住みたいなぁ……。

と、こんなふうにひとり深夜に妄想にふける中年男がいる一方で、
「そうだ、京都に住もう」
とすぱっと決断して京都に家を購入してしまった中年男もいます。

『そうだ、京都に住もう』(京阪神エルマガジン社)は、
フリーライターの永江朗さん夫婦が、京都で家探しを始めて、
築年数不明の町家を購入してリノベーションするまでの悪戦苦闘ぶりを描いた一冊。
建築エッセイでもあり、京の街ガイドでもあるという、とてもユニークな一冊です。

永江さんはすでに世田谷に「ガエハウス」と呼ばれる小さな家をお持ちで、
その建築の様子は『狭くて小さいたのしい家』(原書房)にまとめられています。

「アトリエ・ワン」という建築家ユニットが設計したこの家は、
永江さんが保有する本棚50メートル分の書籍を、
狭い空間にいかに収容するかという課題を見事に解決していて、
同じように本の収容に悩む者からすると、まさに夢のような家です。

そんな素晴らしい「ガエハウス」がありながら、なぜ京都に?

ふとしたきっかけから始まる永江夫婦の家探しの物語は、
ぜひ本書で読んでみてください。

京都では不動産契約のときに振り込みや小切手ではなく、
現金を持参すると知らされて驚いたり(ひったくりに遭うおそれもあるので、
現金と気づかれないよう大金をゴミ袋に入れて運ぶそうです。ホント?)、
京都ならではのご近所との距離感に新鮮な思いを味わったり、
興味深いエピソードが満載で飽きることがありません。

でも、そういう個別エピソードの面白さもさることながら、
この本のいちばんの魅力を一言で云うなら、それは、
「答えのわからないものを手探りで探す面白さ」
ということになるのではないでしょうか。

建築というのは、
建築家と施主が対話を積み重ねて、
お互いのイメージを徐々にかたちにしていくプロセスです。

言葉のキャッチボールを繰り返すうちに、
自分がイメージしていた以上のものを相手から提示されて、
「そうか、そういう考え方もあるんだ」と目から鱗が落ちる。
こういうスリリングなやりとりが建築の醍醐味ではないかと思うのです。

永江さんのこの本には、そういう建築の快楽というか、
新しいモノが生み出されるときの熱気のようなものが詰まっているからこそ、
読んでいるとこちらもお尻がムズムスしてきて、
明日にでも京都に家探しに行きたくなってしまうのでしょうね。

永江さんの本では、
冒頭でご紹介した哲学者の鷲田清一さんとの対談本、
『哲学個人授業』(ちくま文庫)もおすすめです。

いろんな哲学者の決め台詞や殺し文句を題材に、
哲学を日常にひきつけてわかりやすく紐解いた一冊。

鷲田さんのやわらかい京都弁での解説を読んでいると、
それこそ京都の老舗カフェでとなりのテーブルに座るお二人の
会話を聞きながら耳学問をしているような気分にひたれます。

投稿者 yomehon : 00:55

2011年08月16日

進化し続ける「新宿鮫」


長いこと本を読んでいると、ひとくちに読書といっても、
いろいろな愉しみかたがあるということがわかってきます。
「シリーズものを追いかける」というのもそのひとつ。

もちろん現在進行形で追いかけるからには、作者は現役であることが条件。
いまかいまかと待ち焦がれた新作のページを開く瞬間の幸福感といったらありません。


たとえばジェフリー・ディヴァーのリンカーン・ライムシリーズ
四肢不自由の科学捜査官リンカーン・ライムが活躍するこのシリーズは、
次々に現れる凶悪犯罪者との知恵比べが最大の読みどころですが、
もうひとつ、周囲の人々との関わりの中でライムが徐々に心を開いていき、
生きることに前向きになっていくプロセスも、シリーズに欠かせない魅力となっています。

そういえば、このシリーズに登場した
カリフォルニア州の敏腕心理捜査官キャサリン・ダンスも、
その後独立した主人公としてシリーズ化され、
リンカーン・ライムシリーズとはひと味違った魅力を放っています。
(昨年出た『ロードサイド・クロス』は、本欄で紹介し損ねましたが
面白いのでぜひ。ネットの炎上とか現代的なテーマが盛り込まれています)


