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2014年08月19日

25年ぶりの『ホットロード』


本屋さんの店頭に特設コーナーが設けられているのをみて懐かしくなり、
帰宅して本棚の奥の奥から引っ張りだしたのが紡木たくさんの『ホットロード』
たぶんしっかり再読するのは25年ぶりくらいになるのではないでしょうか。

書店に紡木たくさんの特集コーナーというのもなかなか見ない光景ですが、
おそらく能年玲奈さんと登坂広臣さん主演の映画が公開されて新しい読者が増えているのでしょうね。


『ホットロード』 は、高校生の頃、つきあっていた女の子にすすめられて読みました。
いま振り返ると赤面してしまうような10代の色んな恥ずかしい思い出と重なる作品ですが、
初めて読んだときに「なんだこれは!?」と仰天したことはいまでも鮮明におぼえています。

どんなところに驚いたのか。
いま手元にある集英社のコミック版の(リンクは電子書籍版
冒頭のページをみると、暴走族がつるんでいる場面を背景に、そこにはこんな文字が連なっています。

「夜明けの
蒼い道

赤い テイル ランプ

去ってゆく 細い

うしろ姿

もう一度

あの頃の あの子たちに 逢いたい

逢いたい……」

小田嶋隆さんの快著『ポエムに万歳!』 ではありませんが、
「ポエムかよっ!」と思わずツッコミを入れたくなるような言葉が並んでいます。
『ホットロード』にはこのようなモノローグがたくさん出てくるのですね。
それまで「努力」や「勇気」や「友情」を謳ったようなわかりやすい少年マンガばかり読んでいたぼくは、
このような内面のつぶやきで溢れかえった『ホットロード』に衝撃を受けたのです。

ご存じない方のためにちょっと説明しておくと、
『ホットロード』は少女マンガ史に燦然と輝く傑作です。

父親が12年前に死んで、母親とふたりぐらしの14歳の少女・和希。
和希からみた母親は「三十五歳のくせにすっごいお天気やで、いつまでもお嬢さまで……」
娘のことよりも自分の恋愛のことで頭が一杯のような女性です。
結婚して娘を産んでからも高校時代につきあっていた恋人のことが忘れられず、
妻子のあるその男性といまでも関係が続いています。

和希は自分のことを、母親が不本意に結婚した男とのあいだにできた子どもだから
自分に関心を持てないのだ、と考えていて、
でも自分にとってはたったひとりの父親なのに、と母親のことを許せずにいます。

学校にも家庭にも自分の居場所がないと感じる和希は、
いつしか暴走族の集会に参加するようになり、そこでハルヤマという男の子と知り合います。

やがてハルヤマと暮らすようになった和希は、ある事件をきっかけに、
自分を取り巻く世界との関係をもういちど結び直すのでした——。


いまの若い子はピンと来ないかもしれませんが、ハルヤマが暴走族という設定が絶妙ですね。
シカゴ学派のフィールド調査の手法を取り入れた都市社会学の名著に
『暴走族のエスノグラフィー』佐藤郁哉(新曜社) という本があります。
この本によれば、暴走族の活動を貫く中心テーマは「非日常性」で、
だからこそ居場所がない日常を投げ打って和希が飛び込んで行くのに
ハルヤマはまさにぴったりの相手なのです。


ただ、この作品が傑作である所以はそんな些末な部分にあるのではありません。

藤本由香里さんは、少女マンガ評論の名著『私の居場所はどこにあるの?』(朝日文庫) で
この『ホットロード』を取り上げ、「少女マンガが、一方でどれだけ関係や心理というものを
ていねいに、しかも的確に描いているかの優れた例証」としたうえで、
「『生きる』ということと、『関係』との根源的なかかわりを、このような形で描き出した例を、
私は知らない」と絶賛しています。
(筑摩書房の編集者だった藤本さんは、この本が評価されて明治大学の先生へと転身されました。
それほどの名著なんですこの本は。いま品切れみたいなのでぜひ古書で探してみてください)


たしかに藤本さんのおっしゃるとおりで、
この作品はひとことで言うなら「関係性をめぐる物語」です。

あの膨大な(と当時は感じた)モノローグは、
思春期の女の子が周囲の大人や友人たちのことを
どれほどこまやかに見つめているかということを示すものでもあって、
だからこそ単純極まりないストーリーばかり読んできたぼくは驚いてしまったのでした。

「女の子はなんていろんなことを考えているんだ……!!」

生まれて初めて女の子のほうが自分よりも大人だということに(やっと?)気がついたというか。

心理描写があれだけ細かく書き込まれたマンガを読んできた女の子に単細胞の男子が勝てるわけない。
本能的にそう悟ったのでした。

考えてみればこれまでの人生、大切な事はいつも女性から教わってきたように思います。
彼女たちはいつだって自分よりも経験が豊富で、時には優しく、時には立ち直れないくらいのひどい言葉で、
ぼくにいろいろなことを教えてくれました。


そういえば、昔銀座のナンバーワンホステスとお話する機会があって、
「どんな時にでも男性を気分良くさせる魔法の言葉がある」と教わったことがあります。

どんな言葉だと思います?

