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2007年10月29日

2007年10月29日 木々達のハロウィーン

10月28日、2007年春を迎えて以降、初めて部屋の窓が結露した。
前日の朝9時、急に生まれた台風20号が暖かさをもたらすのかと思いきや、寒さの水滴。その寒さの証というべく、我が家の猫が私の掛け布団の上で夜を過ごした。つい先日まで猛暑にあえいでいたのが嘘のようだ。そういえば、富士山も6日に初冠雪を記録したし、浅間山も17日だったという。気温には敏感な木々も、誰かがスイッチを入れたかのように色を変え始めた。しかし、今のところ、近所では紅葉が綺麗!まではいっていない。調べてみると、紅葉には「気温・光・水」が大切な要素という。ごくごく簡単に紅葉の仕組みを説明する。

先ず、葉には、主に葉緑体・緑色の色素(クロロフィル)と黄色の色素(カロチノイド)がある。初秋までは、葉緑体が幅をきかせ黄色組を押さえつけているが、気温が低くなると緑組が勢いを無くし、黄色組が勝ってくる。これがイチョウの黄葉である。では、モミジ(カエデ)は何故赤くなるかというと・・・イチョウと少しシステムが違う。カエデの方は、気温が低くなると、葉と枝の継ぎ目あたりに「離層」という栓が出来る。これまで、光合成によって葉で作り幹に送っていた栄養分「ブドウ糖」が幹に行かなくなり、葉の糖分が多くなる。その糖分が日光に当たると、これまた葉の中にあるタンパク質と化学反応を起こし、赤い色素(アントシアニン)を作り出す。では、イチョウのように黄色の色素がないかといえば、答えはある!のだ。それが証拠に、赤く色づく葉の中には、黄色と赤が混ざった葉がある。これは何らかの理由で、赤い色素が行き渡らず、本来ある黄色が出てきたわけだ。

そもそも「落葉」は何故起きるのか?これは、気温が低下してきて、葉を付けたままでそこから得るエネルギーより、葉を養っていくエネルギーの方が大きくなった時に起きる現象だ。何だか、傾いた会社が人員削減をするのとだぶってしまう。それもまた来年の春に、初めから葉を作り出す方を選ぶというのも大胆としか言いようがない。だからといって、常緑樹の方が勝っているとは簡単にかたづけられない。散った葉が大地の栄養になるからだ。
紅葉・・・その美しさの陰には、合理性と過酷さが秘められている。


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色づき

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木々達のハロウィーン

投稿者 joqr : 11:56

2007年10月22日

2007年10月22日 当たり前の秋

百貨店は、すでにお歳暮・おせち商戦に突入したという。街中では赤い幟に「年賀状」という文字が目につくようになった。京都では金木犀の香り漂う中、第68回菊花賞もすんだ。
皐月賞は「最も速い馬が勝ち」東京優駿(日本ダービー)が「最も運がある馬が勝ち」、そして菊花賞は3000メートルという距離から「最も強い馬が勝つ」といわれる。今年の菊花賞は、ダービー2着馬「アサクサキングス」が栄冠に輝いた。好きな街・浅草が入っている名の馬が勝ち、何だか嬉しい。
日本シリーズは、27日から日本ハムと中日という去年と同じカードで行われる。いよいよ秋本番、2007年のまとめに入った感がある。

土曜日、久しぶりに浅川を散策した。途中の山越えでは、この秋初めて白い息が出た。口からの白い息は気温10度以下、鼻からになると6度以下の証拠。前日の雨で、確かに山道はヒンヤリしていた。
そしてもう一つ、山の中では実る秋の音も耳にした。その音は・・・「コツン」、「カサッ」、「パサッ」。「サワサワ~」のあとに忙しく聞こえてくる。ドングリの落下音だ。ドングリの形も色々あって、日本には約20種あるという。裏山には球形のクヌギや、長楕円形のミズナラ・コナラのドングリをよく目にする。その数たるや星の数ほど。秋の結実とその実が木から離れ、大地と触れる音を聴き感動した。「これからどの位の芽が出て、成木となっていくのだろう・・・」そんなことを考えながら川原に出た。

