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2009年06月29日
2009年6月29日 マイケルに捧ぐ
2009年、折り返し時でまた1つ巨星が堕ちた。マイケル・ジャクソン氏50歳。
早すぎる死である。1958年生まれの彼は、同年齢の私にとって自慢だった。
勿論会ったことはない。しかし彼が同い年と知ったとき親近感が沸いた。
「マイケルと俺たちとは月とすっぽんだけど、何だか励みになるよなあ!」
「おう、歌とダンスは神がかっているけど、いや、もう神の領域だけどさ、普段の喋りは線が細くて、心配だよな・・・」
「あんなにビッグになっても不安やコンプレックスがあるんだな」
「常に世界から注目されると、悩みも強力なんだろうか」
「よかったなあ、俺たち小市民で・・」
ホッピーを片手に高校時代からの親友とマイケルを肴に飲んだことを思い出す。その後、マイケルの『ムーンウォーク』を密かに練習したが摺り足で後ずさりする中年にしか見えず、断念した。
梅雨の晴れ間となった土曜日、マイケルの死を考えながら散歩をしていると八王子夢美術館のポスターが目にとまった。『ムットーニ ワールド からくりシアター』
ある世界
自動人形師 武藤政彦氏のからくり作品の数々が其処にはあった。テレビやイベントで見た方もいるだろうが私は初めて。これまでの『からくり』という範疇ではなくボックスの中に『ある世界』が詰まっているのだ。モダンありミステリアスなものあり、宗教的な崇高さあり。その前からしばらく動けなかった作品がある。
『ザダイアリーオブウィングズ』
ホールは真っ暗。5つの円柱がある。その上には25センチくらいの人形が立っている。目の前には風船を手にした少女。右手前には電話機の前でベルがなるのを待つ婦人。左手に女優か歌手を髣髴とさせる20代の女性。右手奥には電車の中に佇むスーツ姿の中年サラリーマン。左手奥にはボールを抱えバスケットゴールを見上げる黒人選手。彼らの中心には1冊の日記帳が立ててある。1人ずつにスポットライトが当たり、英語で1人1人が語る。どこか思いつめた、心の奥から搾り出す悲しみにも聞こえる。5人の囁きが済み。これで終わりか・・・と思った時、清らかな女性の歌声が聞こえてくる。それは天からのもの。5人は天を仰ぎ、やがて・・・・。私にはもう1人見えた気がした。
マイケルジャクソン・・・・・・
すべての苦しみから解き放たれて、安住の地へ。
心から冥福を祈る。
マイケルに捧ぐ
投稿者 joqr : 10:23
2009年06月22日
2009年6月22日 美の島
先日三宅島に行ってきた。帰島してから以前と同じ暮らしをしていると思っていた。三宅に行き、その現実を理解した。約20年に一度の噴火。現在はまだ火山性ガスが一部地域に流れてくること。高濃度地域には人が住めないこと。来島者には、ガスマスクが必携なこと・・・。それでも三宅の人達はとても明るい。噴火はこの島に住む人間にとって、1つの自然現象なのだ。
火山体験遊歩道
「皆さんに心配してもらい、ありがたいです。一時は全島避難してばらばらになったけれど、いつかは戻れると思ってた。溶岩だガスだと周りは騒ぐけど、何と言われても私が生まれ育った島だからね・・・戻って、埃まみれの家掃除して、一服したら涙がでたのよ。帰れた安心というのかな。破れた網戸も可愛くみえた。見て!燕や野鳥も元気でしょ!ガスも出るけど、生きものが帰ってきたら大丈夫。ガスにやられた人はいないからね」
温まる御言葉
一泊の短い旅だったが色々な人と話が出来た。帰り当日、船の時間まで土産物を選んでいた。すると、70に手が届きそうな夫人が車を止めて話し掛けてきた。「南大沢(八王子)に避難していたんですよ。貴方は昨日、八王子市に住んでいると仰いましたよね。その節は大変皆さんにお世話になりました。皆さんに、三宅島にきてくださいとお伝えください。いい島でしょ!?私はねここを離れられないのです」美しい空、美しい海、そして、穢れない心。魚はじめ美味しいものも数々ある。車はすべて品川ナンバーの島。ハンデがある分幸せの価値を知っている。竹芝桟橋から6時間半、そこは郷土愛と人懐っこい約2900人があなたを待っている。
可憐
美の島
投稿者 joqr : 10:33
2009年06月15日
2009年6月15日 三宅島の朝