それは、

「こんなの初めて!」

という言葉。


プレゼントをもらったら、「かわいい!こんなの初めて!」
食事に連れて行ってもらったら、「美味しい!こんなの初めて!」


……なるほど!

この話には心底感心させられました。
男の心理を実に的確に分析していると思ったからです。

お名前を挙げるのは控えますが、その道の大家と呼ばれるような男性作家の作品に、
年下の女性を、作者の分身と思しき男が自分好みの女性に育てあげるというストーリーのものがあります。
当然のことながらセックスシーンもふんだんに盛り込まれていて、
そういう場面でまた女性が男に「こんなの初めて」とか言ったりするわけですよ。

その大家はもちろん読者をコーフンさせようとお書きになっていらっしゃるわけですが、
銀座のホステスの話を知ってから読むと、もはや主人公は滑稽なおめでたい男にしかみえません。
その男性作家(しつこいようですが大家です)と銀座のホステスと、
どちらが「人間を見るプロ」かといえば、答えは自ずから明らかでしょう。


ともかく女性というのはコミュニケーションの達人で、
彼女たちはさまざまな「関係性のモデル」を少女マンガから学んできているのです。

10代の揺れ動く感性を繊細に描いた『ホットロード』 はその最高峰に位置する名作。
まだ未読の男性諸氏は、ぜひこの機会に手に取ってみることをおすすめします。

あ、紡木たく作品では『机をステージ』にもおすすめです。
いまでいう「マイルドヤンキー」 テイスト炸裂の作品で、
いま読むとちょっと赤面モノな部分もあるんですが、
たしかにここには80年代まんなかくらいの空気が流れています。
あの時代に興味がある若い人は、ぜひ古本で探してみてください。

投稿者 yomehon : 23:08

2014年08月18日

あなたの世界観を揺るがす小説

投稿者 yomehon : 09:50

2014年08月12日

熱戦の日々!


夏の甲子園がようやく開幕しました。

台風11号の影響で2日も順延して一時はどうなるかと心配しましたが、
開幕してみれば連日熱戦のオンパレード、大逆転あり、痛恨のプレーありで、
ほんと仕事が手につかず困っています。

熱心に高校野球を観るようになってかれこれ30年以上。
なぜこんなにも夢中になってしまうのかを考えてみると、
やはりそれは、高校野球にしかないドラマに魅せられるからでしょう。


個人的にこれまでもっとも印象に残っている年はいつだろうと考えてみると、
真っ先に思い浮かぶのは1984年(昭和59年)の春夏の甲子園です。

優勝候補の筆頭は、桑田・清原のKKコンビを擁するPL学園。
このPLに立ち向かう各校にもタレントが揃った実に記憶に残る大会でした。

春の大会準決勝では、
大型左腕の田口竜二投手(おぼえてます?いいピッチャーでしたよね)を擁する都城工業がPLと激突。
延長までもつれこむも、都城のライトが平凡なフライを落球してまさかのサヨナラ負け。
高校野球にはこういうまさかのプレーがつきものですよね。だからドラマが生まれるわけですが。
ちなみにこの時落球した右翼手は、夏の大会でホームランを打ちます。あの時は感動したなぁ。

この春の大会では、岩手の大船渡高校がベスト4に進出したのも印象に残っています。
金野正志投手という抜群のコントロールを誇る左の好投手がいましたね。

この年は東北勢が大活躍した年でもあって、
夏の甲子園では秋田の金足農業がベスト4に進出しました。
PL学園を追いつめた水沢博文投手の力投はいまでも記憶に灼きついています。

もちろん夏の大会といえば、取手二校とPLの決勝も忘れるわけにはいきませんよね。
石田文樹投手が清原選手に投じた超スローボール、
中島彰一捕手が桑田投手から打った大根切りの決勝3ラン......あぁ、いまでも目に浮かびます。

春優勝した岩倉高校のエース山口重幸投手と主砲の森範行選手、
PLを苦しめた松山商業のサウスポー酒井光次郎投手、
夏ベスト4鎮西高校の高速アンダースロー松崎秀昭投手......etc。
印象的な選手をあげていくときりがありません。


近年ということでいえば、もっともそのドラマティックな展開にシビれたのは、
やはり2006年の夏の甲子園ということになるでしょう。

斎藤祐樹投手を擁する早稲田実業高校と
田中将大投手を擁する駒澤大学付属苫小牧高校が決勝で激突した大会です。

37年ぶりに再試合にまでもつれた決勝は、
8月20日と21日の2日間にわたって行われ、
斎藤投手は296球、田中投手は249球を投じました。


あの伝説の決勝戦の舞台裏を見事に描き出してみせたのが、
『早実vs.駒大苫小牧』中村計 木村修一(朝日文庫)

中村計さんと木村修一さん、
ふたりの優秀なスポーツライターが関係者を徹底取材し、
中村さんが駒大苫小牧側を、木村さんが早実側を、というように、
分担して執筆することで、決勝の2日間を立体的に描き出すことに成功しています。

