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2008年05月31日

廃墟を舞台に日米ホラー対決!


「一発屋」という言葉があります。
夜空にいちどだけ華々しく打ちあげられた花火のように、
派手な登場ぶりで人々の記憶に鮮やかな痕跡を残して
消えていったアーティストや作家のことです。

ある日のこと。
書店である作家の新刊を目にしてわが目を疑いました。

その作家の名は、スコット・スミス。

ミステリ史に燦然と輝く『シンプル・プラン』(扶桑社文庫)という
大傑作をひっさげて颯爽と登場した後、表舞台から姿を消していた作家です。

偶然拾った大金のために正気を失っていく男たちを描いたこの小説は、
過去のあらゆるミステリ作品の中で間違いなく10指に数えられる傑作です。

ところが、デビュー作にして世界的傑作をものしてしまったスミスは、
その後は新しい作品を世に問うことなく僕らの前から姿を消し、
いつしか一発屋としてその名を記憶される作家になっていました。

そんなスコット・スミスが13年間の沈黙を破って
新作を発表したとあっては、読まないわけにはいきません。


『ルインズ 廃墟の奥へ』近藤純夫・訳 上巻 下巻(扶桑社文庫)は、
前作から一転、意外なことにホラー小説です。

ストーリーは、メキシコのリゾート地を訪れたアメリカ人の男女のグループが、
現地で消息を絶った弟を捜すドイツ人と一緒に捜索に出かけ、
ジャングルの奥地でこの世の地獄に遭遇するというもの。

13年ぶりの新作がホラーだったことにも驚きましたが、
さらに戸惑いをおぼえたのは、これがただのホラー小説ではなく、
バリバリの「B級ホラー」だったことです。

なにしろストーリーがかぎりなくベタに進行します。


① ジャングルの奥でマヤ族の村をみつけるが村人は妙によそよそしい。
  (それも「僕たち何か隠しています」と暗に表明しているかのようなわざとらしさで)

② 案の定、一行はジャングルに巧妙に隠された小道を発見し、分け入ってみると、
  そこにはいかにも足を踏み入れるとやばそうな雰囲気の廃墟がある。

③ グループの中でいちばんドジな女の子がタブーを破ってしまう。
  
④ 原住民の態度が一変し、廃墟から出られないようにされる。

⑤ 廃墟は不気味なツル植物に覆われている。
  (このツル植物が実は・・・・・・)

ネタバレになるのでここまでにしておきましょう。
といっても、読んでいても早々にネタは割れるので
そんなに神経質になる必要もないのですが。


ちょっと話は脱線しますが、この小説を読みながら
僕が連想したのは、和製B級ホラー映画の傑作『マタンゴ』でした。

もっとも『マタンゴ』は、無人島に漂着した人々が
飢えをしのぐために食べた不気味なキノコのせいで
次々と怪物マタンゴになっていくという筋書きで、
『ルインズ』とはそもそもストーリーからして違いますが、
密生した毒々しいキノコのイメージは
廃墟を埋め尽くす気味の悪いツル植物と重なり合います。

ところで、映画と小説の違いはあれ、『マタンゴ』も『ルインズ』もB級ホラーです。
この場合の「B級」は、卑下した言葉ではなく、ひとつのジャンルを指します。

読者や観客といった受け手の期待を決して裏切ることなく、
予想通りの展開をみせてくれるのがB級作品の特徴ですが、
その中でも名作といわれる作品に共通しているのは、
読者や観客の想像力をほんの少し超えてみせるという点。

要するに、受け手の望みどおりの展開をするという基本路線は押さえたうえで、
ほんの少しだけ「やりすぎている」というのがB級の傑作の条件です。

では、 『ルインズ』はどうかといえば・・・・・・う~ん微妙。

というのも、主人公たちがずっと袋のネズミ状態で物語が変化に乏しいんですよね。
せめて廃墟の謎が明らかにされたり、ツル植物の弱点が発見されたりといった
工夫が凝らされていればいいんですがそれもなし。すぐれたB級作品特有の
「先が読みたくてたまらなくなるワクワク感」からはやや遠い出来と言わざるをえません。


