« 『君の名は。』 新海誠が描く「災後の物語」 | メイン | 『ハリー・ポッターと呪いの子』 弱いハリーがとっても新鮮!話題の最新作 »

2016年11月07日

『勝ち過ぎた監督』 若き名監督の栄光と挫折


日本球界の偉業とは何かと問われたら、あなたはどう答えますか?
今年だとやはり日本ハム・大谷翔平選手の二刀流の成功ですよね。
投手でも10勝、打者でも22本塁打、打率.322という成績は驚異的です。

では過去に遡ればどうか。
アマチュア球界の大物として知られる元駒澤大学監督の太田誠さんは、
「川上・巨人のV9」とともに意外な名前を挙げています。

それは、駒大苫小牧の全国制覇です。


2004年夏の甲子園で、
駒大苫小牧は北海道勢として初めての全国制覇を成し遂げました。
これがいかにすごいことだったか。
いまでも当時の大フィーバーぶりは語り草になっています。

駒大苫小牧が初優勝したその日、2004年8月22日は、
偶然にもアテネ五輪の女子マラソンで、
野口みずき選手が金メダルを獲得した日であったにもかかわらず、
北海道では駒大苫小牧の優勝が大きく報じられ、
コンビニや駅売店では新聞があっという間に売り切れたそうです。

新聞社の中にはふたたび輪転機を回して増刷したところもあり、
翌日のコンビニなどには「昨日のスポーツ紙あります」と貼り紙が貼られ、
これまた飛ぶように売れたそうです。
前の日の新聞が売れまくるなんて前代未聞ではないでしょうか。

この他にも駒大苫小牧の優勝は意外なところにも影響を及ぼしています。

いまではプロ・アマ問わず当たり前のようにみかけるようになった
優勝したときに人さび指を高く天に掲げるナンバーワンポーズ。
あのポーズを考案して世間に広めたのも駒大苫小牧の選手たちでした。


駒大苫小牧は翌2005年の夏も優勝。
夏の連覇は57年ぶりの快挙でした。
史上初の3連覇がかかった2006年夏も田中将大投手を擁して決勝に進出。
準優勝に終わりましたが、早稲田実業と決勝再試合の死闘を演じたのは
記憶に新しいところです。


『勝ち過ぎた監督 駒大苫小牧 幻の3連覇』中村計(集英社)は、
北海道に初の深紅の大優勝旗をもたらした若き名将、
香田誉士史(こうだ・よしふみ)監督の栄光と挫折を描いたノンフィクション。

北の大地に全国屈指の強豪校が生まれるまでの濃密な人間ドラマが見事に描かれた
今年のスポーツノンフィクションの収穫のひとつです。


佐賀県出身で、もともと北海道に縁もゆかりもなかった香田さんは、
恩師の駒大野球部御大こと太田誠氏に命じられ、
1994年に駒大苫小牧高校の野球部監督として赴任します。

当時、北海道で甲子園常連校といえば、
「ヒグマ打線」の名で知られる駒大岩見沢が有名で、
駒大苫小牧のほうは全国的には無名でした。

しかも「寒さ」というハンデキャップもありました。
太平洋に面した苫小牧は北海道では雪が少ないほうだとはいえ、
それでも12月になると息を吸うと鼻毛も簡単に凍ってしまうほど寒く、
赴任した当初は、「こんなとこ、野球やるところじゃないと思った」と言います。

北海道では11月くらいからは寒さでボールも握れなくなり、
翌年の4月になってようやくグラウンドが使えるという状態なため、
必然的に長い冬の間は室内練習場にこもって
ウエイトトレーニングなどに精を出すことになります。
その結果、きめ細かい野球というよりは、冬の間に鍛え上げた体を武器に、
思い切り速いボールを投げ、遠くまでボールを飛ばすという豪快な野球が主流になりました。

驚くべきことに香田監督は、
この北海道特有の野球の常識に真っ向から挑戦します。

地方再生のヒントが詰まった藤吉雅春さんの『福井モデル』(文藝春秋)の中に、
地域を変えるのは「若者とバカ者とよそ者」であるという話が出てきますが、
香田監督自身がまさに若者であり、バカ者であり、よそ者でした。

