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2006年06月07日

サッカーと兄弟喧嘩

「ヘルツォーゲンアウラッハ」という舌を噛みそうな名前の村が
ドイツにあります。この小さな村を流れるアウラッハ川をはさんで、
ルドルフとアドルフという兄弟が住んでいました。

ある日のこと。
両家で行われるパーティーの話題で村は持ちきりになりました。
なにしろアドルフの家を訪ねて来るのが、
サッカー史に残る名選手、皇帝フランツ・ベッケンバウアー。
ルドルフ家が客として迎えるのが、あの神様ペレなのですから。

けれど、お互いに超有名選手を客として迎えているにもかかわらず、
いや、そもそも兄弟であるにもかかわらず、
川をはさんだ両家のあいだに人の行き来はありませんでした。
なぜならルドルフとアドルフの仲は、修復不可能なほどこじれていたからです。

1920年、この小さな村で
「ダスラー兄弟商会」という製靴工場が産声をあげます。
弟のアディことアドルフ・ダスラーは、靴底に尖った釘を打ち込んだ
初期のスパイクシューズを考案するほど腕のいい靴職人。
兄のルドルフは声が大きく外向的で、優秀な営業マンでした。

当時のナチ政権がスポーツ振興に力を入れたことを追い風に、
「ダスラー兄弟商会」は業績をのばします。
しかし、第二次大戦がルドルフとアディに決定的な確執をもたらすのです。

その後、袂を分ったふたりは、それぞれがブランドをたちあげました。
アディ・ダスラーは自分の名前と姓を縮めて「アディダス(Adidas)」と名付け、
ルドルフは当初「ルーダ」としましたが、どうもあか抜けない感じがしたので
より軽快な印象の「プーマ(Puma)」をブランド名としました。

『アディダス VS プーマ もうひとつの代理戦争』バーバラ・スミット著
(ランダムハウス講談社)
は、巨大ビジネスに成長した現代のスポーツイベントと
スポーツメーカーとの関係の歴史を描き出したきわめて面白いノンフィクション。
なんとその歴史は、ふたりの兄弟喧嘩から始まっていたのです。

スポーツメーカーにとって、
有名選手にシューズやウェアを使ってもらう宣伝効果は計り知れません。
そのために、オリンピックやワールドカップを舞台に、
アディダスとプーマは熾烈な戦いを繰り広げます。
その争いはルドルフとアディが亡くなったあとも
子供たちに受け継がれるのですが、
ひとつ面白いエピソードがあります。


1970年のメキシコ・ワールドカップのとき、
ホルスト(アディの息子)とアーミン(ルドルフの息子)は、
ひとつの取り決めを交わします。
「ある選手だけには決して手を出さない」

それはブラジルのペレでした。
この稀有な才能を持つ選手を奪い合ったら、
金額がどれだけ高騰するかわからない。
だから神様ペレにだけは手を出さないようにしよう。
ふたりはこれを「ペレ協定」と呼んでいました。

ところが、もともとプーマがブラジルチームに食い込んでいたこともあって、
ペレ自身は、どうして自分にはプーマから話が来ないのだろうと考えていました。
これを知ったプーマは神様ペレと提携する誘惑に抗しきれず、
結局、協定を反故にしてしまうのです。
まさに仁義なき戦い。当然のごとくアディダスは激怒しました。
しかしこの提携はプーマに計り知れない恩恵をもたらしました。

「(ワールドカップの)閉幕が近づいたある試合で、ヘニングセンとペレは
ちょっとした仕掛けを考えついた。キックオフの直前にペレが審判に話しかけ、
ちょっと待ってくれるように頼む。それからペレは膝をつき、
おもむろに靴紐を結び直す。数秒の間、世界の何百万というテレビ画面いっぱいに
ペレの靴が映し出されるというわけだ。」(125P)


それにしてもキックオフの前に靴紐を結び直す行為が
まさかシューズの宣伝のためだとは・・・。

古館サンが実況ならさしずめ
「神様ペレといえども昂ぶる気持ちを抑えきれないのかーっ!!」
みたいに煽りに煽るシーンでしょう。
そしてそれを耳にした僕のようなシロウトが
「すげぇ!ペレも緊張してるぜ!!」
とコーフンして思わずビール缶を握りつぶしてしまったりするわけです。
でも、実際は特定メーカーの商品のアピールだったという・・・。

