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2012年03月26日

ある書店員がどうしてもススメたかった「凄い」一冊


ジュンク堂新宿店が3月末をもって閉店します。
大型書店の閉店もいまや珍しいことではなくなり、
かつて渋谷の大盛堂や池袋の芳林堂が閉店したときのような衝撃はありませんが、
それでもよく利用した書店が店じまいをするというのは淋しいものですね。

ジュンク堂新宿店のなにが良かったって、
池袋本店と同様、全フロアを自由に行き来してあれこれ本を選び、
最後にまとめて会計ができるところがとても便利でした。
ぼくのように一度に大量に本を購入する人間からすると、
同じ新宿でいうならば、たとえば紀伊国屋書店のように、
各フロアでいちいち会計をしなければいけないというのはすごく面倒なんです。
(ただし同じジュンク堂でも吉祥寺店のようにフロアごとの会計のところもあります)

ともかく、心ゆくまで本を選んで、会計後は店内のカフェに直行し、
コーヒーを飲みながら買ったばかりの本を貪り読むという、
あの楽しみが二度と味わえなくなるかと思うと、とても淋しくなるのでありました。

ところでこのジュンク堂新宿店では、各フロアの担当者が
「これだけは売りたかった本」をおススメするとても面白いフェアをやっています。

たとえば6階には「さようなら新宿〜社会科学担当者が本当に売りたかった本〜」
と題した棚が設けられています。
この際だからということで、担当者が完全に個人的な趣味に走っているのが面白い。
新刊とか旧刊とか関係なく思い入れのある本がずらりと並ぶ様は壮観です。

こういう試みはとても面白いですよね。
それぞれの書店員の顔がみえる感じがします。
本屋さんはもっと書店員のキャラクターを前面に出すべきです。


さて、そんな担当者が思い入れたっぷりに推薦本を並べた棚を流していたところ、
ぼくのアンテナが「ピン!」と反応しました。

鬼太郎の妖怪アンテナってありますよね。
妖怪が近くにいると髪の毛がピンと立つやつ。
あれと似たような本のアンテナが備わっていて、
面白そうな本があると「ピン!」と反応するのです。

アンテナが反応した瞬間、「きっと面白いに違いない!」と直感したのは、
『美談の男』尾形誠規(鉄人社)という本。

案の定、喫茶店で読み始めた途端に夢中になり、
気がつけば「お客さん閉店ですよ」と肩を叩かれ、
仕方なく本を読みながら電車に乗って家に向かえば、
いつの間にか「お客さん終点ですよ」と駅員に肩を叩かれ、
それからどうやって帰ったんだか、気がつくと今度は自宅で朝を迎えて
「旦那さん朝飯ですよ」とヨメに肩を叩かれる始末。

ともかく、それくらい夢中になって読み終えました。
一昨年に刊行されたにもかかわらず、どうしてこんな素晴らしい本を見落としていたのか。


『美談の男』の主人公は、熊本典道さん。
彼は袴田事件で無罪を確信しながら、一審で死刑判決を言い渡した裁判官のひとりで、
その過ちを事件から40年近くたって告白し、一躍マスコミでもて囃された人物です。
熊本さんの告白は、海外のメディアからも良心的な判事として絶賛されました。

著者の尾形誠規さんは、北尾トロさんが書いた裁判ルポの傑作、
『裁判長!ここは懲役4年でどうすか』を手がけた敏腕編集者。
カメラの前で涙ながらに罪を告白する熊本さんの映像を観て感動した著者は、
「裁判」をテーマにしたムック本を作ることになり、熊本さんを取材することにします。

ある地方都市で熊本さんと初めて会い、酒を酌み交わしながら袴田事件のことを聞くと、
彼は嗚咽しながら幾度も悔恨のことばを口にしました。

袴田事件で良心に背いて死刑判決を書いたこと、
まもなく裁判官を辞職して弁護士になったこと、
その後自暴自棄になり酒に溺れたこと、
死に場所を探して日本各地を彷徨ったこと、
ノルウェーのフィヨルドにも行ったが死ねなかったこと……。

著者が家族のことを尋ねると、
娘が2人いるけれどもう何年も会っていないと言い、
長女には高校1年の頃、一緒にヨーロッパを旅行した時に、
お父さんは無実の人に死刑を言い渡したことを告白したと言います。

そして別れ際に熊本さんはポツリとこう言うのです。
「僕の話を美談にしないでください」


結論から言えば、熊本さんの人生は、決して美談に彩られたものではありませんでした。
海外旅行中、長女に隠していた過去を洗いざらい告白したというのもウソだった。
著者が辿り直した熊本さんの半生は、
美しさとはほど遠い、とても悲しいものだったのです……。


ここでご存じない方のために袴田事件についてごくごく簡単に振り返っておきましょう。

1966年6月29日未明。
日本中の注目が前日に来日したビートルズに集まっていた中、惨劇は起きました。
静岡県清水市(現静岡市清水区)の味噌醸造販売会社の専務宅で、
専務と妻、次女と長男が刃物でメッタ刺しにされたうえ、火をつけられたのです。