シリーズものの主人公は必ずしもヒーローばかりではありません。
「出来ればこいつとは友だちになりたくない」
というような人物を主人公にしたシリーズもあります。

マイクル・コナリーの刑事ハリー・ボッシュシリーズなどがそう。
不幸な生い立ちやベトナム戦争での体験などいろんな背景があって
他人とうまく関係が結べないボッシュは、いわば負のヒーローといえるでしょう。
(そういえば昨年出た『エコー・パーク』もご紹介できていません。
連続殺人事件の謎解きの面白さもさることながら、愛する女性との
不器用な関係の結びかたに、痛みを感じさせられてしまう作品です)


さて、我が国を代表する名シリーズといえば、
大沢在昌さんの「新宿鮫」シリーズをおいてほかにありません。

第一作『新宿鮫』が刊行されたのが1990年9月ですから、
実に20年以上にわたって売れ続けていることになります。
(そういえば『新宿鮫』には肩掛けタイプのデカい携帯電話なんてのが登場します。
時代を感じますね)


「新宿鮫」の異名を持つ新宿署の鮫島警部を主人公とした本シリーズは、
キャリア制度から落ちこぼれ、たとえ組織の嫌われものになろうとも
己の生き方を変えない鮫島のハードボイルドな人物造形と、
恋人のロックミュージシャン晶、署内で「マンジュウ(死体)」と
揶揄されながら密かに鮫島を助ける桃井警部、変わり者鑑識官の薮ら、
魅力的な登場人物たちによって、ミステリー界を代表する人気シリーズとなりました。

20年も続いていると、さすがにいろいろなことがあって、
4作目の『無間人形』では直木賞受賞というエポックな出来事がありましたし
(これはシリーズものの一冊が賞をとるという珍しいケースとなりました)、
ストーリーの面でも、
6作目の『氷舞』では、初めて鮫島が晶以外の女性に心を動かしたり、
7作目の『灰夜』では、初めて新宿以外の場所が舞台となったり、
8作目の『風化水脈』では一転、新宿の歴史が物語の主役になるなど、
作品ごとにさまざまに切り口を変えながら続いてきました。


そして今年、前作から5年ぶりに発表されたのが、
『絆回廊 新宿鮫Ⅹ』(光文社)です。
シリーズ10作目。21年目突入の年に出た記念すべき新作です。

とはいえ、最初にこの新作を手に取ったときはちょっぴり不安でした。
シリーズも9作を数えてなんとなく安定路線に入りつつあったし、
「いろんなことをやり尽して、さすがにもうマンネリなんじゃ……」
そう思ったのです。

でも嬉しいことにその心配は杞憂でした。

結論から申し上げましょう。
この『絆回廊』は、新宿鮫シリーズの最高傑作であると断言します!!


物語は鮫島がクスリの売人の取引現場をおさえたことに端を発します。
売人は見逃してもらうかわりにネタを提供するといい、
警官を殺すために拳銃を手に入れようとしている男がいる、といいます。
しかも男は誰か特定の警官への復讐を考えているようだったというのです。
男が口にしたという、現在は解散した組の名前だけを手掛かりに、
たったひとりで捜査を始める鮫島。
やがて鮫島は特殊な中国人犯罪集団の存在を突き止めるのでした……。


ネタバレになるのであまり詳しく書けないのですが、
この『絆回廊』をもってして「シリーズ最高傑作」とする理由は、
鮫島にこれ以上はあり得ないというくらいの試練が課されるからです。

シリーズもめでたく10作目。
しかも読者から絶大な人気を博しているとなれば、
マンネリをむしろ歓迎して、ただひたすらに読者が喜びそうな物語だけを提供して
安定を図るというやりかたもあったはず。

でも、作者の大沢在昌さんのとった選択肢は違いました。

鮫島から大切なものを奪って絶望の淵に叩き込むという、
これまでのシリーズの流れを断ち切るような方向に踏み出したのです。

これには驚きました。
この先、新宿鮫シリーズはどうなってしまうのだろう?
おそらく、作者にもこの先の展開はみえていないはずです。
にもかかわらず、ここで鮫島にあえて十字架を背負わすというのは……。

『ミステリーの書き方』日本推理作家協会編著(幻冬舎)は、
現役作家が惜しげもなく執筆の極意を披露したたいへん面白い一冊なのですが、
この中で大沢在昌さんがまさに「シリーズの書き方」について答えています。
大沢さんは小説をシリーズ化する場合のポイントについてこんなふうに話しています。


「小説のかたちを変えるということです。最初に言っておかないといけないのは、
小説を書くとき、とくにシリーズものはそうなんですが、僕はまず『かたち』を
考えるんですよ。今度はどんなかたちの小説にしようかと」