この季節、様々な色彩が私を楽しませてくれる。浅川の土手には黄色の花をつけたセイタカアワダチソウが群れをなし、浅瀬には白鷺が10羽ほどいた。その洗練された形状や佇まいに思わず見とれる。夏とは違う深い青さを見せ始めた水面。さらに水とは異なる青みを増した空。その空で真っ白な飛行機雲があっという間に箒で掃かれたように拡散していくシーンは、何とも神秘的。
土手には、さらにもう一つ生成り色のススキの穂が風に揺れていた。鏡はなかったけれど、私の表情はきっと優しかったに違いない。
仕事や時間に追われ、ぎすぎすした気持ちになりがちな毎日。ついつい自分本位に偏ってしまう。そんな心を癒し、さりげなく穏やかにしてくれるものはなかなかない。自然に改めて感謝。

人として、当たり前のことが出来にくくなってきた昨今、当たり前にみえる自然を当たり前のまま次の世代に残していかなければならないと強く感じる。

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当たり前の秋

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当たり前の秋

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当たり前の秋・・いつまでも

投稿者 joqr : 14:30

2007年10月17日

2007年10月14日 栃木県・下野市 JAおやま国分寺支店 農産課 課長 白石渡さん

栃木県・下野市は、関東平野の北部、栃木県の中南部に位置。平成18年に国分寺町を含む3つの町が合併してできた町。
ゆうがおの栽培が伝わったのは今からおよそ300年前。ゆうがお作りが盛んに行われていた近江の国。現在の滋賀県の将軍が、領地がえで栃木県の城主になったのがきっかけ。ゆうがおの種を取り寄せたのが、始まりだと言われている。
ゆうがおから、どのようにしてかんぴょうを作るのかというと、ゆうがおを収穫したあとに、専用のカッターで薄くかつらむきし、それを同じ幅・長さにそろえ天日干しする。全て手作業で行うため、大変な肉体労働。かんぴょうづくりは、夜明けと共にスタート!
ゆうがおを栽培するにあたって苦労している事は、ゆうがおの実は非常にデリケートで収穫したらすぐに加工しなければいけない。そのため収穫時期である7~8月になると、深夜2時か3時頃から収穫作業をスタート。この時期は、家族総出で行う家も少なくない。ゆうがおは、大きなもので7、8kgあるので結構重い。
今年は猛暑の影響で、畑がからからで水遣りに苦労した。

投稿者 joqr : 11:59

2007年10月14日 阿部絢子さん

1945年、新潟県のお生まれ。
共立薬科大学卒業を卒業後、薬剤師として洗剤メーカーに勤務。
そののち、80年代より、消費生活に関する研究・執筆のお仕事をはじめられました。
これまで書かれたご本に「家事名人の生活整理術」「メリハリをつけてシンプル生活」などがあり、現在は最新刊の『始末な暮らし』が発売中です。
生活研究家

投稿者 joqr : 11:52

2007年10月7日 茨城県・坂東市 新規野菜研究グループ ミニマム倶楽部・リーダー 藤井和美さん

茨城県坂東市は、茨城県の南西部に位置し平成17年3月に市町村合併で生まれた新しい都市。武将・平将門で有名。水と緑豊かな田園都市で、トマトやレタス、ねぎなどの野菜栽培が盛んな土地。
ミニマム倶楽部は、農家の女性が集まってミニカリフラワーなどの栽培に取り組む20人弱のグループ。
ミニカリフラワーの特徴は、独特な色。色は白、オレンジ、紫の3種類。インパクト大!甘みが強く、食感が滑らかで舌触りが非常によい。
ミニカリフラワー作りをはじめたきっかけは、平成14、15年に2年計画で「農村女性大学」というものが開催され、そこで名物野菜を作ろう!と新規野菜の取り組みとしてはじめた。
レタスなどの栽培時期が終わる頃、値段が不安定になるため、このミニカリフラワーを栽培する事によって安定した収入を得る事ができる。
ミニカリフラワーを作るにあたって、苦労している事は、色だし。(きれいな色を出す)露地栽培のため、気温の変化、天候に左右される。今年は、猛暑の影響で雨が少なく、水やりに非常に気をつかった。
みなさんの評判は、ただ茹でて食べるだけではなく、天ぷらやポタージュにしてもおいしいと評判。特に天ぷらは、色鮮やかで塩で頂くと甘みが引き立つ。

