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2013年06月25日

石井徹也の落語きいたまま2013年4月号

続けての更新です!

今回は石井徹也さんによる私的落語レビュー「らくご聴いたまま」の2013年4月号をお送りします。今回は「レポート(時評)」を離れた落語創造論をも含んだ内容です。稀代の落語”道落者”石井徹也さんによります、疾風怒濤の寄席レビューをお楽しみください。

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◆4月1日 新宿末廣亭昼席

川柳(交互出演)『ガーコン』//~仲間入り~//きく姫(交互出演)『動物園』/にゃん子金魚/白鳥『シンデレラ』/小満ん『長屋の花見(上)』/仙三郎社中/雲助『幾代餅』

★小満ん師匠『長屋の花見』

小満ん師では比較的珍しい演目。全く押さずに、如何にも大家らしい大家に率いられた長屋連中の悲惨な花見が洒脱に展開する。長屋連中が嫌々、お茶気を口にする辺りの苦衷の表情が妙に愉しい。

★雲助師匠『幾代餅』

清蔵が「三月、三月」と呟く辺り、虚ろな表情の可笑しさは確かに白酒師の原型で、真に的確かつ、落語としてスタンダードに面白い『幾代餅』。幾代が松の位でも、女郎なのが雲助師ならでは。

◆4月1日 池袋演芸場夜席

三寿『浮世床・夢』/ロケット団/市馬『りん廻し』//~仲入り~//菊之丞『幇間腹』/花緑『権助提燈』/正楽/小里ん『試し酒』

★小里ん師匠『試し酒』

当代一流の『試し酒』である事は不変。今夜は盃を重ねながら、権助が折々見せる表情、声音に「酒好き」の心情が楽しく溢れていた。

※相手の旦那が最後、権助に質問する際、目白の師匠は如何にも酒好きから来る好奇心満々の表情をしていたのを思い出した。

★花緑師匠『権助提燈』

妾や本妻の感じが家元っぽいというか、妾など稍作り過ぎで「女の苦手な演者の演じ方」になっている。家元と違い、色気は出てるんだから(二人とも奥に男のいそうな女)、あんなに作らなくても良いのでは。旦那は若いけど、コキュっぽいのは持ち味。権助はまあ、あのくらい作らないと柄が違うから仕方ないか。

★市馬師匠『りん廻し』

 八っつぁんのリアクションで時々、語尾の下がるのは気になったが、全体的には結構な出来でおおらかに愉しい。

★菊之丞師匠『幇間腹』

 時間があったのか、若旦那が鍼に凝り始める件は短かったけれど、いつもより一八が女将とやりとりする辺りが丁寧で、面白さは安定している。

 ※この噺、幇間と若旦那だけでなく、旦那と奉公人、上司と部下でも出来る噺だね。鼻の圓遊師が演ったという『華族の医者』なんかも復活出来るんじゃないだろうか。

◆4月2日 デリバリー談春(浅草公会堂)

談春『花見の仇討』//~仲入り~//談春『お若伊之助』

★談春師匠『花見の仇討』

テンションが巧く上がらず、無駄なリアクションが多いのでリズムも無い平板な出来。特に落語だとカットバックのリアクションが良くない。神田の伯父さんと敵討に遭遇してからの侍だけはテンションが高いが、全員が、あのくらいのテンションでないと。酔っ払っている侍・近藤の使い方にひと工夫あっても良いのではあるまいか。

★談春師匠『お若伊之助』

久し振りに談春師の「面白い落語」を聞いた。伊之助の前で二度目に初五郎が言い立てるセリフは正しく落語の立て弁で、巧がらず、速く愉しく、しかも初五郎の悔しさと伊之助への思いが籠っている。こうでなきゃ!目白五十代、家元四十代の快弁に近いセリフを久し振りに聞けて嬉しい。噺の構成も成城ホール初演から二転三転して、「どうもあの桜がおかしい」という初五郎のセリフをフックに、伊之助の恋心でなく、初五郎の思いが貫く、面白く後味の良い怪異譚になった。聞き終えた今も気分がウキウキしている。言えば、最後、初五郎と一角の会話で終わらせたい気持ちは分かるけれど、伊之助が「狸と狸の双子の亡骸を桜に」といった所を初五郎が納得して受けて「因果塚の由来」で終えても良くはあるまいか。

◆4月3日 新宿末廣亭昼席

木久扇『漫談』(交互出演)//~仲間入り~//きく麿(交互出演)『九州弁金名竹改』/にゃん子金魚/正雀『鴻池の犬』/小満ん『間抜け泥』/仙三郎社中/雲助『お見立て』

★小満ん師匠『間抜け泥』

 アッサリしているようで徐々に笑いが大きくなり、サゲの言い方も洒落たものである。

★雲助師匠『お見立て』

『幾代餅』同様、寄席の主任らしい、スタンダードで暢気な可笑しさを堪能出来た。杢兵衛大尽の泣き声はいつものフクロウみたいでなく、ハトみたいだけれど変わらず可笑しい。

★きく麿師匠『九州弁金明竹』

 『金明竹』ではなく、「香典のお返し」の言伝てなんだけれど、変らず可笑しい。どうして、この自分流にちゃんと工夫されたネタと明るい高座ぶりと全体の面白さで、NHK新人落語コンクールの最優秀賞が獲れなかったのか、いまだに不思議でならない。コンクールに有りがちな「古典落語権威主義&新作改作蔑視」の弊害かな。

◆4月3日 池袋演芸場夜席

源平『居酒屋』/三寿『お見立て』/ロケット団/市馬『高砂や』//~仲入り~//菊之丞『元犬』/一之輔(花緑代演)『加賀の千代』/正楽/小里ん『おせつ徳三郎』

★三寿師匠『お見立て』

妙にシンナリした調子だけど、初めて聞く可笑しい所が幾つかあった。

★市馬師匠『高砂や』

熊さんが困り始めてから、伊勢屋の者が責める調子になるのは変じゃないかな。他は普通に愉しいんだけど。

★菊之丞師匠『元犬』

菊之丞師では珍しい演目。非常に丁寧に、各役をキッチリ演じ分けて面白かった。後の一之輔師を意識したのかなァ?

★小里ん師匠『おせつ徳三郎』

40分強。小里ん師から通しで聞いたのは初めて(ネタ出しじゃない主任で『おせつ』の遠しを聞いたの自体が初めて)。久し振りなのか、少し言い澱む件もあったけれど(この五年程、『花見小僧』も聞いた記憶がない)、目白型をコンパクトに。『花見小僧』からサラッと巧く繋げて『刀屋』に入ったのも印象的。『花見小僧』は軽めなのが良く、定吉の無理の無い可愛さが印象に残る。『刀屋』の亭主の良い意味で世慣れた雰囲気は如何にも小里ん師らしい良さで当然といえば当然だが、徳三郎に若さと二枚目らしさがあって良いのには感心した。この徳三郎は馬鹿じゃない。好青年が逆上してるだけ。おせつもちゃんと可憐で(二ツ目時代に若い女を物凄く苦手にしてたのが嘘みたい)、大店のお嬢様になっている。サゲは、おせつの「徳や、お飲み」があって、駆け付けた親旦那が橋の上から筏の上にいる二人を見て、「これも御祖師様のお陰。お材木で助かった」とサゲる。親旦那が許したので自然とハッピーエンドになる。

◆4月4日 新宿末廣亭昼席

川柳『歌で綴る太平洋戦史』(交互出演)//~仲間入り~//きく姫(交互出演)『医者小噺』/にゃん子金魚/馬楽(昼夜替り)『元帳』/小満ん『間抜け泥』/仙三郎社中/雲助『品川心中(上)』

★雲助師匠『品川心中(上)』

序盤の顔を袖で隠したお染の騙りの可笑しさは『仕返し』を意識したものかな。声は大きいが、圓生師みたいにメリハリを強く付けている訳ではないのに、何となく白木屋の座敷や親分の家の間取りが浮かぶ所が雲助師らしい。キャラクターでは金蔵の間抜けと妓夫のドライさ(良いチョイ役)が好対照。親分の家の騒動はやはりマンガで愉しい。

★川柳師匠『歌で綴る太平洋戦史』

震災以降かな、噺が横道にそれたり、戦争後期の敗色濃厚の噺、短調曲の噺になるとどうもテンションが下がり、戻すのに苦労するようになってきてる。


◆4月4日 池袋演芸場夜席

さん福『普段の袴』/紋之助/市馬『南瓜屋』/三寿『浮世床・講釈本~夢』/ロケット団/花緑『初天神・団子』//~仲入り~//源平『代書屋』/馬石(菊之丞代演)『時そば』/正楽/小里ん『お茶汲み』

★馬石師匠『時そば』

こんなに、極~く普通に喋ってる最初の男と、最初のそば屋の遣り取りが面白く、二番目の悲惨なそば屋と二番目の男の遣り取りが更に増して面白い『時そば』は珍しい。全てに「腹」「了見」が実に見事な現れ方をしてるからなんだな。

★小里ん師匠『お茶汲み』

 若い連中の廓での馬鹿噺から民さんの美味しい体験にスーッと運んで、「二度と行くかい、捻りっ放しだ」と聞いた二人目が同じ安大黒の小紫(手古鶴ではない)に上ってサゲまで、トントントントンと運んで行く間、特に大きく受けさせない代わり、廓遊びの馬鹿馬鹿しい愉しさ・雰囲気が噺の背景に終始あるって演じ方は珍しい。最初の別の若い奴の振られ噺と裏表になっている感じで、噺の流れに全然、回りっくどさを感じない。「雨の夜の品定め」の落語版かな。

※小三治師が五年程前の十月中席上野夜主任で聞かせてくれた無類に面白かった『お茶汲み』は、面白い印象だけで、細部がどうなっていたのか、どうも思い出せない。

★三寿師匠『浮世床・講釈本~夢』

シンプルに定番通り演じているのが、落語って良く出来てるもんだと改めて感心。故・志ん好師みたいな雰囲気があって面白かった。

◆4月5日 新宿末廣亭昼席

木久扇『漫談』(交互出演)//~仲間入り~//きく姫(交互出演)『医者小噺』/にゃん子金魚/藤兵衛(正雀代演)『半分垢』/小満ん『馬のす』/仙三郎社中/雲助『子は鎹』

★雲助師匠『子は鎹』

唸った。過去に聞いた全ての『子は鎹』の中で一番優れているかもしれない。熊さんが隣のおばさんに声を掛ける件から物凄く普通の会話で、番頭さん相手に恥ずかしそうに話す様子が良い。亀との会話は照れと嬉しさの相まった名品で親子共に良いったらない。亀がませた口をきいても丸で嫌らしさがないため、微笑みながら親子の会話を立ち聞く雰囲気になる。『落語』だなァ。独楽の傷の最後に亀が泣くとキューンとするが、そこから「迎えに行くから」と話した熊さんが、スッと視線を下手にずらして「そうだ、おめえは鰻が」と話した巧さ。鰻屋が見えて思い付いた事が分かる。亀が戻ると、母親は声をあらげたりしないで終始静かに亀を取り押さえる。「お前をぶつよ」という程度で「頭を叩く」なんて威かさない。この後の亀と母親の会話がまた笑いを失わずに良い。母親が前に出る面白さ。鰻屋では熊さんが亀に鰻を嬉しそうに食べさせる件があって母親がやってくる。芝居臭さやわざとらしさ皆無で、無駄なセリフや嫌なくすぐりがない。柔らかく話し終えるとサッと立ち上がって楽屋へ消えるまで無類。

