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2008年02月25日

2008年2月25日 春顔出す

プロフィールの趣味欄に「料理」と記入している。頻繁とはいかないし、創作料理など夢の先だ。それでも週に1度は包丁を握っている。知人の女性実業家・臼井由妃(うすいゆき)さんの本に『あなたの年収を3倍にする料理のパワー』がある。かみ砕いて言えば、ビジネス成功者は料理も美味い。美味い料理も冴えるビジネスも、アイデアや効率が要求される。料理上手はビジネスにも長けている・・・という内容だ。一理あると感じる。料理は気分転換になるし、出来たものを口に運ぶ人を頭に浮かべながら作ると思わず微笑んでしまう。悩みや心配事から一時解放してくれるのだ。

最近は魚料理に心が傾いている。年末年始で3.5キロほど太り、ダイエットに詳しい人に話した。彼はこう言った。「3つのことをやってみて。1つ、当面肉をなるべく避ける。2つ、油ものをなるべく避ける。3つ、お代わりをしない」すべてが当てはまっていた。「冬場、風邪を引いてはいけない」を錦の御旗に、高カロリーなものを大量に採っている。それで逆にバランスを崩し、声が出にくくなる風邪をもらった。「これではいけない!」と方針転換。外食から変えていこうとした。これが難しい。定食や弁当にも肉類がメインだし揚げ物が9割。さらに、生卵・ご飯お代わり自由!に魅力を感じてしまう自分が居る。折れそうな我が心をぐっと強くし、ある日は野菜スープ、またある日はわかめ蕎麦。「これで風邪が治るか・・」そんな不安は不要だった。体が多少軽くなり、血の巡りも良くなったのか、程なく回復。その合間に魚料理を試してみたのだ。『10分で出来る料理』これが信条。今回は和洋折衷ネギマ炒めを披露する。喉の炎症に良いとされる『長ネギ』をたっぷり使う。2~3本。マグロのぶつ。醤油・みりん。そして少しのバター。先ず、熱したフライパンにバターを少々入れ、ざく切りのネギを焦げ目が多少付く程度炒める。そこにマグロぶつを入れる。表面の色が変わってきたら、みりん大さじ1,醤油大さじ1(1人前)入れて和える。その際、酒を少々入れるとなお良い。マグロは事前に塩こしょうもお勧め。バターがマグロの臭みを消してくれ美味い。酒のつまみにも、ご飯にも合う。作る分量が多い場合には、調味料は増量すればいい。安い美味しいヘルシー!と私は信じている。もっともバターは油なのだが・・・少しは仕方がない。春一番も吹いたが、まだまだ寒さがぶり返すこの季節。どうぞご自愛を。


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春顔出す

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春一番の通る道

投稿者 joqr : 10:26

2008年02月24日

2008年2月24日 やくみつるさん

1959年、東京・世田谷区のお生まれ。
早稲田大学を卒業後、出版社勤務を経て漫画家として独立。
スポーツ、政治、時事問題などをあつかったギャグ4コマ漫画の分野で人気を集められました。
近年はテレビのコメンテイターとしてもお馴染みのやくさん。
熱心な相撲ファンでもあり、現在は日本相撲協会の外部委員も勤められています。