投稿者 joqr : 11:52

2007年10月7日 奥田祥子さん

1966年京都のお生まれ。
ニューヨーク大学の大学院修士課程を修了後、読売新聞社に入社。
2002年から『読売ウイークリー』編集部に在籍され、男性の晩婚化・非婚化の問題や、中高年男性の心と体に関する取材・執筆に取り組まれています。
現在発売中の最新刊が『男はつらいらしい』。社会の表面に浮上しにくい、「男性が抱えている悩み」について取材されたご本です。

投稿者 joqr : 11:51

2007年9月30日 東京都武蔵野市 JA東京むさし 武蔵野支店 松崎範彰さん

都内には農業用地が少ないイメージがあります。武蔵野地区には、市全体の農地面積はおよそ36ヘクタール。生産者と消費者の距離が近いため、野菜を始め、住民に新鮮な農産物を供給することができる。
武蔵野地区では、どのような取り組みが行われているのかというと、平成11年からは、公団の団地で生ごみ処理機を使ってごみを削減。集めたものは、葉のチップなどと混ぜ合わせて、肥料にしている。さらにその肥料を使って野菜を栽培し、年一回直売会を実施。今年も7月に開催され、トマト、なす、きゅうりなどが販売された。
他にも行政と連携して、地震などの災害が起こった時の農地の有効活用。天災が起こった際、建物が近くにないため畑は避難所となる。また、JAと行政が連携し防災訓練にも積極的に参加。万が一に備え、食料の供給・輸送ができるようにしている。
次世代を担う子どもたちのためにも、青壮年部でも積極的に取り組んでいる。武蔵野市には、現在6か所の市民農園があるが、そこでは、青壮年部の人たちが、利用者の方に野菜の作り方などを定期的に教えている。さらに、次世代を担う子どもたちに向けて少しでも農業に興味を持ってもらおうと「武蔵野野菜・たんけん隊」と名付けたイベントを企画。年2回、夏と冬に実施。市内の畑見学や収穫体験などを行っている。

投稿者 joqr : 11:51

2007年9月30日 野村正樹さん

1944年、兵庫県のお生まれ。
慶應義塾大学を卒業後の67年、お酒メーカーのサントリーに入社。営業部、宣伝部などでお仕事をされる傍ら、小説を執筆され、86年、推理小説「殺意のバカンス」を上梓されました。95年、50歳でサントリーを退社。
これまでに鉄道や旅をテーマにされたご本を数多く書かれ、現在は新刊「嫌なことがあったら鉄道に乗ろう」が発売中。

投稿者 joqr : 11:50

2007年9月23日 メール紹介

メールをご紹介しました。

投稿者 joqr : 11:48

2007年9月23日 アグネス・チャンさん

1955年、香港のお生まれ。
14才のとき香港で歌手活動をはじめられ、72年、17才のときに「ひなげしの花」で日本の歌謡界にデビューをされました。
78年、カナダ・トロント大学を卒業。
80年代のなかばから、芸能活動にくわえて、ボランティア活動をはじめられ、現在は日本ユニセフ協会の大使もつとめられています。