※別に馬石師や龍玉師の活動に文句をつけるつもりはないのだけれど、1982年頃に雲助師が『雲助稽古会』で『真景累ケ淵』の連続口演を始めた頃、圓生師・彦六師は既に亡く、高座を聞いていたり、音源があったりしたにはちがいなかろうが、稽古を受ける訳にも行かず、圓朝全集だけを頼りに手探りで作られたのではなかったろうか。私が初めて聞いた『雲助稽古会』が82年7月で『深見新五郎』と『子は鎹』の二本立てだった(錦糸町の金星会館ではなかったかと思う)。当時の同世代の噺家さんで、圓朝物を勉強会で連続口演しようという噺家さんは他にいなかった(先輩世代では春風亭扇枝師が『塩原多助』を続けて演じられていたが、同世代以下では85年4月の池袋演芸場の主任で林家正雀師が『古累』を二日、以降、『累ケ淵』を連続口演しているくらいか)。雲助師はその以前、二ツ目時代には「既に古今亭の主要な演目は演じていた」と後に伺った(この蓄積があってこその雲助師で、それ抜きで人情噺ばかり演っていると落語の出来ない噺家さんになりかねない)。その『累ケ淵』は84年2月から圓朝座へ引き継がれて、84年2月の『お累の婚礼』から『聖天山』まで。続いて『名人長二』を五回で演じた後(83年8月の東横落語会圓朝祭で圓窓師匠から発端の『傷つきの仏壇』(当時はこういう題名だった)だけは聞いている)、『緑林門松竹』『敵討札所霊験』へと5年間20回の圓朝座での口演続いた。圓朝全集を一言一句変えずに演じるスタイルで(従って一席一席が物凄く長かった)、かなり演出しなおしていた圓生師や彦六師の高座とは印象が違った。また、85年4月から『お富與三郎』の連続口演が「民族芸能の会」で始まっている。こちらは隔月口演だったような記憶がある。『双蝶々』は85年4月の「文芸坐金洋落語会」で吐いたのが私は初めてである。その頃から今に至るまで、練り直され、培われた圓朝物・人情噺が馬石師や龍玉師に伝わっている訳だけれども、「手探りで作った雲助師」と「雲助テキストのある状態」では難易度が違うし、またオリジナリティには格段の相違が出る。馬石師や龍玉師が雲助師の世界を真に継承されるならば、岩波書店版圓朝全集の刊行が始まった現在、圓朝全集や百花圓の速記にある長編人情噺の中から、近年全く演者の無い作品を高座へと起こす過程もそろそろ必要なのではないだろうか。因みに『敵討札所霊験』は鈴々舎馬桜師が過去の圓朝座で全段演じている。途中からはただひたすら、人を殺してゆく旅の続く無常な噺である。『白子屋政談』も春錦亭柳桜師が『百花園』に残した速記から馬桜師が全段演じた筈である。穴としては、初代談洲楼燕枝師の残した長編人情噺が『島鴴沖白浪』以外、殆ど近年では口演されていない事だろう。宇野信夫氏の『巷談宵宮雨』の原作となった『怪談嬉野森』なども、少なくとも発端部分は面白い。

★小満ん師匠『馬のす』

これも過去に聞いた『馬のす』の最高峰。マクラのビカソの絵の小噺も小満ん師だとこんなに洒落た話になるのかと驚く。本題に入ってからの尺は、持ち時間の関係もあって短いけれど、いつもより少し張った調子でテグス調べから馬の尾抜き、友達の登場と隙が全くない。「枝豆が弁当になるか」が夫婦像の分かセリフで愉しい。友達が呑み出してから(酒は冷や)、想定外の肴として枝豆が出てくるのも自然。友達の話もごく普通の世間話で、「電車混むね」的な黒門町フレーズは無い。枝豆を食べる仕科や呑む仕科も、巧さを目立たせる訳ではなく、実にテキパキと運んで行く。今日の小満ん師の高座を聞いていると、近年のこの噺は誰が演じても、枝豆の食べ方、酒の呑み方、「電車混むね」など黒門町の仕事、フレーズをまんま演じるための噺になり(黒門町の仕事やフレーズの再現が噺の内容・演出に先んじてしまっていた訳だ)、本質の把握に乏しい演目となっていたように思えてならない。寧ろ、小満ん師の高座からは友達が呑んでいる間、セリフは殆ど挟まないのに、焦れてる亭主の姿がジワジワと感じられて面白い。これが本道だろう。目白の師匠の『一人酒盛』に近い面白さだ。サゲまで寸分の無駄なくサゲでドッと受けた神品。黒門町より三代目圓馬師の『馬のす』に近いかも。

★藤兵衛師匠『半分垢』

小満ん師の神品と仙三郎社中の無駄のないヒザが雲助師の名演を生んだのは寄席ならではの良さだが、その源は藤兵衛師の『半分垢』にある。高座に喋り掛けるお客が最前列にいる所に(受け答えする演者も演者)デカイ声で高座に声を掛けるは携帯鳴らすはのオジサングループが入ってきて「オヤオヤ」って状態に上り、相撲のマクラで笑わせて『半分垢』を凡そ無駄なく、かみさん・関取り・町内の二人とキッチリ演じわけ、ちゃんと受けながら客席を引き付けた。大感心。

◆4月5日 池袋演芸場夜席

さん福『五目講釈』/紋之助/源平『歴代会長伝~九官鳥~猫と金魚』/三寿『浮世床・講釈本~夢』/ロケット団/市馬『道灌』//~仲入り~//菊之丞『鍋草履』/一之助(花緑代演)『眼鏡泥』/正楽/小里ん『居残り佐平次』

★小里ん師匠『居残り佐平次』

35分弱と稍刈込み乍ら演じた印象。特に居残りが居直る(調子はあくまでも軽い)までが短い。佐平次のキャラクターや部分部分の面白さは変わらないけれど、刈込み乍らのためか、この噺では珍しく言い澱みや言葉違えが多く、全体のリズムが一寸物足りなかったのは残念。あと5分強欲しいかな。

★市馬師匠『道灌』

近年の市馬師ではかなり珍しい演目。目白とは違う工夫もあり、それが面白い件もあれば、八五郎の了見としては些か表現の平坦なとこもある。

★菊之丞師匠『鍋草履』

菊之丞師で聞くのは二度目かな。歌丸師⇒歌春師とほぼ同じ流れで寄席ネタとして固めて来ている。掛け声のマクラを長く振ってたから最初は『たが屋』かと思った。芝居の芸中には触れない噺だから、この噺だけのマクラって難しいのかも。先代馬の助師はどんなマクラを振ってたのだろう?

◆4月6日 第四回柳家小満ん在庫棚卸し(橘家)

小満ん『藪医者』/小満ん『今戸焼』//~仲入り~//小満ん『宿屋の仇討』

★小満ん師匠『藪医者』

『無筆の医者』でなく、按摩上がりの医者の前身を知る友達がからかいに来る件から入る。このからかい方は『かつぎ屋』の友達的でもっと馬鹿馬鹿しいのが魅力。

★小満ん師匠『今戸焼』

終盤登場する、芝居帰りの町内のかみさんたちが井戸端会議的に発する好き勝手な口の利き方に、近年でいえば、「おばさんの団体」の凄さを感じさせるのが何とも可笑しい。これに対するに、帰宅してからズーッと続く亭主のボヤキの方は妙に共感出来ちゃって可笑しい。この男女の好対照が実に面白い。こんなに面白い噺だったっけ?

★小満ん師匠『宿屋の仇討』

シンプルな演出で捨衣などは出てこない。侍の設定が近州藩士萬事世話九郎で、嘘をついた名前が川越藩士小柳彦九郎だから、稲荷町型に雰囲気としては近いかな。宴会や相撲の場面に関しては軽めの騒ぎで、余り江戸っ子ぶりを強調せず、寧ろ、侍を怖がる小心ぶりに江戸っ子本来の素がある。展開としては色事話になってからが中心。「俺が襟をかきあわせている所へ」と、源兵衛の話に奥方の寝乱れ姿が仕科入りで加味される辺りの色気は小満ん師独特。大五郎を斬る辺りはかなりシリアスに運ぶ(この件は一寸人情噺っぽい)。最後、三人組が廊下の柱に縛り付けられているってのは、小三治師の「一人は宙吊りになってる」に近い。また、侍が直ぐに「あれは嘘だ」と白状するのも、つまりは「おぬしか、鶏を捉えて尻から生き血を吸う」と伊八に語る冒頭から、女敵討が実は洒落人・萬事世話九郎の調伏だって事へ繋がるのである。

◆4月6日 新宿末廣亭昼席

朝馬(正雀代演)『蜘蛛駕籠』/南喬(小満ん代演)『初天神・告げ口~団子』/仙三郎/雲助『妾馬』

★雲助師匠『妾馬』

冒頭からやや調子が高く始まり、それでいて終始、細部にも目配りの行き届いた高座。主任十日あれば一度は雲助師が演じる程で、いわば手慣れた演目といえるけれど、今日はその雲助師の『妾馬』としても、レベルの高い高座だったと言えただろう。大家との遣り取りから八五郎のトッポイくらいのキャラクターがふんだんに表現され、八五郎を取り巻く三大夫さんも殿様も終始、明るく品が良くて、噺を泣きに堕さない、志ん生師・先代馬生師の作った面白い『妾馬』を見事に継承した「愉しく落語らしい」佳品である。勿論、品が良いからといって「中棒」や「珍古」を外すようなトンチキはなし。それもちゃんと入ってる辺りが雲助師の良さであり、古今亭・金原亭の面目である。

◆4月6日 池袋演芸場夜席

仙三郎(紋之助代演)/源平『権助魚』/三寿『浮世床・講釈本~夢』/笑組「走れメロス」(ロケット団代演)/喜多八(市馬代演)『だくだく』//~仲入り~//さん福『短命』/菊之丞『天狗裁き』/正楽/小里ん『子別れ』

★小里ん師匠『子別れ』

「この噺を演る時は通しで演りたい」という言葉通りの「通し口演」。昔の池袋演芸場で聞いて以来の主任通しである。『強飯の女郎買い』は短めであるが、十八番の廓噺で軽く愉しい。妓夫がまた如何にも妓夫らしいのが利いている。『子別れ』は目白の師匠に則った演出。「隠亡がさ」の呟きは目白の絶妙にはまだ届かず。かみさんのお徳が硬めなのは女郎・お勝との対比で感じるのかな。亀はこの場では出さない。『子は鎹』が一番手が入っている。亀が熊さんとの会話では額の傷の件でも全く泣かず、ニコニコしてるのが印象的。熊さんが亀を迎えて笑う顔が良い。お徳が怒り出す様子に、最初は一寸ふてくされかけてからやがて不安になり、玄能を出されて泣きだすという亀の変化に、短い尺の中での無理がない。鰻屋には番頭さんが付いてきて、仲人的に話をすすめる。お徳は硬さが取れて、熊さんは番頭さん任せで矢鱈と頭を下げたりしないのは職人気質の無口を感じる。サゲは「ここは鰻屋、また割かれるといけない」という小里ん師考案のもの。45分弱の早さで、以前より少し短い(家元の通し音源とほぼ同じ尺かな)。全体に柳家らしい軽さがある。もう10分くらいあって『強飯』と『子別れ』をタップリ目に聞きたいというわ聞き手側の欲を感じる。

★喜多八師匠『だくだく』

 泥棒の登場から後が馬鹿に可笑しい。泥棒の唖然とした表情や手付きが自然で面白いのだ。

★菊之丞師匠『天狗裁き』

 こんなにさん喬師色が濃かったかな?但し、さん喬師より口調がキツいので、長屋の喧嘩にしては雰囲気が妙にシリアス。大家が偉く年より臭い。芝居掛かりでセリフを言ったりする大家も初めて聞いた。