訳者解説によれば、 『シンプル・プラン』発表後のスミスは、
何度も何度も次回作に挑戦して挫折したといいます。
デビュー作を超えることができないというプレッシャーからでした。

この話は、作家にとって自分の書いた作品を
乗り越えることがいかに難しいかということを物語っています。
素人考えでは、前の作品のことなんか忘れてのびのび書けばいいのに、と思いますが。


ここで日本に目を移しましょう。
ちょうど時を同じくして日本でも廃墟をテーマにしたホラーが発表されています。
そしてこの本の著者こそ、自らの作品を乗り越えることに常に挑み続ける作家なのです。


『ホーラ』篠田節子(文藝春秋)は、エーゲ海の小さな島に、
不倫旅行で訪れた男女が不可思議な出来事に巻き込まれる物語。


建築家の聡史と長年の不倫関係にあるヴァイオリン奏者の亜紀は、
聡史の海外出張にあわせて不倫旅行に出かけます。

ロンドンからアテネへ向かったふたりは、
家族のしがらみから逃れるように、なかば衝動的に
誰も知らないエーゲ海の小島へと向かいますが、
島の廃墟で亜紀は、聖母マリアを幻視し
掌から血が流れ出すという神秘体験をします。

島の人によれば、廃墟は「ホーラ」と呼ばれる不吉な場所でした。

やがて亜紀のまわりで不思議な出来事が起こり始めます――。


事故に遭い生死の境をさ迷う聡史を看病しながら
亜紀が不倫の罪悪感に苛まれる様子など
オトナの恋愛につきものの葛藤もちゃんと描かれていますし、
物語の重要な背景になっているギリシア正教の神聖な世界や
エーゲ海を舞台に繰り返されてきた交易と侵略の歴史もしっかり描かれている。

恋愛や芸術や宗教といったさまざまな要素が詰め込まれた
贅沢な大人のホラー小説に仕上がっています。いや~お見事!


こうした芸当ができるのは、作者の篠田節子さんが、
常に自分のスタイルを壊し続けてきた勇敢な作家だからでしょう。

篠田さんはその都度、作風の違う作品を発表してきました。
それはもう多彩としかいいようがありません。
『ホーラ』の土台にあるのも、そういった多種多様な先行作品群です。

たとえば音楽という側面からは、バッハをモチーフにした『カノン』を、
次々と起こる奇蹟からは、ネパール人女性を嫁に迎えた農家の男性の
魂の彷徨を描いた『ゴサインタン』を、そのものズバリ宗教という切り口では
人間にとって救いとは何かというテーマを追究した『弥勒』を、それぞれ連想します。


かたやプレッシャーから長いこと筆をとることのできなかった作家。
かたや自分を壊すことを厭わずいつも生まれ変わったような状態で新作に取り組む作家。

廃墟を舞台にした日米ホラー対決の勝者がどちらであるかは言うまでもありません。

投稿者 yomehon : 23:05

2008年05月11日

手に脂汗握る航空小説


この世でなにがいちばん嫌いかと聞かれたら、
迷うことなくぼくは「飛行機!」と答えます。

出張などでどうしても乗らなければならない時は、
「いままで世話になった。ありがとう。君のことは恨んでいません」と
ヨメに遺言メールを送り、決死の覚悟で搭乗しているほどです。
なぜか毎回返事はありませんが。

そもそもあんな巨大な金属の塊が空を飛ぶことに対して、
どうしてみんなギモンを持たないんでしょうか。
あれは絶対にムリヤリ宙に浮かせているのであって、
いつムリがたたって真っ逆さまに墜落するかわかったものではありません。

そういう飛行機そのものへの不信感だけでなく、
もう少しこの恐怖心の正体について考えてみると、
要するに「いざというときに為す術のない状況に置かれること」が
怖くてたまらないのだということに気づきます。