なるほど。
たしかに『絆回廊』は、これまでのどの「新宿鮫」とも違うかたちの小説です。
なにしろシリーズを通じて当たり前のように存在していた大切なものを、
鮫島の手から奪い取ってしまうのですから——。

20年にわたって走り続けてきた物語を
さらに加速させるために作者がとった手法は、
これまで積み重ねてきたものを壊すことでした。

この肚の据わりかた。
面白い小説を書くためなら、これまでのキャリアなんぞ
捨て去ってもいいのだという作者の声が聞こえてくるようです。

作者自身を追い込みかねない、
より緊張感のある展開へと舵をきったことで、
安定路線に傾きつつあった物語は見事に息を吹き返しました。

後に振り返ったときに、
『絆回廊』は、新宿鮫シリーズのリスタートを告げた
記念碑的作品であるといわれることになるでしょう。

でも……はたして鮫島は立ち直れるんだろうか。

いまからそんなことを心配しつつ、
次回作から幕を開けるであろう
シリーズの第2ステージがいまから楽しみでなりません。

投稿者 yomehon : 22:28

2011年08月08日

高校野球の夏がやってきた!


「夏休み」という言葉にはどこか甘く懐かしい響きがあります。
ひと夏のあいだ毎朝通ったラジオ体操や、
扇風機の心地よい風を感じながらの午睡や、
口元から喉へ伝い落ちていくスイカの汁の感触など、
誰にでも忘れられない夏休みの一場面があるのではないでしょうか。

夏休みと聞いて決まって思い出すのはこんな光景です。

その日ぼくは、家の目の前にある中学校のグラウンドへ行き、
木陰のベンチに寝そべって本を読んでいました。
読んでいたのは梅崎春生の『桜島』で、ふと顔をあげると、
真夏の強い太陽に照らされた影ひとつないグラウンドと、
その向こうにむくむくとそびえる入道雲がありました。
視界には人っ子一人おらず、
景色全体が白く発光して静止しているかのようでした。
どこからともなく高校野球中継の歓声が聞こえてきました。

あの時に感じた
「このまま永遠に夏休みが続くのではないか」
という感覚を、いまでも思い出すことがあります。
きっかけは高校野球。
高校野球の中継が聞こえてくると
きまって記憶のスイッチが入り、あの時の感覚が甦ってくるのです。

今年も高校野球の季節がやってきました。

1915年に始まった全国高校野球選手権は今年で93回目。
その間、優勝した投手を数えると89人となります。
長い甲子園大会の歴史の中で、89人の「選ばれた人間」がいるわけです。

『永遠の一球 甲子園優勝投手のその後』
松永多佳倫 田沢健一郎(河出書房新社)
は、
高校生にして甲子園優勝投手という栄誉に輝いた男たちの、
その後の人生を追ったスポーツノンフィクション。

取り上げられているのは、6人の優勝投手と、
番外編として1名の準優勝投手。
鳴りもの入りでプロの世界に入ったものの、
紆余曲折のプロ生活を送った後に戦力外通告を受け、
第2の人生を歩む男たちの姿が描かれます。

個人的に胸に迫ってきたのは、
1984年に行われた第66回大会の優勝投手、
取手二高の石田文樹投手。

この年の大会が野球ファンの記憶に刻まれているのは、
取手二高が決勝で対戦したのが、
かの桑田・清原のKKコンビを擁するPL学園だったからです。

豪雨のため試合開始時間が延びたうえに、試合は延長戦に突入。
延長十回表にホームランが飛び出し、
取手二高が劇的な勝利をおさめるという展開は、
名勝負として長く語り継がれるのにふさわしい試合でした。
取手二高のキャッチャー中島選手の大根切りの豪快なホームランや、
石田投手が清原選手に投じた人を食ったような超スローボールなどのシーンは、
当時ぼくは中学生でしたが、いまだに覚えています。

組み合わせ抽選会ではボンタンに剃り込みと細い眉。
グラウンドに出れば自由奔放なのびのびプレー。
腕白な取手二高ナインは鮮烈な印象を残して甲子園を去りました。

石田文樹投手は卒業後、名門早稲田大学に入学しますが、
わずか十ヶ月で退学。
その後、社会人の日本石油に拾われ実績を残し、
横浜大洋ホエールズにドラフト5位で指名されます。
プロでは実働6年、通算成績は25試合登板、
投球回数33回3分の1、1勝0敗、防御率4・59。

