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2006年04月27日

ホテルマンの内緒話

高級ホテルほど読書に最適な場所はありません。

もちろん泊まるわけではありませんよ。
(だいいちそんな金があるんだったら本を買います)
高級ホテルのコーヒーラウンジが読書するのに最適だと言いたいのです。

「でもそれだって高いよ」

そんな声が聞こえてきそうです。というか、ヨメなら間違いなくそう言うでしょう。
わかってないな~。

たしかに高級ホテルのラウンジでコーヒーを頼むと、まず1杯1000円はします。
これを高いとみるか安いとみるか。
僕は安いと思います。

第一に、何時間いても怒られない。
第二に、ただでコーヒーのおかわりができる(中にはできないところもありますが)。
第三に、座り心地のいいソファーがある。

たとえコーヒー1杯が1000円しようと、数時間滞在すると考えれば安いものです。
コーヒーがなくなれば注ぎに来てくれるし、従業員の笑顔もさわやか。
こんな快適な環境で読書がすすまないわけがありません。

僕はあるホテルのラウンジに5時間居座り、コーヒーを3杯おかわりし、
文庫本を読み終えたことがあります。
さすが我が国を代表するホテルだけあって(?)
従業員は嫌な顔ひとつしませんでした。
まぁその時は空いていたし、誰にも迷惑はかけていませんから、
そもそも嫌な顔をされるいわれもないんですが。


でも、あのニコニコ笑っていた従業員が、裏で僕のことをボロクソに言っていたとしたら?


「あのデブ!さっきから何時間も居座りやがって!」
「ぜったいいま読んでるのポルノ小説だよ!」
「こっちがニコニコしていると思っていい気になりやがって!」


笑顔のすてきなあのウェイトレスが裏でそんなふうに毒づいていたとしたら?


高級ホテルの舞台裏では何が起きているか。
どんな客がいて、どんな事件が起き、従業員たちはどんなことを考えているか。

そんな知られざるエピソードをまとめたのが、
『誰も知らない五つ星ホテルの24時間 匿名ホテルマンの爆笑告白記』【著】イモジェン・エドワーズ‐ジョーンズ&匿名【訳】和波雅子(ソニー・マガジンズ)


著者のイモジェン・エドワーズ-ジョーンズはサンデータイムズ紙をはじめイギリスの主要な新聞・雑誌で活躍するジャーナリスト。
業界内幕ものを得意とするベストセラー作家でもあります。
いっぽう匿名氏は、ロンドンのほぼすべての高級ホテルを渡り歩いたというベテランホテルマンで、
現在はロンドン中心部の五つ星ホテルで支配人をしています。
この匿名ホテルマンがこれまでに見聞きした爆笑&驚愕エピソードの数々を、
架空の五つ星ホテルを舞台に24時間の出来事としてエドワーズ-ジョーンズがまとめたのが本書です。


まず読みどころのひとつは高級ホテルでの著名人のふるまいです。


マドンナはカーテンの色が気に入らないといって、スイートからスイートへ5~6回も部屋を変わったとか、
シェールが泊まるときにはマネージャーから食べ物はハロッズからオーガニックのものを取り寄せろと指令が来たとか
(なのにシェールはホテルがお気に召さず帰ってしまったらしい・・・)、
出てくるエピソードはすべて実名。
オアシスが部屋を破壊したとかナオミ・キャンベルがラリってたとか
随所に著名人のお馬鹿なふるまいがでてきて楽しめます。

また王族のエピソードが出てくるのもイギリスらしい。
さすが「開かれた(開かれすぎた?)王室」だけあって、イギリスでは王族が気軽にホテルを利用するんですね。


著名人だけではなく、一般客にだっておかしな客、困った客は多い。


整形手術帰りで包帯グルグル巻きのまま現れる客(無言なのが不気味)。
部屋で金を盗まれたと騒ぐ客(警察を呼ぶというとすぐおとなしくなる)。
通路でセックスする客(酒が入ってのことが多い)。

特に奇人変人は深夜に現れることが多いらしく、レセプションの前でヌードショーを始める女がいたり、
むかし宿泊したという客から友だち感覚で「トウモロコシの料理法」をたずねる電話がかかってきたりする。
こんなことにいちいち対応しなければならない従業員にはたしかに同情を禁じえない。


でも、従業員だってそうとうに変です。
この本のいちばんの読みどころは客よりもむしろ、ホテルで働く人々のエピソードでしょう。


「プリンセス・ダイと間接キスしてやる!」と叫んでダイアナ妃の注文した牡蠣に唾をつけたシェフがいたとか、
マライア・キャリーを部屋に案内したらトイレでズボンを下ろしている従業員がいたとか
(彼女のファンで間接的に尻をくっつけたかったらしい)。

そんな変わった連中のエピソードがあるかと思えば、
オーバーブッキングの時には「お一人様の日本人ビジネスマン」を狙うと素直にホテルを変わってもらえるとか、
1泊2000ポンド(約40万円)のスイートの運営費はたったの11ポンド(約2千円)だとか、
ホテルのオペレーションにまつわる裏話もたくさん出てきます。


そしてこのような爆笑エピソードの数々を愉しむうちに、
読者はやがて「ホテル」という舞台にまつわる「ある真実」に気がつくのです。


「レインズボロー・ホテルにいたころのこと。
ハネムーンとおぼしき新婚カップルがやってきて、広いスイートを取った。
で、ホテル側には告げずに、なんとそこで披露宴を行ったのさ。
パーティーは全開モードで午前五時まで続き、もちろんホテルじゅうから苦情が出たけど、
俺たちは無視することにした。大量の注文がひっきりなしに入ってるから、このままやらせておけって、
ルームサービス部に言われたもんでね。(略)
ホテル業界に古くから伝わるモットーにもあるとおり、要は『金を遣ったもん勝ち』ってわけ」(255ページ)


ホテルで大切にされようと思ったら金を遣えってこと。
ミもフタもないけれど、それがこの本からみえてくる真理です。


「訳者あとがき」によれば、この本は今年の1月にBBCでドラマ化され、放送日には帰宅を急ぐ人が出るほどの人気だとか。

またエドワーズ-ジョーンズ氏の次回作は航空業界を舞台にしたものだそうです。
ホテルはひとつの街みたいなものですからエピソードも多岐にわたりますが、
これが航空業界になるとスケールダウンは否めないような気もします。個人的には。

なお、この本の原題は『HOTEL BABYLON(ホテル・バビロン)』です。
わざわざつけた邦題より原題そのままのほうがお洒落で良かったのではと思いました。

投稿者 yomehon : 2006年04月27日 12:34