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2006年12月04日

殺人者になった親友

1995年3月20日―――。

この日のことを、ぼくは一生忘れません。


「霞ヶ関駅構内で異臭事件発生!!」
警視庁のフロアに割れるように響いた第一報を耳にして外に飛び出し、
地下鉄の通風口に這いつくばって臭いをかいだこと。

顔をあげたときに眼前に拡がっていた惨状。
激しく咳き込み嘔吐する人。口から泡を出している人。ぴくりともしない人。
喘ぎながら続々と地上へと脱出してくる人・人・人――。


この日の朝、
中目黒駅午前7時59分発東武動物公園行きB711T列車の1両目に、
ショルダーバッグとビニール傘を手にしたひとりの男が乗り込みました。

男の名前は豊田亨。

ドア付近の座席を確保した豊田は、
列車が発車するとまもなくショルダーバックを床に置き、
ナイロン袋ふたつを新聞紙で包んだものを取り出すと、
恵比寿駅に列車が停車する直前にビニール傘の先端で数回突き刺しました。

破れた袋から床に流れ出したサリンは、
その後ゆっくりと気化して車内に拡がっていきました。


豊田亨は1968年1月23日生まれ。
東京大学理学部物理学科、同大学院修士課程修了。
素粒子論を専攻する俊英は1992年4月、同大学院博士課程進学直後に失踪。
再び友人たちの前に姿を現したとき、
彼はオウム真理教「科学技術省」次官になっていました。


『さよなら、サイレント・ネイビー』伊東乾(集英社)は、
地下鉄サリン事件の実行犯として死刑判決を受けた豊田亨の足跡を
その親友が辿った異色のノンフィクションです。

現在、東京大学大学院助教授の著者は、
豊田とは学生時代に実験をともにした親友同士。
けれど、その後のふたりの人生は天と地ほどに違ってしまいました。


大学卒業後、音楽家として活躍していた著者のもとに
弁護士から電話がかかってきたのは、事件から4年がたった1999年のこと。

著者がかつて豊田に語った「自分の存在の根」という言葉が、
豊田が出家するにあたって重要な役割を果たした、という思いがけない話でした。

ふたりは小菅の拘置所でふたたび邂逅します。
そして接見を重ねるうちに著者は、この種の事件の再発を防ぐために
親友の経験を役立てることはできないだろうかと考え始めるのです。


かつて科学を学んだ者らしく、著者の事件へのアプローチの仕方は、
これまで出版された数々のオウム関連のノンフィクションとは一線を画します。

たとえば――

マインドコントロール下にある人間の意識の状態を調べるのに、
著者が利用するのは「NIRS」という脳機能可視化装置。
血液中のヘモグロビンの流量で脳の働きを測ることができる
この装置を使ってわかったことは、残虐な映像などを見せられたときに、
人の脳は「窒息」するということでした。

具体的にいえば、窒息するのは「意識の座」といわれる前頭前野の部分。
人間の脳はいつも全体が活動しているわけではなく、
一部が活性化しているときには別の部分が不活性化しています。
ここから考えられる仮説は、理性をつかさどる部位の活動が低下するとき、
かわりに活性化するのはより原始的で本能的な部分なのではないかということ。

著者は、ベトナム帰還兵らがインタビューで、
判で押したように相手を殺した時のことを「よく憶えていない」と述べていることを
例にあげ、戦闘時には恐怖で脳が窒息状態にあり、判断停止のまま、
軍隊で訓練されたように身体だけが動いていたのではないかと推察します。
そしてマインドコントロール下にある人間も同じではないかと指摘するのです。


科学的な考察だけではありません。
事件への歴史的なアプローチも試みられています。

昭和史を概観した著者が見出すのは、
この国では失敗の教訓が未来に活かされないのではないかということ。

今年5月、米連邦裁判所は、
同時多発テロの唯一生存する実行犯に対し、あえて終身刑の判決を下しました。
米政府は、テロリストを死刑にするよりも、手元で生かしておき、
情報源として活用することを選んだのです。

翻って日本はどうか。

著者は2・26事件を例にあげ、
当時もしも軍部の暴走などの構造が明らかになっていたら、
その後の歴史は違っていたかもしれない、と問いかけます。

けれど性急な処刑によって真相究明のタイミングを逸してしまったために、
根本的な構造が温存され、悲劇は繰り返されてしまいました。

このパターンは、オウム事件でも反復されているのではないか。

事件をふたたび繰り返さないためには、
首謀者を殺さずに再発防止のため利用することが大切だと著者はいいます。

そしてもうひとつ大切なのが、事件の関係者が事件について語る、ということ。

海軍には「サイレント・ネイビー」という言葉があります。
黙って任務を遂行し、失敗しても言い訳をせず黙って責任をとる。
そういう美学をあらわす言葉です。

事件について多くを語らず、獄中でも模範囚だという豊田亨に対して、
著者は「サイレント・ネイビー」に訣別すべきだと呼びかけます。
一般性がなく特殊だと思われるような豊田の経験に、
後進のために役立つ何かが隠されているかもしれない、
それを明るみに出してほしい、と。


この本で著者がもっとも言いたかったこと。
それは次のような文章に凝縮されているのではないでしょうか。


「鬼門の方角である北北東を目指す地下鉄に、誰でも、いつでも、乗ることができる。
いや、乗ってしまう。ふと気がつけば、私たちはみな車中の人なのだ。
さまざまないのちを乗せた列車が、今日も錯綜の地下軌道を走る。
ここに一度踏み迷った、誤った線路のポイント切り替えがある。
修正されないなら、同じ引き込み線の袋小路に、列車ごといのちも人生も、
何度でも連れ去られてしまうだろう」(332ページ)

投稿者 yomehon : 2006年12月04日 10:00