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2009年02月12日

ポトスライムの舟


読み終えて考えたこと。
それは「人生の価値」についてでした。

『ポトスライムの舟』津村記久子(講談社)は、第140回芥川賞受賞作です。

主人子は29歳の女性ナガセ。
新卒で入った会社を上司のモラル・ハラスメントで辞めた彼女は、
いまは派遣社員として化粧品製造工場のラインで働いています。
それだけでは食べていけないので、カフェでバイトをし、
パソコン教室の講師もし、家でもデータ入力の内職もしている。

なかなか大変な生活です。
そんな毎日を送っていると、時折、心が押し潰されそうになる瞬間があります。


工場の給料日があった。弁当を食べながら、いつも通りの薄給の明細をみて、
おかしくなってしまったようだ。『時間を金で売っているような気がする』という
フレーズを思いついたが最後、体が動かなくなった。働く自分自身にではなく、
自分を契約社員として雇っている会社にでもなく、生きていること自体に吐き気がしてくる。
時間を売って得た金で、食べ物や電気やガスなどのエネルギーを細々と買い、
なんとか生き長らえているという自分の生の頼りなさに。それを続けなければいけないということに。 


ある日、彼女は工場の掲示板に貼られたポスターを目にします。
それはNGOが主催する世界一周のクルージングへの勧誘で、
代金は「163万円」と書かれていました。
工場が終わった後、大学時代の同級生であるヨシカのカフェを手伝いながら
ナガセはポスターのことを話題にします。


「工場のロッカールームにさ、世界一週する船のポスターが貼ってあってさ」
「うん。このへんでもよく見るね」
ヨシカは、丹念にカップやグラスを布で拭きながら、ナガセの方は見ずに即答する。
「一六三万やん、あれ。よう考えたらあたしの工場での年収とほとんどおんなじやねん。
去年おととしとボーナス出んかったしさ。そしたらほんまに二万六千円とかしか
違わんねやんか。帰りのバスで計算したら」
ナガセの言葉に、ヨシカは一瞬だけ顔を上げて、ああー、とぼんやり言った後、
食器を拭く作業に戻る。
「あんたの一年は、世界一週とほぼ同じ重さなわけね。なるほど」 


工場で働く一年が世界一周と同じ重さ――。
人は自分の人生をいろんなものと照らし合わせてその価値をはかろうとします。
たとえば世間に名の知られた会社に入社できたというだけで、自分の人生が価値あるもののように
思えたりする。学歴だとか社内での評価だとか人は自分の外側にあるさまざまなものを物差しにして
その時々での人生の価値をはかろうとします。

工場でポスターを目にしたときから、ナガセの中で、人生は新たな価値を帯びます。
自分の派遣社員としての一年分の労働が、世界一周の旅と等価だというのです。

その旅をすることで、もしかしたら何かが変わるかもしれない。
出口のみえない人生に一石を投じることができるかもしれない。

ナガセはお金を貯め始めます。
ところが家出した友人が子連れで転がり込んできたりして不意な出費がかさみます。
それに無理がたたって体をこわしたりもする。人生はなかなかうまくいきません。

ナガセと同じように、人生を変えたいと思いながらなかなかうまくいかないという人は
きっとたくさんいるでしょう。このあたり、作者はとても上手に「いま」を切り取っています。


でも作者が描きたかったのは、
このような「格差社会の中の人生」みたいなことではなく、
おそらくそのさらに先にあるものではないかと思うのです。

年齢であるとか収入であるとか、主人公の置かれた状況を数字だけでみると
けっこう厳しい人生であるかのようにみえます。
にもかかわらず、この小説の中で描かれるナガセの日常は意外にもおだやかで、
前向きなユーモアすら感じられます。

その理由は、ナガセとまわりの登場人物との関係にあります。

大学時代の友人でカフェを営むヨシカ。
ナガセのもとに転がり込んできた友人りつ子と娘の恵奈。
築50年の家でナガセと暮らす母親。
派遣先の工場でラインリーダーを務める岡田さん。

彼女たち(そう、すべて女性です。この小説には不思議と男が出てきません)との交流が
ナガセを支えています。それは、お互いの領域にけっして踏み込みすぎることなく、
けれども気遣いあう関係です。ナガセの置かれている状況はなかなかシビアですが、
大切な人と支え合っているからこそなんとか乗り切って行けているようにみえます。

他者との相互扶助的な関係こそ人生においてもっとも価値がある。
作者が描きたかったのはそういうことではないかと思うのです。


なにかと照らし合わせて人生の価値をはかろうにも、
自分の外側にある物差しは明日にはもう役に立たなくなっているかもしれない。
ぼくたちはそういう不安定で不透明な時代に生きています。
でもこの物語からはたしかに聞こえてくる声がある。

「生きていると大変なことがたくさんある。でもたとえ何があっても大丈夫」

この物語を読みながら、ぼくはそんな声を聞いた気がしました。

『ポトスライムの舟』は、世の中が「100年に一度」といわれる経済危機に襲われているいま、
まさに書かれるべくして書かれた物語ではないでしょうか。

投稿者 yomehon : 00:20

2009年02月08日

新しい郊外


朝晩の冷え込みがぐっと厳しくなるこの頃、今年もまたヨメがキレました。
もはや我が家では毎年恒例といってもいいヨメの爆発。
寒くて家の中で過ごす時間が増える時期に必ずそれはやってくるのでした。