列車にしても船にしても、事故に遭遇したら少なくとも
自力で脱出したり陸まで泳ぎ着いたりできるかもしれないという
希望(幻想?)は抱くことができます。

でも飛行機はそうはいかない。

考えてもみてください。
いざという時に空の上で乗客に出来ることがいったいどれくらいあるか。
せいぜいパイロットにすべてを委ねて神に祈るくらいが関の山でしょう。

もうすぐ死ぬとわかっているのになにもできない。
ただ座して死を待つのみ。
こういう状況にぼくは耐え難い恐怖をおぼえるのだと思います。


そんな飛行機恐怖症にとって
これ以上ないくらいに最悪かつ絶望的な状況を描いた小説が
『霧のソレア』緒川怜(光文社)です。

どれくらい最悪かつ絶望的なのか、ちょっとさわりを引用してみましょう。


ジャンボ機が高度五千二百フィートを通過したところで、
いよいよ恐れていた事態が発生し始めた。
それはボンという小さな音だった。
航空機関士パネルの計器でエンジンの数値を確認すると、
既に十分に覚悟を決めていたためか佐伯が思いの外淡々とした口調で言った。
「第四エンジンがフレームアウト(燃焼停止)した」
「了解」
左右のエンジン推力がアンバランスになり、
ジャンボ機の機首がわずかに右側に持っていかれる。
玲子は右足で踏んでいる方向舵ペダルを戻し、
右旋回は続けたまま機体のバランスを取った。
このままできるだけ小回りに旋回し、
最短のコースで再び滑走路34Lに進入するしかない。
少ししてまた不快な音がした。
「第一エンジンもフレームアウト」
「了解」
数秒後、肉体から魂が抜けていくように
三つ目のエンジンの音もすーっと消えてしまった。
「第三エンジンも止まった」        (267ページ)


何度読んでも気を失いそうになる文章です。
飛んでいる最中にエンジンが停止する。
それもひとつではなく複数のエンジンが!
この世にこれ以上の悪夢があるでしょうか。

でも、この小説で描かれる悪夢はこれだけではありません。


物語は、389人の乗員乗客を乗せた日本トランス・パシフィック航空73便が、
いままさにロサンゼルス国際空港を飛び立とうというところから始まります。

いちどは離陸を試みるものの、滑走路でエンジンが鳥を吸い込んだことから
離陸をとりやめ、点検のために出発を遅らせる73便。

この遅れが、その後いくつもの偶然の連鎖を生み出します。

出発が遅れたことで、ある人物がたてた計画にわずかな狂いが生じ、
またある人間がギリギリ搭乗に間に合います。

物語の冒頭でバラバラの出来事として描かれるこれらの偶然が、
やがて悲劇的展開に向かってひとつに結びついていくのですが、
このあたりの構成の妙は前半部分の大きな読みどころとなっています。

人によっては、この偶然の連鎖をご都合主義だと感じるかもしれません。
けれども僕らは一方で、悲劇というのはいつだって小さな不運が重なり合って
生じるものだということを知っています。
それを思えば、作者の意図はじゅうぶん許容できるものだと思います。

ともあれ、偶然が重なった結果、貨物室で爆弾が爆発するという悲劇が起き、
快適なフライトは死と隣り合わせのフライトへと一変します。

機体を激しく損傷したうえにヴェテランの機長も死亡。
乗客の命は若き副操縦士・高城玲子の腕に委ねられます。

しかし、彼女を信じられない困難が次から次に襲います。
エンジンの停止、滑走路を覆い尽くす濃霧、
そしてなぜか73便に対して電波妨害を仕掛ける米軍・・・・・・。
およそ考えつく限りの最悪の事態が
これでもかというくらいに降りかかります。