たとえば、決勝二日目の試合前、
両校のキャプテンと部長がメンバー表を交換する場面があります。

早実の佐々木部長の証言によれば、
「こちらのメンバー表を見て、向こうの部長さんと、キャプテンの本間君が、
ちらっと顔を見合わせたんですよね。えっ、斎藤か、って感じで。
心の動きのようなものを感じました」

佐々木部長の感触を耳にした和泉監督は、
「斎藤の先発はない、と見てたんじゃないか。あれで先手は取れたかなって」
と気分良く試合にのぞむことになったと証言しています。

ところが、駒大苫小牧側の証言をみるといささか事情は違います。

メンバー表を交換した瞬間、本間キャプテンが思わず部長のほうを見たのは、
「なんか間違っている箇所が昨日と一緒だったんです。それで、また同じところ間違えてるよ、って」
と思ったからだという。

実はこの時、本間キャプテンが「間違っている」と思った箇所は、
大会本部がメディア向けに選手の名前の旧字体を新字体にあらためたところで、
(この試合で決勝打を放つことになる早実の3番、檜垣選手の「檜」の字を「桧」と修正していた)
間違いだというのは誤解だったのです。

しかも斎藤投手の登板についてはこう証言しています。
「斎藤しかないって感じだったんで。斎藤以外のほうが驚くでしょう」


メンバー表の交換という試合ごとの決まりきった儀式にも
このような小さなドラマが含まれていることに驚かされます。

ささいなことかもしれませんが、
少なくともこれで早実側が気分良く試合にのぞめたのは事実なわけで、
案外、勝負の分かれ目というのはこういう小さな事柄の中に潜んでいるのかもしれません。
(本書にはこういう細かいエピソードが数多く出てきて読ませます)


よく「甲子園における1試合は半年分の練習に相当する」と言われます。
甲子園という経験はそれほど高校球児にとって多くのものをもたらすということなのでしょう。
であるならば、2度も甲子園での決勝を戦った両校の選手には、
いったいどれほどの成長がもたらされたのだろうかと思います。

あの夏、斎藤投手も決勝の再試合で素晴らしいピッチングをみせました。
斎藤投手の証言。

「再試合がいちばんよかった。軽く投げてるのに、ボールがホップしていた。
地を這うようなボールってよく言いますけど、まさにあんな感じ。
もう1試合投げようと思えば投げられたと思いますよ」

実は気性が激しいという斎藤投手にとって、もっとも難しいのは力を抜くことだったのが、
あの夏は疲労と「もう負けてもいいかな」という開き直りが生まれ、
そのことで奇跡的に脱力でき、あのピッチングが生まれたといいます。

「うまく行き過ぎていた。覚醒してたんですよ、あんときは。
でも、あれは夏だけだと思っていた。あれが自分の実力だと思っていたら、
そのままプロに行ったと思いますよ」

事実、あの夏の4ヶ月後、期末テスト明けに久々に体を動かすと
地を這うようなストレートの感覚はすでに失われてしまっていたといいます。

「そんなもんなんでしょうね。それがほんとの自分だと思った」

著者の中村計さんは、あの圧巻の決勝再試合でのピッチングをみせた斎藤投手は、
「成長」という言葉だけでは説明し切れないとして、こう書きます。
「斎藤の場合は、投手が一生かけて成長する過程をひと夏で経験してしまった」


考えてみればとても残酷な話ですよね。
ぼくらファンの記憶に灼きついているのは、あの夏の斎藤投手なんですから。
いまプロでもがいている斎藤投手も、あの夏の自分を理想として追い求めているのでしょうか。

本書の紹介をしているうちに、
なぜ高校野球に魅せられるのか、もう少しわかったような気がします。

なぜ高校球児たちのプレーに魅せられるのか。
きっとそれは、選手たちが大会を通じて成長する姿を目の当たりにするからではないでしょうか。
時にそれが、成長したがゆえに何かを失う、という残酷な結末を生み出したとしても。
それはそれで悲劇のドラマ、あるいはひと夏の奇跡として、長く語り継がれることになるのです。


最後に著者のひとり木村修一さんについて触れておきます。
木村さんはこの本が単行本として発売されて間もなく癌でお亡くなりになりました。

もうひとりの著者、中村計さんは、文庫版のあとがきで木村さんを追悼しつつ、
この2006年の夏の決勝について、いろいろな人がいろいろなことを書いたけれども、
「『本丸』に突入したのは自分たちだけだという自負があった」と書いています。
「あの試合を真正面から取材し、真正面から書き上げたのは自分たちを置いて他にいない」と。

中村さんは謙虚に「他の作品を読んだわけでもないのに」と断っているけれども、
ぼくは中村さんのささやかな自負を支持したい。

2日間、のべ5時間半におよんだあの熱闘が、
ふたりの優れたスポーツライターの手で、これほどまでに鮮やかに蘇ったのですから。


中村計さんには『佐賀北の夏——甲子園史上最大の逆転劇』(新潮文庫)という作品もあります。
こちらも奇跡のドラマを描き切った面白い一冊ですので、ぜひどうぞ。

投稿者 yomehon : 21:33