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2009年01月31日

オバマ大統領のDNA


新しい大統領が誕生したお祝いムードは日本にも及んでいるようで、
いま書店にはさまざまな「オバマ本」が並んでいます。
このあいだちょっと数えてみたら30冊もありました。
中にはベストセラーになっている本もいくつかあって、
メディアで社会現象として取り上げられたりもしていますが、
きょうはそれらの本とはひと味違った、けれどもオバマ大統領を知るうえで
きわめて役に立つ、隠れた好著をご紹介しましょう。


『アメリカの黒人演説集』荒このみ編訳(岩波文庫)は、
アメリカ史にその名をとどめる黒人たちの演説を集めた一冊。

これを読むと、オバマ氏がどのようなDNAを受け継いで
大統領になったのかがよくわかります。

そのことに触れる前に、まず黒人に焦点を絞って
ごくごく簡単にアメリカ史のおさらいをしておきましょう。

アメリカ合衆国は1776年に成立しますが、
アメリカ大陸にはそれ以前から、奴隷貿易によってアフリカから連れてこられ、
農場などでタダ働きをさせられている黒人奴隷たちが存在していました。

彼らに最初の希望が訪れたのは1862年。
リンカーン大統領によって「奴隷解放宣言」がなされたのです。
憲法が修正され、奴隷たちはアメリカ市民としての権利を保証されたかにみえました。

ところが現実には、南部の各州で黒人を差別する法律が制定され、
黒人は投票権など市民として当然保証されるべき権利を剥奪されていったのです。

このような状況が改善されたのは、それから100年後(!)でした。
1964年に公民権法が成立、翌65年には投票権法が成立し、
黒人たちはようやく白人と同等の市民としての権利を手に入れたのです。


『アメリカの黒人演説集』を読んでいると、ひとつわかることがあります。
それは、人種問題が、アメリカ建国以来、ずっとあの国とともにあるのだということ。
この本で取り上げられている21人の黒人たちもひとしなみに
先人たちの苦難の記憶を受け継いでいます。


オバマ大統領は演説で「Unite(融合)」という言葉を象徴的に使っていましたが、
かつてアメリカでは「Amalgamation(混合)」という表現が、黒人との性的交わりを
嫌悪する白人たちによって差別的に使われていたといいます。
黒人たちはこのような人種の壁に対する闘いをずっと続けてきました。
それは、はるかアフリカの地から先祖が奴隷船で連れてこられてから、
史上初のアフリカ系アメリカ人の大統領が生まれた今日まで続けられてきた闘いです。
その間いったいどれほどの歳月が費やされたのか、その時間を思うと気が遠くなります。


でもだからといって、この本におさめられた演説が
暗い怨嗟の声に満ちたものばかりかといえば、そうではありません。

たとえば、「投票権か弾丸か」と題されたマルコムXの演説は、
「The Ballot(投票権) or the Bullet(弾丸)」と連呼される言葉が
リズミカルに韻を踏み、読んでいるだけでも不思議な高揚感に包まれます。

どうやらこの「韻を踏む」のと「繰り返し」が英語による演説テクのキモらしいのですが、
それらがもっとも理想的なかたちに結実した名演説を残したのがキング牧師です。

まだこの演説の全文を読んだことがない方はぜひ一読をおすすめします。
(わずか8ページですから読むのはそんなに大変じゃありません)

よく知られているのは、「I have a dream(私には夢がある)」のくだりですが、
他にも、「Go back to~」とふるさとへ戻るよう呼びかけるところや、
「Let freedom ring(自由の鐘を打ち鳴らそう)」と繰り返す部分など、
言葉を反復させ、オーディエンスの心を高みへと導いていく名フレーズがたくさんあります。

言葉も選び抜かれています。
ぼくがいちばん印象的だったのは、
不当逮捕やリンチなどの迫害を経験してきた人々に向けて、
「あなかがたは、何かを生み出す創造的苦悩を経験してきた人々です」
と呼びかけるところ。
迫害などの負の経験が、「創造的苦難(creative suffering)」という言葉を
与えられた途端、何かを生み出し得る源泉へと変わります。
キング牧師のこの言葉を聴いて救われたと感じた人も多かったのではないでしょうか。


ところで『アメリカの黒人演説集』にはオバマ氏の演説もおさめられています。
連邦議会上院議員になりたてのオバマ氏が、地元イリノイ州のノックス・カレッジで
卒業生に向けて行ったスピーチは、若さと初々しさにあふれています。

感心させられたのは、当時発表されたばかりのジャーナリストの著作の話題が
いちはやく取り入れていること。これから社会に巣立っていく大学生向けのスピーチ
だからかもしれませんが、その演説からは強烈に同時代の空気が感じられます。

オバマ氏の言葉に耳を傾けていた若者たちは、おそらくそこに、
自分たちと同じように「いま」を生きるひとりの政治家の姿を見たはずです。
いや、もっと言うなら、世界が巨大な変化に見舞われていることを指摘し、
そのために「なにをしなければならないか」を熱っぽく語る若き上院議員に、
未来の大統領の姿を重ね合わせた人だっているかもしれません。

アメリカという国を象徴するキーワードはなんでしょうか。
それは「若さ」と「人種問題」ではないかと思います。

だとするなら、激しい時代の変化を前にひるまない若さを持ち、
アフリカ系の血をひくオバマ氏は、アメリカそのものともいえましょう。

彼の国の有権者たちが、建国以来の危機に際して選び出しだのが
オバマ大統領だったことに、ぼくは深く納得します。

投稿者 yomehon : 2009年01月31日 23:40