このような絶体絶命の危機的状況の下、
73便は成田への着陸を決行します。

それもたった一度のチャンスにすべてを託して――。

まさに巻措くにあたわずという物語ですが、
過去にも似たような小説がないわけではありません。

たとえば『超音速漂流』トマス・ブロック(文春文庫)
航空パニック小説の傑作です。

『超音速漂流』では、巨大旅客機が米軍の極秘ミサイル実験に巻き込まれ、
胴体に穴をあけられます。乗客と乗組員のほとんどは、穴にすいこまれるか、
酸素欠乏症で脳をやられてしまいます。

無傷で機内に残ったのは、中年のアマチュア・パイロットと客室乗務員、
それに12歳の少女の3人!(それにしても作家というのはどうしてこんな
心臓に悪い展開ばかり思いつくんでしょうね?)

しかも米軍はミサイルの存在を隠蔽するために航空機を抹殺しようとし、
さらに信じられないことに、脳に障害を負った多数の乗客の補償問題に
直面した航空会社も事故機を消し去ろうとするのです。


機体が致命的なダメージを受け、
操縦士も何らかのハンデを負っており、
着陸に外部からの妨害が入る。
この物語のパターンは、そっくりそのまま『霧のソレア』にも当てはまります。

でもパターンを踏襲しているからといって
決して面白さが損なわれるわけではないのでご安心を。


この小説でまずなによりも素晴らしいのは、ヒロインの高城玲子でしょう。

玲子の父親もかつて日本トランス・パシフィック航空のパイロットでしたが、
彼女が4歳の時、パキスタンの空港に夜間のファイナル・アプローチ
(最終着陸進入)中、空港の手前約1キロの荒野に墜落し死亡します。

その後行われた調査で、高城機長らクルーが墜落まで
まったく異常な降下に気がついていなかったことが明らかになります。

本当は事故の原因はパキスタン側にありましたが、政治的思惑なども絡み、
乗員の操縦ミスということで片付けられ、玲子の父親には汚名だけが残りました。

物語の中で、ヒロインの玲子には、困難な状況の下、乗客の命を救うという
使命が課せられます。作者は巧みに、その過酷なミッションを
父親の名誉を回復させるためのもうひとつの戦いに重ね合わせることで、
玲子を読者の共感を得やすいキャラクターに仕立てることに成功しています。


文章のそこら中に散りばめられた
作者の航空機に関する圧倒的な知識も見過ごせません。

たとえば茨城県・百里基地から航空自衛隊のF15Jがスクランブル発進する場面。


岡田はACESⅡ射出席に小柄な身体を沈めるやいなや、
中央計器パネル右下のジェット燃料スターターのハンドルを引いた。
旅客機のAPU(補助動力装置)に相当する小さなタービン・エンジンが回り出して
動力や空気を迎撃戦闘機に供給し始めると、計器の一部に光がよみがえった。
(略)
左手でフィンガーリフトを操作するだけでエンジン始動のシークエンスが
自動的に開始され、右側のプラット&ホイットニー社製F100ターボファン・エンジンが
回り出す。回転数が上がったのを確認してスロットルレバーをアイドルの位置まで
前に進めると、ジェット燃料JP4が燃焼室に送り込まれた。
点火。
右側の空気取り入れ口がドンという音とともにフルダウンの位置まで垂れ下がり、
岡田はエンジンが一発でかかったのが分かった。回転数の数値が上昇し、
エンジンの金属音が高まっていく。
一分で開閉する格納庫の横開きドアが開き始める。   (242ページ)


領空侵犯の恐れがある航空機に対してスクランブル発進の命令が下されると、
彼らは5分以内に空に上がらなければなりません。
その緊急出動の様子がパイロットの目になりかわったかのように細かく描写されていて、
読んでいるとまるで自分がコクピットに座っているかのような気にさせられます。
このような迫真のディテール描写は物語の骨格を支える重要なピースとなっています。


『霧のソレア』は第11回日本ミステリー文学大賞新人賞の受賞作ですが、
この仕上がりはにわかに新人のデビュー作とは信じられません。

ともかく読み始めたら止まらない
手に汗握る(ぼくの場合は脂汗)航空小説の佳作です。

飛行機が好きな人も嫌いな人も
ぜひこの恐怖のフライトを体験してください。

投稿者 yomehon : 13:54

2008年05月06日

今年いちばんの傑作エンタテイメントがドイツから上陸!!