投稿者 joqr : 11:47

2007年9月16日 東京都西東京市 ニイクラファーム 三代目 新倉庄次郎さん

新倉さんの家は、東京で代々、農家をされている。
明治時代から120年以上続く農家。家族経営の農園で、現在は庄次郎さんの息子さんも継ぎ、4代続いている。ハーブ50種類以上を栽培。〈常時30種類を販売〉
20年ほど前から、ハーブを栽培。作り始めたきっかけは、今から23年前に取引先のスーパー「西友」で商品開発を行っていた。その時に新商品を作って欲しいとハーブの栽培を依頼されたのがきっかけで、栽培開始。
当時は、ハーブがまだ珍しい時代で、注文がたくさんきたが、その後、バブルの崩壊とともに注文が激減してしまった。依頼もさることながら、自分自身もハーブの知識がなく、
ゼロからのスタートだった。資料や図鑑を見てこのハーブは、夏植えるのか?冬植えるのか?手探り状態だった。
銀座のフランス料理の名店「ベル・フランス」〈現在「ラ・ロシェル南青山」の取締役料理長〉石井さんとの出会い。日本で中々手に入らないハーブがニイクラファームにある事に石井さんが感動。国内初のハーブ専門書「プロのためのハーブ料理テクニック」をニイクラファームのハーブを使って執筆。この事がきっかけで、ニイクラファームのハーブが有名になった。全国各地から入るハーブの注文!
現在は、主な出荷先は、仲卸が3割、ホテルやレストランが6割。その他が1割。その他、料理人の要望に応えて、どんな注文にも応える姿勢が、口コミで広がり日本各地から注文がある。
人気の商品は、ルッコラ、イタリアンパセリ、バジルなどが人気。

投稿者 joqr : 11:47

2007年9月16日 魚柄仁之助さん

1956年、福岡県・北九州市のお生まれ。
宇都宮大学・農学部に6年間在籍したのち、オートバイ修理店、古道具屋の店主などをへて、食文化に関する取材・執筆をはじめられました。
これまで書かれたご本に「うおつか流台所リストラ術」「うおつか流大人の食育」などがあり、現在は最新刊の「冷蔵庫で食品を腐らす日本人」が発売中です。
食文化研究家

投稿者 joqr : 11:46

2007年9月9日 滋賀県長浜市「長浜食瓢栽培会」 茂森敏彦さん

長浜市は、滋賀県の東北部に位置し、東に伊吹山系の山々。西に琵琶湖が広がっている。
長浜市は、羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)が「今浜」を長浜に改名。商人たちを集めて、城下町を作ったのが町の基礎となっている。
瓢箪の漬物を作り始めたきっかけは・・・。
4年ほど前から、長浜の特産品を作ろうと取り組み開始。そこで目をつけたのが、瓢箪。長浜城主だった豊臣秀吉が自分の馬印に千成瓢箪をあしらっていたという史実をもとにして考えた。
当初は、どこからか取り寄せようかと思ったが、長野の旅館で聞いた際には、輸入物を使用していた。そこで、それなら自分たちで作ろうと、栽培し始めた。
瓢箪を栽培するに当たって、気をつけていることは、一番気を使うのは、肥料の配分。肥料には、油かすやミネラルなどを使用。試行錯誤を繰り返し、現在の栽培方法にたどり着いた。
漬物にするには、種ができる前の3~4センチの小さいものを使用。(育つ前に収穫する。)4月頃に苗を植え、8月初めからお盆頃まで、朝と夕方の2回摘み取る。
瓢箪はすぐに水洗いをし、そのまま塩漬けに!その後、漬け物の種類によって漬け分け、3ヶ月間保存して完成。
漬物の評判は、奈良漬け、粕漬け、しば漬けなどの種類があり、人気は奈良漬。全国から注文も入るほど好評。

投稿者 joqr : 11:43

2007年9月9日 山崎バニラさん

東京のお生まれ。
清泉女子大学を卒業後の2000年、活動弁士のオーディションに合格し、翌年には活弁士プロデビュー。
現在は、大正琴やピアノで弾き語りをする新たな活動弁士として注目を集めています。
また、声優・タレントとしても活躍中

投稿者 joqr : 11:42

2007年10月15日

2007年10月15日 緊張と弛緩の狭間

あなたの趣味は?
と聞かれると「簡単料理と漫才です」と答えるようにしている。料理の方は置いておく。漫才はというと、今は亡き内海好江師匠と番組をご一緒したことがきっかけで無理矢理名前を戴き(内海文化)、ボーイズ協会の前田隣師匠にアドバイスを受けながら、文化放送の広報活動の一環として時折舞台に立たせて貰っている。相方は後輩の内海QRこと、太田英明アナウンサーである。