事件から49日後、強盗殺人、放火、窃盗の容疑で、
元ボクサーの従業員、袴田巌氏(当時30才)が逮捕されます。

68年9月18日、静岡地裁で行われた一審で死刑判決。
その後、弁護側が控訴するも、76年東京高裁、80年最高裁でも上告が棄却され、
死刑が確定します。
死刑確定後も弁護団は粘り強く再審請求を行い、現在は2回めの再審請求審が静岡地裁で
行われているところです。

この袴田事件では、当初から袴田氏犯行説には矛盾があるといわれてきました。

まず疑わしきは自白の信用性です。警察は炎天下の中、
最長17時間にもわたる拷問のような取り調べを行い、
糞尿も垂れ流し、棍棒で殴る蹴るまでして自供させています。
また、犯行着衣はパジャマだとされていたのに返り血がついていなかったことや、
事件から1年以上たった公判の途中に、味噌タンクの中から血の付いた作業着が発見され、
しかもこの作業着は袴田氏の体格とはサイズがあわなかったこと、
発見された凶器は小学生が工作で使うようなクリ小刀で、
とても一家4人を刺殺できるような代物ではないこと……など、不自然な点があまりにも多いのです。

この本で初めて知ったのですが、
戦後、静岡県では、「幸浦事件」(1948年)、「二俣事件」(50年)、
「小島事件」(50年)、島田事件(54年)など、立て続けに4つも冤罪事件が起きているんですね。

そして驚くべきことに、
この4つの事件すべてで主任取り調べ官を務めたK(本では実名)という男がいて、
彼は後に「拷問王」と評されるほどの悪徳刑事だったというのです。
著者は当時の静岡県警を「冤罪天国」と断じながら、こうした悪しき傾向が
袴田事件の取り調べでも残っていたのではないかと述べています。

マスコミの暴力的な報道も断罪されてしかるべきでしょう。
本書の中で当時の新聞記事がいくつか引用されていますが、
完全に警察のストーリーに乗っかった記事を嬉々として書いています。
(熊本典道さんは、当時3人の裁判官で判決を合議した際、
石見勝四裁判長がどうしても無罪判決を下せなかったのは、
マスコミ報道によって袴田真犯人説に傾いた世論を恐れたからだと述べています)


袴田事件全体を振り返った時に、
静岡地裁の一審判決の影響が後々にまで及んでいるような気がしてなりません。
熊本さんはその罪の意識に耐えかねて裁判官を辞職し、弁護士に転身します。
その後の詳しい経緯はこの本の最大の読み所なのでここには記しません。

ただ、一時は弁護士として年収1億円を超す地位にまでのぼりつめた男が、
弁護士資格を捨て、公的な身分証明書もすべて捨てて生活保護を受けるまでになった。
その事実についてのみ、感じたことを書いておくことにします。

熊本さんはたしかに良心的な裁判官だったかもしれない。
でも、その後アルコールに溺れ、家庭が崩壊し、自殺未遂をし、
公的な身分をすべて捨てて放浪をし……という半生を読みながら、
ぼくはずっとかすかな違和感を感じていました。

その違和感の正体が何かということがわかったのは、
死にたい、死にたいと死に場所を探して彷徨い、
ノルウェーのフィヨルドまで足を運んだという熊本さんの話を、
生き別れた長女がこんなふうに評しているのを目にした時です。


「いろいろ追い詰められて、死のうと思ったのは間違いないんだろうけど、
父は自分の死さえも、人生の美しい1ページにしよう、
ドラマチックにしようって考えてる。それが私にはどうしても見えちゃうんですよね」


そうなのです。
ぼくが感じていた違和感——、それは熊本さんの話がきわめて悲痛なようでいて、
どこかヒロイックな自己陶酔を秘めているように感じられるということでした。

そしてそのような匂いを感じれば感じるほど、
いまも獄中で自由を奪われている袴田氏とのコントラストが際立ってくるのです。

罪の意識に耐えられず、死にたい、死にたいとうわ言のように唱えながら死ねない男と、
生きたいと訴えながら、いつ殺されてもおかしくない環境にいまも囚われたままの男と……。

その対比から容赦なくあぶり出されるのは、熊本さんの「弱さ」でしょう。

でもぼくらが誰一人として熊本さんのことを責められないのは、
彼のようにここまで自分の弱さと向き合い、もがき、転落するという経験もまた、
誰にでも出来るものではないからです。
良心的な裁判官かどうかなどという評価はどうでもよくて、
のたうちまわりながら自分の弱さと対峙したという一点において、
熊本典道という人は立派な人物なのではないか——。そう思いました。


堕ちるところまで堕ちても手を差し伸べる人がいたり、
いろんな裁判官や弁護士の人間像が描かれていたり、
無実を信じていまも獄中の人を支える人々がいたり、
『美談の男』はまるで文学作品のようにいろんな人間ドラマが詰まった一冊です。

最後に、ぼくがこの本でいちばん胸を揺さぶられたのは、
熊本さんがその後ずっと会っていなかった娘さんたちと再会したというくだりを読んだときです。
いや、感動の再会に涙したとかそういうことではありません。
そこには続けて袴田死刑囚のご子息のその後が書かれていたからです。

生まれて間もない我が子と別れ、
その後45年以上も息子の顔を見ることができないというのはどういう気持ちでしょう。

そして我が子のその後を聞かされたときの気持ちはどうだったでしょう。

袴田死刑囚は、いまもぼくたちが想像もつかないような地獄を味わっています。


投稿者 yomehon : 2012年03月26日 02:09