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2008年09月29日

2008年9月29日  移ろいの時

毎年この季節になると目と鼻に秋を運んでくれるものがある。まずは目。どんなに夏が暑くとも冷夏でも、彼岸前には必ずスッと姿を現す彼岸花。そして、10月の声を聞く頃、甘い香りを放つのが金木犀だ。今年は北の方で初冠雪が早いという。それに合わせてか、金木犀も幾分早く花を咲かせた感がある。耳には、秋の虫達の透明な声が秋を表現している様がきこえてくる。そして夏味わえなかった潔い冷気に近づいた風が頬を撫でる。今年もあと3ヶ月。水田は緑(あお)から黄金(こがね)の時期を迎えた。

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移ろいの時

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輝きの前

投稿者 joqr : 10:11

2008年09月22日

2008年9月22日  静寂の先に

久しぶりに披露宴の司会をした。人の幸せに立ち合えるのは大好きで、話をいただくと光栄なのだが、直前になるとプレッシャーで憂鬱になる。毎回そうだ。今回は特に先輩の息子の宴。雨の中原宿・東郷記念館に向かった。竹下通りがいつも以上に渋滞。次第に威勢の良い掛け声が聞こえてきた。地元秋祭りの御輿が練り歩いていたのだ。若者が珍しそうに様子を見守る。肩口を濡らしながら会場に着き打ち合わせに入った。

祝電チェックや流れの確認であっという間に開始五分前。明るく和気あいあいでお願いします!先方の要望だ。二十年前は仲人がいて二人のプロフィールは任せていたものだが、今は媒酌人をたてず紹介は司会の役目となった。その他、ファーストバイトやデザートブッフェなど、それなんですか!?なるものが発生している。お客さんのタイプによって、盛り上げ方が多少異なる。若い人が多い時は腹から声をだす。年配が半数なら落ち着いて喋る。微妙な空気を探る。何処で笑い、何処でしんみりするかも貴重な参考材料だ。今回は、初っぱなから乗りの良いお客さんだ。プロフィールで笑いとウルウル両方を堪能していただき、鏡開きでカメラマン魂をくすぐり、歓談はたっぷりとお腹を満たして貰う。キャンドルサービスで目の保養の後、新婦の手紙で会場は感涙のクライマックスだ。新郎新婦の人徳も大切で、大人の弾け方をしてくれさらに場が和んだ。お開きの後、心から感謝されて、やっとこちらも開放される。今回も喜んで貰えた。幸せに立ち合えた。この満足感は筆舌に尽くしがたい。今度はいつ立ち合えるのだろう。でも、直前になればまた・・・。因果な役割である。

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静寂の先に

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幸せの灯り

投稿者 joqr : 10:21

2008年09月16日

2008年9月16日  特別な花

16日は私の誕生日。それも切りがよい50。この世に生を受けて半世紀。人はこれを大台と呼ぶ。思えばそんな年齢になった。子供の頃は50才というと人生あとは悠々自適に向けて着々と近づいているのかなあ・・などと勝手に考えていた。時は流れて40余年、現代の50才は老後の不安を抱えながら毎日を暮らしている。景気にも期待できず、年金もあてに出来ない。しかし健康面に関しては50才、思いの外元気だ。

大台を察知したのか、これまでプレゼントなどくれたためしのない息子が「はい、これ!」と黄色の花が咲く鉢を手渡した。第二反抗期らしく些かぶっきらぼうだ。聞けば自分で選んだという。中1の男子が花屋に1人で行き、彼女にでもなく父親に花を選ぶ姿。滑稽なぶん何だかジーンときた。どうしてプレゼントに花を選んだのか。予期せぬ返答。「だってさ、父さん、庭で緑をいじっている時が一番優しい顔してるから」見ていないようで見ているのだなあと気恥ずかしかった。早速庭に直植えした。図鑑で調べると「マリーゴールド」と判明。花言葉を見て思わず笑ってしまった。詰めが甘いというか、子供の限界というか。マリーゴールド、花言葉、嫉妬。待て、嫉妬するほど綺麗な花という意味か?いやいややはり親バカだ。100まで生きる自信はないが、後半の人生更に充実させたい、そう思う。

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特別な花

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生きる

投稿者 joqr : 10:34

2008年09月11日

2008年9月7日 東京都「JA東京むさし」三鷹地区・青壮年部 石井辰男部長

三鷹地区で推し進めているのが「エコ野菜地域循環事業」。小学校や保育園の給食の際に出る野菜の切りくずなどの「給食残渣(ざんさ)」などから堆肥を作る。
その堆肥を利用し、野菜を栽培三鷹市のゴミ対策課と一緒にゴミ削減を狙い2002年から取り組みはスタート。全国的にみてもJAや企業が単独で行う事が多いが行政と協力して行っている地域は珍しい。
小学校2校、保育園1校が協力。回収した残さは堆肥化センターに集められ、1年間熟成させ、12月から翌年1月にかけて剪定チップと混ぜ、その後、農家に無料で配布。
学校給食で使用されるほか、小学校のリサイクルの授業で使用される。
学校給食の残り→堆肥→野菜作り→給食、その他にも、堆肥を使って米作りをする小学校もある。学校給食の食べ残しが少なくなった。リサイクルなどの授業が盛んに行われ学習にも結びつく。もっとたくさんの人に知ってもらおうと、作った野菜を「ブランド化」できないかと言うことで、現在会議を重ねている。近々パッケージやネーミングを一新し、発売予定です。