何かと忙しい毎日を送っている私たちではあるが、時間をやりくりして稽古に励んでいる。人間、いくら忙しくても本気でやると結構出来るものである。中には穿った見方をする先輩方もいて、「だったら、漫才に費やすパワーを何で放送に・・・」と言うのだが、それを言ったら何も出来ない。出る杭は打たれるものだと涼しい顔をしながらコソコソ活動をしている。
さて、巷には漫才コンテストがいくつかあるが、その中でも我々が重要視しているのものがある。その名も漫才グランプリ、通称M1(エムワン)。年に一度、プロアマ問わず、結成10年以内のユニットが賞金1000万円を目指して競う大会だ。大会には、2600組を超える出場数。今をときめくユニットはほぼ全てが参戦している。2003年に初出場し、翌2004年には1回戦突破。この1回戦を突破できないプロもたくさんいる。さあ、次は・・・というところで、相方の仕事の都合で2年ブランク。実質活動休止した。

今年4月から相方が活動できるようになり、2007年は参戦を決意したのだ。その1回戦が先日10/13日土曜午後2時前に行われた。主要都市で何度となく行われる1回戦。40も後半のユニットは他になく、他は息子娘に近い年齢だ。色々なプレッシャーとの戦い。舞台に立った。怒濤の2分間。そこそこ会場は沸いた。漫才終了。心地よい脱力感。思ったよりうけたので期待しつつ家路へ。
結果は、夜6時過ぎホームページに掲示される。ワクワク気分で時を待った。その時が来た。携帯でホームページにアクセス。「10月13日、以下19組が2回戦進出しました。・・・・」1組ずつ追っていく。「内海」を捜していく。5組までにない。10組までにもなし。15組目も違う。
そして・・・今回は選から漏れた。3年前よりもレベルは格段に上がっているということだ。
しかし、不思議なことに落胆よりも「ようし!見ていろ!」の気持ちが強く湧き起こった。相方に結果を知らせるメールも気軽に送れた。日常とは違った刺激、そして笑う喜びと笑わせる苦しみを知ってしまった以上、納得がいくまで精進していきたい。
どこかに出る際にはお知らせをするのでこうご期待!

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緊張と弛緩の狭間

投稿者 joqr : 19:08

2007年10月11日

2007年10月9日 高潔

今年も香りの秋が訪れた。残暑が特に厳しかった2007年も残すところ3ヶ月を切った。そんな頃に我が家の周りに漂う素敵な香りがある。それは「金木犀の花」。近頃ではトイレの芳香剤としても1年中お馴染みだが、実際のそれは、とてもとても上品。どんなに気持ちが荒れていたとしても、きっと優しくなれる。「この香りが1年中あれば、世の中ぎすぎすしないだろう・・」そのくらい高貴で甘い香り。恐らくそのような気持ちの人が多いので、芳香剤として商品化したのだろう。しかし残念ながら両者は同じではない。半個体や液体から発するものと、深緑の硬い葉を携えたオレンジ星形の可愛らしい花より芳香するものとでは、明らかに何かが違うのだ。

裏家の金木犀が我が家に接触するくらい伸びている。それはそれで気になっているのだが、窓を開けると優しい香り。この数日間は腹立たしさを忘れる。ちなみに、キンがあれば、ギンモクセイはあるのかというと・・・存在する。花は白。香りは金木犀よりさらに上品らしい。嗅いでみたいものだ。では、ドウは・・・とさらに好奇心を前進させたが・・・無いようである。金木犀の花言葉は、「高潔」、「謙遜」。香りや細かい花びらから、その意味が感じ取れる。


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高潔


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高潔


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謙遜

投稿者 joqr : 16:24

2007年10月01日

2007年10月1日 大地の恵み

文化放送で私が携わっている「ラジオパンチ」(月曜~金曜11:30~13:00)の企画で稲刈りを行った。リスナー約50人と茨城県坂東市のソメノグリーンファームにバスで向かい実施。迎えてくれたのは染野実社長始めスタッフ。