★笑組先生『走れメロス』

 文芸ネタシリーズの一つ。このシリーズの方がそれまでの演目より、ボケと突っ込みの立場が明確になり、また「体を使う」という漫才らしい特色も発揮出来ていると私は思う。内容的にも、取り敢えず、戦後の義務教育ほを受けていれば知っていて当たり前の作品で、しかもそんなに詳細までは知らない作品を題材にしているのは強みだろう。米朝師の噺みたいなもので「笑いに一寸、知的情報の要素を加えながらボケる」のは面白い。

◆4月7日 新宿末廣亭昼席

きく姫(交互出演)『漫談』/にゃん子金魚/白鳥『牛丼晴舞台』/小はん(小満ん代演)『煮賣屋』/仙三郎社中/雲助『抜け雀』

★雲助師匠『抜け雀』

昨年の古金亭での口演は袖から覗いただけなので、初めて雲助師の『抜け雀』を前から聞けた。基本的な人物像は先代馬生師風だが、亭主が馬生師ほど変な奴ではなく、妙に愛嬌のあるのは寧ろ志ん生師っぽくて面白い。かみさんは馬生師ほどダルに可笑しいのではなく、口喧しく可笑しい。絵師親子が横柄なのは志ん生師⇒先代馬生師⇒と伝わった面白さで、そこに独自のマンが的なギャグが入る。段の抜けた階段の駈け上がり、「台所に火を点けられるといけない」「お顔がじゃなくて言うことが」「骨を抜いて干乾しにして烏の餌にしろ」「今いる客なんか放り出せ!」など、講釈種の硬さをおやかして落語にする古今亭・金原亭の本道。雀の上から籠を描くのは小満ん師同様だが、先代馬生師はどうだったかな?老絵師が他に誰もいない部屋で籠を描くのは納得。マクラで「駕籠掻き、雲助と嫌がられたもので」を言わないのは仕方ない(笑)。一朝師のスタンダードに配するに小満ん師の洒脱、雲助師の本道と三幅対なり。

◆4月7日 池袋演芸場夜席

仙三郎社中(紋之助代演)/源平『松山鏡』/三寿『千早振る』/ロケット団/市馬『蟇の油』//~仲入り~//文雀(菊之丞昼夜替り)『萬病圓』/花緑『蜘蛛駕籠』/正楽/小里ん『木乃伊取り』

★小里ん師匠『木乃伊取り』

番頭と頭の件を簡潔に済ませたのは良いけれど、雰囲気が出来上がらないうちに清蔵が角海老の座敷で番頭や頭相手に喧嘩腰になり過ぎた。清蔵が若旦那相手に話す口調がベースだから喧嘩腰になると廓噺の洒脱さから逸れてしまう。25人と小人数の客席が引いてしまったらしく、客席の硬さが元に戻らなかった。角海老の表で妓夫が出てくる具合など、ピタリと鮮やかに描かれているだけに、圓生師の嫌らしさはない半面、妙にマジになり過ぎた前半の清蔵が惜しまれる。廓噺の中でも昔から演じている演目の割に出来がイマイチ定まらない印象がある。

※清蔵ってのはつまり、源平師匠みたいな感じなんじゃないかなァ。

★源平師匠『松山鏡』

およそ受けようなんて欲っ気のない高座で、庄助もかみさんも尼さんも至って真面目な所が如何にも田舎の噺で面白い。『猫と金魚』とは全く噺のタイプは違うけれど、どちらもニンにある噺の強さだなァ。

※源平師の『猫と金魚』は圓蔵師型だけど雰囲気は初代権太楼師に近い。

★三寿師匠『千早振る』

『浮世床』同様、習った通りにキッチリ演じ続けてきた強みというか、無駄が無くて、八五郎と先生がその了見で会話してるから、噺の面白さがストレートに出る。目白の師匠の教え通り、「これ、さっきの噺ですか?」や「良~く調べたら千早の本名だった」でちゃんと客席が受けてたのが証拠。「落語って良く出来てるなァ」「落語は年期だ」と感じさせられた高座。おそらくは扇橋師か扇橋師から教わった人経由の噺で、ちゃんと扇橋師の『千早振る』の味わいが残ってるのも嬉しい。

★花緑師匠『蜘蛛駕籠』

 酔っ払い抜き。駕籠屋二人が労働者の声が出ないのは痛い。客二人の乗り込んだ駕籠を担ぐのに、後棒が棒を全く突かずに、轅(担ぎ棒)にぶら下がって、そのまんま歩いたり走ったりする、という仕科は初めてみたが、これには驚いた。あれじゃ先棒はバランスが取れなくて大変だろう。一体、誰に教わったんだろう?

◆4月8日 新宿末廣亭昼席

きく麿(交互出演)『九州弁のお使い』(正式題名不詳)/遊平かほり(にゃん子金魚代演)/正雀『御印文~開帳の雪隠』/小満ん『間抜け泥』/仙三郎社中/雲助『禁酒番屋』

★雲助師匠『禁酒番屋』

目白型。酒のマクラを振りまくったから本題はコンパクト。昼席らしく明朗で分かりやすい高座だけれど、侍の酒好きらしい表情、各種徳利の扱い、酒屋の使いにくいたちのキャラクターの違いなど細部は丁寧で、だからこそ、一層分かりやすい。

◆4月8日 第47回人形町らくだ亭(日本橋劇場)

半輔『間抜け泥』/談修『身投げ屋』/小柳枝師匠『蒟蒻問答』//~仲入り~//小満ん『鶴満寺』/志ん輔『お若伊之助』

★志ん輔師匠『お若伊之助』

重くならず、トントン進めて面白かった。志ん輔師自身は「嫌いな噺」なのだそうだけれど、頭が右往左往する可笑しさが繰返しのかったるさにならず、伊之助に対する頭の情にもズレはない。伊之助がまた見事に嫌な所の無い男である。長尾一角が一寸町人っぽいかな。狸の伊之助の出現を逢魔が時でなく、夜中にしたのは一角の目に触れさせないためか。

★小満ん師匠『鶴満寺』

絶妙無類。マクラで与謝野晶子の歌が出てこなくなり、そこで一寸開き直った感じになったのが本題の噺を一層軽妙酒脱なものにした感がある。一八たち一行はあくまでも脇でシテは権助。その権助が金に弱く酒に弱い人間的な面白さは他に類を見ないだろう。桜の根元に酔い潰れて眠る様子は西行でもあり、『関の扉』の大伴黒主をも思わせる(四代目小さん師が『小町桜』と題していた酒脱さが初めて分かった)。ならばこそ、最後にお住持が苦笑しながら権助に話しかけるのだ。その、お住持が「それは百人一首だ」と話し掛けた良さはまた、目白の師匠の『猫の災難』をも彷彿とさせてくれた。

★小柳枝師匠『蒟蒻問答』

 20分あるか無いかくらいの尺なのに、分かりにくい点を省いた面白さで、六兵衛は六兵衛であり、択善は択善であり、八五郎、寺男も過不足なく描かれて十分に愉しい。「寺男を権助扱いして」がまた活きている。小柳枝師の巧さ、面白さと共に同時にこの短い尺の『蒟蒻問答』を作った先々代柳橋師匠の偉さに改めて感心した。「この尺でなきゃ寄席本意の時代には売れない」のである。

 ※安藤鶴夫氏が書いているように、第二次落語研究会で黒門町が『富休』を繰り返した末に演じた『富久』が「25分くらいの短い尺だった」というのは、つまり「寄席の『富久』」だったんじゃないだろうか。黒門町の「お客様が我慢出来るのは24~5分までですよ」や目白の師匠の「落語といえるのは30分までだな」と同意ではあるまいか?その要素は芸術協会には連綿と活きているけれど、黒門町や目白の師匠から、私の知る落語協会の師匠方だと僅かに扇橋師に継承されていたのかもしれない。扇橋師が『富久』や『心眼』を極く短く寄席の主任で演じていたのはそういう事の継承だったのかも。逆の例で挙げては何だが、若い頃の圓生師が売れなかった理由の一つは「短くて面白い筋物」が作れなかった事も一因なのかもしれない。無闇矢鱈と時間の掛かる噺ばかり若いうちから持っていた圓生師が50代まで売れなかったのも仕方ないのだ。第四次・第五次の落語研究会や東横落語会をはじめとするホール落語全盛期に間に合ったのは圓生師の運だろう。圓生師はどんな演目でも平均点を取る人だったけれど、「噺を細部まで全て丁寧に演じた」からといって、「必ず面白くなるものとは限らない」のが落語である。聞き手として、どうしても私が「落語研究家」になれないのは、「細部まで丁寧に演じた噺」よりも「その演者らしさが出ている噺」の方が面白いと感じるせいかもしれない。

◆4月9日 新宿末廣亭昼席

木久扇『明るい選挙』(交互出演)//~仲間入り//~きく麿(交互出演)『師弟教室』(正式題名不詳)/紫文/正雀『大師の杵』/小満ん『あちたりこちたり』/仙三郎社中/雲助『宿屋の富』

★雲助師匠『宿屋の富』

二番富の男の件はやや派手目乍ら、宿亭主と客の序盤の遣り取りは目白系のような感じで、ジンワリと面白い。宿屋亭主の「何でも受け入れる性質」が展開の源。その代わり、客が富に当たったと周章てる辺り、懐を探す仕科は派手に大きく可笑しい。

★きく麿師匠『師弟教室』

 『浪曲社長』の学校版みたいな展開。歌や芝居でないと言葉を発せない小学生の設定は可笑しく歌も悪くない。歌舞伎調の親父と宝塚男役調の母親がちゃんと歌舞伎や男役らしく聞こえないのは残念。発想は馬鹿馬鹿しくとも、演じる元がデタラメでは通じない。

◆4月9日 池袋演芸場夜席

さん福『提燈屋』/ロケット団/源平『愛宕山(下)』/三寿『浮世床・講釈本~夢』/紋之助/市馬『のめる』//~仲入り~//菊之丞『紙入れ』/花緑『野晒し(上)』/正楽/小里ん『山崎屋』

★小里ん師匠『山崎屋』

30分強の短い尺乍ら、嫌なとこがなくて軽快に面白い。頭が一番の出来だけれど(今夜は切手と目録の両方を取る演出)、子供に甘い親旦那が終始良いのも魅力。この親旦那はさほど強欲なケチには見えない。番頭の手堅さ、若旦那の暢気さと揃う。花魁に色気が出てきたのは嬉しい。

※言葉が順番通りに入っているためか、とちったり、言い澱みがあると取り返しに手間の掛かるのは目白直系らしい課題かな。

★源平師匠『愛宕山(下)』

 試みの坂までカット。旦那が的に投げ入れるというよりは、小判を谷にばらまきに来た演出(簡略して詰めたとも言えるが)、という『煙草の火』的な設定は一興。この方がより金持ちらしい豪快な遊びになる。「貴方は狼を信じますか?なんて言ってるとガブッと来る」には笑った。最初、七枚拾って、以後ちゃんと二十枚拾って「三枚足りない」など細部も意外といっては失礼だが、実に丁寧。

★市馬師匠『のめる』

一本歯の下駄から丁寧に演じて隠居相手、友達同士の会話にも何の間断もなく、終始人物が出て面白かった。佳作佳作。

★花緑師匠『野晒し(上)』

 馬の皮の説明などなく(後半演じる時間はない出番だから当然だけれど)、ひたすら八五郎のパァパァした能天気さと釣人たちの被る迷惑が面白く、花緑師の『野晒し』でこんなに面白かったのは初めて。『二階素見』もそうだが、「入り込む人」が似合う。土手の上から釣人に叫ぶ声が小さいのは惜しい。

◆4月10日 新宿末廣亭昼席

川柳『ガーコン』(交互出演)//~仲間入り//~きく麿(交互出演)『ダイエット部』(正式題名不詳)/紫文/正雀『豊竹屋』/小満ん『悋気の火の玉』/仙三郎社中/雲助『お見立て』

