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2015年09月20日

ラグビー日本代表が未来の扉をこじあけた!!

ああ興奮が覚めやらない!
新しい歴史がつくられた瞬間を目撃することができた興奮の余韻がまだ続いています。

なにって、もちろんラグビー日本代表のことに決まっています。


W杯の初戦で日本代表は、過去2回世界一となった強豪・南アフリカと激突しました。

ゲーム終了間際、ゴールラインまで5メートルの地点でペナルティを得た日本は、
キックで同点の場面だったにもかかわらず、なんとスクラムを選択。

残された時間はわずかでしたが、逆転にかけたのです。

「すごい!なんて勇敢な連中なんだ……」

日本代表の勇気ある選択に感動して、まだ試合は終わっていないのに涙が出てきました。

この瞬間からスタジアムの空気が変わりジャパンコールが響き渡りました。
奇跡にかける日本代表の背中をなにかみえない力が押しているようにみえました。

そして――。

この歴史的な逆転トライのシーンは、
今後なんどもリプレイされるでしょうからここでは繰り返しません。

ともかく、日本代表は新しい歴史の扉をこじあけたのです。

日本代表がイギリスに発った翌日の新聞にこんな記事がのっていたのを思い出します。
見送りのファンがたった100人しかいなかったというのです。

ぼくの故郷は、大分舞鶴高校という名門校があってラグビー熱の高い土地柄でしたし、
明治だったので大学ラグビーにも熱狂しました。(同級生にSHの永友選手がいました)

そういう環境で育った者からすると、見送り100人というのはとても寂しい数字です。

たしかヘッドコーチのエディー・ジョーンズ氏は
「戻ってくるときはこの10倍の人に迎えてもらえるよう頑張りたい」と
コメントしていたと記憶していますが、
それくらいラグビーW杯への世間の注目度は低かったということなのでしょう。

でも、日本代表が初戦からとてつもないことをやってのけたので、今後は手のひら返しでしょうね。


実はラグビー関係者のあいだでは、
今回の日本代表は史上最強ではないかといわれていました。

なぜか。

その理由がよくわかるのが、
『ラグビー日本代表ヘッドコーチ エディー・ジョーンズとの対話 コーチングとは「信じること」』
(文藝春秋)
です。

スポーツライターの生島淳さんが10時間以上にわたってエディー氏にインタビューした内容を
まとめた本書は、すべての人におすすめしたい良書です。

読めばラグビー日本代表の内側がよくわかるし、
W杯の最良のガイドブックになることはもちろんですが、
それだけにとどまらず、コーチングすなわち人を教え導くことについても多くのことを教えてくれます。

ラグビーファンのみならず、部下を指導する立場にあったり、
子どもたちになにかを教えたいという人にも有益な一冊ではないでしょうか。


この本に繰り返し出てくる印象的な表現が、「コーチングとはアートである」ということ。

コーチングが芸術であるというのはどういうことか。

エディー氏によれば、
試合に向けてコーチは科学的なデータをベースに練習計画を練りますが、
同じプログラムを選手全員に渡したとしても、期待通りに動ける選手とそうでない選手が出てくる。

なぜある選手にはできないかのか。
その理由を見極めなければなりません。

理由を見極めるには、個々の選手の内面にまで分け入っていくような繊細な作業が必要となります。
たとえばそのような作業を、エディー氏は「アート」と呼んでいるのです。

日本語で表現するならば、「洞察」でしょうか。

そこにさらに、対象に積極的に関わったり、
指導にクリエイティビティを発揮するといったニュアンスを加えると、
エディー氏の言うところの「コーチング=アート」により近くなるように思います。


本書のなかで面白いエピソードが紹介されています。

日本代表のヘッドコーチに就任した時、
選手ひとりひとりと面談をして、「自分の強みはなんだと思うか」と質問したそうです。

すると選手たちは、自分ができないことを挙げました。

「私はそんな質問はしていない、あなたの得意なことを聞いているんだよ」と質問し直すと、
こんどは視線が落ちて、言いにくそうにしながらようやく、自分が自信を持っているところを
話し出すのだそうです。