現役引退後は、打撃投手として球団に残り、
14年間にもわたってチームを支え続けた
石田さんの体に異変が生じたのは、
2008年2月の春季キャンプのときでした。
病院の診察の結果は大腸ガン。それもすでに手遅れの状態でした。

石田さんが41歳でお亡くなりになった時、
スポーツ紙が一面で大きく報じたことを覚えている方もいるでしょう。
その時の日刊スポーツの見出しは、
『清原・桑田を倒した取手二v腕 石田さん四十一歳急死』
というものでした。

野球ファンにとっては、
石田文樹という名前は何年たってもやっぱり
「あの優勝した取手二高のエースの・・・」
という形容とともに語られるものなのでしょう。

けれども、この『永遠の一球』で描かれる石田さんの姿は、
彼のピッチングに魅了された多くのファンがおそらく知らなかったもので、
特にガンとの戦いの日々は涙なしには読めません。

甲子園優勝という、いわば人生の絶頂を
高校生で極めてしまった彼らを待っているのは、
その後の長い長い人生です。
人間、長く生きていればやっぱりいろいろなことがある。
でも『永遠の一球』を読んでていて思うのは、
さまざまな人生の苦難に立ち向かう彼らを支えているのが、
あの甲子園での経験だということ。
あの夏、完全燃焼した経験が今を支えているのだということです。

甲子園での戦いは、彼らの中に確実に何かを残すようです。
その成長のプロセスを丹念に追ったノンフィクションが
『佐賀北の夏 甲子園史上最大の逆転劇』中村計(新潮文庫)。

2007年の夏。
前年に県大会初戦で敗れ去っていた公立高が、
甲子園常連の強豪校を次々に撃破して全国制覇をなしとげます。
スター選手はひとりもいない。
全国的には無名の公立進学校。
そんな高校がなぜ頂点にまでのぼりつめることができたのかを、
本書は監督や選手への綿密なインタビューで解き明かしています。

佐賀北の優勝は当時「奇跡」と言われましたが、
この本を読むとそれは決して奇跡などではなく
「必然」だったことがわかります。
その裏にあったのは、生徒の潜在能力を最大限に引き出す指導法。
甲子園での戦いをくぐり抜けていくうちに、
子供たちは眠っていた能力を開花させ、驚くほどの成長をとげるのです。

すぐれたスポーツノンフィクションとしてのみならず、
教育論や組織論としても鋭い示唆を与えてくれる一冊です。
『永遠の一球』とあわせてぜひどうぞ。

投稿者 yomehon : 00:35

2011年08月03日

『FBI美術捜査官』は犯罪ノンフィクションの大傑作だ!!


2007年マイアミ。
ビーチに向かうスカイラインを1台のロールスロイスが疾駆していた。

防弾ガラスを入れ、装甲を施された車のトランクには、
ドガ、ダリ、クリムト、オキーフ、スーティン、シャガールの名作が
無造作に積まれている。絵はいずれも盗品だ。

車に乗っているのは、暗黒街にコネクションを持つ2人のフランス人と、
アメリカ人の美術商。

マリーナに着いた3人は、豪華な白いヨットに乗り込み、
たっぷり1時間のクルーズに出かける。

デッキには冷えたシャンパンやフルーツが用意され、
ビキニ姿のブロンドの美女たちが待っていた。

いや、待っていたのは美女だけではない。
コロンビアの麻薬ディーラーとその取り巻きたちも彼らを待っていた。

マイアミ湾の上で、これから盗品絵画の売買が始まろうとしていた――。


まるでハリウッド映画のようなシーンですが、
これは映画なんかではなく、実際にあった出来事。
しかも2人のフランス人を除く全員が、FBIの潜入工作員というから驚きます。

そう、ブロンドの美女も、コロンビアの麻薬ディーラーとその手下も、
ヨットの船長も、給仕も、アメリカ人の美術商も、すべてFBIの捜査員。

冒頭のシーンは、
盗まれた絵画を取り戻すために仕組まれた囮捜査の一環だったのです。


『FBI美術捜査官 奪われた絵画を追え』(柏書房)は、
美術館や博物館から忽然と姿を消した歴史的傑作を取り戻すために、
長年にわたって命がけの潜入捜査を行ってきたFBIの名物捜査官の回想録。

