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2012年04月09日

大阪人の格言


生まれて初めてプロ野球選手を間近で観たのは、小学5年生の頃のことです。
地元の球場で行われた広島カープと近鉄バファローズのオープン戦でした。
いまからもう30年以上も前のことです。

春の暖かい陽射しが降り注ぐ外野の芝生席で、
ぼくはひとりの投手がランニングやキャッチボールを繰り返すのを
興奮したまなざしで見つめていました。
ちょうど目の前には外野フェンスがあり、そこには「背番号1」と書かれた
ウインドブレーカーがかけられています。

近鉄バファローズの「背番号1」。
そう、通算317勝をあげたプロ野球界を代表する名左腕、鈴木啓示さんです。

やがて練習が終わり、汗まみれの鈴木さんがこちらへゆっくりと歩いてきました。
この時すでに200勝を達成している大投手です。やっぱりすごいオーラが出ていました。

「ふーっ」と大きく息をつきながらウィンドブレーカーを手に取り、
ひきあげようとする鈴木さんに、隣にいたおっさんが
「いい汗かいちょるねー」(大分弁です)と声をかけました。

すると、鈴木さんはニイっと笑って、

「この汗がゼニになるんや」

と言い残して去って行きました。

「スゴい!なんてカッコいいんだ!なんて絵になるセリフなんだ!」

ウィンドブレーカーを肩にひっかけてひきあげていく
鈴木啓示さんの大きな背中を見つめながら、ぼくは大人の男ってカッコいいと思いました。


「汗がゼニや」。
いまでもいいセリフだと思います。
よく試合後のお立ち台なんかで、
翌日のスポーツ紙の一面を飾るようなうまいセリフを吐く選手がいますけど、
どこからこういう絶妙なフレーズが出てくるんだろうと感心します。
しかも名セリフが飛び出す比率は、一流選手であればあるほど高い。

これはセリフではないけれど、鈴木啓示さんも、
色紙に書く「草魂」という言葉が有名でしたし、
名選手というのは、もしかしたら言葉に関しても
すぐれた感覚を持っているのかもしれませんね。

これに加えて、鈴木啓示さんの場合は、土地柄もあるかもしれません。
つまり近鉄バファローズの本拠地だった「大阪」という土地柄が
鈴木さんの言語感覚を養う土壌になっていたのではないかということです。


『大阪人の格言』(徳間書店)は、
大阪人のコラムニスト、小杉なんぎんさんが、
大阪の一般人の口から出た素晴らしいひとことを収集した格言集。

まずは第1章『逆境を笑い飛ばす大阪人の知恵』からいくつかご紹介しましょう。
皆さんも頭の中で大阪弁のイントネーションを思い浮かべながら読んでみてください。


「借金が増えたら 計算力もアップするちゅうもんや」

意味は「不幸中の幸い、または人間万事塞翁が馬」とあります。
小杉さんによれば、大阪人は、自分がマイナスの状態に陥っていても、
無理矢理にでもプラスの状態を引き出そうとする特性があるそうです。
もうひとつご紹介。


「足らんヤツは余るんや」

意味は「適材適所」ということ。
何かの能力が足りない人は、何かの能力が余る。
つまり、ある局面で役に立てなくても、他の場面では役に立てるということです。
愛情があるいい言葉ですね。
能力主義を標榜する新自由主義者にぜひ聞かせたい。

この他にも含蓄のある言葉が目白押し。


「人生やり直すんやったら 精子からやり直せ」

意味は、「何かをやり直すときは、根本まで立ち返れ」ということ。


「百パーセントは ジュースだけにしとこうや」

これは「世の中には『絶対』はない」ということを示した言葉。

こんなやさしい言葉もあります。


「ワシの両手が重たいもん持ちたい言うてんねんけど」

重い荷物を持って困っている人に対して、
やさしい言葉をかけるのに照れを感じて、
こんなふうに遠回しに表現してしまうのですね。いいなぁ。

次は、第2章『世渡り上手を発揮する大阪人の知恵』から。


「言葉にモザイクかけてどうすんねん?」

意味は「言いたいことははっきり言え」ということ。
言葉にモザイクかかりっぱなしの霞ヶ関方面の人々にぜひ聞かせたい。


「心臓のメロディも聞いてあげんと」

意味は「相手の本当の気持ちを汲み取ってあげよう」
なんてクリエイティブな表現!現代詩も顔負けです。


ぼくが好きなのは、
第3章『世知辛い人間関係を円滑にする大阪人の知恵』で見つけたこの言葉。


「右肩上がりの左肩下がりっぱなしや」

ある中小企業の社長がこう言って嘆いていたそうです。
意味は「忙しいけど儲からない」ということ。
売り上げは右肩あがりかもしれないけれど、
利幅が減ってしまって、忙しいのに全然儲からないということを表現した言葉です。