投稿者 joqr : 10:06

2008年9月7日 姜尚中さん

姜尚中さんは1950年、韓国からの移住者であるご両親のもと、熊本県にお生まれになりました。早稲田大学の大学院で政治学を学ばれたのち、ドイツ留学などを経て、現在は東京大学大学院情報学環教授の役職に就かれています。
政治学、政治思想史の研究者としてお仕事をされるかたわら、マスメディアへの出演も多く、さまざまな社会現象について発言をされています。
これまでに書かれたご本に「ナショナリズム」「在日」などがあり、現在は最新刊の「悩む力」が発売中です。

投稿者 joqr : 10:01

2008年8月31日 姜尚中さん

姜尚中さんは1950年、韓国からの移住者であるご両親のもと、熊本県にお生まれになりました。早稲田大学の大学院で政治学を学ばれたのち、ドイツ留学などを経て、現在は東京大学大学院情報学環教授の役職に就かれています。
政治学、政治思想史の研究者としてお仕事をされるかたわら、マスメディアへの出演も多く、さまざまな社会現象について発言をされています。
現在発売中の最新刊が「悩む力」。現代社会に生きる人間達へむけて、姜尚中さんがさまざまなメッセージを投げかけた一冊です。

投稿者 joqr : 10:00

2008年09月08日

2008年9月8日  秋の命

近頃はゲリラ豪雨が頻繁にある。私が住む八王子は多摩南部。今も激しい雷雨に見舞われている(日曜午後5時)。初めの頃稲光に怯えていた猫は、瞬間に広がる銀色の世界に慣れ花火を見るように窓の外を眺めている。5分前までは青空だった空がその片鱗すらも残さず限りなく黒に近い鼠に色を変えた。その豹変振りは人生のようだ。

先週、信頼していた友が逝った。8月半ば52才になったばかり。虚血性心疾患・・・午前5時の突然死だった。福田総理の退陣が私の中から吹っ飛んだ。前の晩に「じゃあ、また近いうちに!」と挨拶を交わし、握手をしながら温もりで互いの元気を確認したのに。

30年近く前、一緒にアナウンサー試験を受けた。初めてスナックでカラオケを聴いた。エイトトラックで、キーも下げられずそれでも必死に「青春時代」を歌っていた。学生なのになじみらしくツケで飲んでいた。かっこよかった。同じ人を好きになった。お互いにフラレタ。その後、彼はアナウンス学校を経営した。そして、生徒からカリスマと呼ばれていた。ブログを書き最後の日にはこう記していた。

「人を守れる人になりたい・・・」
永井譲治さん!だからって、天国に行くことはなかったでしょうに。彼の言葉で忘れられないものがある。結びにご紹介して供養としたい。
「寺島君!僕が一番喜びを感じる時ってね、自分のしたことが他の人の役に立った時ですよ。
『先生!合格しました!』って時です。
もっと嬉しいのは、『先生~、ダメでした。でも、私、悔いは無いです。
先生と仲間と頑張ってきた事がこれから何でもできる!って気にしてくれています・・』これです!

命って、自分だけのものじゃないのですよね。誰かの為に使わなきゃ・・・」会社の先輩も亡くなった。無常・・・永遠はないのだ。先輩の遺志を継いで前へ進む。実りの秋、悲しみの中でも稲穂は順調に育っている。命というのは自分だけのものじゃない・・・。
合掌

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秋の命

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実り・・祈り

投稿者 joqr : 10:19

2008年09月01日

2008年9月1日  秋の子供たち

3週間の北京出張から帰国し1週間がたった。北京オリンピックという祭典に終始接し大勢のメダリストにインタビューをする度に感動を覚えた。金銀銅25のメダル、そこにはそれぞれの輝きに以上のドラマが存在する。この経験は私の宝物になった。一方で愚痴ではないが、8月3日から29日まで休みなし。そこで感じたことは、休息と睡眠は大事だ!ということ。後半になると右足踵が痛んだり、独り言が多くなったり・・・すべては休息なしと睡眠不足が原因だったようだ。

その苦痛から、この土曜ようやく解放された。久しぶりに裏山を散策した。青空とともにそこには秋が訪れていた。お盆休みの期間がすっぽりと抜け落ちたわが身には何だか受け入がたかったものの、異国とはやっぱり違う四季の匂いや移ろいに安堵のため息を漏らしてしまう。故郷はよいものだ。

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秋の子供たち 1

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秋の子供たち 2

投稿者 joqr : 10:37