いやーもう、書店で手に取った瞬間から、
面白そうなニオイがプンプンしていたのですが、
案の定、読み始めたら個々のエピソードのあまりの面白さに
ページを捲る手が止まらず、そのまま徹夜で読み切ってしまいました。

この本の著者は、ロバート・K.ウィットマン。
アメリカ人の父と日本人の母を持つハーフで、
FBI特別捜査官として美術犯罪チームの創設に尽力した凄腕の美術探偵です。

冒頭のマイアミビーチでの囮捜査で
彼がなりすましていたのが「ボブ・クレイ」と名乗るアメリカ人美術商。

そして、この囮捜査は、
合衆国史上最大の窃盗事件といわれる未解決事件を解決するための
ほんの前哨戦にすぎなかったのです。


合衆国史上最大の窃盗事件――。
その事件が起きたのは1990年3月、霧の夜のボストンでした。

分子生物学者・福岡伸一さんの傑作科学エッセイ
『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)にこんな場面がでてきます。

福岡さんは当時、
ハーバード大学医学部の研究員として
新しいタンパク質を発見するために日夜実験を繰り返していました。
世界中に競争相手がいて、
いつ第一発見者の座をとられるかわからないプレッシャーの毎日。

ある朝、研究室に出勤した福岡さんは、同僚の研究者に
「シンイチ、知っているかい。とられちゃったんだよ」
と言われ、一瞬、言葉を失います。

よくよく説明を聞いて、ようやく福岡さんは、
とられたのは自分たちが探し求めているものではなく、
ハーバード大医学部からほんの数ブロック離れた
イザベラ・スチュワート・ガードナー美術館に飾られていた
名画だということに気がつくのです。


この時、盗まれたのは、
フェルメールの名画『合奏』やレンブラント唯一の海景画や自画像、
ドガの素描などで、被害総額は5億ドル。
500万ドルの懸賞金がかけられるも、いまだ事件は解決に至っていません。

「ガードナー事件」といわれるこの未解決事件との対決が描かれた
「第四部 オペレーション・マスターピース」が本書のクライマックスですが、
ぼくがもっとも惹きこまれたのは、著者が手掛けた数々の事件を振り返る
「第三部 作品群」でした。

著者が取り戻したのは、ヨーロッパの名画だけにとどまらず、
ノーマン・ロックウェルの絵画や南北戦争の連隊旗、
ジェロニモの頭飾りや権利章典の写本、
パール・バックの『大地』の原稿にいたるまで、実に多岐にわたります。

どのエピソードをとってもハズレなしの面白さなうえに、
どれもそれだけで映画が1本撮れそうなくらい内容が濃い。
もう、寝食を忘れて夢中で読んでしまいました。

また、個別エピソードが群を抜いて面白いのもさることながら、
もうひとつ、本書を読み応えのある作品たらしめているのが、
著者ロバート・K.ウィットマンその人の半生だということも忘れてはいけません。

人種差別を受けた少年時代、
FBI捜査官に憧れながら回り道をした青年時代、
念願のFBI捜査官になった著者を襲った大きな挫折、
硬直化した組織との軋轢などなど、
本書で語られる著者の半生が実に読ませるのです。

この人の語り口の上手さは天性のものなのでしょう。
おかげで、本の中で主人公をはじめとする登場人物たちは、
どれもあたたかい血の通ったキャラクターとして僕らの前に立ち現れます。

この手の特殊な職業に従事した人の本は、
往々にしてトリビア的な内容に偏りがちですが、
この本は、そうした著者の語り口の上手さもあって、
数々の人間ドラマがぎゅっと詰まった一冊にも仕上がっているのです。

とかく殺人事件や麻薬事件に比べて軽視されがちな
美術品の盗難事件について、著者は次のようにいいます。


「美術品泥棒はその美しい物体だけではなく、
その記憶とアイデンティティをも盗む。歴史を盗む」

「われわれの仕事は歴史の一片、過去からのメッセージを守ることにある」


事件が解決したことを華々しく発表する記者会見の模様を、
潜入捜査員の著者は、いつもカメラに映らない位置からそっと見つめていました。
その姿に古の侍のイメージを重ねてしまうのはぼくだけでしょうか。

著者は日本版刊行にあたって、
巻末に「日本のみなさんへ」と題した一文を寄せています。
日米のハーフの著者ならではの思いが綴られたこの短い文章も心に残ります。


頭から尻尾までぎっしりアンコが詰まった『FBI美術捜査官』。
ぜひとも手にとっていただきたい一冊です。

投稿者 yomehon : 01:54