★雲助師匠『お見立て』

楽日に相応しく、派手というよりは、声を深く、細部まで丁寧に演じられた『お見立て』。その中で喜瀬川の「行っといで」の軽くて薄情な所がたまんなく良い。杢兵衛大尽の馬鹿惚れしてる可愛さ、喜助の困り方とキャラクターはキッチリ演じられ、寺に入ってからも線香や花の扱いの可笑しいこと。客席の爆笑がサゲに向かって大きくなったのも当然だろう。

★小満ん師匠『悋気の火の玉』

内儀さんの「フン」が可愛い感じでなく、サゲまで怒ってるリアルさを感じさせるのだが、他の演者にありがちな、受けようとする「フンッ」のような面はなく、あくまでも悋気の表情と声音だった。そこまでの運びも見事で、和尚に頼む辺りや二人で碁を始める件はダレ場になりがちなのに全く弛まず、端然としながら酒脱に面白かった。

◆4月10日 池袋演芸場夜席

麟太郎『転失気』さん福『短命』/笑組(ロケット団代演)「走れメロス」/源平『蟇の油』/三寿『浮世床・講釈本~夢』/紋之助/市馬『芋俵』//~仲入り~//菊之丞『鍋草履』

/花緑『粗忽長屋』/正楽/小里ん『笠碁』

★小里ん師匠『笠碁』

喧嘩の件で「待った」をした側の旦那がいつもより調子が強いので「珍しいな」と思ったが、それだけに美濃屋との性格の違いは明確になる。同時に、美濃屋が来ない寂しさに「人恋しくてダルになってる」面の落ち込み具合もより明確になるのは面白い(花緑師の『粗忽長屋』からの連想かな)。その他、無言で表情を活かす場面が増えた。

★花緑師匠『粗忽長屋』

マメでそそっかしい奴の方が非常に面白い。家元の『主観長屋』を目白的に発展させた感じがした新鮮さがある。暢気でそそっかしい方がそれに比べると一寸釣り合いが悪い。

★市馬師匠『芋俵』

こういう風に丁寧に演じると与太郎以上に泥棒二人が大馬鹿者だと分かって面白い。与太郎が俵の中でくしゃみをする件がこれだけ可笑しいのも他に類を見ない。

---------------------以上、上席-------------


◆4月11日 池袋演芸場昼席

歌春『鍋草履』//~仲間入り~//陽昇(交互出演)/圓馬『垂乳根』/寿輔『自殺狂』/喜楽喜乃/圓『殿様団子』


◆4月11日 ザ・きょんスズ~第一日(下北沢ザ・スズナリ)

喬太郎・小辰「一番太鼓腹~出囃子腹」/小辰『鈴ヶ森』喬太郎『按摩の炬燵』/正蔵『松山鏡』//~仲入り~//喬太郎『すみれ荘二〇一号』

★喬太郎師匠『按摩の炬燵』

米市が呑んで酔って行く過程は過去に聞いた中で最高の長さかも。噺の世界と現実の世界を時々行き来しながら,米市と番頭の友情、米市の喜怒哀楽が描かれる。さん喬師とは全く違う「現代人の情」の魅力が前面に出ていた高座。奥への遠慮が序盤の米市にはちゃんと示されるが、それも次第に消えて陽気で気を許した番頭さん相手の酒に、世間話になる所、米市の嬉しさが伝わる。番頭の「寒いな」良さは古今独歩だろうなァ。

★喬太郎師匠『すみれ荘二〇一号』

『東京ホテトル音頭』『大江戸ホテトル小唄』『東京イメクラ音頭』を唄いながら、好き勝手に語られるセリフに落語への愛情が溢れる。「三平、正蔵だからって嫌うのもう止めようよ」「気ィ使ってるの?」、「(嫁さんが」国分佐智子ってのは羨ましい」、「(嫁さんが)藤井彩子ってのは羨ましい」も可笑しいけど、「落語が好きな」「寄席育ち」の噺。「戯画、自虐化された可笑しさの中に共感しちゃう所がある」というのは柳家本道の平面感覚でもある。そして、『マイノリ』まで全くぶれない喬太郎落語の世界がある。

★正蔵師匠『松山鏡』

ギャグを一つ入れた分、少し抜けた所はあったが、面白くしようとしないで面白いのは小三治師が絶讚した時と変わらない。『孝行糖』や『味噌豆』にも言えるが根が落語である。『すみれ荘二〇一号』の中のセリフ、「形から入る!三遊亭?」(立川流もだけど)の真逆にある「天性で演じている落語」。

◆4月12日 池袋演芸場昼席

伸之介(紅代演)『真田小僧』/歌春『加賀の千代』//~仲間入り~//ナイツ(交互出演)/圓馬『干物箱』/寿輔『龍宮』/喜楽喜乃/圓『神奈川宿』

★圓馬師匠『干物箱』

風呂屋行きと巻頭巻軸の歌カット。善公が二階へ上ってからの「独り気違い」ぶりがテンポ良く面白かった。こういう速い喋りも出来るんだね。

★歌春師匠『加賀の千代』

 甚兵衛さんが扇橋師的なボンヤリした人ではなく、『鮑熨斗』に近い、チャカチャカしたとこもあるのが面白い。

★圓師匠『神奈川宿』

二度目。若い衆のお見立てから朝這いへ、噺の繋がりが二段になっているのが演じ手の減った原因かな。

◆4月12日 雲助落語街道五十三次~発端~(日本橋劇場)

市助『垂乳根(上)』/雲助『三人旅・発端』/雲助『百川』//~仲入り~//雲助『明烏』

★雲助師匠『百川』

先に河岸の若い衆が四神劒を請け出す思案を「百川」の座敷でしている演出。生涯三度目の口演とのこと。そのせいか、各キャラクターはハッキリしているが、全体に人情噺的な語り口で稍重く、洒落っ気に乏しい。あと、百兵衛が馬鹿に年寄りに聞こえた。

★雲助師匠『三人旅・発端』

珍しい演目。無尽に当たった話から大門を締め切るとか油揚を五重塔の天辺からばら蒔くなどあって、所帯を二日で畳んだ熊も交えて旅に出る。これは江戸っ子三人の気軽さ・暢気さで実に愉しく、無尽に当たったと聞いて怒り出す親父の話がまた可笑しい。四代目小さん師の速記にかなり似ている。

★雲助師匠『明烏』

こちらは快調。親旦那の洒落っ気、源兵衛・太助の間抜けな小悪党ぶり、若旦那の硬マジな可笑しさと揃って愉しい。座敷で呑んでいる二人を時次郎が恨めしそうに見る表情・形と源兵衛が時次郎を起こす姿が先代馬生師匠にソックリだったのは非常に印象的かつ効果的。あと、後朝の場面で浦里があんなに可愛かったのは雲助師では初めて。いつもは「浦里もちゃんと女郎だなあ」と感心するのだけれど、今夜の浦里の可愛さには別の一興あり。

◆4月13日 ザ・きょんスズ第三日昼(ザ・スズナリ)

喬太郎・天どん「一番太鼓腹・腹鼓出囃子」/天どん『老後が心配』/喬太郎『そば清(鳴物入り)』/圓丈『前座サイボーグ』//~仲入り~//喬太郎『宮戸川』

★喬太郎師匠『そば清』

そばを手繰る件に鳴物を入れたので、「仕科を見せる場面」というよりは、落語らしいスラップスティックな可笑しさが先立つようになったのは面白い工夫。ラストでは「ウルトラQ」のテーマをえり師匠に入れて貰う。この終盤は演出はグロテスクに面白いけれど、怪奇ドラマなのか怪奇落語なのかが曖昧。

★喬太郎師匠『宮戸川』

亀たちがお花を背負って雷門から消える最初の情景をカット。正覚坊の亀が現れてからがズーッと近代演劇になるのが雲助師の世話物と比べて重苦しい。こんなに芝居にしなきゃいけない噺なのかな。亀が重ねてお花を慰む辺りから「あんな女は終り初物」の、流れ船頭らしいリアルな肉欲(それの伴う鬱な感じ)は共感出来るのだが。

◆4月13日 ザ・きょんスズ第三日夜(ザ・スズナリ)

喬太郎・風車「一番太鼓腹・腹鼓出囃子」/風車『もぐら泥』/喬太郎『唄入り井戸の茶碗』/昇太『唄入り力士の春』//~仲入り~//喬太郎『ハワイの雪』

★喬太郎師匠『唄入り井戸の茶碗』

落語研究会の五百回祈念落語会以来の演目。馬っ鹿馬鹿しさとマジが入り乱れる可笑しさ。「面白かった」という後に余韻を残さない演出はコメディ映画と似ている。

★喬太郎師匠『ハワイの雪』

一寸カットがあったかな。聞く度にもう少し、「涙」の部分を「情」に変えられないかなァと感じる。

★昇太師匠『唄入り力士の春』

鷹の爪君と両親のキャラクターの馬鹿馬鹿しさが今日はメル・ブルックス作品っぽい感じがした。

◆4月14日 ザ・きょんスズ第四日・楽日(ザ・スズナリ)

喬太郎「一番太鼓腹・腹鼓出囃子」/喬太郎『鸚鵡の徳利~噺家物真似入り~』/千葉雅子『垂乳根』/はだか//~仲入り~//喬太郎『マイノリ』

★喬太郎師匠『鸚鵡の徳利~噺家物真似入り~』

雲助師匠・さん喬師匠・圓丈師匠・馬風師匠の物真似入り。御本人の高座以上に馬風師匠の御辞儀が目白の師匠に似てるのが分かる。

★喬太郎師匠『マイノリ』(千葉雅子作)

 二年ぶりに聞く演目。初演から時間経過して、部分的に変わった件もあるみたい。確か、30年間に渡る話じゃなかったかな。今回は25年間の話になっているし、初演の頃は「西武秩父」じゃなかったと記憶しているのだが、違ったかな。喬太郎師匠の演目では兎に角、私の一番好きな噺なので、ひたすら噺の世界に浸ってしまう。主人公二人に全く違和感がなく、等身大の世代感覚の魅力がある。演劇的なんだけれど語りの芸になっている。セリフを全く言わない「マスター」の存在が大きいのを感じる。観客という第三者に騙りかける、という意味で落語なのである。『ラブ・レターズ』的な悲劇でない終わり方にした千葉さんの台本にも再度感服。

 ※千葉雅子さんの『垂乳根』を聞いてると、御稽古をつけた喬太郎師は勿論だけれど、喬太郎師に御稽古をつけたという小里ん師の雰囲気までヒョイと顔を覗かせるのに驚く。「伝承」って凄いね。八百屋を相手にしてる件などが特に小里ん師の感じである。八五郎の妄想の中で語られる嫁さんが年増っぽいのも一興。

◆4月14日 伊藤園Presents東横落語会第一回(ヒカリエ)

志ん吉『熊の皮』/談春『粗忽の使者』/三三『不孝者』//~仲入り~//市馬『花見の仇討』

★市馬師匠『花見の仇討』

 市馬師では随分久しぶりに聞いた演目だと思うけれど、違ったかな。「一服したいから金さん、煙草の火を貸しとくれ」には笑った。熊さんが煙草の喫い過ぎで紫色の顔をしてるのも大笑い(先代圓楽師みたいである)。「いつもは飛鳥山だけど、趣向と分かっちまうから上野へ」や野次馬の一人が木に登るなど、余り聞かない工夫もあって面白さが増している。職人の調子に市馬師には珍しく目白の師匠の調子があったのは嬉しい。敵討になってから職人三人の狼狽が乏しいのは惜しい。

★談春師匠『粗忽の使者』

 かなり手を入れた演出に変わった。治部右衛門のキャラクターは面白くなった。舎人別当の件で、何となく赤井御門守の家中が暢気そうに見えるのが一番良い。「誰にも馴染まない殿様の愛犬が治部右衛門にだけなついて、転がって腹を出してる」ってェのは実に面白いし、治部右衛門のキャラクターが分かる酔いセリフ。侍言葉や職人言葉がらしくないのは兎も角。

