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2006年05月01日

面白い吸血鬼小説は別にある!(その1)

遅ればせながらベストセラー小説『ヒストリアン』
エリザベス・コストヴァ【著】 高瀬素子【訳】(NHK出版)
を読みました。
Ⅰ巻、Ⅱ巻あわせて990ページ。週末をまるまる費やしてようやく読了です。

ストーリーはこうです。
ある日、16歳の女の子が父親の書斎で奇妙な本を見つけます。
真ん中に竜の挿絵があるだけであとは白紙という不思議な本でした。
その本のことを尋ねると、父親は青ざめ、隠していた過去について語り出します。
竜の本の謎、失踪した恩師のこと、そしてドラキュラについて。

やがて父も姿を消します。
あとに残されていたのは父の手紙。
その手紙に書かれていたのは、
謎を追って旅する若かりし頃の父と母の姿でした。
娘は残された手紙を手がかりに、父を捜しはじめるのです。


ここでドラキュラについてちょっと説明しておきましょう。

15世紀にワラキア公ヴラド・ツェペシュという人物がいました。
彼は、オスマン帝国十数万の大軍をわずか数千の兵で退けた英雄にして、
数千とも数万ともいわれる人々を敵味方問わず串刺しにして殺戮した暴君でもありました。

その残虐な殺し方から「串刺し公」とも呼ばれたヴラドは謎に包まれた人物です。
どのように死んだのかは不明、その亡骸も、墓のありかもはっきりとしません。

この「串刺し公」ヴラド・ツェペシュと、
古くから民間に伝わる吸血鬼伝説をミックスさせ、
1897年(明治30年)にイギリスの作家ブラム・ストーカーが誕生させた
キャラクターが『ドラキュラ』です。

鏡にその姿が映ることなく、にんにくや十字架に弱く、
血を吸った人間を「死なざる者」に変えてしまう、
僕らがよく知っている「ドラキュラ」はこの時に生まれました。

『ヒストリアン』もこの『ドラキュラ』を下敷きにしており、
歴史家たちの調査にはつねに吸血鬼の影がついてまわります。


この小説は歴史マニアには楽しめる本かもしれません。
著者は歴史が大好きなのだと思います。
古文書館や修道院を描くときの筆致から、
著者がこういう空間を愛しているのだということがわかりますし、
古書にたいする並々ならぬ知識も持っているようです。
それにハンガリーやルーマニア、ブルガリアなどといった東欧各地の描写も、
馴染みのない読者にとっては旅愁をそそるものでしょう。


けれど、いかんせん長すぎる!


結末が二転三転するような手に汗握る展開ではなく、
じりじりと真相に迫っていくかたちなので、
途中で我慢できず放り出してしまう人も多いのではないでしょうか。
少なくとも、Ⅰ巻の第1部を読み終えないと物語は動きはじめない。
でもこの時点でもう普通の単行本一冊分くらいの分量ですから、短気な人には向きません。


また、構成にも難がある。


物語のほとんどを占めるのは父の手紙の内容です。
父親が母親とドラキュラの謎を追いかけて東欧各国を旅する。
この様子が父の視点から延々と語られるのですが、
その一方で、父を追いかける娘は申し訳ていどの扱い。
物語全体が娘の回想になっているにもかかわらず、彼女の存在感が薄すぎます。

どうして作者は「ヒストリアン(歴史家)」の卵である娘をもっと中心にすえて、
試練を与え、大きく成長させないのでしょうか。
読者が共感を抱きやすいのは、作品中でもっとも未熟な人物なはず。
父の物語はほどほどにして、娘をもっと活躍させるべきでした。


さらに問題なのは、
せっかくブラム・ストーカーの『ドラキュラ』を下敷きにしておきながら、
肝心のドラキュラの描き方が幼稚なことです。これはかなり痛い。


ドラキュラはⅡ巻の第3部で初めてはっきりと姿を現します。
問題は387ページ。
ここで初めてドラキュラが口をきくのですが、
僕にしては珍しく本を投げ捨てようかと思いました。


「彼は誇らしげにいっそう胸を張ってすっくと立つと、
ふたりのあいだをへだてる薄闇の向こうからまともに私の顔を見た。
『ドラキュラだ』と、彼は言った」


初めて口をきいたと思ったら「ドラキュラだ」はないでしょう。
ここまで引っ張っておきながら読者をバカにしている。


「ドラキュラ」というのは、ワラキアの言葉で「悪魔」を意味します。
いわばヴラド・ツェペシュに領民たちがつけた異名です。
本人が名乗るときに、
「私の名はヴラド・ツェペシュだ」とでも言うならわかる。
それがいきなり「ドラキュラだ」はないでしょう。


豊臣秀吉が「サルです」って自己紹介するようなものですよ、これは。


たぶん作者がほんとうに書きたかったのは東欧の歴史ミステリーで、
ドラキュラは読者の興味を引きつけるための道具に過ぎないのだと思います。
だから書き方がぞんざいになっている。
というか、へたくそです。
この作家は歴史には通じているようだけれど、恐怖小説を書く腕はないようです。
ブラム・ストーカーの作品は英文学の古典であるにもかかわらず、
著者はあまりに軽々しく手を出している。

東欧の歴史に詳しいのなら、
安易にブラム・ストーカーなどを引っ張り出してこないで、
著者独自の解釈で、新しい吸血鬼像を打ち立てるべきでした。


というわけで、結論。
この小説は歴史小説としてはそれなりに面白い。
しかし、「ドラキュラは実は生きていた」というアイデアは思いっきり失敗している。


例によってハリウッドで映画化されるそうですがどうなることやら。
映画化にあたっては当然、マニアックな中世ヨーロッパ史の話よりも
ドラキュラのほうがクローズアップされるでしょうから。


せっかく他の本を読むのを我慢して長い小説を読み切ったのに、
なんだか消化不良です。


こうなったら次回は、僕が責任をもって
「吸血鬼小説」というカテゴリーのなかからもっと面白い小説をご紹介しましょう。

投稿者 yomehon : 2006年05月01日 20:19