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2021年01月18日

直木賞候補作⑥『アンダードッグス』

最後は長浦京さんの『アンダードッグス』にまいりましょう。
ミステリー好きの間ではすでに評判の作品です。

舞台は1997年の香港。中国への返還を前に、ある国が香港の銀行から
密かに運び出そうとしている“国家機密”を強奪する計画に巻き込まれた
元官僚の死闘を描いています。

主人公の古葉慶太は、農水省の関連団体で「国益のため」と信じて関わった
裏金作りのスケープゴートにされ、退職に追い込まれます。
そんな古葉に接触してきたのが、イタリア人の富豪マッシモでした。
マッシモは個人的な復讐のため“国家機密”を強奪することを計画しており、
古葉はこの仕事を受けざるを得ない状況に追い込まれてしまいます。
香港で古葉のもとに集まったのは、国籍やキャリアは違えども、
みな何らかの事情を抱えた「アンダードック(負け犬)」ばかり。
この負け犬チームが各国の情報機関を巻き込んだ危険なゲームに挑むのです。

騙し合いによって展開が二転三転するミステリーを「コンゲーム」といいますが、
これだけ展開がめまぐるしく変わるコンゲーム作品も珍しいのではないでしょうか。

冒頭から読者の予想を裏切る展開が続き、まったく先を読むことができません。
海外ドラマの『24』を観た人には、まさに「あのドラマと似た感じ」といえば、
雰囲気が伝わるのではと思います。

ところで、話題ついでに『24』を観た人に訊いてみたいのですが、
あのドラマの細部をどれくらい覚えていますか?
おそらくほとんどの人が細かい部分を忘れているのではないでしょうか。
あれだけ展開の早いストーリーになると無理もありません。

この小説も、似たところがあります。
ともかく冒頭からずっと、誰が味方で誰が敵か判然としない状況が続くのです。
裏切りやダブルスパイは当たり前、関係者も次々に死んでしまう。
そんな中、ぐちゃぐちゃになってもおかしくない物語を
ちゃんとまとめ上げてみせた作者の筆力は凄いとは思いつつ、
それでもこれは、あれこれ詰め込みすぎではないかと思いました。

息もつかせぬ国家機密の奪い合いだけでは読者がついていけないと思ったのでしょう。
この小説の中では、1997年の香港での強奪劇とは別に、古葉の義理の娘である瑛美が、
2018年に香港で古葉の足跡を追う様子も描かれます。

作者はおそらくここでタメを作りたかったのではないかと思うのです。
現代の物語を挟むことで、「もうすでに事が終ってしまった」視点から
当時を振り返ることができる。そうすることで、目まぐるしく局面が変わる
ジェットコースターのような1997年の香港の物語から少し距離を置けます。

でも、この2018年のパートも結構慌ただしい。
瑛美にとって謎の人物が次々に現れ、ひとりに会うと
また次の人物に会うように指示され……と目まぐるしいのです。

結局、あれよあれよという間にラストまで連れて行かれてしまいます。
瑛美が義理の娘なのはなぜか、本当の親は誰かということも
最後に明らかにされ、ここでも作者は、予想を裏切る経歴をぶつけくるのですが、
もはやここまでくると「お腹いっぱい」過ぎてあまり驚けません。

起承転結は物語の定石ですが、それで言えば、
起承転・転・転・転・転・転・転・転・転・転……で物語が終わる感じ。

「読者の予想を裏切る」というのは、小説のとても大切な要素です。
でもそれが「ほとんど裏切りっぱなし」となった時に、どう受け止められるか。
このあたり、選考委員会でどんな意見が出るのか楽しみです。

投稿者 yomehon : 2021年01月18日 05:00