「なんて壮大な物語だろう・・・・・・」

たったいま読み終えたばかりの
分厚い文庫本3冊を目の前に、思わずため息が出ました。

上中下巻あわせれば優に1500ページを超える大作です。
高い山の頂上を制覇したような
心地よい満足感にしばし陶然としているうちに、
次第に心の奥底から嬉しさが込み上げてきて、
やがてそれは興奮へと変わりました。

「素晴らしい!こんなスケールの大きな小説にはそうそうお目にかかれない!
この小説のためにゴールデンウィークをまるまる費やしたけれどそれがどうした!
間違いなくこの本は今年のエンタテイメント小説のNO1だぁ――っ!!」


こんなふうに大声で叫んでしまいたいほど素晴らしい小説、それは、
『深海のYrr(イール)』フランク・シェッツィング 北川和代・訳 上 下 (ハヤカワ文庫)です。

この本と出会ったのは丸の内オアゾの丸善書店。
帯のコピーが、3冊横並びで初めて読めるようになっているのですが、
文庫売り場でいきなり、


「ドイツで『ダ・ヴィンチ・コード』からベストセラー
第1位の座を奪った驚異の小説、ついに日本上陸」


とデカデカと書かれた宣伝文句が目に飛び込んできたのです。

そのコピーにつられて手に取ったもののなにしろ分厚い。
果たして休み中に読み切れるだろうかと一瞬怯みましたが、
ドイツで記録的なベストセラーとなった触れ込みならば
かなり面白いに違いないという期待感と、
「フランク・シェッイング」という名前になんとなく見覚えがあって購入しました。


読み始めてすぐに、宣伝文句にひかれた自分に腹が立ってきました。

「わざわざ大ベストセラーになった『ダ・ヴィンチ・コード』の名前を出して
人々の注目をひきたい意図はわかる。しかしこの表現は不適当ではないか?
なぜならこの小説は『ダ・ヴィンチ・コード』なんて足下にもおよばないくらい
スケールが大きく、深みがあり、なおかつ驚異的に面白いではないか!!」

そう、そもそも『深海のYrr(イール)』と『ダ・ヴィンチ・コード』では勝負になりません。

たとえば『ダ・ヴィンチ・コード』は3時間で読めるけど、 『深海のYrr』は5日はかかる。

『ダ・ヴィンチ・コード』でベースとなっているのは、『ムー』世代にはいまさらながらの
聖杯伝説や秘密結社、異端キリスト教のお話だけど、 『深海のYrr』はといえば、
最先端の地球科学や生物学などに取材した初めて知る驚愕の事実が満載。

なによりも読み終わった後『ダ・ヴィンチ・コード』のほうはほとんど何も残らないけれど、
『深海のYrr』は地球環境と人類の関係について深く考えさせられる、というふうに。


それにしてもこんなに分厚い小説が、出版されるやいなや、
またたくまに『ダ・ヴィンチ・コード』を抜いて
ベストセラーの1位に躍り出たという事実にも驚かされます。
「ドイツ人は長編小説が大好き」という俗説がありますが、
こんな重厚なエンタテイメントが爆発的に売れるということ自体、
彼の国の読書人口がかなり成熟していることを物語っています。


興奮のあまりつい前置きが長くなってしまいましたが、
『深海のYrr(イール)』がどんな小説なのかご案内いたしましょう。


舞台は現代です。
物語はまず、世界中で不可解な自然現象が観察されるところから始まります。

ノルウェーでは海底に蠢く無数のゴカイが発見されます。
物語の主人公のひとりであるノルウェー工科大学の海洋生物学者
シグル・ヨハンソンによって、この新種のゴカイは、海底のメタンハイドレード層を
掘り続けていることが判明します。