「自分の理論がないから、なんでもやってやろう」と思ったという香田監督は、
なんと真冬の屋外練習に取り組み始めたのです。

ショベルカーで雪をどけたグラウンドは氷上のようにカチンコチンに凍っています。
軽く打っただけでも鋭い打球になるうえに、足元は滑るし、捕るほうも命がけ。
しかも低温による劣化で金属バットがまっぷたつに折れるというのですから凄まじい。

しかしこれまで誰も試みることのなかった真冬の屋外練習は、
思いもよらない効果をもたらします。
滑らないようにバランスをとるのが上手くなり、選手の体幹が鍛えられる。
マイナス1度や2度なんてむしろ暖かく感じられるようになる……。

田中将大投手は仙台が本拠地の楽天時代も
それよりさらに寒いニューヨークでも平気でプレーしていますが、
マイナス15度でも雪上練習を敢行したという高校時代の練習を知ればそれも納得です。

こうしていくつもの固定観念が覆されていきます。

先ほどちらっと紹介したナンバーワンポーズも、
チームの気持ちをひとつの方向に向けるために象徴となるポーズを決めたほうがいいという、
脳トレーニングの専門家からのアドバイスを受けて、選手自身が考え出したもの。
彼らは恥ずかしさを乗り越えて普段から、
それこそ職員室に入る時もあのポーズで挨拶していたそうです。

意図をもって日常生活にあのポーズを取り入れているのと、
「なんか流行ってるから」とあのポーズを真似しているのとでは大きく違います。
いつしか恥ずかしさは消え、選手たちの胸に「全国制覇するんだ」という強い思いが育っていきます。

香田監督が指導していた時代は、グランドにはゴミひとつなく、用具も整然と並んでいたそうですし、
そうしたひとつひとつの積み重ねがやがて他校に大きな差をつけることになるのです。

他校との差は、選手のプレーや日々の行いだけではありません。

強さの秘密を聞かれ、
「吹奏楽部っすよ」とあの田中将大選手をして言わしめるほど、
駒大苫小牧の吹奏楽部は有名ですが、
本書には吹奏楽部の演奏のテンポまで、
選手たちのプレーのリズムを後押しするよう
180(1分間に180拍ということ)に設定されていたとか、
驚くようなエピソードが次々に出てきます。
(こうしたディテールの豊かさが本書の魅力。著者の取材力は称賛に値します)


しかし北海道勢初の栄冠は、若き名将にプレッシャーとして重くのしかかります。

取材依頼や講演依頼、宴席への誘いなどがひきもきらず、
中傷の郵便物なども毎日のように届くようになります。

そんな中、チームの不祥事が明らかになり、
香田監督は一挙にどん底へと突き落とされるのです。

このあたりの詳しい経緯は
本書の重要な部分を成しているので、ぜひ本をお読みください。

ひとつだけ書いておくと、
高校野球で不祥事が明らかになる場合、
そのほとんどは控え選手の親による告発だそうで、
駒大苫小牧の場合も控え選手の父親がメディアに情報を流していました。
その結果、その息子さんはチームメイトから疎んじられ、
卒業後も誰も彼の連絡先すら知らないという状態だったそうですが、
驚いたのは、香田さんだけは卒業後もその生徒とつきあいを続けていたことです。

「あいつのせいじゃない。あいつも俺の教え子」という香田さんの言葉を
著者が当時の関係者に伝えると、皆一様に驚き二の句が継げなかったそうです。

ただ、本書にはそういう美しいエピソードだけではなく、
体罰の問題などもしっかり書かれています。
それらをどうとらえるかは本書を読んでそれぞれご判断ください。

香田誉士史という若き監督は、
北海道勢初の全国制覇、そして夏連覇という偉業を成し遂げ、
最後は学校側の心ない仕打ちもあって北海道を去ることになります。

大きな成功も、とんでもない失敗も、
高校野球の素晴らしいところも、薄汚い一面も、
そのどちらもが本書には描かれているけれど、
本書を読み終えていちばん心に残ったのは、
ただひたすらに生徒たちに全力で向き合う香田氏の姿でした。

短い間に人生の絶頂とどん底を味わった男の濃い人間ドラマを
あなたもぜひ味わってみてください。

投稿者 yomehon : 2016年11月07日 01:00