日本人には、まず自分が向上できる部分を探すというクセがついている。
否定的な部分を見つけるのに慣れてしまっているのです。
否定的なところから入って、成長ルートを導き出して「頑張ります」と言ったほうが
指導者にもウケがいいからでしょう。


「体格が違い過ぎる。全員がプロじゃない。といったものからはじまって、なかには、
農耕民族だからという意味不明な言い訳まで。(略) 農耕民族って、なんですか?
ニュージーランドだって農業国ですよ。戦う前から、言い訳が用意されているような
マインドセットは変えてしかるべきです」


エディー氏は、日本代表に「革命」を起こすために、この発想法を変えようとします。
つまり、戦う前から、潜在的に用意されている言い訳を一切許さないようにしたのです。


選手が自分たちの能力を肯定的にとらえるよう徹底的に改革した結果、
まず目に見えて大きく改善されたのが、スクラムだったそうです。

地面すれすれの低いスクラムで、
体格の違う相手と組んでもスクラムトライが狙えるまでになりました。

なかには「ジャパンのスクラムが強くなったのは僕のおかげ」とまで話すようになった選手も
現れるほど。

本書では、その選手が南アフリカを評して、
「あれくらいなら、押せますよ」と言ってのけたという発言も紹介されていますが、
いまにして思えば、南アフリカ戦で終了直前に選手たちがスクラムを選択したのは、
イチかバチかの無謀な挑戦ではなく、それだけの成算があったからなのかもしれません。


成算といえば、副キャプテンの五郎丸歩選手が試合終了後に
「ラグビーに奇跡なんてない。すべては必然です」
とコメントしていたのも印象的でした。

日本代表の得点源にもなっている五郎丸選手のプレースキックは世界トップクラスです。
その成功率は驚異の81%!
前回のW杯の平均成功率が70%だといいますからいかに正確無比かがわかります。

本書によれば、エディー氏は五郎丸選手に
W杯でのプレースキックの成功率を「85%」にまで高めることを要求したそう。

いまでもトップクラスなのに、さらに精度をあげるよう要求するなんて鬼かと思いますが、
世界レベルの戦いで勝負の帰趨を決するのは、ほんの数%の差なのかもしれません。


でも、数%を向上させるには、
当然のことながら根性などといった精神論でのぞんでいてはダメで、
科学的なデータに基づいた根拠のあるトレーニングが必要となります。

五郎丸選手のプレースキックが、
エディー氏がスカウトしたメンタルコーチの荒木香織氏とともに
蹴る前のルーティンといわれえる動作を細かく見直し、
構築し直したことで生み出されたことはよく知られています。

本書で「そこまで細かくやっているのか」と驚かされたのは、
日本代表が目のトレーニングをする「ビジョン・コーチ」も導入していること。
(シェリル・コールダー氏。女性です。エディー・ジャパンでは女性が活躍していますね)


ビジョン・コーチが行うのは「視野」のトレーニングだそうで、エディー氏によれば、
ボールの動きをしっかり見ていれば、楕円球がどちらに転がるかも予測可能(!)なのだそう。

あの楕円のボールの転がる方向まで予測しながらプレーしているなんて、
いまの日本代表はどれほど高いレベルでプレーをしているのだと驚かされます。

本書を読むと、
データに基づいた科学的なトレーニングと、
エディー氏の経験に基づいた意識改革とが結びついて、
いまの日本代表があるのだということがよくわかります。


さて、エディー・ジョーンズ氏は、今大会に臨むにあたって、
「歴史を変えるんだ」と繰り返し説いています。


「驚かせるんだ、歴史を変えるんだ。
日本代表が世界の舞台で結果を残せば、日本の文化は変わる」


かつてサッカーのW杯にほとんどの日本人が見向きもしなかったことを考えれば、
今大会での桜のジャージの活躍いかんが、
今後の日本のラグビー文化の未来を握っているといっても過言ではありません。