怒りの原因になっているのはぼくの本です。
アリが巣穴にエサを運ぶようにせっせと買いためた本が棚から溢れ、
書斎の床を埋め尽くし、リビングにまで侵入したあたりで、
ヨメの怒りが沸点に達するというのが例年のパターン。

それにしても今回の怒りようは凄かった・・・・・・。
殺されるかと思いました。いやほんとうに。
しかも今回はひとしきり感情を爆発させた後、急に冷静になって、
あらためてぼくと話し合いたいなどと言い出すではありませんか。
(冷静なヨメもそれはそれでコワかった・・・・・・)

そして話し合いの結果、ぼくはヨメからある選択を迫られたのです。

ヨメから突きつけられた選択肢。
それは、このまま都心の狭い家に住み続けるか、
それとも郊外に引っ越していまより広い家に住むか、というものでした。


『「新しい郊外」の家』馬場正尊(太田出版)は、
ふとしたきっかけから房総の海辺に土地を買い、
都心との二重生活をスタートさせることになった建築家が、
自らの体験をもとに「新しい郊外」での生活を提案した一冊。

「新しい郊外」とは何か。

それは「積極的に、ある目的意識を持って住む郊外」のこと。

たとえば著者の馬場さんが設計した茨城県守谷市の「郊外の農家」。
住所から受ける印象だけだと、「都心からかなり遠そう」と感じてしまいますが、
実際はつくばエクスプレスで秋葉原から40分足らずなのだそうです。

施主はごく普通のサラリーマン。普段は都心のオフィスに通勤していますが、
定年後は頑張りすぎない程度に農業をやってみたいと考えていて、
庭が畑になった現代版農家の設計を馬場さんに依頼しました。
けれども空気のきれいな土地での暮らしを望む一方で、
映画館や美術館といった都市の文化的なインフラも手放したくないと考えています。

このような施主とのつきあいの中で馬場さんは気がつきます。
「何かを犠牲にするわけでもなく、すべてをバランスよく手に入れる」ために
「極めて合理的な判断の上で、(茨城県守谷市という)この場所が選ばれている」と。

都心は土地や家賃が高くて狭い家にしか住めないから
仕方なく郊外に住む、といった後ろ向きの選択ではなくて、
郊外に住むことに新たな価値を見出し、積極的にそれを選び取ること。
サーフィンがやりたいから、農業を楽しみたいから、釣りが好きだから、
山歩きを愛しているから、だからこそ郊外に住むんだというポジティブな選択。

それが著者の提唱する「新しい郊外」のライフスタイルです。


ただ、このような著者の主張がすごくユニークなものかといえばそうでもありません。
もともと郊外は、都会のインフラも適度に享受しつつ自然とも触れあえる場所として
あったわけですし、郊外をめぐるさまざまな議論の歴史の上に置いてみれば、
著者の主張は「新たな郊外回帰」とでも呼ぶべき程度のものであるといえましょう。


でもそれでもなお、この『「新しい郊外」の家』は素晴らしく魅力的な本なのです。

あなたの身近に、小さな子供を抱えて都心の賃貸マンションで暮らしている人や
これから家を買おうかどうか迷っている人はいませんか?もしいたらぜひ一読を
すすめていただきたいくらい、この本には共感できるところがたくさんあります。

それは著者がこの本の中で馬場家の実情を正直に明かしながら、
「住むこと」について考えているからだと思います。

馬場家は、馬場さんが40歳、奥さんと息子がふたりいて、
上が18歳の高校3年生、下は3歳。40歳にしては上の子供が大きいし、
長男と次男の年齢差が15歳もあるのもちょっと変わっています。
(ちなみに長男と次男の母親は同じ女性です)

けれどもこの家族構成が「房総の家」の成り立ちに深く関わっているのです。
もっといえば、長男と次男の間に15年もの時の流れがあったからこそ、
馬場家は房総に住むことになったともいえるでしょう。

馬場家が房総にたどり着くべくしてたどり着いた経緯は
本書のいちばんのハイライトなので、ぜひお読みいただきたいのですが、
このように著者がどこまでも自分の経験をもとにして家づくりを語っているからこそ、
読者であるぼくたちは共感できるのだと思います。

作家の藤原智美さんは名著『「家をつくる」ということ』の中で、
「家をつくる」ということは、「家族をつくりなおす」ことでもあると言っていますが、
馬場さんの房総の家づくりはまさにそのお手本です。


最後に著者の馬場正尊さんについてちょっと詳しくご紹介しておくと、
彼は「東京R不動産」という不動産仲介サイトを運営していることでも知られています。
この東京でいちばん変わった(でも面白い)物件が揃ったサイトはのぞいてみるだけでも
楽しいですよ。(本も出ています。こちらもオススメ!)


それにしても、本の収納がのっぴきならない事態にまで
発展してしまった我が家は、いったいこれからどうなるんだろうか。
本の収納に一部屋まるまる使えるくらい広い家が借りられる場所を探すと、
会社から2時間近くはかかります。
通勤に往復4時間。片道に1冊読めるとして一日2冊。
月~金だと10冊。ひと月にならすと約40冊。とすると年間480冊。
定年まで会社にいたとすると、通勤電車の中で読める本が1万560冊・・・・・・。

いくら本が好きとはいえ、はたしてこれは幸せな数字なんだろうか・・・・・・。
さすがに僕も考え込んでしまいました。

投稿者 yomehon : 12:59