★三三師匠『不孝者』

細部を変えた十八番を出してきた印象。丁寧に番頭との遣り取りから。金彌の話に旦那がすねて少し怒りかけるのは蛇足に思う。旦那との遣り取りの金彌は色気を抑え過ぎてかパサパサするし、その為、膝を抓る件がより却って恣意的に見える。また、若旦那が懐中時計を見たけれど、明治以降の噺だったかな。

※談春師がマクラで語っていたように「競い合うくらいに気概」に溢れた顔が組めるか?が会全体の最大の課題。寄席や三田落語会でさん喬師・雲助師・一朝師・権太楼師がかつての東横落語会のように腕を競うのを今は見られる訳だから。

◆4月15日 池袋演芸場夜席

伸治(文治代演)『お見立』//~仲入り~//ひでややすこ/蝠丸『嫌い嫌いど坊主』/小柳枝『星野屋』/ボンボンブラザース/小文治『七度狐』

※仲入りで付けた携帯を切り忘れ、『七度狐』の後半で電話を鳴らしてしまった。大失態。大恐縮。お恥ずかしい。本当に申し訳ございませんでしたm(__)m

★伸治師匠『お見立』

「笠子地蔵でねえか?!」というクスグリは初めて聞いた。

★小柳枝師匠『星野屋』

七十歳を越してから始めた演目らしい。先々代柳橋先生を一寸軽くした感じで、お花に適度な色気と哀れがあり、重吉や旦那も結構なもの。怪談もちゃんとお花のリアクションで怖く聞こえる。最近、これだけの『星野屋』はそう無いと思う。

★蝠丸師匠『嫌い嫌いど坊主』

圓師匠からかなァ。本題は小噺だけど「キシキシ」という釣瓶の音が「スキスキ」と聞こえる件とか、中に挟む「ふくよかな女性が好みで」なんて辺りが妙に可笑しい。

★小文治師匠『七度狐』

川渡りと庵寺と大根抜き。形が綺麗で巧いけど、スラップスティックな可笑しさがもっと前に出た方が良いのでは?巧さを見せようとすると旅噺の長閑さが消えてしまう。

※『新聞記事』でなく『阿弥陀池』などが小文治師には似合うのではあるまいか。しかし、小文治師、南なん師、蝠丸師、笑遊師など「噺家になるために生まれて来たようなキャラクターの師匠」が芸術協会には多いなァ。

◆4月16日 池袋演芸場昼席

柳之助『二十四孝』/紫『井伊直人出世物語』踊り:かっぽれ/歌春『看板のピン』//~仲入り~//ナイツ(交互出演)/楽輔『風呂敷』/遊三『青菜』/今丸/茶楽『寝床』

★遊三師匠『青菜』

遊三師の『青菜』はこの夏、お初かな。途中かみさん相手のセリフが一寸混乱したが、後は安定した面白さ。その手堅さの中で遊三師の旦那が現在では一番仰揚で立派に聞こえるのが分かる。

★茶楽師匠『寝床』

こちらの旦那は如何にも商人らしい柔らかな人。先の番頭は旦那の義太夫のお初を聞いて蔵騒動の惨劇に遭った、というセリフは初めてかな。「あたしの声が伊達大夫に似ているって?」やサゲ前の演出の面白さは不変。

★歌春師匠『看板のピン』

いつもよりユックリ目で親分の感じと若い奴らの雰囲気のギャップがより明確になり面白かった。

◆4月16日 小三治一門会(大井町きゅりあん)

ろべえ『鈴ヶ森』/はん治『背中で老いてる唐獅子牡丹』//~仲入り~//小雪/小三治『出演者の半生~お化け長屋(上)』

★小三治師匠出演者の半生~『お化け長屋(上)』

小雪師・ろべえさん・はん治師の結婚話などを長~く振って本題へ。小雪師とはん治師の結婚話には大笑い。自分の話をしないのは狡い(笑)。志ん好師と会をした事があるとは知らなかった。圓菊師との末廣亭での余一会は聞いてる。山田洋次氏作の『雉子』は初演の後、もう一度『にっかん飛切り』で聞いたのかな?。本題は最初の杢兵衛との遣り取りで店子仲間の語る長屋風景が面白い。杢兵衛は昔より寧ろ若い感じ(つまり、御本人が元気そう)。杢兵衛と店借りに来た二人の遣り取りはキッチリ作られた可笑しさだけれど、昔よりは適当にいい加減で、あやふやなのが却って愉しい。特に最初の男との件がそう。杢兵衛と店子仲間の件は普通の世間話として長閑に面白い。この口調で今こそ『三人旅』か『長者番付』を聞きたいなァ。

★はん治師匠『背中で老いてる唐獅子牡丹』

フルヴァージョンかな。虎の置物、かみさんが手帳を見る件、「緋牡丹お志麻」、殴り込みに雪が降ってくるなど、初めて聞いた件が色々あり。かみさんが手帳を見る件で姿が浮かぶのに感心。「巧い人だなァ」というのを改めて感じた。

◆4月17日 池袋演芸場昼席

マジックジェミー/昇之進『大安売』/柳之助『ひと目上り』/紫『寛永宮本武蔵・熱湯風呂』踊り:奴さん・姐さん/歌春『ちりとてちん』//~仲入り~//ナイツ(交互出演)/楽輔『元帳』/遊三『蛙茶番』/今丸/茶楽『品川心中(上)』

★遊三師匠『蛙茶番』

前半は刈込み気味で芝居部分を鳴り物入りでタップリと。「起きよ徳兵衛、大日丸」「はて心得ぬ。山城の国、井手の玉川冬枯れて」から芝居セリフの大きく立派なこと(ちゃんと幽霊と立役になってる)、「南無はったるやはらいそはらいそ」の印を結んで九字の真言を語る間の動きの的確で大きな事には大感心。サゲ(最近のサゲより短く無駄がない)でドッと受けたのも芝居の迫力との落差が大きく可笑しいからだろう。圓生師譲りか先代圓馬師譲りか知らねども、どちらの師匠も芝居掛かりはキッパリしてたから、直接ちゃんと教わっている世代の師匠は強いね。

★茶楽師匠『品川心中(上)』

今日はお染の感情が細やかに出た佳作。といって間を取る野暮はなく、時事的なギャグ(昨日の監禁事件など)も巧みに配して人情噺がからぬ辺りが巧いなァ。金蔵に死ぬ覚悟を告げるセリフ、食べ酔った金蔵を見下ろして「こんな奴と死ななきゃならないなんて」、妓夫に抱き止められての「死ななきゃならないんだ」の佳さは忘れ難い(茶楽師の妓夫がまた軽いシニカルさがあって良い)。また、金蔵を見下ろした形に色気があって良いのに感心。代わって金蔵は岡掘れした大馬鹿者で心中の後、親分のとこへ「金蔵です」と現れた場面の可笑しいこと。親分一家のてんわわんやも変わらぬ面白さ。やはり現代を代表する『品川心中』。

◆4月17日 第9回「春・Wホワイト」(北沢タウンホール)

白鳥・白酒「御挨拶」/白鳥『ナースコール』白酒/『山崎屋』//~仲入り~//白酒『草』/白鳥『黄昏のライバル』

★白鳥師匠『ナースコール』

声が草臥れてた。この噺、どうもサゲ近くでテンションが下がるのが気になる。吉田さんにサゲを言わせない方が良いのではあるまいか?緑ちゃん自身が言うとか(十三年前に入院した時の新人ナースに緑ちゃんそのまんまみたいな子がいたので私は結構リアルに聞けちゃう噺なのだ)。

★白鳥師匠『黄昏のライバル』

噺も面白かったのだけれど「“雲助の弟子で古典ひと筋です”なんて言いやがって、くのいちの噺演ってる方が『山崎屋』より活き活きしてんじゃねえか!」の洞察力にこそ白鳥師の凄さがある。

★白酒師匠『山崎屋』

雲助師の『山崎屋』を聞くと、手を入れて面白く工夫してるけれど、噺と一体化してないのが分かる。小満ん師の『山崎屋』を聞くと「落語を洒落た面白いものとして自分と一体化する」のには更に時間の掛かるのが分かる。

★白酒師匠『草』

先月下席の池袋演芸場の新作興行でネタ卸しした噺だと思う。ナンセンスな展開なのに話術が的確でキャラクターが立ち、当人が楽しんで演ってるから面白い。但し、誰が演じても面白い噺ではない。基本的な「語る技術」「落語の理解力」の必要性が嫌ってほど分かる(白鳥師のような他人の芸が分かった上で、自分の噺を批評的に表現しない“天才”は別よ)。

◆4月18日 池袋演芸場昼席

昇之進『善光寺由来』/柳之助『荒茶の湯』/鯉朝(紫昼夜代わり)『夜のてんやもの』/歌春『たが屋』//~仲入り~//ナイツ(交互出演)/楽輔『宿屋の富』/遊三『お見立』/今丸/茶楽『線香の立切れ』

★遊三師匠『お見立』

少し行きつ戻りつはあったが、今日はキャラクターの感情表現の良い高座。杢兵衛大尽が墓の前で、こんなに自然に泣く『お見立』ってのは誰からも聞いた記憶が無い。

★茶楽師匠『線香の立切れ』

何時もより、ややユックリ目のテンポで間を取った分、逆に言い澱みや言葉支えがあったのは不思議。女将の登場からが本調子であるが、三味線の音はやはり立切れたい。

★楽輔師匠『宿屋の富』

名作落語大会の始まりで、トントン運んで軽いマンガになっていて愉しく、主任で聞いたときより面白かった。

◆4月18日 第四夜さん喬十八番集成(日本橋劇場)

さん若『代脈』/さん喬『転宅』さん喬/『百川』//~仲入り~//さん喬『おせつ徳三郎』

★さん喬師匠『転宅』

さん喬師からは初めて聞いた演目かなァ。全体に、気合いの入った「落とし噺」の時に顕著な高っ調子である。泥棒が本当に気の毒になるくらい、お菊が達者な手取りで、見事なまでにぶりっこなのに(だから余計に泥棒が可愛くみえる)、「泊まってく」と泥棒に言われて周章てふためく様子の可笑しさ、リアルさが凄い。小満ん師匠、雲助師匠と並んで、小里ん師の言われた「人情噺の上手い人は落語も面白い」というお手本みたいなもの。

★さん喬師匠『百川』

初五郎が最初に仲間と交わす口調が目白の師匠と似ているのに驚く。ちゃんと職人系の表現になっているのだ。『転宅』から引き継いだ高っ調子がこの噺でも活きている(いつもの『百川』より完全に調子が高い)。江戸の芸の本筋は團十郎系の高っ調子の世界だってのが分かる。初五郎が帰ってきた百兵衛を褒める顔で迎えるのは真に良い。二ツ目か若手真打時代からの売り物噺だけれど、小三治師と違って、実は河岸の若い連中に特色があるのだ。

★さん喬師匠『おせつ徳三郎』

50分。『刀屋』で「山賊に襲われたら」の件、「お茶漬けサラサラ」がないなど、少しカットされたかな。『花見小僧』も無駄な長さなどなく、また旦那が怒り狂ったりせず、柔らかく運んだ。そういえば徳三郎の着替えがなかった(あれは『百年目』に似ちゃうのと、おせつのはからいにせよ、花見の前から出来てる感じになる)。代りに二人連れ立つ姿が桜の花に包まれ、おせつにふりかかる花を徳三郎が肩や髪から払う件が入るのは艶麗。小僧の語る描写にしては綺麗過ぎるが一興。『刀屋』は刀屋主人のセリフが些か人情噺に傾くけれど、怒りっ放しでなく、途中から宥める感じに変わる。商人にしては稍堅めではあるが違和感はさのみ無い。徳三郎は恋に恋するような子供っぽさが残る前半と比べ、おせつと巡り合ってから常識人になり過ぎる感あり。刀の扱いの巧さ、怖さは流石。おせつは心中を自ら持ち掛ける辺り、美しきファムファタールっぼい。さん喬師のロマンティシズムが生んだ恋するお嬢様の怖さでもあろうか。サゲは「お嬢様が先程、お題目を唱えられましたから」で「お題目で助かった」より却って分かり難いように感じた。

◆4月19日 池袋演芸場昼席

昇之進『改名したい!』(正式題名不詳)/柳之助『寄合酒』/紫『奴の小万ん~生立ち』踊り・かっぽれ/歌春『お化け長屋(上)』//~仲入り~//陽昇(交互出演)/楽輔『錦の袈裟』/遊三『親子酒』/今丸/茶楽『三方一両損』

★茶楽師匠『三方一両損』

 珍しいといっても先代可楽師の十八番だから御弟子さんとしては当然の継承。二人の大家が、如何にも大家らしい品や世話人ぶりと喧嘩好きのバランスが取れた面白さ。吉五郎、金太郎も跳ね上がり過ぎない江戸っ子で好感が持てる。大岡様がまた捌けた人で、サゲの「たった一膳か?」は真に軽妙。こういう言い方の出来る下げなんだ!