なんとも脱力してしまうエピソードですが、
現在の選手はそれこそ頭の先から足のつま先まで
さまざまな企業のサポートを受けているのです。

5年の歳月をかけて世界各国を取材しただけあって、
本書にはこのようなエピソードが豊富です。
商売敵として対立するホルスト(アディダス)とアーミン(プーマ)を仲裁したのが
オニツカタイガー(現アシックス)の創業者である鬼塚喜八郎氏だったとか
日本のメーカーの話もたびたび出てきますし、
なにしろ本書のプロローグからして中村俊輔選手にまつわるエピソードです。

ちなみに中村俊輔選手が今大会で身につけるのは、
アッパーやインソール、スタッド(スパイクピン)を天候やピッチの状態によって
付け替えられる世界初の「モジュラーシューズ」。
開発したのはアディダスだそうです。

読めばついつい有名選手の足下などに目がいってしまうことうけあい。
ワールドカップを人とは違った角度から楽しみたい方にこの本をオススメします。

投稿者 yomehon : 00:05

2006年06月02日

松尾バナナさんのこと

書店の平台でやたらと目立つ本があるので、
「なんだろう?」とみると、『えんぴつで奥の細道』(ポプラ社)という本でした。
要するに、松尾芭蕉の「奥の細道」の文章を鉛筆でなぞるという本なのですが、
これが売れているらしい。しかも大ヒットらしいですね。知りませんでした。

こういう本が売れる理由はなんでしょうか。
名人(大迫閑歩さん)の字をなぞるわけですからペン字は上達しそうです。
けれど、字をなぞるだけではこの本が売れる理由にはならない。

やはりなぞるのが「奥の細道」だというのがヒットの大きな要因なのでしょうね。
なにしろ芭蕉は「俳聖」ですから有り難みが違います。
実際、芭蕉人気というのは大変なもので、「奥の細道」をたどるツアーなんぞは
中高年の旅行客でたいへんな賑わいをみせているそうです。


でも、そういうノリにはちょっと違和感をおぼえます。
たしかに芭蕉は天才です。
だけど同時に、ものすごく人間臭い人物でした。
そのことがあまりにも忘れられているのではないか。


そもそも芭蕉の外見からして誤解されているような気がします。
痩せていて、なんだかいかにも枯淡の境地にあるかのように描かれることの
多い芭蕉ですが、実際は小太りの中年男だったそうです。
なにしろ伊賀上野の貧しい農民だった芭蕉(幼名は金作)が
はじめてお城に召しかかえられたのは料理人としてでした。
僕がイメージする芭蕉は、血色がよく食べることの大好きな男。
だいいち、健啖家でないとあんなに旅をする体力はないはずです。

また芭蕉を、俗事を超越した聖人君子のごとく
イメージしている人がいたらこれも間違い。
芭蕉は「ヨイショ」の達人でした。
伊賀の山のなかから江戸にでてきた芭蕉は、
「挨拶句」と呼ばれる相手をほめちぎる営業句を駆使して、
実力者や金持ちなどを取り込んでいくのです。

後世になって芭蕉はどんどん神格化されていきますが、
こんなふうに等身大の芭蕉は、とても人間臭い人物です。

さらにいうなら「芭蕉」という俳号もとってもポップではありませんか。
芭蕉は「バナナ」。よしもとばななと同じで、松尾バナナなわけです。
芭蕉の前は「桃青」といいました。
これは古代中国の詩人李白にちなんだものだといわれています。
すなわち、李(スモモ)に対して桃、白に対抗して青を選んだというわけです。
李白に対抗してそんな名前をつけるのですからたいへんな自信家です。

僕は「俳聖」芭蕉よりも「俗人」芭蕉のほうによっぽど関心があります。
芭蕉を有り難がる人たちは、
その魅力的で愉しい部分をずいぶん見落としているようで
もったいないなと思うのです。

