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2022年07月15日

直木賞候補作⑤ 『スタッフロール』

最後は深緑野分さんの『スタッフロール』です。
ハリウッド映画の制作現場を舞台にした女性の物語。
旧世代と新世代、ふたりの女性を主人公にした作品です。

まず前半は、旧世代のお話。
戦後すぐに生まれたマチルダ・セジウィックは、
幼い頃から映画に魅せられ、やがて特殊造形の世界へと飛び込みます。
特殊メイクをしたりクリーチャーを作ったりする仕事ですね。

マチルダは子供の頃に、父の友人の脚本家ロニーにみせられた
犬の影絵が心に焼き付いています(お馴染みの両手で犬をつくるやつです)。
幼いマチルダにはその影絵は怪物にみえたのです。
このエピソードは本作を貫く鍵となります。

マチルダは同僚と独立し、小さな会社をつくります。
1968年の『2001年宇宙の旅』、1977年の『スター・ウォーズ』、
1979年の『エイリアン』を経て、80年代は特殊造形や特殊効果の
黄金時代となりました。

ところが、時代はCGの時代へと向かっていきます。
ショックを受けたマチルダは、ある注文仕事のクリーチャーを、
自分の心のなかにあった怪物を投影したものにつくりかえ、
そのまま姿を消してしまうのです。

時代はここから2017年へと飛びます。
新世代の主人公は、1987年生まれのヴィヴィアン・メリル。
彼女はロンドンにあるVFXやCGを制作する会社で
アニメーターをしています。

彼女の会社にある日、大きな仕事が舞い込みます。
往年の子供向け映画『レジェンド・オブ・ストレンジャー』を
リメイクするという仕事です。

『レジェンド・オブ・ストレンジャー』には
「X」という名前の怪物が登場するのですが、
これが特殊造形のクリーチャーの傑作とされていて、
たくさんのファンがいました。ヴィヴィアンも子どもの頃に夢中になり、
Xのぬいぐるみを持っているほど。

実はこのXこそが、マチルダが姿を消す直前に手がけた最後の作品だったのです。
マチルダの名前はスタッフロールにものったことがありませんが、
オタクたちが彼女の名前を発掘し、「伝説の造形師」として世に知らしめたのです。

『レジェンド・オブ・ストレンジャー』に関わったのをきっかけに、
ヴィヴィアンは思いもよらないトラブルに巻き込まれます。
そして時を超えて、伝説の造形師マチルダとつながるのでした……。

マチルダとヴィヴィアンは、世代こそ違いますが、とても似ています。
自己評価が低く、職人気質。
自分の作るものに満足できず、いつも自信がない一方、飽くなき向上心を持っています。

読んでいると、この作品はまず、
「技術」についての物語であることがわかります。
ここでいう技術とはテクニックのこと。
映画でも小説でも、想像力をかたちにするためには、技術が必要です。
この「技術を高める」ことの難しさや大切さがしっかり描かれています。

一方で、技術にはテクノロジーの側面もあります。
アナログからデジタルへ。この数十年で世界は大きく転換しました。
本作においてマチルダはアナログを、ヴィヴィアンはデジタルを
代表した存在として描かれます。このふたつは対立するものなのか、
それとも……というのも読みどころのひとつ。

もうひとつ、この小説は、ものを創る人々の連帯も描いています。
情熱をもって創作すること。
その一点で、人は世代を超えて連帯することができる。
マチルダとヴィヴィアンの物語を通じて、
小説家である著者のそんな熱い想いが伝わってきます。
「ものを創ること」をめぐる素晴らしい人間賛歌です。

ひとつ気になったのは、マチルダのパートが
やや駆け足に感じられたことでしょうか。
マッカーシズムやベトナム戦争、各時代を彩った名作映画の数々。
そんなトピックスにあわせて、マチルダのエピソードが
描かれるせいかもしれません。歴史や映画史の知識がある人からすれば、
「ずいぶん時代が飛んだな」と思えるところがあるかもしれませんね。

長い時代を描いているという点では、『絞め殺しの樹』も同様ですが、
あちらは主人公の人生をそれほど歴史的トピックスと結びつけていないので、
時の経過があまり気になりません。

このあたりを選考委員がどうみるか気になります。

投稿者 yomehon : 2022年07月15日 09:00