ただ、ここに至るまでにも、
日本ラグビーにはドラマティックな歴史があるとこも忘れてはならないでしょう。

かつて宿澤広朗氏に率いられた日本代表は、
テストマッチで強豪・スコットランドから大金星をあげ、
W杯でも初勝利をあげました。

『宿澤広朗 勝つことのみが善である 全戦全勝の哲学』永田洋光(文春文庫)は、
金融で世界と渡りあった凄腕バンカーが、ラグビーでいかに世界と戦ったかを描いたノンフィクション。


試合前の歓迎夕食会の席で、
宿澤氏がさりげなくスコットランド側に心理戦を仕掛ける冒頭から引き込まれます。

宿澤氏の投げかけたある言葉への反応で、
彼はそれまでの準備が間違っていなかったことを知るのです。

世界と戦うということはこういうことなんだと思い知らされると同時に、
「ラグビーに奇跡はない。すべては必然」という五郎丸選手の言葉も思い出されます。

そういえば本書には、宿澤氏のこんな言葉も紹介されています。

秩父宮ラグビー場でのスコットランド戦に臨む前、
ロッカールームで宿澤氏はこう言って選手を奮い立たせました。

「ともに新しい歴史の1ページを開こう」


投稿者 yomehon : 22:02

2015年09月06日

「旅に出たい病」に効く本

もし物好きな神様がいて、気まぐれに
「人生の後半を望みどおりに生きさせてやる」
なんてことを言い出したら、
迷うことなく「生涯、旅をしながら暮らさせてください」とお願いするでしょう。

人生後悔していることはいろいろありますが、
なにをいちばん悔いているかって、若いうちに旅をしてこなかったことです。

夜の遊びはとことんやってきたし、
本もそれなりに読んではきたけれど、
生来の面倒くさがりが災いして、
旅にだけは出ないままこの年まできてしまいました。

だからいまつくづく思うのです。
若いうちにもっと旅をしておけばよかったと。


ここでいう旅というのはもちろん、
カップルで星のやとかアマンに泊まったりするような旅行ではなくて、
予定を決めないままふらりと列車に飛び乗ったり、
好奇心のおもむくまま世界各地を放浪したりするような旅のこと。

気が向けばその土地にしばらく滞在してみたり、
時には滞在というよりもちょっと長めに、
暮らすという感覚に近いくらいまでその地にとどまってみたりする旅のこと。


そういう旅こそ、
若いうちにしておくべきです。

だって学校を2年くらい休学するとか、若いうちの足踏みはどうってことないけれど、
いま休職して2年も旅に出たとしたら、戻ってきたとき自分の席は確実になくなっているでしょうから。

ホント年をとればとるほど、気軽に旅に出ることが難しくなっていきます。

にもかかわらず、
自分のなかで年々、旅熱が高まってくるのをどうにも抑えられません。

これはなかなかに危険な兆候です。

夜の盛り場で、年をとってから遊びにはまった人を何人かみてきましたが、
たいがいが女性に深入りしてしまったりして、取り返しのつかない失敗をしでかしていました。

失うものがたいしてない年代と
しがらみでがんじがらめになった年代とでは、
おのずとそのふるまいに求められる責任も違ってくるのだという至極当然なことが、
年をとって遊びを覚えちゃった人間には見えなくなってしまうのでしょうね。


しかしそういう人をいまのぼくは笑えません。

ふと気がつくと、
なにもかも放り出して旅立つ自分を妄想していたりするし。

「いま自分が居るべき場所はここではないのではないか」
そんな思いが年々強くなっていることに気がついているし。

これはもう、立派に病気といっていいのではないでしょうか。

で、少しでもそういう症状を抑えるためにすがるのが、やっぱり本、なのですね。

夜、寝る前に飲む一服の粉薬のように本を手にとっては、
自分の奥深くから発作のようにこみあげてくる旅への憧れを鎮めているのでした。

さて、そんな薬がわりに頼った本のなかで、
最近もっとも効き目があったのは、
『「青春18きっぷ」ポスター紀行』込山富秀(講談社)という本。


これ、実に素晴らしい一冊です!


