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2006年11月20日

前世をめぐる冒険

ときどきふとしたきっかけに思い出す本がある。
不思議なことにそういう本は、
読んでいる最中はそれほどでもなかったのに、
読み終えた後のほうがずっと心に残るのだ。
そう、それはまるである種の女性との出逢いにも似ている・・・・なんちゃって。


でもホントにそういう本ってあるんですよ。
ぼくがときどき思い出すのは10年前に読んだあるノンフィクションのこと。

なんていうんでしょう・・・。
読んでいるときはずっと半信半疑で、
読み終えた後もなんだかもやもやとしたものが残って、
でもずっとその本のことが心に残っているというか・・・。


その本の名は『デジデリオラビリンス』。


実を言えばこの本のことをノンフィクションと呼ぶことには若干の抵抗をおぼえます。
なぜならこの本は「前世」について書かれたものだからです。

そもそも「前世についてのノンフィクション」などという言い回しが成り立つのかどうか。
もし自分が書店で帯にそのような宣伝文句が書かれた本をみつけたら、
まずインチキ本だと疑ってかかるはず。

そんなわけでこの本は、忘れられない読後感を残しながらも、
我が家の本棚では小説でもなくノンフィクションでもない微妙な位置を占めていました。


なぜこんな本の話を持ち出したかといえば、
いつものように書店を徘徊している時に偶然
この本が文庫化されているのを見つけたからです。


『前世への冒険――ルネサンスの天才彫刻家を追って』


文庫化にあたって改題されていてあやうく見逃すところでしたが、
著者である森下典子さんの名前が目にとまって
「あ!あの本だ!!」と気がつきました。


森下典子さんにはなんどかお目にかかったことがありますが、
好奇心を満々に湛えた目がとても印象的な
まさに「才気煥発」という言葉がぴったりの女性。
みずからの茶道体験をみずみずしい文章で綴った名著『日々是好日』(飛鳥新社)など、
これまでいくつもの素晴らしい文章を発表しています。


なのにこの本に関しては
読んでいるあいだ中ずっと
宙づりの気分を味わわされていました。


森下さんの書いた本だから、
書かれていることは本当だと信じたい・・・
でもにわかには信じられない・・・
いや、それでもやっぱり本当かも・・・・・というふうに。


森下さんの『前世への冒険』のはじまりは、
ある女性誌編集部からの一本の電話でした。
京都に前世がみえると評判の女性がいて、
その人に前世をみてもらって体験記にまとめてほしい、というのです。

そしてその清水さんという女性との出会いが
森下さんを予想もしなかった旅に連れ出します。


清水さんのやりかたは、
何日か前から“肉断ち”をしたうえで午前中に寺に行き、
護摩の火の前に座り炎を透かしてその人の前世をみるというもの。

清水さんにみてもらった森下さんの前世は驚くべきものでした。
なんと彼女の前世は、ルネサンス期にイタリアはフレンッエで活躍した
「デジデリオ・ダ・セッティニャーノ」という彫刻家だったというのです。


レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロならともかく、
デジデリオなんて名前の彫刻家、ほとんどの人が初めて耳にするはずです。

ところが調べてみると、ほんとうにいたのですね。そういう人が。
このあたりから話は俄然おもしろくなっていきます。

当初はフィレンッエに住む日本人に協力を依頼して調べていましたが、
ついには森下さんみずから現地調査を行うことになります。


「話しながら連れだって中央駅を出たところで、私はその景色に思わず立ち止まり、
心の中で両の腕を大きく広げた。声にならない溜め息が洩れた。
通りを挟んで目の前に、教会がそそりたっている。
『サンタ・マリア・ノヴェッラ教会です』
と、西山さんが指した。
胸がじーんと熱くなった。
(とうとう来た・・・・・・!フィレンッエに来た・・・・・!) 」(128ページ)


わかるなぁ。
ぼくもフィレンッエの駅に降り立ったときは森下さんと同じように感動しました。

サンタ・マリア・ノヴェッラ教会は美しい佇まいで知られる教会です。
装飾的ではない白くシンプルな外壁が楚々とした雰囲気を醸し出している。
初めてこの教会を訪れたとき、ステンドグラスを透過した一条の朝日が
スポットライトのように教会の床を浮かび上がらせているのをみて、
思わず涙が出そうになったことがあります。

実はこの教会の一角にはデジデリオの作品があるのです。
このような美しい空間のなかで、
もしかしたら自分と運命の鎖でつながっているかもしれない人物の作品と
数百年の時を超えて対面するというのは、
想像するだけでもかなりドラマティックな体験ではないでしょうか。


「前世なんてほんとうにあるの?」という疑いは
この本を初めて読んだ昔もいまも消えることなくぼくのなかにあります。
「前世」という言葉に拭いがたい胡散臭さを感じてしまうからです。

でも本のなかで
次々にドラマティックで衝撃的な場面にぶつかる森下さんをみているうちに、
いつしか彼女の驚きや感動がこちらに感染してしまうのも事実。
そしてしまいには彼女と一緒になって
謎解きに夢中になっている自分に気づかされるのです。


謎解きの興趣を損なわないためにも
これ以上内容に立ち入ることはやめておきますが、
『前世への冒険』のおもしろさは、
全体がわくわくするようなミステリー仕立てになっていることもさることながら、
森下さんがデジデリオという彫刻家の生涯を辿るプロセスがそのまま
秀逸なルネサンス美術案内になっている点にもあります。


前世を信じる、信じないにかかわらず、
もしもあなたが「人生は予想外の出来事に満ちている」という言葉に肯いてくれるなら
この本の扉はあなたに対しても開かれているはずです。

投稿者 yomehon : 2006年11月20日 10:00