★歌春師匠『お化け長屋(上)』

古狸の杢兵衛も結構、二人目の男に立ち向かうキャラクターになってるのが面白い。

◆4月19日 第4回文蔵コレクション四(落語カフェ)

文左衛門『山号寺号』/文左衛門『大仏餅』//~仲入り~//文左衛門『竹の水仙』

★文左衛門師匠『山号寺号』

山号寺号を新たに工夫してたりする分、テンポは落ちるが可笑しさはちゃんとある。

★文左衛門師匠『大仏餅』

 3年ふぶリに聞いた演目。稲荷町⇒文蔵師経由の直系。粗っぽいとこもあるけれど、金卯の子供が御膳を前に、狼狽えたように父親を仰ぎ見る表情は可哀想で涙が出た。稲荷町譲りの目立たさない巧さが受け継がれている。

★文左衛門師匠『竹の水仙』

『落語大百科』に書かれた『三井の大黒』に関する目白の小さん師の言葉、「三木助の甚五郎は粋過ぎるな」とはこういう事なんだろうな。甚五郎の職人気質溢れる悪戯小僧のようなキャラクターは『掛川宿』の甚五郎に通じる。また、大杉屋の養子亭主が呆れる程に良い奴なのが愉しい。

◆4月20日 第25回三田落語会昼席(仏教伝道会館ホール)

さん坊『金明竹』(骨皮抜き)/喜多八『鈴ヶ森』/扇辰『匙加減』//~仲間入り~//扇辰『野晒し』/喜多八『百川』

★喜多八師匠『百川』

百兵衛が慈姑の金団を喉に詰まらせるだけの脇役みたいな展開でいながら(目を白黒させる表情は正しくマンガとして絶妙)、終盤のリアクションの自然な可笑しさは柳家本道。八五郎以下、河岸の若い衆は「意気がり」の見本みたいで、そのテンションと対照的に構成された百兵衛の抑えた口調が独特の味わいになってきた。

★喜多八師匠『鈴ヶ森』

子分の可笑しさは当然乍ら、子分の言動に右往左往して困惑する親分のリアクションが絶妙に加味されて、益々面白くなった。先代圓遊師から志ん五師までの『鈴ヶ森』って、こんなに面白い噺だったっけ?

★扇辰師匠『匙加減』

大家の「底意地が悪く見えない智謀家ぶり」と、その智謀に嵌まる小悪党の可笑しさが濃く出ているので、面白さが派手になった。

★扇辰師匠『野晒し』

「撥が当たった」のサゲまで八五郎の「もてない男の狂態」が無茶苦茶に変な人で、それが発散しまくっているのが可笑しい。扇辰師は女を演じるのが照れ臭いのか、色気の出し方が時々極端になるが、今日は助平ったらしいのと矢鱈とブリッ子の両方に出た。それでいて時々は、山の小春やおなみのような綺麗さもちらつくから愉しい。

★さん坊さん『金明竹』

 マクラで話した実家の酪農家で飼っている牝牛の話で、その口調、喋り方、仕科が白酒師匠そっり.くりなのに驚いた。『金明竹』も白酒師から教わったのかな?マクラの調子が師匠以外の人に似ているってのは物凄く珍しい。

◆4月20日 第25回三田落語会夜席(仏教伝道会館ホール)

ゆう京『寄合酒』/三之助『南瓜屋』/さん喬『夢金』//~仲入り~//さん喬『禁酒番屋』/三之助『御神酒徳利』

※どうも書いた物に勘違いが多くて我乍ら恥ずかしい。プログラムに書いた文中、『按摩の炬燵』の按摩の名を「米市」て゜なく「富の市」と書いてしまった。それじゃ『言座頭訳』である。さん喬師匠、三田落語会さんには甚だ失礼な事で申し訳なく、御迷惑をお掛けしてしまった。

★さん喬師匠『夢金』

久し振りに聞いた演目。前半、言葉違えが割と多い。侍が低い声で「ここを開けろ」と問うのはサスペンスの始まりとして面白い。雪の降る感じも独特。「雪は豊年の貢というが」を船中で侍が熊に言うのもフレーズになり過ぎぬ一興あり。半面、圓生師系の三遊派落語から柳派落語への色合いの転換がまだ明確でない。

★さん喬師匠『禁酒番屋』

 これは物凄く久し振りに聞いた演目の筈(84年の『四季の会』で聞いて以降、聞いたことがあったっけな?)。高い調子で落語らしい。 番屋の侍が五合徳利の栓の臭いで酒と分かるのは独特でしかもわざとらしくない。全体に、分かりやすく演出されて可笑しい中に、酒を頼む侍・近藤と酒屋の奉公人たちのこれまでの関係が最初にチラッと語られて、「なんで酒を持ち込もうとするか」の気持ちを描いた面白い工夫である(『按摩の炬燵』の小僧たちみたいな仲間感覚がある)。

★三之助師匠『御神酒徳利』

長噺を聞いたのは初めてではあるまいか。圓生師、三木助師系の『御神酒徳利』って、長くて時間のかかる割には感じるとこのない噺だと思っていたけれど(鯉昇師くらいしか面白いと思った記憶がない。何か私には高慢ちきに感じられる噺なのだ)、比較的、運が良いだけで詰まんない人に聞こえ勝ちだった善六が好人物で、かみさんもでしゃばり過ぎず(『火焔太鼓』が出来るかもしれない)、綜体に面白く、50分の高座がダレずに聞けて面白かったのは立派。三之助師を起用した三田落語会の小澤さんの炯癌に驚く。荷羽屋稲荷があまり神々しくなく、如何にも日本の八百万の神様らしい人間味を感じさせるのも面白い。女中の名前を出さず、巾着紛失をあくまでも稲荷の仕業にしてしまう演出にも好感が持てる。「仏は三度」というサゲは助けてくれたのが稲荷だから、些か違和感。若手真打によくある「パワフル」な感じこそないけれど、筋物の人物に関しては『南瓜屋』の与太郎と違い、「描き過ぎない良さ」があった。一寸、「アクの無い一之輔師」というか、故・文朝師に感じの似た「表現の巧さを前に出さない巧さ」を感じさせる所があって(そういう印象を感じるとこは、今の扇好師とも似てる)、高座を追い掛けてみたくなった。ベテランでは南喬師や一朝師、小里ん師、若手真打では扇好師や柳朝師にもいえるけれど、「巧さを前に出さない噺家さん」の高座って長い噺を聞いても突かれ難いんだよね。

★三之助師匠『南瓜屋』

南瓜を売ってくれる裏長屋の男の「これで商売ってのもやってみると面白ェもんだな」(このセリフには目白の小さん師匠の感覚がある)「おめえが好きだから」などの良さに比べると、与太郎が類型的で、エヘラエヘラしてるだけみたいに感じるなァ。

------------------以上、中席------------------


◆4月21日 第309回三遊亭圓橘の会(深川東京モダン館)

橘也『転宅』/圓橘『看板のピン』//~仲入り~//圓橘『帯久』

★圓橘師匠『看板のピン』

 「圓生師演出かな?」という『看板のピン』で、迫力のある親分と腰の軽そうな若い衆の対照が面白い。若い衆の方に圓生師の面白いとこが出てる。

★圓橘師匠『帯久』

東京で生で聞くのは小南師で聞いて以来の演目だろうか。三三師で聞いているかもしれない。小南師は和泉屋が余りにヒィヒィ泣くので陰気だったが、圓橘師は筋物に相応しい「演じ過ぎない語り口」で「指政談」「五十年賦」からサゲまで面白く演じられた。尺も長過ぎず適切。筋彫りのように細かく人物描写されると噺の「嫌な部分」が目立って鬱陶しくなる(米朝師が良かったのも細かくなり過ぎないのが良かった)。大岡様に威厳あり、帯屋の傲慢は圓生師譲りか。こういうバランスが筋物には大切。

★橘也さん『転宅』

最近よく聞く『転宅』と違い、泥棒が食い散らかさず、煙管片手に脂下がっていたり、妾が高橋お伝とは無関係なお梅って辺り、先代小圓朝師型かな。小圓朝師の妾はもっとチャッチャカ喋ってた記憶があるが・・。泥棒の間抜けさはなかなか似合っているし、脂下がってる変な形も可笑しい。


◆4月22日 新宿末廣亭昼席

一九『都々逸親子』/正楽/正朝『ぽんこん』/小里ん『提燈屋(下)』/和楽社中/小満ん『猫の災難』

★小満ん師匠『猫の災難』

唄が二つ入ったりしてタップリ目(といっても小満ん師の『猫の災難』は脚が速い)。目白型の演出だけれど、酔って行く過程を聞かせるというより、酔って浮かれて更にだらしなくなってしまう熊さんの面白さが聞き所って辺りに四代目風を感じる。

◆4月22日 第32回ぎやまん寄席湯島編『扇辰・白酒 二人会』(湯島天神参集殿一階ホール)

ゆう京『道灌』/白酒『浮世床・将棋~講釈本』/扇辰『藁人形』//~仲入り~//扇辰『甲府ぃ』/白酒『笠碁』

★扇辰師匠『藁人形』

マクラで扇橋師の話をしたのは珍しい。本題もこの演目にしては前半のメリハリが強い。お熊の芝居っ気タップリのセリフ、酷薄さも印象的だけれど、圓生師的全面的悪婆にはならないのが扇辰師らしい。甚吉は口の聞き方だけでなく、肩の線が見事に職人体で、根っからの博徒っぽくないのが良い。前半は人情噺、甚吉が出てきてからは落とし噺の印象。

★扇辰師匠『甲府ぃ』

えらく前半のテンポが早かった。善吉は冒頭より三年経って江戸の水に馴染んでからが職人風で良い。豆腐屋主人は堅法華には見え難いが、侠気ある江戸っ子の点は徂徠豆腐の豆腐屋と似ている。最後、鹿島立ちする二人を見送って一寸泣くのも独特。割と左龍師に近いか。

★白酒師匠『笠碁』

目白系とは丸で違う、先代馬生師系変人奇人落語の色合いが益々強まった。凄く可笑しな二人の遣り取りの陰にあるのが「友情」に止まらず、「孤独」に繋がるのに、そんな事をおくびにも出さずに笑わせる辺り、先代馬生師の真っ当な継承だ。