「あの一枚が、あなたを旅人にした。
JR『青春18きっぷ』ポスター 25年分を一挙掲載!」

と帯にあるように、
春、夏、冬とおもに年に3回つくられた「青春18きっぷ」のポスターが、
1990年の夏から2015年の春ぶんまでまとめられています。

興味をひかれた方は、ぜひ上の書名をクリックして、本の表紙をみてください。

表紙に使われている駅の写真は、
予讃線の下灘駅のもの。(1999年冬のポスター)

どうですか?
見ていると、なんだか旅の想像力をかきたてられる写真ではありませんか?

ちなみにこの下灘駅は、すごく絵になる駅で、これまで3回もポスターに登場しています。


もっとも25年の歴史のうちにはいろいろと試行錯誤もあったようで、
1990年頃のポスターは、駅や線路というよりも、人物とコピーでみせる作風で、
ちょっと80年代の広告っぽいセンス。

それから何枚もの写真で構成した
やや見づらいレイアウトの時期(92年夏~94年春)があったかと思えば、
若者のグループ旅行というターゲットをしぼった時期(94年夏~96年春)があったり、
はたまた写真を使わずイラストを使った時期(96年夏~97年春)があったりもしました。

イラストバージョンは、
先日お亡くなりになった安西水丸さんが起用されていたりして、
いまみると貴重なものだったりもするのですが、
やっぱり圧巻なのは、97年の夏以降展開されている
一枚の大きな風景写真のポスターでしょう。


地平線に向かってうねりながら途切れ途切れにつづく線路。
(98年夏。根室線落石駅付近。ちなみにコピーは「もう3日もテレビを見ていません」)


暮れ行く海に面した無人駅のベンチ。
(01年冬。山陰本線鎧駅。「なんでだろう。涙がでた」)


命が漲るような濃い緑の中に
赤い絵の具で点描の描かれたかのような一両の車両。
(04年夏。肥薩線大畑駅。「この旅が終わると、次の私が始まる」)


荒く波立つ海近くをすりぬけていく車両の前照灯の光。
(07年冬。氷見線 越中国分~雨晴駅。「冒険に、年齢制限はありません」)


山裾を横切る列車が、磨き上げられた鏡のような水面に映った一枚。
(10年冬。高山本線 飛騨金山~焼石駅。「車窓に映った自分を見た。いつもより、いい顔だった。」)

いやー素晴らしい。
実に素晴らしい。

眠りに落ちるまでのひととき、
ページをゆっくりとめくりながら思うのは、
この国の景色がいかに美しいかということです。


この本の著者の込山富秀さんは、
歴代のポスターを手がけてこられたアートディレクター。

あとがきで「ロケハンや撮影でこれだけ多くの路線を訪れても、
一度も飽きることはなく、いつも新しい魅力がその先にあった」とお書きになっていますが、
この本をみていると、いや本当にそうだろうなと納得します。


25年の時をかけて、一枚ずつ丁寧につくられたポスターは、
まるで一駅、一駅、普通列車でゆっくりと進む「青春18きっぷ」の旅のよう。


効率化が叫ばれ、
めまぐるしいスピードで変化する現代社会にあって、
「青春18きっぷ」なんて「あ、まだあったんだ」と言われてしまうようなサービスかもしれません。


でもぼくは思うのです。
いま、これほど贅沢な旅はないのではないかと。


ああ、マジで旅に出たいよう。

あれだな。
旅立つ自分をもし「青春18きっぷ」のポスターにするとしたら、
その時のコピーは、これで決まりだな。


「戻って来なくても、いいですか?」

投稿者 yomehon : 16:32