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2008年03月10日

古今亭志ん生という“荒凡夫”ありき

先日、俳人の金子兜太氏のインタヴュー番組(BSフジ『メッセージ.jp』)に関わったのですが、そのインタヴューの中で、金子氏が江戸時代の俳人・小林一茶の語った「荒凡夫」という心のあり方について、こう仰っしゃっておりました。


金子 (小林)一茶です。
やっぱりあのおじさんにはかなわないっていう気持ちが今あります。
だからあの方は、「荒凡夫だ」なんて言って、平凡で自由な男でいいんだと。
それで、その“平凡”ていうのは、どういう意味かっていうと、自分がその欲望だらけの、
本能の固まりみたいな男だけれども、これはしょうがないっていうような言い方してるから。
作品がそれによって作られ てるから、いい句が多いと。
やっぱり自分が特殊な人間だとか、特殊な才能があるっていう前提での表現っていうのは、
限界がある んじゃないのかな。これ一般的にもどうなんでしょうか?
「自分はもうつまらない普通の人間なんだ」と。
「自分の思いを切実に書けばいいんだ」と。
「みんなと語り合えれば、さらにいいんだ」というぐらいの余裕で書かないと、表現っていうのは
達成できないんじゃないですか。
どうなんですかね?


また、インタヴュー用の資料として拝見した著書の中で、金子氏は「荒凡夫」に関してこういつことも言われています。(石井要約)

業を背負って自由に生きる。
バカはバカなりに、自由に生かしてもらいます、というのが「荒凡夫」の精神。
一茶は、一茶=俳句という存在だから、日常的なくだらなさの中にも秀でた句が生まれる。
本当の俳句というのは、日常が基本です。


こうした言葉を伺って、「ハタ!」と小膝を打ちながら私の思ったのが、五代目古今亭志ん生師匠のこと。特に、金子氏の言われる一茶=俳句を、志ん生=落語と置き換えれば、まさにドンピシャリ!
もっとも、志ん生師に思い至ったのは、このインタヴュー収録の直前、実は俳優の小沢昭一氏が志ん生師について、演劇評論家・矢野誠一氏と対談している文章を読んでいて、こんな一節に出会ったからであります。(『小沢昭一座談⑤』)


矢野
いわゆるアカデミックな学問っていうのはなかったけれど、いみじくもあの人が高座でよく言ってたでしょ、「こういうことは学校ではあまり教えねえ」って。それがすごかったし、虫だとか小動物に対する洞察力にも驚くものがありましたよね。


小沢
だから、文楽は芭蕉で、志ん生が一茶なんだよね。


 独得の俳句を詠まれる小沢氏ならではの炯眼、感覚力、比喩の賜物というべきでしょうが、「目から鱗」ってェのはこういうことでありますね。

実を申さば、これまでに数多の方が数多の「志ん生論」を書かれておりますが、それだけではどうにも割り切れないものを私は感じておりました。
「貧乏体験」だとか、「天衣無縫の発想」、「三語楼から受け継いだギャグ(立川談志家元流にいうならイリュージョン)」、「ズボラ」、「酔っぱらい伝説」、私が一番真実の志ん生像を語れる方と思っている小山観翁氏の言われた「一種の完全主義者」「晩年の圓朝作品への傾倒は笑わせるのに草臥れたから」等々のいずれにせよ、、「何か志ん生師の落語をまとめきけれない違和感」をちょっとずつ感じておりました。
そういう違和感を、小沢氏のひと言と、金子氏の語られる「荒凡夫」が吹き飛ばしてくれましたね。

たとえば、志ん生師が生前よく言われたという、「芸なんてェものは年中、出来るものじゃありません。ふだん演っているのは商売ですな」というのが、過去の志ん生論だけでは、どういう感覚・意識から来るのかが、よく分からない。

