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2006年11月29日

ノーベル賞作家とAV男優

自称、他称を含め、この世界中に
「小説家」という人種がいったいどれくらいいるものなのか。
まったく見当もつきません。

でも、「その頂点に君臨する人物が誰か」ということくらいは知っています。


南米コロンビアの作家、ガブリエル・ガルシア=マルケスがその人。
(ちなみにガルシア=マルケスというのが姓にあたります。
父方と母方の双方から姓をもらうのでこういう表記になります)


ガルシア=マルケスは、1967年に発表した小説『百年の孤独』
全世界に衝撃を与えました。
架空の町マコンドを舞台に、
ブエンディア家という一族の百年の歴史を描いたこの小説は、
民話的な想像力を駆使して書かれた傑作で(なにしろ最後は豚のしっぽを持った
赤ん坊が生まれ一族は消滅してしまうのです!)、
「小説を書くのにこんなやり方があったのか!!」と世界中の読者を驚かせました。

20世紀後半最高の傑作『百年の孤独』を書いたガルシア=マルケスは、
当然といえば当然ですが、その後ノーベル文学賞も受賞しています。
ともかく世界を代表する大作家なのです。       


そんな偉大な作家の問題作がようやく翻訳されました。

『わが悲しき娼婦たちの思い出』木村榮一訳(新潮社)は、
2004年、ガルシア=マルケスが77歳のときに発表された作品。

なにしろ世界最高の小説家が10年ぶりに書き上げた新作です。
「いったいどんな内容だろう?」
誰もが期待に胸ふくらませ本を開いたはず。

ところが、この小説はのっけからぼくらを仰天させます。
なぜなら書き出しの一行で僕らが目にするのは次のような文章だからです。


「満九十歳の誕生日に、うら若い処女を狂ったように愛して、
自分の誕生祝いにしようと考えた」


なんと!
現代を代表する大作家ガルシア=マルケスの新作は、
年寄りが若い処女のからだを求め、
ついには彼女に恋して嫉妬に狂うという、
「ただそれだけ」のことが書かれた物語だったのです!!


この小説を前にして僕がまず感じたのは、「戸惑い」でした。
ガルシア=マルケスはどうしてこんな変な小説を書いたのだろう?


さすがに話題作だけあってたくさんの書評が出ていますけれども、
みなさんもこの小説をどう評したらいいのか困っているような感じがします。


『わが悲しき娼婦たちの思い出』は、
川端康成の名作『眠れる美女』(新潮文庫)に想を得て書かれています。

けれども両者は似て非なる小説です。
似ているところといえば「老人の前で裸のまま眠る少女」という設定くらい。


『眠れる美女』を読んだことのある方はおわかりかと思いますが、
あのいやらしい小説の背後には、濃厚に死の気配が立ちこめています。


精神分析学の考えによれば、死とエロティシズムは背中合わせのものらしいので、   
本来は死に近づいた老人とエロとの組み合わせはなんら違和感はないはず。
でも、『わが悲しき娼婦たちの思い出』の老人はやたらに元気なのです。
いちおう孤独な境遇にあると説明されていますが、
ラテン特有のノリなのでしょうか、「ウソだろ?」というくらい
むしろ生を謳歌しているようにみえます。


・・・さて困ったぞ。
ガルシア=マルケスがどんなつもりでこんな小説を書いたのか
ますますわからなくなってきた・・・・・。


そんな折り、書店で一冊の奇妙な本を発見しました。


『性豪 安田老人回想録』(アスペクト)は、
今年88歳を迎えた安田義章氏へのインタビューをまとめた本。
聞き手は名著『夜露死苦現代詩』9月18日のブログを参照)の著者
都築響一氏です。


安田老人のなにが凄いって、
これまで数えきれないほどの女性と交わりを持ってきた経歴もさることながら、
88歳の現在も現役のAV男優として活躍しているというのが信じられません。
しかも自宅には何台ものビデオデッキがあり、
女性たちとの行為の記録をまとめるのに余念がないという
まさに日本のカサノヴァのような生活を送っていらっしゃる方なのです。


おかしな話に聞こえるかもしれませんが、
安田老人の稀有壮大な女性遍歴をまとめたこの本を読んで初めて、
ぼくはガルシア=マルケスの書きたかったことがわかったような気がしました。


ガルシア=マルケスがこの作品で伝えたかったのは、
理屈っぽい芸術的狙いなどとは無縁な
「人間はいくつになっても恋をする」という
ごくごくシンプルなメッセージなのではないか。


安田翁は米寿を迎えたいまも女性への興味を失っていません。
たとえば好みのタイプを聞かれて曰く


「本気でぶつかってくる人じゃないとイヤだね。もうひとつはあれですよ、
お互いに信用できないと。金で動いてるわけじゃないですから。」(216ページ)


考えてみると、安田老人が他者に対する興味を抱き続けているのに対し、
『眠れる美女』の江口老人は過去ばかり回想しています。

言い換えれば、88歳の安田老人の好奇心が外に向けて開かれているのに対して
67歳の江口老人のそれは内側に閉じているのです。


川端康成が70歳を超えてまもなくガス自殺したのに対し、
ガルシア=マルケスは80歳を前にしてなお元気です。

その違いは、
他者に対して開かれているか否かにあるのではないかという整理は、
あまりにも図式的にすぎるでしょうか。


でもぼくは思うのです。
ノーベル賞作家だろうがAV男優だろうが、
年をとってもなお、他者への興味をキープし続けることは
とても大切なことなのではないかと。

ガルシア=マルケスと安田老人は
他者に対してオープンマインドであるという点で同じです。

そしてそれは、もっとも幸福な年のとり方ではないかと思うのです。

投稿者 yomehon : 2006年11月29日 10:00