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2009年08月02日

今年の時代小説ナンバーワンは『弩』で決まり!


突然ですが、あなたは電車で本を読むとき、本にカバーをかけていますか?
朝の満員電車なんかでちょっと気をつけて周囲を見渡してみると、
あっちでもこっちでもブックカバーをかけているのが目にとまります。

ぼくは「かけない派」です。

最近ではどこの本屋さんでも必ず「カバーおかけしますか?」と聞かれますが、
その都度丁重にお断り申し上げていますし、うっかりカバーをつけられてしまったときも、
わざわざお願いして外してもらっています。ともかく断固として本にカバーはかけません。

なぜって?
だってもったいないじゃないですか。

いや、もったいないといっても、紙資源の無駄とかそんな意味じゃないですよ。
いま自分が読んでいる本がとんでもなく面白い本なんだってことを、
周りに知らせないのはもったいないじゃないかと。そんなふうに思うわけです。
要するに、本を愛する人間が「いまオレ面白い本読んでますよ!」と
周囲にアピールしなくてどうするんだ、というわけですね。

ちょっと想像してみてください。
あなたがものすごく美しくセクシーな女性だとしましょう。

朝の通勤電車で、目の前に立つオトコたちが新聞を読むふりをしながら
チラチラと顔や胸元を盗み見るのは、あなたにとっては年中行事のようなもの。
ところが、今朝目の前に立ったデブ男に限っては、
本を読むのに無我夢中で、いっさいあなたのことなんか眼中にありません。
いちどだけ、あなたが咳をしたときにチラッとこちらを見ましたが、
その目の色からはあなたについてなんの関心も認められませんでした。
にもかかわらず、このデブ男は、他のオトコたちがあなたを見つめるような
熱く情熱的な視線を手元の本に注いでいるではありませんか。
容姿に自信のあるあなたはすっかりプライドを傷つけられてしまいました。
そしてこう思うのです。

「わたしよりも魅力のある本ってなに?この人はいったいなにを読んでいるの?」


え?そんなこと思わないって?
いや、あのですね、つまりは何が言いたいかというと、
目の前の人が夢中で本を読んでいたら、
どうしたってその人の読んでいる本のことが
気になってしまうだろうってことを言いたいわけです。


通勤電車でぼくがこの本に熱中していた数日間も、
きっとたくさんの人がこの本のことを記憶にとどめたに違いありません。
(あいにく本が面白すぎて、美しくセクシーな女性がいたかどうかは憶えてないけど)

なにしろ表紙にはダイナミックに「弩」(ど)のひと文字が、
帯には書評家・北上次郎さんによる「2009年はこれだ」というコメントが踊っています。
人々の記憶に残るインパクト十分の面構えです。

『弩』下川博(小学館)は、血湧き肉躍る時代小説の傑作です。
今年もまだ半分残っているのにそんなこと言い切っていいのかと
言われるかもしれませんが、これから刊行されるものを含めたとしても、
おそらくこの小説にかなうものはないでしょう。今年の時代小説の白眉と断言します。


時代は14世紀中頃。
鎌倉幕府が滅亡へと向かい、やがて南北朝の動乱がはじまる混迷の時代です。
舞台となるのは、因幡の国の智土師郷(ちはじごう)。
現在の鳥取県智頭町那岐地区にあたります。

横浜市の金沢文庫が所蔵する「称名寺文書」には、
1342年、この土地の農民たちが村を護るために
侍たちを雇ったという史実が記されているそうです。

『弩』はこの史実にインスパイアされて書かれた作品です。
ストーリーの大筋は、「農民が侍を雇って野武士と戦う」といういたって単純なもの。
けれども『弩』は、いくつかの要素によって類例のない時代小説たりえています。

ひとつは農民たちが使った武器に「弩」を採用したこと。

「弩」(ど)は、古代中国で開発された弓の一種。
西洋ではクロスボーと呼ばれ、この物語と同じ14世紀の中頃には、
スイスでウィリアム・テルがクロスボーの名手として勇名を馳せていました。
特別な訓練も必要なく使えることから、鍛錬を旨とする武道からは敬遠され、
日本では武器としては定着しませんでしたが、この忘れられた武器である「弩」を
引っ張り出してきたことで、物語はユニークな輝きを放つようになりました。


しかもそこにはちゃんとしたリアリティの裏付けがある。
これがこの小説のふたつめの優れた点です。

鍬や鋤しか手にしたことのない農民が、侍崩れの悪党といかにして戦うか。
作者はおそらくこの点を徹底的に考え抜き、「弩」という武器を選んだに違いありません。
特別な技能を必要としない「弩」は、確かに素人用の武器としてリアルな選択です

でも武器が手に入ったからといって、悪党どもと対等に戦えるわけではありません。
やはり相応の戦闘訓練が必要となりますが、こういった場面も実にしっかりと描かれている。

「忘れるな。騎馬武者は馬上では左側からしか矢を射てぬ。狙われたら、右に右にと逃げるのだ!」

このような訓練シーンでのちょっとしたセリフにもリアリティがあります。
こうした小さなリアルの積み重ねが物語全体に説得力をもたせるのだということを
忘れてはいけません。

「弩」の入手方法もちゃんと考えられています。
いくら勇気を振り絞って悪党と戦おうと決心しても、結局戦うのには金がいる。
この物語の主人公の農民たちは、特産物の柿渋を商品化し、他国との交易で
塩を入手することで生み出した利益を武器の購入にあてるのです。
(この小説は、このように当時の経済をリアルに描いた経済小説の側面ももっています)


ところで、物語の舞台となった14世紀中頃は、
日本という国のかたちが定まるにはまだ遠く、
けれども近世に向けて商品経済のシステムなどが固まり始めた時期でもあります。
中世というのは日本史の中でもひじょうにダイナミックな時代ですが、
このような活力あふれる中世像を初めてぼくらの前に提示したのが、
歴史学者の故・網野善彦さんです。

この小説『弩』は、明らかにこの網野史学の影響下に書かれています。
まだ定まらぬこの国のかたち、跳梁する悪党ども、村々を行きかう漂白民たち――。
この小説の背景にあるのは、網野善彦が描いた躍動する中世像そのものです。

超弩級の面白さを持つ『弩』を堪能した後は、
ぜひ網野善彦さんの本も読んでみてください。
どれもオススメですが、この小説の時代背景と直接関係のあるものとしては、
『無縁・公界・楽』『異形の王権』(いずれも平凡社ライブラリー)などをぜひ!

投稿者 yomehon : 2009年08月02日 20:56