一方、カナダ西岸では、ホエールウォッチングの船やタグボートが
クジラやオルカの群れに襲われるという事件が頻発し、イヌイットの血を引く生物学者、
レオン・アナワク(この小説のもうひとりの主人公です)が調査に乗り出します。

この他、フランスでは謎の病原体に感染したロブスターが人々を死に追いやり、
世界各地に猛毒のクラゲが出現し、原因不明の海難事故も頻発します。

さらに大規模な海底の地滑りによって発生した大津波で
北ヨーロッパ諸国の都市が壊滅するにいたって、ついにアメリカが立ち上がりました。

ヨハンソン、アナワクら優秀な頭脳が世界中から集められ、
母なる海になにが起きているのか、原因を探り始めるのです。

そして彼らは、異変を起こした海洋生物たちが「ある共通の物質」を
持っていることを突き止め、そこからひとつの仮説を導き出します。

その仮説とは、人類にとって未知の領域である「深海」への扉を開くものでした――。


どうですか?面白そうでしょう。
ほんの少しだけネタばらしをすると、
この小説を映画にたとえるなら、 『アビス』『コンタクト』ということになります。

要するに人類以外の存在との「遭遇もの」だということです。

ただし早とちりしていただきたくないのは、
『深海のYrr』で人類が出会うのはエイリアンではないということ。

『アビス』に出てくる深海に棲みついたエイリアンのように説教じみたメッセージを
送ってはこないし、『コンタクト』でジョディ・フォスターが出会う地球外生命体のように
亡くなった父親の姿を借りて優しく語りかけてきたりはしません。
(どうもハリウッド映画で描かれるエイリアンはわかりやすすぎます。こんなに簡単に
人類と意思疎通ができてしまってはリアリティもへったくれもないと思うのですが・・・・・・)


『深海のYrr』で人類が遭遇するのはエイリアンでも何でもなく、
この地球上にずっと棲んでいる「ある生物」です。
(この生物の詳細を明かすとさすがに興を削ぐことになるので控えます)

そして、この生物とコンタクトをとるために科学者たちが知恵をしぼる。
まずここが読みどころのひとつです。

小説というのはホラ話の一種ですから、
読者を驚かすにはより壮大なホラ話をでっち上げればいいのですが、
ここで忘れてはいけないのは、ホラ話を構成するひとつひとつの部品は、
しっかりと説得力をもってつくられたものでなければならないということ。
大きなウソをつくには、細かい部分にウソがないようにしなければならないのです。

この点、 『深海のYrr』は、作者が取材に4年を費やしたというだけあって、
わずかなディテールにいたるまで科学的な裏付けがあり説得力があります。

ある生物はどんなふうに全地球規模で異変を引き起こしたのか。
この生物はどんな生態を持っているか。
コンタクトをとるにはどんな方法が有効か。

すべて「なるほど!」と思わされます。


キャラクター造型も見事。
いかにもヨーロッパの趣味人を思わせるヨハンソン。
イヌイットの出自を持つことに折り合いをつけられずに悩むアナワク。
このふたりの魅力的な主人公を軸に、さまざまな登場人物が交錯します。
(中には作者が取材した実在の科学者も紛れ込んでいたりします)