小雨が降る朝10時に浜松町を出発し、バスの中は楽しいおしゃべりタイム。
浜美枝さんの話題も休憩時に何人からも出た。そして昼には到着。待っていたのは新米コシヒカリのおむすびと豚汁、それに社長のご家族の笑顔だった。
お米の乾燥機が立ち並ぶスペースでの昼食。雨が心配されたため、屋根付きのスペースを用意してくれていた。座布団にずらっと並ぶテーブル。何だか故郷に戻ってきた、そんな雰囲気でご飯のおいしいこと!漬け物は勿論、何から何まで手作りなのが私たちの心もお腹もいっぱいにしてくれた。幸いにも雨は上がり、昼食場所から徒歩で移動すること5分、稲刈り場に着いた。

辺り一面稲穂が重そうに頭を垂れている。現在は機械化が常識となり、鎌での収穫はしない。そこをを敢えてやらせてくれるのだ。新品の鎌が渡された。お手本をみながら始めはへっぴり腰だった私たちも、あっという間にリズムを覚え刈り取っていく。もしかしたら体の中にはDNAとして農作業経験が残っているのかもしれない。妙に動作が懐かしいのだ。
「ザクッザクッ・・」鎌で稲を刈る音が大地の恵みを命の糧として切り離す神聖な音に聞こえた。小学生から70までの老若男女、表情は皆輝いている。そして真剣。

あっという間に時間となり、コンバインにかける。黄金の粒が穂から離れていく。参加者の額には労働の結晶が光る。それを拭う仕草が何とも人間らしく生き生きしている。名残惜しさを胸にしまってソメノグリーンファームを後にするバスの窓の外には、千切れんばかりに手を振る染野社長ご夫妻やスタッフの優しい笑顔があった。

参加した中に5人のちびっ子がいた。男の子が呟いた「おじちゃん、今日来てよかったよ!僕、もうご飯残さない!ご飯いっぱい食べる!ありがとうございました!」子供に言った。「君のお父さんとお母さんに、おじちゃんはありがとうって言うね!こうやって君と会えて、君がお米のことをよくわかってくれたのだもの。また会おうね!」握手をした小さな手には、明日への力が漲っていた。またやりましょう!

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大地の恵み

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一所懸命

投稿者 joqr : 18:27

2007年9月25日 天国の花

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連休中に自民党総裁が決まった。福田さんが圧勝!と言われていたが、蓋を開けてみれば6対4という大人の勝ち方。麻生さんの傷も極力小さくしておこうとの配慮に感じてならない。ここまで政権与党は疑心暗鬼に晒されているのだ。何だかこの国はあるべき方向からコースアウトしているのはほぼ明らかだ。一日も早く私たち一人一人が政治にプレッシャーをかけないと、子供達へのバトンタッチが不安だ。

暑さ寒さも彼岸まで・・・今年は土曜までは「夏」。日曜に漸く曇天のもと、涼しさがやってきた。その暑さをよそに、毎年必ずこの時に姿を見せるものがある。残暑厳しい浅川の川原にも蝉の声を聴きながらしっかり存在していた。その佇まいは、「暑い寒いは関係ない。時は待たないのですよ」と私たちを諭しているかのようだ。
大地から天空へ向かって一直線に伸び、その上には真っ赤な曲線美を見せつける。ある時は艶やかに、ある時は毒々しくも見える「彼岸花」。

小さい頃「家に持って帰ると火事になる」と言われた。どうやら彼岸花にはリコリンという毒があって、口に入れると、最悪死に至ることがある。昔は墓地にはその毒を利用して、小動物から亡骸を守るため(土葬)、人為的に植えられたとも聞く。
一方、欧米ではその美しさから園芸植物なのだと言う。彼岸花の花言葉は「悲しい思いで」。この時期に替わった新総裁が私たちの暮らしを、その名の通り「悲しみ・苦しさ」から「福」へと立ちなおらせてくれることを願ってやまない。

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天国の花

投稿者 joqr : 18:24