この週末、自分がいかに周りのことを知らないか、痛感させられた。縁があり三宅島に行った。私の知識といえば、2000年に噴火があり、火山性高濃度ガスが発生した。幸いガスなどによる死傷者は一人も出なかったが、島の方達は一時全島避難という厳しい状況を味わったのである。都内数ヵ所に分散し、約4年、落ち着かない生活を強いられた・・この程度だった。避難生活当時は、連日マスコミも三宅の話題を口にした。時が流れて2009年6月、殆ど何も知らぬまま、竹芝桟橋より、サルビア丸に乗り込んだ。同じ東京都、180キロを進むのに船で6時間半。当初行きは船、帰りは飛行機を予定していた。知人にその旨を伝えると、困った顔をした。飛ぶかどうかは、当日にならないとわからないという。海に浮かぶ島特有の風や気象があるのだな・・さほど気にもとめなかった。
夜10時20分に出帆し、朝5時島の東側三池港についた。かすかに硫黄臭がする。下船して驚いた。知人はこう言った。「あなたのガスマスク、持ってるから」・・・初め何のことだかわからなかった。避難していた島民は、すべてが安全になったから帰島したわけではなかったのだ。ガスの傷跡は樹木にあらわれていた。葉を全て失い幹や枝だけが虚空を掴む、そう映る。しかし、島の人達はとても人なつっこいのだ。 つづく。
三宅島の朝
アサヒ
いのり
投稿者 joqr : 10:48
2009年06月12日
2009年5月3日 コープネット 飼料用米 生産流通協議会 副会長 永井伸二郎さん
「飼料用米」のお米というのは、家畜の飼料用に作られたお米のこと。これまで栽培コストの高いお米を飼料にすることは考えられなかったが、単位収穫量が多く栽培コストの安い品種が開発されるなど注目を集めている。とはいっても、まだまだとうもろこしなどに比べれば単価が高いのが現状です。
取り組みをはじめたきっかけは、日本の米づくりをささえたい!という思いからはじまりました。減反が進められ、多くの水田が大豆・小麦などへの転作や休耕田の対象となっている。飼料にするお米をつくることで、水田を有効に活用し、守っていくことができる。
肉の名前は「みのりぶた」。飼料の10%に飼料米を配合している。お米を使うことによって、脂の溶ける温度が低く、旨味が強くなるといわれています。生協コープの組合員に向けて販売中です。
飼料米は、岩手県のJA花巻、JA全農岩手県本部など7団体の協力によって、栽培されています。飼料米作りは長野、千葉、茨城、群馬でも始まっています。飼料米の生産農家は、食用と飼料用が混ざらないように収穫時期をずらすなどの注意を払って、収穫しています。栽培する際は、いかにコストを抑えるかがポイントです。今後は飼料米作りをしている千葉、茨城、群馬でも販売予定。豚肉も地産地消を目指していきたい!
投稿者 joqr : 13:01
2009年4月26日 野坂暘子さん
野坂暘子さんは1941年、東京のお生まれ。宝塚歌劇団に在籍中、小説家の野坂昭如さんと知り合い、1962年、21才で結婚。
40数年にわたって「野坂昭如の妻」であり、また2人の娘さんの「母」でもあり、同時に画廊の経営者、シャンソン歌手としても活躍されています。
このたび脳梗塞に倒れた夫・野坂昭如さんとの二人三脚の生活を描いた「リハビリ・ダンディ」を上梓。話題の一冊です。
投稿者 joqr : 12:56
2009年4月26日 千葉県南房総市 JA安房 「種なしビワ」部会 穂積昭治部会長
南房総の安房地区は、房総半島の南端に位置し、西側には東京湾、東側と南側には太平洋と3方を海に囲まれている。温暖な気候を生かした野菜や果実、花卉などの園芸が盛んで、びわ以外にもみかんなどの果実、花卉の産地でもあります。
種なしビワとは?名前の通り、種がないビワ 名前は「希房」です。千葉県は、長崎についで全国生産量第2位で、流通するのは、全国初。大変珍しいビワです!
開発に着手したのは、今から20年以上前。千葉県農業総合研究センターが85年から研究していた。染色体数が通常のビワより多い「三倍体」と呼ばれる種を作り出し、さらに種なしブドウにも使うジベレリンなどを使って実をつけさせた。(※ジベレリン 植物ホルモンの一種 種なしブドウにも使われている)
ジベレリンをビワにつけるタイミングがとても難しく、早いと実がつかなくなり遅いと種が入ってしまう・・・形もいびつになりがちです。
現在6件の農家で栽培中で、昨年は1年目ということでおよそ4000個の出荷だったが、今年は1万個の出荷予定。今年の生育状況は、順調です!種がない分、果肉が多く食べやすい。お年寄りや子どもにも人気です!