景気が良さそうに見える相手から、
もしこんなふうに言われたら、相手を妬む気にもならないですよね。
まさに「人間関係を円滑にする知恵」という感じがします。


『大阪人の格言』には、このような素晴らしい言葉が165もおさめられています。

著者の小杉なんぎんさんのおばあちゃんは、
いつも口癖のように

「人間、いつどこで、えらい目(災難)にあうかわからへん、
けどな、どんなときでも、そこでどんだけ笑えるんか?それや、一番大事なんは」

と言っていたそうです。
大阪人の言語観のベースにはやっぱり「笑い」があるんですね。
「笑い」はサービス精神にもつながります。
そう考えると、一流選手に名言が多いのも頷けます。
きっと一流選手ほどファンのことを考えているということなんでしょうね。

この春から新しい環境で頑張っている人も多いことでしょう。
もし壁に当たってしまったら、この本を開いてみてはいかが?
肩の力をフッと抜いてくれる言葉に出合えるかもしれませんよ。


投稿者 yomehon : 12:42

2012年04月02日

早くも今年ナンバーワン!? 『アイアン・ハウス』が素晴らしい!


新年度を迎えたばかりのこのタイミングに、
暮れの話なんかするとバカと言われてしまうかもしれませんが、
今年の終わりに各社から発表されるミステリー小説のランキングで、
確実に海外ミステリーのランキング上位に、
それもかなりの確率で1位にランクインするのでないかと思われるのが、
ジョン・ハートの新作『アイアン・ハウス』東野さやか 訳(早川書房)です。

ジョン・ハートは1965年生まれ。
『川は静かに流れ』『ラスト・チャイルド』がいずれもアメリカ探偵作家クラブ賞の
最優秀長編賞に輝いて、世界のエンターテイメント小説界のトップランナーとなりました。


新作『アイアン・ハウス』のストーリーは実にシンプル。

ニューヨークで暮らす凄腕の殺し屋マイケルが、
恋人のエレナが妊娠したのを機に、組織を抜けようとします。
育ての親で、病床で死を前にしたボスのオットー・ケイトリンは、
実の息子以上に可愛がっていたマイケルの申し出を了承します。

ところが、いくつかの事情がからんでこの話がこじれます。
マイケルは組織に追われる身となり、エレナにも刺客が放たれます。
さらには、かつて孤児院「アイアン・ハウス」でともに暮らし、
23年前に生き別れとなったマイケルの弟ジュリアンまでもが組織のターゲットに。

はたしてマイケルはエレナとジュリアンを守れるのでしょうか——。


物語の枠組みはこれだけ。
シンプル極まりないストーリーです。
いや、シンプルというより、陳腐とさえ言えるかもしれません。
いかにもそのへんのB級サスペンスにありそうな筋立てだからです。

でもだからこそ、作家の腕が際立ちます。
超一流の作家が凡庸な筋立てを料理してみせるとどのような小説に仕上がるか。
この小説を読んで驚かされるのは、まずそこです。

ならばこの優れた小説家によって調理された一皿をじっくり吟味して、
その味の秘密に迫ってみることにいたしましょう。


ありふれた設定を前にして、
ジョン・ハートはまず細部を肉付けしていきます。
まずはマイケルとジュリアンの置かれた環境の違い。

マイケルはある事件がきっかけで孤児院を脱走し、ストリート・チルドレンとして
生き延びた後、ボスに拾われ凄腕の殺し屋としての道を歩みます。
かたやジュリアンは莫大な資産を持つ上院議員夫妻に養子として迎えられ、
児童書の作家として成功していますが、その一方で精神に闇を抱え苦しんでいます。

殺し屋だけど自分で自分の人生をコントロールしているマイケルと、
金持ちで芸術家としての名声も獲得していながら心の病に苦しむジュリアン。

ふたりの境遇のコントラスト、またそれぞれの人物の正と負の側面、
それらを丁寧に書き込むことで、物語に奥行きをもたせています。


そしてもうひとつ工夫が凝らされているのは、物語の語られ方。
マイケルとジュリアンのストーリーが平行して語られ、読者を飽きさせません。

マイケルとエレナの逃走劇では、彼が殺し屋であることを知らなかった
エレナの葛藤が丁寧に描かれ、物語にふくらみをもたらしています。
一方、ジュリアンの周囲では、謎の殺人事件が次々に起こり、
読者の興味を先へ先へと駆り立てます。

マイケルとジュリアンのストーリーはやがて交錯し、
マイケルがジュリアンの身近で起きた殺人事件の謎を追ううちに、意外にも、
かつてふたりが過酷な日々を送った「アイアン・ハウス」へと辿り着くことになります。


よく海外ミステリーは登場人物が多すぎて名前が覚えられないので苦手、という声を
聞きますが、この小説は登場人物も限られているのでその心配は無用です。

むしろ登場人物が少ないのに、物語のスピードが停滞していないところが凄い。
謎が謎を呼ぶ展開が最後に一点に収束して行く様は、まさに圧巻のひとこと。

ひとつだけ気になるところをあげれば、
ネタバレになるのであまり詳しくは書けませんが、
ある精神疾患がやや都合良く使われているところでしょうか。
ただこれも「あえて粗を探すなら」というレベルのお話。

たとえわずかな瑕疵があったとしても、
世界トップクラスのエンターテイメント作家の技術を
じゅうぶんにご堪能いただける逸品であることは間違いありません。

いや、ホントに今年ナンバーワンかもしれませんよ、この小説は。


投稿者 yomehon : 01:27