武智鉄二氏の言われた「過去に、志ん生のような名人路線はありませんでした」にも繋がりますが、「ふだん演っているのは商売ですな」という言葉は、「名人上手というのは、常に切磋琢磨してるもの」という日本の古典芸能感覚と、ハッキリ相対するものがあると思います。「名人上手というのは、常に切磋琢磨してるもの」という芸観に、黒門町の文楽師匠や柏木の圓生師匠は当て嵌まるけれど、志ん生師匠は全然当て嵌まらないでしょ。
それに対して、「日常的なくだらなさの中にも秀でた句が生まれる。本当の俳句というのは、日常が基本です」という金子氏の言葉からは、「ふだん演っているのは商売ですな」と平然と笑っている志ん生師の姿が浮かびます。

志ん生師匠にも、自宅の庭の池の辺りでズーッと池の面を見ている鳩を、居間からズーッと見ていた志ん生師がそばにいたお弟子に、「鳩に気をつけてやんなよ。身投げをするといけねェ」と言ったという逸話がありますが、これが「常に切磋琢磨」だとは私には思えない。
談志家元は著書で「(志ん生は常に)どっかで受けようとしている筈だ」という徳川夢声氏の言葉を引用されていたけれど、それは単なる分析であって、直感に導き出された真実、という切れ味のない意見にしか思えませんでした。
むしろ、一茶の「やせ蛙 負けるな一茶 これにあり」とか「やれ打つな 蝿が手をする 足をする」に近いんじゃないでしょうか。
こりゃ、徳川夢声では知性が邪魔になって分からないやね。

もちろん、「志ん生師がそれを自分の生き方論として自覚していた」なんてことは、私も思いませんよ。自覚しようと努力したりすると、談志家元になっちゃう。

でも、生きて行く中で、志ん生師はそういう風に「自分を肯定しちゃった(居直っちゃった)」のではないでしょうか。
11~12歳で女郎買いをしたり、関東大震災の最中に酒屋へかけつけて大酒を呷ったり、戦争の最中に家族を置き去りにして満州へ行っちゃったり、という無茶苦茶な人生しか送れない自分を、「しょうがない。平凡で自由な男でいい」と肯定しちゃう。
肯定しないと生きちゃいらんないし、肯定できないと自己批判と他人の目が気がかりになって、よくある破滅型芸人の人生を歩んでしまうでしょ。
そこで、「オレはこういう人なの!」と、思い切っちゃった結果の心境が、数多の志ん生伝説に繋がると同時に、『火焔太鼓』から『黄金餅』まで、「人間ってこういうもの。なんでもあり」という、文楽師匠や圓生師匠では性格的に辿りつけない(自分は才能ある落語家である、という自負心が強すぎるというか)、底光する芸の凄さも生んでしまったのではないでしょうか。
皆さんはどう思われますか?

欲望だらけの、本能の固まりみたいな男だけれども、これはしょうがない。
平凡で自由な男でいいんだと。
それで、その“平凡”ていうのは、どういう意味かっていうと、自分がその欲望だらけの、本能
の固まりみたいな男だけれども、これはしょうがない。
「自分はもうつまらない普通の人間なんだ」と。「自分の思いを切実に書けばいいんだ」と。
バカはバカなりに、自由に生かしてもらいます

志ん生師匠の落語には、寝る前や病床で聞くのに、気持ちが楽でいい、という話があります。たとえば、先代勘三郎丈が病床で毎日、『火焔太鼓』を聞いていたというエピソードもあれば、人工透析を受けながら落語のテープを聴いているという三遊亭圓楽師匠は「ことに志ん生師匠の落語はまことにゆったり聴ける。透析向きですね」と仰っしゃっています(『圓楽 芸談 しゃれ噺』)。
これなど、もしかすると、志ん生師の噺か醸し出す、誰にでもある「凡夫心」を力づけてくれる「荒凡夫」のヒーリングゆえかもしれませんよ。


妄言多謝                       石井徹也(放送作家)

投稿者 落語 : 2008年03月10日 23:49