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2006年06月02日

松尾バナナさんのこと

書店の平台でやたらと目立つ本があるので、
「なんだろう?」とみると、『えんぴつで奥の細道』(ポプラ社)という本でした。
要するに、松尾芭蕉の「奥の細道」の文章を鉛筆でなぞるという本なのですが、
これが売れているらしい。しかも大ヒットらしいですね。知りませんでした。

こういう本が売れる理由はなんでしょうか。
名人(大迫閑歩さん)の字をなぞるわけですからペン字は上達しそうです。
けれど、字をなぞるだけではこの本が売れる理由にはならない。

やはりなぞるのが「奥の細道」だというのがヒットの大きな要因なのでしょうね。
なにしろ芭蕉は「俳聖」ですから有り難みが違います。
実際、芭蕉人気というのは大変なもので、「奥の細道」をたどるツアーなんぞは
中高年の旅行客でたいへんな賑わいをみせているそうです。


でも、そういうノリにはちょっと違和感をおぼえます。
たしかに芭蕉は天才です。
だけど同時に、ものすごく人間臭い人物でした。
そのことがあまりにも忘れられているのではないか。


そもそも芭蕉の外見からして誤解されているような気がします。
痩せていて、なんだかいかにも枯淡の境地にあるかのように描かれることの
多い芭蕉ですが、実際は小太りの中年男だったそうです。
なにしろ伊賀上野の貧しい農民だった芭蕉(幼名は金作)が
はじめてお城に召しかかえられたのは料理人としてでした。
僕がイメージする芭蕉は、血色がよく食べることの大好きな男。
だいいち、健啖家でないとあんなに旅をする体力はないはずです。

また芭蕉を、俗事を超越した聖人君子のごとく
イメージしている人がいたらこれも間違い。
芭蕉は「ヨイショ」の達人でした。
伊賀の山のなかから江戸にでてきた芭蕉は、
「挨拶句」と呼ばれる相手をほめちぎる営業句を駆使して、
実力者や金持ちなどを取り込んでいくのです。

後世になって芭蕉はどんどん神格化されていきますが、
こんなふうに等身大の芭蕉は、とても人間臭い人物です。

さらにいうなら「芭蕉」という俳号もとってもポップではありませんか。
芭蕉は「バナナ」。よしもとばななと同じで、松尾バナナなわけです。
芭蕉の前は「桃青」といいました。
これは古代中国の詩人李白にちなんだものだといわれています。
すなわち、李(スモモ)に対して桃、白に対抗して青を選んだというわけです。
李白に対抗してそんな名前をつけるのですからたいへんな自信家です。

僕は「俳聖」芭蕉よりも「俗人」芭蕉のほうによっぽど関心があります。
芭蕉を有り難がる人たちは、
その魅力的で愉しい部分をずいぶん見落としているようで
もったいないなと思うのです。

『芭蕉 二つの顔』田中義信(講談社選書メチエ)は、
「俗世を捨てた孤高の人」という晩年の芭蕉のイメージに対抗して、
処世の才に恵まれ、伊達者だった若き日の芭蕉を描き出した労作です。
農家の次男坊が俳聖になるまでの「空白の四〇年」を追って読ませます。
芭蕉の妾だった寿貞の話など面白い部分も多々ありますが、
誠実な研究者の手になる本のせいか、
芭蕉のもっとも興味深い部分、すなわち衆道(男色)に関しては
慎重な態度をとっています。

芭蕉の同性愛の問題にまでズバッと切り込んだのが
傑作『芭蕉紀行』嵐山光三郎(新潮文庫)です。
「芭蕉について書かれた本でなにか一冊紹介しろ」と言われたら
僕は迷わずこの本をあげます。

嵐山さんがスゴイのは、
頭で芭蕉のことを考えるのではなく、
足と目もフルに使って芭蕉をつかまえようとしたこと。
つまり芭蕉が歩いた全行程を嵐山さんが実際に辿りなおして、
芭蕉を読み解いたことです。

嵐山さん自身も「旅を栖(すみか)」とする旅人です。
でもただの旅人ではありません。
現実に奥の細道をたどるだけだったら、そのへんのツアー客と大差ありません。
嵐山さんが並の旅人と一線を画すのは、
現実の旅のみならず、非現実的な空間も旅できる達人でもあることです、

たとえば嵐山さんは、芭蕉が隠棲した深川の芭蕉庵付近を歩くだけではなく、
当時の「錦絵」のなかにも入り込み歩き回るという芸をもっています。


「朝起きてすぐ万年橋の錦絵を目の前におき、冷や酒を飲みつつ見つめる。
力まずにやわらかく見る。絵のディテイルに話しかけながらぬるい酒を飲む。
ゆっくりと飲んで三十分ほどするとようやく江戸万年橋を渡り始めるのだ」(46P)                  


このように、嵐山さんはあらゆるところを旅して、
芭蕉の息づかいを聞き取ろうとするのです。
その名人の手つきには目をみはってしまいます。


「松島はやたら団体観光客が多いのが難点だが、
それでも五大堂、観瀾亭といった景観にはひと昔前の絵葉書のような
たたずまいがあり、そこに芭蕉の息を聞きとればしめたものだ。
聞きとるコツはカメラで撮影をしないことで、目にやきついた景観を
記憶として胸に写しとる。景観は外面であるが耳目のシャッターを押して
内面に収納する。しかも見切る。
見切るとは、目に入ったものをスパッと斬りとることである」(269P)


達人が普段どんなふうに旅先の光景を眺めているかがわかって面白い。
と同時に、ここで述べられているのは、
芭蕉がどんなふうに風景をみつめていたかということでもあります。


さて、芭蕉を知るには芭蕉のように旅をするのがいちばんなのでしょうが、
そんな時間がそうそうあるわけではありません。
けれども時間がなくても「奥の細道」を読むことはできます。


「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり」


有名な「奥の細道」の書き出しです。
たいへんな名文だと思います。
ところで、「奥の細道」ツアーに殺到する中高年のみなさんのうち、
いったいどれだけの人が「奥の細道」を読んでいるでしょう?
たぶん読んだことのない人もこの書き出しは知っていると思います。
それくらいに有名な書き出しですけど、
「奥の細道」が全編にわたってこのトーンだと思ったら大間違い。

実際に「奥の細道」を通読してみるとわかりますが、
こういった力の入った名調子のところは、
書き出しのほかは松島とか象潟とか数カ所です。

その他は実にバラエティにとんだ内容がつづられていて、
たとえば白河の関ではふざけてみせ、
山刀伐峠では襲われるのではないかと恐怖に震え、
金沢では弟子が亡くなっていたことを知りショックをうける、といった具合。

口語訳と原文がわかりやすく併記されたうえ、注やコラム、地図なども
充実している『おくのほそ道(全)』(角川ソフィア文庫ビギナーズ・クラシックス)
おすすめです。ぜひいちど通読してみてください。

投稿者 yomehon : 2006年06月02日 15:05