投稿者 joqr : 19:24

2008年2月24日 お休み

2月24日はこのコーナーはお休みしました。

投稿者 joqr : 11:39

2008年02月18日

2008年2月17日 埼玉県秩父市 JAちちぶ 営農指導課 丸山晴司さん

秩父地方では、既に江戸時代から養蚕業が盛んに行われ大きな経済効果をもたらした。
現在は、JAちちぶ地域で養蚕を営んでいるのは30軒ほど。70代の方が中心で、高齢化が進んでいる。
秩父では養蚕業を盛り上げるため、平成14年11月15日には全農とJAちちぶが秩父の繭を商標登録。その名も「いろどり」。繭から抽出したシルクタンパク質セリシンは、抗菌性・保湿性・紫外線吸収特性等の機能性があり、その性質を積極的にアピールしている!
その繭からつくられた商品は、美白効果がある「まゆ石けん」や着物の帯地。最近では、大阪の西川布団が秩父の繭を使用した綿布団を販売し、話題を呼んでいる。
商品は大好評!県でも積極的にアピールを行い、小中学生の養蚕体験ツアーを実施している。農家の方々も、子どもたちと触れ合う事によって張り合いがある。
化学繊維が発達し需要自体が減ってしまった。また、繭は生き物なので、365日休みがない。しかし、蚕を育て、そこから製品をつくるという伝統的方法にはまだまだ可能性があり、これからも頑張っていきたい。

投稿者 joqr : 11:29

2008年2月18日 手作り

中国製冷凍ギョーザ中毒事件の影響は様々な所に及んでいる。手軽な冷凍食品離れは勿論、餃子の皮は連日売り切れている。ニラの価格に至っては事件前の約2倍になったという。業者は嬉しい悲鳴と思いきや、複雑な心境のよう。餃子手作り熱がいつまで続くかわからず、どこまで増産して良いやら。そういえば、以前テレビの健康食騒動で、納豆の売り切れが続出した。慌てて業者が増産すると、やがて熱が冷め過剰供給に。出来上がった頃には納豆業者や容器を作る中小企業が頭を抱えた。餃子の皮は、小麦粉があれば器械や増員でいけるかもしれない。しかしニラは成苗日数約90日と出ている。大量に植えたのはいいが、人の噂も何とやら。出来上がった頃にはすっかり熱が冷めていた・・・ということにもなりかねない。今度の事件を教訓にして、食の安全にあまりに無防備だった自分に反省しなければならない。

私のまわりでは、自分で作ってみよう!が流行り始めている。餃子は勿論、パンもだ。知人から「簡単にできるパンがある!」と興奮気味に知らせが入った。「それも安い!」というのだ。どのくらい安いのかと言えば、「100円ショップで発見」というのだから試さない手はない。さらに「オーブントースターで15分」と聞き、ショップに走った。卵と牛乳は別に用意しなければならないが、簡単に準備が出来た。そしてオーブントースターで焦げすぎに注意するだけ。当に焼きたてをいただいた。これが美味し~い!調味料が気にならなくはなかったが、短時間で出来たての感動を味わうのならお勧めしたい。


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手作りの助っ人

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手作り

投稿者 joqr : 10:33

2008年02月17日

2008年2月17日 加藤健二さん

1941年、島根県のお生まれ。
東洋大学を卒業後の1966年、赤坂の東京ヒルトンホテル、のちのキャピトル東急ホテルに入社。
ハウスマンやベルボーイなどをへて、ホテルの顔とも言える「エグゼクティブコンシェルジュ」の役職を長く勤められました。
2006年11月、キャピトル東急ホテルの閉館と共に引退をされ、現在は講演や執筆活動の分野で活躍をされています。

投稿者 joqr : 19:23

2008年02月12日

2008年2月12日 悲しみを覆い尽くす精霊

2月3日から1週間と空けずに八王子は大雪となった。予報通り、いやそれ以上の積雪。午後からチラチラ降り始め、夕方には積もりそうな気配。夜の七時前にはバスがチェーンを装着した。アップダウンの激しい我が街。幹線道路のあちらこちらで、甘く見た車が立ち往生している。冬山に軽装で登ってとんでもないことになった・・そんな気分だろう。上りも下りもノロノロ運転だ。

