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2023年01月12日

直木賞候補作②『地図と拳』

次は小川哲さんの『地図と拳(こぶし)』です。
700ページに迫らんとする大著ですが、物語を読む愉しさを味わわせてくれる一冊です。

日露戦争前夜の1899年に始まり、太平洋戦争が終わるまでの物語です。
中国東北部に築かれた架空の都市の興亡を通じて、
国家と戦争の関係を描いたスケールの大きな作品です。
SF作家として高い評価を受ける著者らしく、
架空都市「李家鎮」のディテールの細かさはさすがだし、
孫悟空が登用するなどキャラクターもユニークです。

李家鎮の誕生から滅亡までを描くことを通じて、
著者は「満州国」とは何だったのかを描こうとしています。
その先には、なぜ日本は戦争に突入したのかという問いがある。
その問いに、作者はひとつの回答を与えることに成功しています。

タイトルにある「地図と拳」とはなんでしょうか。
この言葉は、作中では、ある登場人物が行う講演の中で語られます。
地図とは国家のことです。国境線を画定することで、国家は自らが国家であることを証明する。
一方、拳とは戦争のことです。国家が立ち上がれば、そこに争いが生まれる。
白紙の上に線を引いて地図を描くことも、拳を振るおうとすることも、
どちらも欲望に基づいた行為です。
つまり「地図と拳」とは、人間の欲望の別名でもあるのです。

ひとつ心配な点は、直木賞の選考委員が伝統的にSF作家に冷たいということでしょうか。
でもSF的な設定は、いまや純文学の世界でもポピュラーです。

翻訳家の鴻巣友季子さんは、近著『文学は予言する』の中で、
最近の文学に「ディストピアもの」が多く見られること、
その多くが行き過ぎた生殖医療などSF的な設定を用いていることを書いています。
あるいは、新作『惑う星』が評判のリチャード・パワーズ(アメリカ文学の最先端を行く
作家です)なども、最近はSF的なテーマに接近しています。
いまSFが求められているのはおそらく、あまりに複雑になり過ぎた現実を描くための
ツールが求められているからではないでしょうか。

話が逸れました。とはいえ、本作はバリバリのSFというわけではありません。
歴史を描くのに空想の都市を設定したというだけです。
選考委員の中には、戦争を題材に作品を書いている人もいるので、
なんやかやと文句をつけられてしまう可能性もありますが、
構想力といい、膨大な知識を物語に落とし込む手際の良さといい、
作者は相当な実力の持ち主だと思います。これは傑作です。

投稿者 yomehon : 2023年01月12日 07:00