投稿者 joqr : 12:31
2009年4月19日 養老孟司さん
養老孟司さんは1937年、鎌倉のお生まれ。1962年、東京大学医学部を卒業後、解剖学教室に入られ、以降、解剖学者の道を歩まれました。
1981年、東京大学医学部教授に就任。専門である解剖学や脳の働きについての先端的な研究・発言をされ、注目をあつめます。
95年に東京大学を退官されて以降は、社会現象や人間のありかたに関するご本を多く書かれ、2003年に発表された「バカの壁」はベストセラーになりました。
投稿者 joqr : 11:46
2009年4月12日 養老孟司さん
養老孟司さんは1937年、鎌倉のお生まれ。1962年、東京大学医学部を卒業後、解剖学教室に入られ、以降、解剖学者の道を歩まれました。
1981年、東京大学医学部教授に就任。専門である解剖学や脳の働きについての先端的な研究・発言をされ、注目をあつめます。
95年に東京大学を退官されて以降は、社会現象や人間のありかたに関するご本を多く書かれ、2003年に発表された「バカの壁」はベストセラーになりました。
投稿者 joqr : 11:43
2009年4月12日 福岡県北九州市 合馬 たけのこ振興会 会長 三村 訓章さん
北九州市は、関門海峡に面し、九州島内最北端に位置する町。合馬は日本有数の竹林面積〈およそ1400ha〉を誇るたけのこの郷です。
合馬地区は粘土質の赤土があり、筍の生産に適しています。たけのこはアクが少なく、風味豊かでやわらかい。新鮮なものは刺身(生)でも食べられます。特に「白子」と呼ばれる筍は最高級品として取り扱われております。関西を中心に出荷され、京都の料亭などで食べられます。
たけのこの出荷時期のピークは年明けから始まり、3月~4月いっぱいが出荷のピークを迎えます。合馬地区では、130件ほどの農家がたけのこの出荷に携わっていて、先祖代々行っている人が多く、三村さんの家も江戸時代の初めからたけのこ農家。三村さんで15~16代目。3ヘクタールのたけのこ山を所持。家族で体験園を経営。たけのこ掘りができ、人気を呼んでいる。
おすすめの食べ方は、いりこだしで煮たり、鶏肉と一緒に煮付けて食べる。合馬の地区は、各家庭で糠床を持っている。一晩つけて、浅漬けにして食べるのもおいしい。
投稿者 joqr : 11:41
2009年4月5日 ケイ山田さん
ケイ山田さんはフラワーデザイナーなどの仕事を通じ、イングリッシュガーデンの奥深さに魅了され、ガーデンデザイナーに転身。90年、長野県の蓼科高原に「バラクライングリッシュガーデン」を開園されました。
2002年には世界で最も歴史のあるイギリスの「チェルシーフラワーショー」に出場され、日本人女性初の「シルバー・ギルト・メダル」賞を受賞。
現在は、ガーデンデザインのお仕事の他、活字媒体での執筆や実技指導、講演など幅広い発動をされています。
投稿者 joqr : 11:31
2009年3月29日 黒沼ユリ子さん
黒沼ユリ子さんは東京のお生まれ。小学校在学中からバイオリンをはじめられ、桐朋学園高校1年生の時、日本音楽コンクール1位を受賞。
1958年、プラハ音楽芸術アカデミーに進まれ、同校を主席で卒業されました。62年からはメキシコを本拠に世界各国で演奏活動をはじめられ、各地で多くの聴衆にバイオリン演奏の魅力を伝えてこられました。
2008年、メキシコ最高の音楽賞「モーツァルト・メダル」を受賞。この五月には日本での演奏も控えていらっしゃいます。
投稿者 joqr : 11:30
2009年4月5日 鹿児島県出水市 赤鶏農業協同組合 代表 田下 豊さん
出水市は、鹿児島県の北西部に位置する都市。広大な田園地帯に囲まれ田農業が盛んな土地で、出水みかん、いちご、そら豆、スナップエンドウ 等の栽培が盛んです。
赤鶏農協は、3年ほど前に立ち上げたグループ。所属しているのは、JAの会員で鶏の生産農家は15名。全体ではおよそ130人が組合員として活動しています。生産農家のみなさんは、昭和40年頃からブロイラーを育てており、平成7年頃から輸入の赤鶏を親鳥として鶏を育成していました。
2006年親鳥の産地・フランスで鳥インフルエンザが発生し、輸入がストップ!鶏肉が出荷できなくなってしまった・・・これをきっかけに、国産鶏種「たつの」への切り替えがはじまりました。現在出荷しているのは「赤鶏さつま」というブランド。麦や大豆など植物性のエサを与え、飼育期間が60日以上。〈一般的なブロイラーより10日長い〉常時45万羽飼育し、年間200万羽を出荷しています。
味の特長は、植物性の餌を与えているため肉は、臭みがなく適度な歯ごたえ、弾力があります。現在、生協や県外のスーパーなどに出荷。生産者の顔がわかって、安心と好評です。鳥インフルエンザをきっかけに消費者の目が厳しくなりました。それに答えられるような、鶏肉を育てていきたい!
