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2012年03月18日

「吉本隆明」を読んでみよう


吉本隆明さんがお亡くなりになりましたね。
晩年は糸井重里さんや渋谷陽一さんなどのインタビューでお見かけするくらいでしたが、
それだってついこの間のことですから、亡くなった年齢が87歳と聞いて驚きました。
この年齢まで知的な活動を続けてこられたというのはほんとうに凄いことだと思います。

ところでみなさんは「吉本隆明」という名前をどう読みますか?
ぼくは「よしもと・たかあき」と読みますが、ある年齢より上の世代にとっては、
「よしもと・りゅうめい」と読むほうがしっくりくるようです。

「”たかあき”なんて読むと軽くってダメだよ。やっぱり”りゅうめい”じゃなきゃ」

そんなことを言っている年配の方がいましたけど、
たしかに「りゅうめい」と読むほうが重々しさがあるかもしれません。

この”重々しさ”というのは、名前の読み方だけではなく、
吉本隆明さんのスタイルを特徴づけるものでもあります。
ともかく吉本さんの使う用語というのが独特なんです。

たとえば有名なものでいうと「重層的非決定」なんて言葉があります。
「重層的非決定」……なんのことやらわかりませんよね。
ひとことで言えばこれは、
哲学もサブカルチャーも同じ水準で扱わなきゃダメだぜ、ってこと。
哲学だから高尚だ、サブカルだから低俗だ、なんてことはないんだぜ、ということです。
現代のようにすべてがフラットになった時代からすると、
「なにをいまさら」という感じもしますが、昔はこういうのがカッコ良かったんですね。


それから「共同幻想」という言葉も有名です。これも難しい。
「幻想」というのはいわば「観念」のこと。
「国家」というのはみんなの「共同観念」で成り立ってんだよ、ということです。
たしかにそうですよね。
「国家」なんてものはみんなが漠然とイメージしているだけで、
具体的な「国家の手触り」なんてものがあるわけではありません。
(ベネディクト・アンダーソンという人は、「想像の共同体」と表現しました。
個人的にはこっちの言葉ほうがしっくりきます)

ことほどさように、吉本隆明さんの用語というのは重厚でわかりづらいのです。

今回、吉本さんが亡くなったニュースを聞いて、
「じゃあ読んでみようかな」と思った人もいるかもしれません。
そういう人が「新聞に代表作と書いてあったから」という理由で、
『共同幻想論』とか『言語にとって美とはなにか』なんかを手に取ってしまうと、
この独特の用語と晦渋な文章に悲鳴をあげてしまう可能性大です。
(ぼくも途中で挫折してすべて読み通したことはありません)


そんな方のために、無謀にも一冊だけ、おすすめ本を選ぶとすれば、
ぼくは『吉本隆明「食」を語る』(朝日文庫)を挙げたい。

吉本さんがこれまで食べてきたものを入り口にして、
生い立ちや人生観、文学や思想にたいする思いなどがわかりやすく語られた一冊。

聞き手はフランス料理通として知られる宇田川悟さん。
月島で育った吉本さんが、好物のレバかつについて
楽しそうに語る様子から伝わってくるのは、なによりもその飾らない人柄です。

ぼくはかねがね吉本さんの思想の核心は、次のような言葉にあると考えてきました。


「市井の片隅に生まれ、そだち、子を生み、生活し、
老いて死ぬといった生涯をくりかえした無数の人物は、
千年に一度しかこの世にあらわれない人物の価値とまったく同じである」


『カール・マルクス』という本に出てくる言葉ですが、
『吉本隆明「食」を語る』を読んでいると、吉本さんご自身がまさに
「市井の片隅に生まれ、そだち、子を生み、生活し、老いて死」んだ人であったと
いうことが、つまりぼくらと同じ大衆のひとりだったということがよくわかります。

訃報に際しては「戦後思想の巨人」という形容がつきものでしたが、当のご本人は、
自分のことを巨人だなんてまったく思っていらっしゃらなかったのではないでしょうか。

これから吉本隆明を読んでみようと思った方は、
「戦後思想の巨人」だなんて構えずに、
「下町のなんでも知っているおじいちゃん」
ぐらいな感じで、この本を手に取ってみてください。

もう一冊、糸井重里さんとの対談『悪人正機』(新潮文庫)もぜひ。
こちらも吉本隆明入門編としておすすめですよ。


投稿者 yomehon : 2012年03月18日 00:57