そしてなによりもこの小説を成功に導いた
いちばんのファクターは、深海を魅力的に描いたことでしょう。

海は地球の70%以上を占めているにもかかわらず、
僕たちは海のことをほとんど知りません。

地球上のどの大陸も水深200メートル程度の浅い海に囲まれています。
この浅い海は大陸棚と呼ばれ、漁業もここで成り立っています。

でもこの大陸棚が占めるのは海全体のわずか8%にすぎません。
大陸棚の向こうは、宇宙空間よりも解明が進んでいないといわれる未知の領域です。

たとえば海流ひとつとってもよくわからないことだらけです。

みなさんは海に滝があると聞くときっと驚くでしょう。
グリーンランドには、海水が滝のように深海に流れ込んでいるところがあります。

水の温度や塩分濃度の違いでそうなっているのですが、
ともかく深海にまで落ち込んだ水は、やがて大西洋に流れ込み、
赤道を越えて南大西洋から南米大陸の先端へと至り、
南極の海流に巻き込まれて太平洋へと押し出され、
再び赤道まで北上すると今度は東南アジアに流され、
インド洋、アフリカ喜望峰、南大西洋を巡り、
生まれ故郷のグリーンランドの海底へと戻っていきます。

この水の世界旅行にかかる時間はなんと千年!
この時間的スケールからすれば、人間の一生などまさに一瞬ですが、
こうした海流の仕組みはまだはっきりと解明されていません。

深海となるとなおさらです。

深海といえば、光も届かず氷のように冷たい水に
満たされただけの死の世界というイメージがありますが、
実は深海ほどたくさんの生物のいる空間はありません。
そこは光を必要としない未知の生物の楽園です。
『深海のYrr』のもうひとりの主人公のある生物もここで暮らしています。
それも地球上に人類が誕生するずっと前から。
こうした深海の生物の研究はよくやく緒についたばかりなのです。


『深海のYrr 』は、このような謎の部分を
うまく想像力で埋めることで成り立っています。

このように物語の面白さだけでなく、地球科学の最先端の情報に
触れることで味わえる知的興奮もこの小説の大きな魅力といえるでしょう。


最後に作者のフランク・シェッツィングについても触れておきます。
店頭で『深海のYrr』を手に取ったときになんとなく名前に覚えがあったのは、
『グルメ警部キュッパー』熊河浩・訳(ランダムハウス講談社)を読んでいたからでした。

ぼくには食べ物をテーマにした小説をコレクションする癖があるのですが、
この本は、ドイツ料理のレシピとドイツ・ケルンの美味しいレストラン情報が
のっているところに惹かれて、まったく予備知識のないまま手にしていました。

殺人現場に残された食べ物もつまみ食いしてしまうほど
食べることが大好きなキュッパー警部が味音痴の部下とともに
難事件解決に挑むという肩の凝らない読み物で、まさかこの小説の作者が
『深海のYrr』の作者と同一人物だなんて思いも寄りませんでした。

大急ぎで本棚から『グルメ警部キュッパー』を取り出して解説を読むと、
シェッツィングは生まれ故郷のケルンを舞台にしたサスペンス小説を
いくつか発表した後、2004年に発表された地球規模の危機を描く『群れ』が
ドイツで大ベストセラーを記録したと書いてあります。
この『群れ』が『深海のYrr』だったのですね。

ともあれ『グルメ警部キュッパー』『深海のYrr』を並べてみただけでも、
この作家の書くものにはそうとうな幅があることがわかります。
言葉を換えれば、たいへんなストーリー・テラーだということです。
事実、ドイツではシェッツィングは「ドイツのマイケル・クライトン」と呼ばれているらしい。

これほどの才能にハリウッドが目をつけないはずがなく、 『深海のYrr』
映画化が決定しています。(脚本は『羊たちの沈黙』のテッド・タリーだそう)

でも個人的には、これほどのスケールの物語が
ハリウッドのフォーマット(90分あたりで主人公が逆境を突破し、120分あたりで
エンディングを迎えるとか。詳しくは『時計じかけのハリウッド映画』をどうぞ)に
収まるとは思えません。ダイジェスト版なら成り立つでしょうが。

やはりこの物語の面白さを存分に味わうには、
上中下巻をじっくりと時間をかけて読んでいただくに限ります。

なんといっても今年最高のエンタテイメントです。
まだ5月です。時間はたっぷりあります。
夏休みの読書でもいいですからぜひいちど手にとってみてください!

投稿者 yomehon : 18:00