★白酒師匠『浮世床・将棋~講釈本』

力任せでなく、「へもんが~」「なんだい?」の成り立つキャラクター造形がステキに可笑しい。先代馬生師⇒雲助師⇒白酒師と受け継がれた「江戸の暇人たち」の快作。


◆4月23日 第五回柳家小満んおさらい会改め『目白夜会~花守~』(目白庭園赤鳥庵)

なな子『やかん』/小満ん『蜘蛛駕籠』/喜多八『五人廻し』//~仲間入り~//小満ん『愛宕山』

※自分が主催する会なので感想は無し。『愛宕山』の本題が20分弱と凄く早かった。

◆4月24日 新宿末廣亭昼席

一九『寄合酒』/正楽/正朝『牛褒め』/小里ん『鶴屋善兵衛』/和楽社中/小満ん『小言幸兵衛』

★小満ん師匠『小言幸兵衛』

長屋廻りカットで豆腐屋の来訪から。久し振りなのかな、少し言葉違いが前半は多かった。仕立屋が来て、幸兵衛の妄想が「心中話」に集約してからはグッとテションが上り、饒舌になった幸兵衛の、ある種、「一人気違い」ぶりが酷く可笑しかった。細部の用語も小満ん師ならではの凝ったもので面白いけれど、それ以「心中話」というアナを見つけて仕立屋に攻め込むのが嬉しくとて仕方ない!という幸兵衛の表情が悪魔的に面白い(小言好き、ってより、アラ探しが好きで妄想癖が強いキラクターに見える辺りは『寝床』の旦那みたい)。こういう『小言幸兵衛』も他のから聞いた事ないなァ。

★小里ん師匠『鶴屋善兵衛』

柳家の旅ネタの御手本。病の真似をしてる男が「持病の癪が」なんて件の可笑しさだけでなく、道中日記風の暢気な遣り取り、三人の仲の良さが素晴らしい。

★正朝師匠『牛褒め』

前座時代からの得意ネタで、終始無邪気に馬鹿馬鹿しく愉しい。先代柳朝師譲りの一朝師、正朝師の与太郎の可愛さには柳家の与太郎ともひと味違う良さがある。

◆4月24日 柳の家の三人会(なかのZERO大ホール)

市助『垂乳根』/花緑『二階素見』//~仲入り~//喬太郎『高島町物語~同棲したい!』/市馬『黄金餅』

★市馬師匠『黄金餅』

終盤、家元の仕科の真似を入れたりもしていたが、「寿司も一度食ってみてェ」など、家元のセリフが却って市馬師と噺の一体化の邪魔になっている。一度聞いた事のある、金兵衛が壁にもたれて朝を待つリリカルな演出の『黄金餅』の方が市馬師には似合うと思うし、市馬師の調子を活かしてスイスイ運んでも良いのではあるまいか。品川の圓蔵師の快弁落語だから、あれよあれよと運んで良いだろう。家元型はドラマの要素を盛り込み過ぎる。餅屋を思い付くのもサゲ前でテンションが落ちる。

★花緑師匠『二階素見』

相変わらず面白いんだけれど、吉原オタクの可笑しさがタップリあった若旦那に、家元風の「意気がり」の手垢がついた感じで、若旦那らしさが今夜は落ちていた。

※『二階素見』と、みなもと太郎氏のマンガ『風雲児たち』がヒントになんだけれ
ど、「江戸時代の大名オタクが偶々、桜田門外の変に出くわして右往左往する歴史秘話風ドタバタ落語」という噺は出来ないかな?侍の話から、「城オタクの噺家が城主の亡霊に出会う『正太の怪談』」ってのもたった今、思い付いた(笑)。

★喬太郎師匠『高島町物語~同棲したい!』

市馬師がマクラで語っていたが、東横線の話に楽屋タイトルがあるとは知らなかった。『同棲したい!』は喬太郎師ならではの80年代ノスタルジーで変わらぬ面白さだが、尺の関係か、同棲してからが妙に短くなってたんじゃないかな?あと、奥さんがあんなに旦那の行動に批評的だったっけ?もっと可愛らしいキャラクターだった記憶がある。「やり残した青春」の面白さは変わらないんだけれど。今夜の『同棲したい!』はウッディ・アレンっぼいセンティメントを感じる、「見合いしてくれ」も些かテンション下がり加減じゃないかな?。

※倅が「同棲したいから両親は実家に帰ってくれ」という輪踊サゲはダメかしらん?


◆4月25日 新宿末廣亭昼席

馬風『漫談』:木りん引っ張り出し//~仲入り~//一九『ぽんこん』/ホンキートンク/正朝『手紙無筆(上)』/小里ん『長短』/和楽社中/小満ん『天災』

★小満ん師匠『天災』

マクラの「その喧嘩なら三分で買う」で客席の食い付きが悪かったためか、序盤の八五郎のテンションが上がらなかった。名丸はニンも含めて、にこやかに八五郎の相手をして砕けた町人学者の雰囲気。帰宅してからの八五郎は職人らしいテンションで熊との遣り取りにも張りが出て面白い。惜しいのはやはり前半か。「真っ平御免ねェ」の調子が跳ねなかった。

★小里ん師匠『長短』

長さんが煙草をキューッと喫う表情のマンガ風な馬鹿な可笑しさなど、目白の小さん師匠と違うとこもありながら、見事に目白の『長短』を継承した友情落語の面白さを堪能した。小満ん師の八五郎は江戸っ子の町人、小里ん師の二人は江戸っ子の職人という芸風の違いが良く分かる。


◆4月25日 桂文珍大東京独演会Vol.6 楽日(国立小劇場)

福也『池田の牛褒め』/文珍・楽珍「リクエスト演目選択」/文珍『老婆の休日』/英華/文珍『軒付け』//~仲入り~//文珍『地獄八景亡者戯』(上)

★文珍師匠『老婆の休日』

マクラで語られていたように「『中沢家の人々』や『ガーコン』同様、年齢を重ね
ても演じ続けて行けるネタ」を持っている師匠の強みで、終始、気楽に屈託なく愉しませてくれる。単なる「作品派」には出来ない落語。

★文珍師匠『軒付け』

こちらは楽日の疲労もあってかヨレヨレ。『大井川』など浄瑠璃の段名が出てこないし、全体に陰気に感じた。

★文珍師匠『地獄八景亡者戯(上)』

興行街までのダイジェストだが、新装なった地獄の歌舞伎座に團十郎丈、勘三郎丈が出ているのは勿論(「三途川で勘三郎が“オーイオーイ”と俊寛さながらに船を見送って中々こっちに来なかった」という件は聞いてて涙が出た)、三國連太郎氏(川岸で釣をしてる)、田端義夫氏(「オッス!」と茶店の前を通り過ぎる)が出てきたりと、センス良く、ちゃんと手を入れてあり愉しい。センスの悪い演者だとボストンマラソンのテロ事件など入れかねない。おまけに、生塚の婆の身の上話をするオバサンが無意識のうちにちょいちょい先代文枝師の口調になる辺りが懐かしく嬉しい香辛料になっていた。

※この噺、白鳥師が演じると、どういう展開になるんだろう?

※話は全く変わるが、先日、末廣亭で紙切りの正楽師に「ボストンマラソン」と注文した上に、正楽師匠が取り合わなかったら「難しいのは切れないんだ!」と揶揄した非常識爺がいたのに驚いた(洒落が分からない所の話ではない)。正楽師が流石に「難しくはないんです。愉しくないでしょ」と呟いたら拍手が起きたので安堵したけど。


◆4月26日 新宿末廣亭昼席

馬風『漫談』:木りん呼出し//~仲入り~//一九『黄金の大黒(上)』/正楽/正朝『蔵前駕籠』/正蔵『新聞記事』/和楽社中/小満ん『妾馬』

★小満ん師匠『妾馬』

今日の高座はリアクションが引き気味で、声も小さく受け難さを感じた。後半、八五郎が「御座り奉る」と言い出してから、漸くテンションが上がった感じ。

★正蔵師匠『新聞記事』

出来は悪くないけれど、小満ん師のトリへ繋げるヒザ前としては演目選択が違う。前の正朝師が『蔵前駕籠』でキッチリ聴かせて作った流れがワヤになる。


◆4月26日 浅草演芸ホール夜席

小痴楽『湯屋番』(昇之進代演)/コントD51/紫(文治昼夜替り)『出世の馬揃え
(上)』/歌春『垂乳根(上)』/真理(まねき猫昼夜替り)/夢太朗『おしくら』//~仲入
り~//ぴろき/小蝠『初天神・団子』/圓馬『隠居の無筆(上)』/ひでややすこ/桃太
郎『勘定板』/マキ/蝠丸『高尾』

★圓馬師匠『隠居の無筆』

南喬師とも違い、隠居が引き気味で胡散臭いのが凄く可笑しい。腕を上げてるなァ。

★桃太郎師匠『勘定板』

マクラの駄洒落羅列小噺からなだらかに噺に入って行ったけれど、尻を押さえて中腰になって苦悶する田舎者の表情がグレードアップしてる。桃太郎師の真骨頂発揮という感じの高座。


◆4月27日 新宿末廣亭昼席

馬風『漫談』//~仲入り~//一九『そば清』/正楽/正朝『町内の若い衆』/小里ん『二十四孝(上)』/和楽社中/小満ん『らくだ(上)』

★小満ん師匠『らくだ(上)』

『らくだ』を寄席で小満ん師から伺うのは多分初めて。寄席サイスで月番との遣り取りカット。らくだの家の品物買いも簡潔。どちらかと言えば兄貴分の凄みは陰で割と静かなくらい。屑屋が腰の低い調子で大家・八百屋と遣り取りする可笑しさがメイン。屑屋は困っているけれど深刻過ぎない。呑み出して一杯目から味が分かるのは目白型。愚痴をぐだぐだ言わず、兄貴分にお追従を言っているうちに「四杯目を注いでくれにいのか?」と言って、コロッと態度が変わる。八百屋の件から遣り取りのリアクションが笑いを大きくして、呑み出してからサゲまでズーッと右肩上がりで笑いが大きくなったのに感心した。腕さえあれば、遣り取りだけで面白くなる噺なんだね。

★小里ん師匠『二十四孝』

孟宗までだが、八五郎の能天気さが軽くて、終始キッチリと受ける。目白落語ならではの愉しさに溢れていた。ちゃんと受けたのも当然。


◆4月27日 浅草演芸ホール夜席

可龍『のめる』/ぴろき/圓馬『反対夫婦』/歌春『短命』/まねき猫/夢太朗『置泥』
//~仲入り~//章司(青年団代演)/A太郎(小蝠代演)『お話中』(正式題名不詳)/文治『平林』/ひでややすこ/桃太郎『週刊現代に書いてあったこと』(漫談)/マキ/蝠丸『蟹』

★蝠丸師匠『蟹』

教訓的なセリフは残っているけれど、浪曲系甚五郎物に付き物の説教臭さを感じない愉しさがある。『三井の大黒』を聞いてみたいなぁ。

★桃太郎師匠『週刊現代に書いてあったこと』

兎に角、飄々と言いたい放題の典型で(字で残しちゃうとかなりまずい内容なので紹介出来ない)、息苦しいほど笑った。

★文治師匠『平林』

定吉の疑問の持ち方が滅茶苦茶に可笑しくて他愛なくて愉しい。

★夢太朗師匠『置泥』

大工が悠然としていて、泥棒がひたすら気の弱く面倒見の良い奴なのが可愛く可笑しい。


◆4月28日 池袋演芸場昼席

笑組/市馬『子ほめ』/権太楼『人形買い(上)』//~仲入り~//柳朝(代演)『お菊の皿』/志ん輔『夕立勘五郎』/仙三郎社中/圓太郎『小言幸兵衛』

★圓太郎師匠『小言幸兵衛』

かなり手を加えた。手を入れた所はそれなりに「理」として納得出来る箇所や可笑しさの増した箇所ばかりなのだが、半面、その前後で間が空くため、リズムが悪くなって受け難くなったりもしている。特に仕立屋の後半にそれを感じた。もう少しこの演出に慣れる期間が必要。