『芭蕉 二つの顔』田中義信(講談社選書メチエ)は、
「俗世を捨てた孤高の人」という晩年の芭蕉のイメージに対抗して、
処世の才に恵まれ、伊達者だった若き日の芭蕉を描き出した労作です。
農家の次男坊が俳聖になるまでの「空白の四〇年」を追って読ませます。
芭蕉の妾だった寿貞の話など面白い部分も多々ありますが、
誠実な研究者の手になる本のせいか、
芭蕉のもっとも興味深い部分、すなわち衆道(男色)に関しては
慎重な態度をとっています。

芭蕉の同性愛の問題にまでズバッと切り込んだのが
傑作『芭蕉紀行』嵐山光三郎(新潮文庫)です。
「芭蕉について書かれた本でなにか一冊紹介しろ」と言われたら
僕は迷わずこの本をあげます。

嵐山さんがスゴイのは、
頭で芭蕉のことを考えるのではなく、
足と目もフルに使って芭蕉をつかまえようとしたこと。
つまり芭蕉が歩いた全行程を嵐山さんが実際に辿りなおして、
芭蕉を読み解いたことです。

嵐山さん自身も「旅を栖(すみか)」とする旅人です。
でもただの旅人ではありません。
現実に奥の細道をたどるだけだったら、そのへんのツアー客と大差ありません。
嵐山さんが並の旅人と一線を画すのは、
現実の旅のみならず、非現実的な空間も旅できる達人でもあることです、

たとえば嵐山さんは、芭蕉が隠棲した深川の芭蕉庵付近を歩くだけではなく、
当時の「錦絵」のなかにも入り込み歩き回るという芸をもっています。


「朝起きてすぐ万年橋の錦絵を目の前におき、冷や酒を飲みつつ見つめる。
力まずにやわらかく見る。絵のディテイルに話しかけながらぬるい酒を飲む。
ゆっくりと飲んで三十分ほどするとようやく江戸万年橋を渡り始めるのだ」(46P)                  


このように、嵐山さんはあらゆるところを旅して、
芭蕉の息づかいを聞き取ろうとするのです。
その名人の手つきには目をみはってしまいます。


「松島はやたら団体観光客が多いのが難点だが、
それでも五大堂、観瀾亭といった景観にはひと昔前の絵葉書のような
たたずまいがあり、そこに芭蕉の息を聞きとればしめたものだ。
聞きとるコツはカメラで撮影をしないことで、目にやきついた景観を
記憶として胸に写しとる。景観は外面であるが耳目のシャッターを押して
内面に収納する。しかも見切る。
見切るとは、目に入ったものをスパッと斬りとることである」(269P)


達人が普段どんなふうに旅先の光景を眺めているかがわかって面白い。
と同時に、ここで述べられているのは、
芭蕉がどんなふうに風景をみつめていたかということでもあります。


さて、芭蕉を知るには芭蕉のように旅をするのがいちばんなのでしょうが、
そんな時間がそうそうあるわけではありません。
けれども時間がなくても「奥の細道」を読むことはできます。


「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり」


有名な「奥の細道」の書き出しです。
たいへんな名文だと思います。
ところで、「奥の細道」ツアーに殺到する中高年のみなさんのうち、
いったいどれだけの人が「奥の細道」を読んでいるでしょう?
たぶん読んだことのない人もこの書き出しは知っていると思います。
それくらいに有名な書き出しですけど、
「奥の細道」が全編にわたってこのトーンだと思ったら大間違い。

実際に「奥の細道」を通読してみるとわかりますが、
こういった力の入った名調子のところは、
書き出しのほかは松島とか象潟とか数カ所です。

その他は実にバラエティにとんだ内容がつづられていて、
たとえば白河の関ではふざけてみせ、
山刀伐峠では襲われるのではないかと恐怖に震え、
金沢では弟子が亡くなっていたことを知りショックをうける、といった具合。

口語訳と原文がわかりやすく併記されたうえ、注やコラム、地図なども
充実している『おくのほそ道(全)』(角川ソフィア文庫ビギナーズ・クラシックス)
おすすめです。ぜひいちど通読してみてください。

投稿者 yomehon : 15:05