投稿者 joqr : 11:27
2009年3月29日 奈良県 高市郡 明日香村 奥明日香さらら 代表 坂本博子さん
明日香村は、奈良県の中央部に位置する村で、飛鳥時代の宮殿や史跡が多く発掘されている。例えば「高松塚古墳」「キトラ古墳」などが有名です。古代米やショウガなどが、特産品です。
平成14年に女性グループ「さらら」を発足いたしました。地元の特産品を使ったお店を作って、町を活性化させたいという思いからはじめました。
お店を運営しているのは、近隣農家の女性グループで現在は8人で営業中です。元々地元にあった築50年の民家を利用して、厨房などは自分たちが使いやすいようにリフォームしました。地元の方の協力を得て、オープンしたメニューは「さらら膳2000円」山菜のてんぷら、和え物古代米、豆乳鍋など11品が付きます。山菜はつくし、せり、こごみ、うどなどを使用。店で使用する野菜は、メンバーが持ち寄ったり、JAの直売所から仕入れたもので、朝にとれたばかりの新鮮な野菜を使用しています。
オープン1年が経ち、ようやく定着してきました。家族連れや50~60代の女性が多いです。また、口コミで広まり、地元だけではなく、京都や神戸からもお客さんが来るようになりました。今後はお店の2階で工芸作品を販売したり、カルチャースクールなどを実施し、地域のアンテナショップとして活動していきたいと思っております。
投稿者 joqr : 11:08
2009年06月08日
2009年6月8日 種火・・親子の絆
週末に、親友、日本相撲協会、第62代横綱大乃国、芝田山康親方の角界30年を祝う会に参加してきた。彼の実直さは現役時代と変わらぬ、いやそれ以上のファンを創出している。親方の挨拶で心に残るメッセージがあった。「私は15歳で北海道から上京しました。中略。いま思えば、農業を営む両親から、根気と辛抱の種火をもらい、親方からは努力を教わりました。そんな生き方を、部屋の若い衆に伝えていくべく精進しています。短い人生の中、角界の発展と好きなスイーツにエネルギーを注いで参ります・・・」30前に頂点を極め、30前に引退を決断せざるをえなかった男ならではの挨拶。現役時代より年寄になってからの時間のほうが長くなった。辛抱、根気、努力。今の芝田山親方は、寸暇を惜しんで、相撲のために頑張っている。会が終わって、ご両親とカメラにおさまった。お母さんから一言「康!もう若くないんだから、甘いものばかりはやめな!」スイーツ親方は苦笑するばかり。親子だなあ!
種火・・親子の絆
投稿者 joqr : 10:12
2009年06月01日
2009年6月1日 雨の小路
土曜と日曜の雨。運動会の予定が延期や中止で落胆した人も多いだろう。さーっと降る中、自然公園に足を向けた。散策する人は殆どいない。安心してか、野鳥が雨宿りしながら潤いのある声で和ませてくれる。緑は緑でグングン色を青くする。紫陽花の成長には目を見張る。ついこの前までは枯れ枝だけだった。それがどうだ、ギサギザの葉が姿を見せ、みるみる茂っている。目をやると、緑に輝く葉の中で、黒く変色し、乾燥しながらも今だに存在し続ける去年の花を発見!その姿に様々な思いを感じた。これから咲くべく助走をつけはじめた白い若者に、何を囁いているのだろう。雨の中、人も疎らな自然公園。普段は聞こえぬ会話が耳に・・・。
雨の小路
雨の美
助走
バトンタッチ!
投稿者 joqr : 11:17