※『お菊の皿』で初めてお菊が現れる件で、柳朝師は調子を張ったのに下座から囃子が入らず、そのままお菊が皿を数えている途中から急に囃子を入れてきた。柳朝師も「キッカケは外すし」とアドリヴでボヤいていたが、「楽屋で高座を誰も聞いてないの?!」と呆れると同時に、中途半端に囃子を入れたセンスの悪さに驚く。


◆4月28日 浅草演芸ホール夜席

歌春『九官鳥~桃太郎(上)』/まねき猫/夢太朗『元帳』//~仲入り~//ぴろき/小蝠『人形買い(上)』/寿輔(圓馬昼夜替り)『生徒の作文』)/ひでややすこ/桃太郎『結婚相談所』(漫談)/マキ/蝠丸『御神酒徳利』

★蝠丸師匠『御神酒徳利』

 30分あるかないか。番頭の善六が女中を懲らしめようと徳利を隠すのは『占い八百屋』からの取り込みかな。但し、その部分は帰宅した善六のセリフによる説明のみ。占い用語は全てカット(確かに無くても分かる)。この噺に付き物のハッタリっぽくて仰々しい件を切り取ってある。「無くても良いこと」を残して「必要最小限」の修辞で展開するから、荷羽屋で女中を救うまでの早いこと!鴻池へ行って荒行をする辺りもやや簡略だが、稲荷の言い立てはキッチリするなど、ヒョワヒョワした語り口乍ら、「要」は守っている(変に大仰な張り上げ方はしない)。善六が同じセリフを言う際は気息奄々でと変化を付けるから、ダレない(同じセリフの繰返しは『金明竹』くらいで良かろう)。江戸に戻ると孕んでいたかみさんが無事出産しており、「お前さんが算盤を持って行っちまったから、安産(暗算)になった」とサゲる。目出度さ尽くしで終われて、過去に聞いた『御神酒徳利』のサゲでは一番良い。蝠丸師の『御神酒徳利』は昨年12月の池袋主任依頼、多分二度目だけれど、前回とは転回もサゲも違って、短期間に進化している。


◆4月29日 らくご@座・高円寺2013風薫る公演「さん喬 喜多八 男づくし
の会」(紀伊国屋ホール)

小太郎『弥次郎』/喜多八『居残り佐平次』//~仲入り~//小菊/さん喬『髪結新三』

★さん喬師匠『髪結新三』

冒頭、いきなり「かっぽれ」を踊って意表をついてから、紀伊国屋文左衛門と白子屋の繋がりを話して、お熊の話からポンと新三のセリフへ繋いで本題へ入る。拐かしまでは手短で(永代橋で鳴り物と「唐傘」を入れる)、善八がかみさんに報告して弥太五郎宅へ。その後も刈込み乍ら、大家が新三を手取りにした所までが本筋で、お熊の処刑を語って下げる。一番印象に残るのは弥太五郎の萎れ方と悔しさで、次が高っ調子の猫撫声で演じる大家(少し立派過ぎるとこあり)。善八はメソメソし過ぎで好人物というには違和感あり。お熊はちらっとしか出ないが艶麗さがある。全体に間の取り方が芝居的だけれど、生世話物や新劇ではなく、総体の湿り気の感じなどから新派っぽさを感じた。言い澱みや言葉違いがあったのは過去に演じた回数の不足からか。

★喜多八師匠『居残り佐平次』

一時間くらいであり、明らかに長い。マクラから長いが特に前半の妓夫を騙件が長過ぎるのと、佐平次をプロの居残りとして描くのは良いが、フィルム・ノアールじゃないんだから、キャラクターが重くて洒落っ気を感じない。色々と声の強弱、妓夫連中のキャラクター、お染の客の勝のおだて方や勝の浮かれ具合と面白く工夫はしてあるが、総体に廓噺らしい遊び心が乏しいのは喜多八師の真面目さ故か。小悪党ぶりをチラチラ見せ過ぎるのも却って野暮になる。『明烏』『ぞめき』以外の廓噺は重くなる傾向があるのかな?

★小太郎さん『弥次郎』

 今日、一番面白かったかもしれない。弥次郎のパァパァしたキャラクターに違和感が無い。


◆4月29日 浅草演芸ホール夜席

遊之介(文治代演)『六銭小僧』/歌春『九官鳥』/まねき猫/夢太朗『竹の水仙』//~仲入り~//マグナム小林/小蝠『豊竹屋』/圓馬『ん廻し』/ひでややすこ/南なん(桃太郎代演)『大安売』/マキ/蝠丸『鴻池の犬』

★蝠丸師匠『鴻池の犬』

多分、蝠丸師で聞くのは初めての演目。大筋は原作と違わないが、クスグリは変えてある。噺の本体も20分くらいか。鴻池の出店の男にちゃんと大店の奉公人らしい品がある。犬はみんな犬なりだが、クロは鯔瀬に近い筋肉質の感じがある。ブチが一番上、クロが二番目という設定。「暴走犬の仲間に入って夜中走り回っていた」というのは馬鹿馬鹿しくて可笑しい。シロの述懐で締め過ぎずに最後まで面白く運べるのは(「ここで鳴り物の入る予定なのに囃子さんが帰っちゃった」には、楽屋に少し呆れた)、シロが何処か剽軽で暗くないためだろう。「クロが周辺の仲裁役」と振っておき「(御両親の喧嘩の仲裁に呼ばれたけれど)夫婦喧嘩は犬も食わねェ」とサゲた。

★南なん師匠『大安売』

「相手が勝ったり、こちらが負けたり」まで。相撲取りのリアクションが些か陰だ
けれど、次第に笑いが大きくなったのは、相撲取りのキャラクターがちゃんと出来ているから。一寸俯き加減に早口でボソボソ喋るのが如何にも相撲取りらしいのに感心した。

※『大安売』は寄席で良く聞くが、キャラクターの造形が粗雑だと受けるのが難しい。近年では南喬師と南なん師しか面白いと思った事がない。初めて聞いたのは文枝師の三枝時代で35年くらい前。若い頃(24~25歳くらいか)の鶴瓶師のが滅茶苦茶に可笑しかった。それから小南師で聞いたのが東京の噺家さんでは最初だろう。過去に聞いた中で一番可笑しかったのはやはり鶴瓶師。圓都師から昭和40年代の上方若手に広まった噺だったかな?

◆4月30日 新宿末廣亭昼席

東京ガールズ/馬風『漫談』//~仲入り~//一九『桃太郎』/正楽/正朝『元帳』/小里ん『垂乳根』/和楽社中/小満ん『愛宕山』

★小満ん師匠『愛宕山』

正楽師に「愛宕山!」と注文があった所から予想された演目だけれど、以後の流れも良く、予想通りになったのは目出度い。目白庭園での口演より少しだけ長めだが総体で25分弱。最後の一八の帰還着地でやや調子の張りが下がったけれど、一八が谷底へ落ちてからは調子の張り方が素晴らしく実に面白かった。対照的に一八が景色を眺める件は鴨川、桂川を眼下にした「清遊」の長閑さがあって、前半・後半で趣の違う愉しさが味わえた。私は景色眺めの件が一番小満ん師らしくて好きだ。試みの坂登りから景色眺めへ掛けてが一八の幇間らしさ、芸人らしさも一番豊かに感じられる。マクラで語られる通り、「気配りの仕事」「雰囲気作りの役所」の一八である。

★小里ん師匠『垂乳根』

つまんで簡略型だけれど無類。大家さん、八五郎、千代、八百屋と人物が出て「葱やァ葱、岩槻葱ィ~」に朝の静けさがあり、その雰囲気を千代の大袈裟なセリフが破る。八百屋がキョロキョロする件でドッと受けたのも当然。原典の『延陽伯』が中ネタなのも分かる。前座さんで表現出来る噺ではない。私の知る限り『垂乳根』の最高峰。

※大家さんと八五郎の遣り取りする姿が目白の小さん師そっくりなのがまた嬉しい。

★正朝師匠『元帳』

正朝師では初めて聞いたかな?と思うくらい珍しい演目(調べたら27年前にテレビ放映で聞いてた)。しょっちゅう口喧嘩ばかりしているのに実は仲が良い夫婦、という雰囲気がある。亭主が納豆の残り粒をキチンと数える性格なのも可笑しい。

※この芝居の正楽・正朝・小里ん・和楽社中・小満んという番組は、先月の正朝・小満ん・仙三郎社中・雲助の番組と並んで「末廣亭を最も満喫出来る仲入り後名番組」だろう。馬風師が仲入りで全然力まず、サラッと降りちゃうのも仲入り後が一層活きる源となっている。


◆4月30日 らくご@座・高円寺2013風薫る公演「白鳥・三三 両極端の会」
vol.6(紀伊国屋ホール)

白鳥・三三「御挨拶」/三三『木乃伊取り』//~仲入り~//白鳥『子別れミミちゃ
ん』/白鳥・三三「次回課題発表」

★三三師匠『木乃伊取り』

手を加えてはいるが、何か若旦那と清蔵の食い違い方が陰気になる。清蔵が呑み出す前後、会場がシンとしたけれど、そんな重い噺かなァ。シニカルだから似合う筈の噺なんだけれど、清蔵は骨太な野暮でなく、若旦那も粋な人ではない。『山崎屋』などと違い、清蔵の存在がネックになっているのか? 『しの字嫌い』の権助と違い過ぎるんだよね。

★白鳥師匠『子別れミミちゃん』

つまりは「ミミちゃんシリーズ」の現代噺家版『子別れ』で、一時的に『笑点』に出
演したのがきっかけで売れて天狗になった、元々本格派の噺家・柳家ミミが番組の企画で落語を教えた(大笑)グラビアアイドルと出来てしまい、女房子を棄てた後、自分もタレントとして使い捨てられてしまい、戻りの前座から修業をしなおす。師匠と一緒に高田馬場から末廣亭を目指して明治通りを歩いている途中、自販機の釣り銭漁りをしていた倅と出会って元の鞘に収まる、という展開。『珍景累ケ真打』の初演同様、実名多数登場作品なので、このまんまの再演はしにくかろうが、白鳥師の強みで滅茶苦茶馬鹿馬鹿しいのと同時に、地味で売れなくて苦しんでいる本格派の噺家像に「虐げられし者」のリアリティが唸るほど出るので、矢鱈めったら面白く切ない。鶴瓶師に匹敵するくらいの「私落語」でもあるけれど、切なさがセンティメンタルに陥らない強さがあるのは白鳥師らしい。終盤、再会した夫婦が『だくだく』を使って「~と謝ったつもり」と遣り取りする可笑しさ、馬鹿馬鹿しさも一寸真似が出来ないだろう。

※『Wホワイト』で白鳥師が「驚いた!」と言ってた通り、最初に考えた設定で「女子アナに迷って女房子を捨てる噺家」という展開だったら、そりゃ生々し過ぎたろう。

※『愛宕山』から『子別れミミちゃん』まで、落語の幅広さを物凄く堪能出来た一
日。

 ※『白鳥・三三 両極端』は『白鳥・白酒 Wホワイト』と並んで、現在屈指の
「エキサイティングな二人会」だろう。次回は「三三師が、白鳥師の新作の中でも特に荒唐無稽な作品を演じる」というのが課題になったけれど、白鳥師の場合は作品の95%が荒唐無稽だから(笑)、何になるのかな?今から楽しみ。

---------------以上、下席----------------


石井徹也 (落語道落者)

投稿者 落語 : 2013年06月25日 23:40