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2015年07月06日

直木賞候補作を読む(1) 『東京帝大叡古教授』


今回から第153回直木賞の候補作をみていきます。

ただここへきて問題発生。
ひどいものもらいが出来てしまい、左目が塞がってしまいました。
全候補作を読み込まなければならないタイミングでこのアクシデントは正直キツい……。

でも選考会は待ったなし。
なにがなんでも読み終えてみせます!


さて、本日取り上げるのは、門井慶喜さんの『東京帝大叡古教授』 (小学館)

日露戦争の頃の日本を舞台に、
東京帝国大学の天才政治学者・宇野辺叡古(うのべ・えいこ)教授が、
連続殺人事件を鮮やかに解決していくというストーリー。


「うのべ・えいこ」という名前を訊いて、ただちに思い浮かべるのは、
イタリアの哲学者・文学者のウンベルト・エーコでしょう。

この時点で、読む前から既にいくつかのイメージが湧いてきます。


哲学者としてのエーコは、記号論という分野での業績が知られています。
記号論というのは、簡単に言えば、ぼくらが使う言語の秘密を解き明かそうとする学問分野。
(興味のある方は、講談社学術文庫の『記号論』を読んでください)

でも世界的にエーコの名前を有名にしたのは、
世界的ベストセラー小説 『薔薇の名前』ではないでしょうか。

映画化もされたので、ご覧になった方もいるでしょう。

中世北イタリアのカトリック修道院で起こる連続殺人事件を、
修道士と見習い修道士が解き明かしていくというこの作品。

最大の特徴は、現代を代表する知性といってもいいウンベルト・エーコの博識が、
随所に活かされていることです。

中世の神学論争、失われた(?)アリストレスの『詩学』の続編について、
異端論争、おびただしい書物からの引用と言及・・・・・・。


宇野辺叡古教授も、そういう博識ぶりを発揮して
その薀蓄で我々を楽しませてくれるのだろうかと、いやでも期待が高まります。


それから、 『薔薇の名前』の登場人物が、
「ホームズとワトソン」の関係を踏襲していることにも注意しましょう。
ウンベルト・エーコは、名うてのシャーロキアンなのです。

となれば、叡古教授にも魅力的な助手がいるのだろうと、これまた期待が高まります。


結論からいえば、後者については
「阿蘇藤太」という実に魅力的な学生がワトソン役として登場します。

彼は熊本の第5高等学校から叡古教授を頼って上京するのですが、
いきなり殺人事件の現場に居合わせ、叡古によって
「本名を出すと後々支障が出る」という理由から、
「阿蘇藤太」という変名で通すよう命じられるのです。


一方、前者については、うーん、事件の解決にあたって、
それなりにあっと驚く知識が駆使されたりはするのですが、
さすがにエーコばりに、該博な知識を披露するというまではいかず、いささか期待はずれ。

でも、これはこれで面白い。

詳しくは言えませんが、作中で起こる事件のトリックは、
すべて技術史に属するような事柄がネタになっているからです。

日本が近代国家に生まれ変わっていく過程で、
科学技術が取り入れられ、テクノロジーを背景にいろんなメディアも生まれてくるわけですが、
そういった時代背景がうまく取り入れられている。


時代背景ということでいえば、
当時の実在の人物もたくさん登場します。
ミステリーでありながら、歴史小説の側面もあるところはユニーク。
(歴史小説といってもずいぶんポップなノリなのですが)

徳富蘇峰、原敬、西園寺公望、夏目漱石らが、
事件の重要な関係者として次々に登場してなんとも楽しい。

特に当時探訪記者として活躍した松崎天民などは、いい具合にキャラが立っていますね。
(松崎天民については、坪内祐三さんの『探訪記者松崎天民』がおススメ)

ラストには、「阿蘇藤太」の正体が明かされるというサプライズも。

明治、大正、昭和を生き、特に戦後日本の枠組みを作った大変重要な人物で、
ここは「あっ!そうだったのか!!」と驚かされます。
(ぼくは同郷なのにうっかり気づきませんでした。まさか藤太が実在の人物とは思わず・・・)


連続殺人事件の謎を解き明かす体裁をとりながら、
日露戦争を経て、大衆社会が姿を現し、
やがて庶民に大国意識が芽生えていくという
近代日本の歩みが、巧みにスケッチされているところはお見事。


ただ、直木賞受賞作としては、うーん……やや軽量級でしょうか。


最後にひとつ余談を。

近代日本はその後、困難な道のりを経て、戦後は経済大国として名を成すわけですけど、
バブル崩壊と「失われた20年」を経て、現在はふたたび大きな岐路に立たされています。

現代の日本を取り巻く世界の状況についても、
ウンベルト・エーコは鋭い指摘をしているということを教えてくれたのは、
ジャーナリストの青木理さんでした。

興味のある方は、青木さんもおススメの『永遠のファシズム』をどうぞ。


投稿者 yomehon : 2015年07月06日 15:59