先週の日曜は雪の中息子の受験。その結果がまたもや雪の朝に出た。今時の発表はインターネットだ。発表時間から15分程度は混み合うが、それを除けば便利なもの。豚児の予想通り、番号は・・・なかった。こんな時こそ外れてくれればいいものを。
「やっぱり・・当たっちゃったね・・・僕の予想・・」息子は明るく振る舞った。でも語尾は湿っていた。床に腰を下ろして雲の垂れ込める空に目をやる。幼いながらに、こみ上げるものを阻止しようと精一杯抵抗をしている。手に取るようにわかる。何と声をかけてあげればいいのだろう・・・。20秒の時が流れた。急に隣で大人しくしていた猫が「ミャ~」と声を発し、息子の肩に乗った。そして4本の足で、器用に肩を踏みはじめた。
「何すんだよ~!くすぐったいぞ~」涙声が乾いてくるのにさほど時間はかからなかった。猫が悪戯したあとはいつもなら厳しく尻を叩く息子も、優しく頭をなでている。猫はその手をひたすら、ひたすら舐める。それ以上その場に居られなかった。それ以上居たら嗚咽が漏れたはず。何という光景なのだ。とても偶然とは思えない。自分の仲間が心を痛めた時、一人ではないことを知らせ、あらん限りの愛情を示す・・・。こいつも立派に家族の一員なのだ。

その晩、息子と一緒に寝た。「今朝・・ナツ(猫)にはびっくりしたな・・」「うん、でも、うれしかった。駄目だったんだって時、悲しかったから。そうしたら・・あいつ、肩に乗ったでしょ。あんなの初めて!重かったけど・・何だか『俺を忘れんな!』って聞こえたようでさ・・そうしたら悲しくなくなった」「父さんにはこう聞こえたぞ。『おい!悲しむ暇があったら俺のトイレ掃除しろ!最近さぼってるぞ』てな!」息子が笑った。そしてこう結んだ。「父さん、僕・・・また頑張るよ。応援してね・・」悟られぬよう直ぐに息子に背中を向けた。今日は2度も目の前がぼやけた。

翌朝、2人でジャンプ台を作った。完成して何度も息子の背中を押した。心の中でこういいながら。「失敗は財産になる。いつでもお前の背中を押してやる。応援しているぞ~」


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悲しみを覆い尽くす精霊

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雪化粧

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明日へのジャンプ

投稿者 joqr : 11:17

2008年02月11日

2008年2月10日 茨城県・神栖市 JAしおさい 女性部 部長 原範子さん

茨城県神栖市は、茨城県の最東南端に位置する町。
2005年に鹿島郡神栖町が、隣接する波崎町などと合併。ピーマン作りが盛んに行われ、生産量は全国トップクラス。
JAしおさい女性部では、子どもたちにピーマンを食べてもらおうと取り組んでいる。新鮮なピーマンを知ってもらうため、小中学校への出前ピーマン料理講習会などを実施。ただ、料理を行うだけではなく、紙芝居などを使ってわかりやすく、ピーマンの栄養&歴史なども説明している。
このような活動をはじめたきっかけは、10年以上前からはじめた消費者交流会がきっかけ。当初は首都圏の消費者に新鮮なピーマンを知ってもらうためのピーマン料理教室だった。
料理講習会を行う内に様々なレシピも生まれたそうですが・・・。
ご飯のおかずとしてピーマンを使うだけではなくピーマンの蒸しパンやアイスクリームなんてものも考案。赤ピーマンなども使用し、彩りも豊か。子どもたちに親しみやすいメニュー作りを心がけている。
ピーマンが食べられなかった子どももアイスやパンにする事によって、食べられるようになる。「エッ、入ってるの!?」と、驚かれると、作ってよかった!と思い、とてもうれしい。

投稿者 joqr : 11:24

2008年02月10日

2008年2月10日 林溪清さん

1952年のお生まれ。
和光大学を卒業後、広告会社のコピーライターを経て、執筆活動を開始。
おもに自動車文化や環境保護問題などに関して、数多くの原稿を書かれています。
難しい専門知識をわかりやすく伝える文章に定評があり、現在は「F1の秘密」というご本が発売中です。

投稿者 joqr : 19:22

2008年02月04日

2008年2月4日 塵の味・・・見た目綺麗でも・・・

2008年の春(立春)の前日節分に東京は大雪となった。早朝起きて驚いた。ベランダの手摺りに白い綿菓子がこんもり。2センチはある。あまりに美味しそうなのでつまんでみると、塵の味がした。期待はずれの口中と同時に「降るとは聞いていたが、こんなに・・・」焦った。

2月3日は息子の中学受験日。あとにも先にもこの1校しか受けない。
「自分が行きたい学校だけを受けなさい」そういったのは半年前だった。「友達が受けるから」という理由で漠然と受験したいと言い出した息子。義務教育なわけだし、私立に入ればかなりの出費。「何でも望むものが簡単に手にはいると思ったら大間違い!」この思いを教えたかった。何より、準備期間がなさ過ぎる。「自分の心と相談して決めなさい。君は将来何になりたいのか。今わからないなら、こんな道に行きたいでもいい。それを父さんに説明してごらん。そのためにココ(中学)に行きたい!とね」 2週間後、意外にも答えを出してきた。彼は諦めると思っていた。それが「公立の中高一貫に行きたい。地球のことをもっと知りたいから。この学校はそれを6年間考えるんだって!」どこまで本気かはわからない。しかし、息子なりに考えたのは伝わってきた。決して優秀とは言えない成績。何より我が身を振り返れば、小学時代に『受験』という文字はなかった。時は流れて愚息が中学を受けるなんて・・・。隔世の感をおぼえつつ、これから半年、自分で言い出したことをやり続けてみろと背中を押した。その答えが今日出る。

我が町は若干標高も高く、積雪も都心の倍はある。当日車で試験会場まで送る約束をしていた。雪用タイヤははいている。しかし、たとえ道を走れたとしても、慎重にノロノロ行かなくてはならない。30分余計に見ておかなくてはいけない。予定起床時刻30分前だが、今起こさなくては・・。「ピピ!ピピ!」私の思いと同時に息子の目覚まし時計が鳴った。「早いじゃないか!」「うん、雪だったら車で行けないかもしれないからさ。早く起きて様子見なきゃと思って」そこまで予定を立てられるようになっていたのか・・・。そんな成長をみただけでも受験は価値があったとうれしくなった。事前に近所を走ってみた。かなりの積雪だが、幹線道路に出れば何とか行けそうだ。受験票をチェックし出発した。家を離れて大通りに出た。これで何とかなりそうだと安堵した瞬間「あっ!」息子の短くもやっちまった感溢れる奇声。「なんだ?」「ハンカチ忘れた!あと手袋」・・・「これを使えよ!」ハンドタオルとポケットカイロを手渡す。「ありがとう」 小一時間後、順調に会場に着いた。約16倍という高倍率。付き添い含め、テーマパーク顔負けの人・人・人。雪の中、寒さも加わって、殺気だった集団が傘をさし行進を続ける。その中に息子が吸い込まれていった。

3時間後再会した彼の表情は・・・現実という重いパンチを確実にくらっていた。息子よ!何事も経験だよ! 帰宅した豚児は、試験のことなど無かったかのように今度は雪と格闘した。ジャンプ台を作るのだという。その表情に塵一つなかった。2月4日。形は違えど、みんなに春が来ますように・・・。


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塵の味・・・見た目綺麗でも・・・

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大雪、人生のジャンプ台

投稿者 joqr : 10:45

2008年02月03日

2008年2月3日 熊田忠雄さん

1948年、福島県のお生まれ。
早稲田大学商学部を卒業後の1970年、放送局のニッポン放送に入社。
報道部記者、報道部長などをへて、2005年に会社を退職。
現在はおもに活字の分野で執筆活動をされています。
熊田さんの現在発売中のご本が「そこに日本人がいた!」。
江戸時代や明治時代、海外渡航が難しかった時代に海外に渡った日本人の足跡をたどったご本です。

投稿者 joqr : 19:20