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2013年06月24日

石井徹也の落語きいたまま2013年三月号

久々の更新です!

今回は石井徹也さんによる私的落語レビュー「らくご聴いたまま」の2013年三月号をお送りします。心待ちにしている御常連のみなさまには大変お待たせいたしました・・!稀代の落語”道落者”石井徹也さんによります、破竹の寄席レビューをお楽しみください。

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◆3月1日 上野鈴本演芸場昼席

ロケット団/小ゑん『鉄の男(上)』/菊之丞(三三代演)『町内の若い衆』/小菊/一朝『抜け雀』

★一朝師匠『抜け雀』

気合いか入って、少し長め。宿の亭主、絵師、老絵師のキャラクターが見事で、矢来町型の魅力を十二分に発揮している。特に今日は老絵師のくだけた雰囲気が良かった。講釈や浪曲、人情噺の巨匠風でなく、落語国のくだけた巨匠なのである。これを聞くと、一朝師の甚五郎物を聞きたくなったね。

◆3月1日 第二回圓太郎ばなし(日本橋社会教育会館ホール)

歌太郎『やかん』/圓太郎『紀州』/一之輔『味噌蔵』//~仲間入り~//圓太郎『薮入り』

★圓太郎師匠『藪入り』

55分。物凄く情の強い、その分の重たさもあるけれど、落語の範囲を越えない高座。力の差で一之輔師の噺が吹っ飛んだ(キャリアから言えば当たり前だ)。親父の情の深さ、職人気質の明確さ、時おり混じる人間的な可愛さが素晴らしい。亀が銭湯へ行くのを見送っての「(犬の)シロがついて行くよ‥‥シロになりてェ」には唸った。「シロがついて行くよ」の風景と情感、それを「シロになりてェ」で笑いに引き戻す演出と話術の鮮やかさ。亀が十五円をどうしたと問われて「財布を明けてみるなんて」の子供なりの悔しさ、親父に殴られてもワァワァ泣かず、懸賞で貰った金で、五円は主人に言われて店の仲間に分けたと語る演出も亀の成長を描いて素晴らしい。回数を重ねて40分くらいにまとまれば一寸他の噺家さんの敵わない十八番になるのではあるまいか(忠の不在を説くマクラは少し語りすぎだが、戦争未亡人の御祖母様が高校野球の黙祷を聞いて、戦死した夫と圓太郎師を間違える噺は、それだけで人情噺である)。

★圓太郎師匠『紀州』

マクラからタップリあったが、内容を少し変えて42分。講釈でなく、ナレーションでなく、「聞き間違い二題」を挟んで、一層詳細さを増した「徳川実記」風に語る、独特の地噺として形が整った。完全にトリの取れる地噺になっている。

★一之輔師匠『味噌蔵』

変えた部分と従前通りの件のバランスがまだ中途半端。旦那が前半では妙に優しいのが変で、「醤油を掛けた飯」や「パンの耳」を本当に御馳走だと思って奉公人連中が宴会をしてるのを帰宅した旦那が「贅沢だ」と激怒するくらい、「悪魔のようなカリスマケチ旦那と、その価値観に魅入られて人間性の歪んだ奉公人連中」の「飛び道具噺」に変えるべきではあるまいか(その意味では白酒師の『宗論』は徹底している)。一之輔師にも『茶の湯』や『団子屋政談』『らくだの子褒め』みたいな前例があるんだから(毎度聞きたいとは思わないがツーパターンあっても悪かァなかろう)。

◆3月2日 《噺小屋》弥生の独り看板第一夜・入船亭扇辰独演会(国立演芸場)

小辰『しの字嫌い』/扇辰『鰍沢』//~仲入り~//扇辰『百川』

★辰辰師匠『鰍沢』

最後、フッと間を取ってサゲを言われたが、ストンと私はそこで醒めてしまった。お熊の声が闇の中を細く伝わってくる良さ(月明りは言わない)、優しいというよりかぼそいお熊の声(江戸育ちの感じがしない。仙台より北の雰囲気)、お熊が月の兎花魁と知ってからの新吉の一寸軽率にも見えるほどの浮かれぶり、新吉や伝三郎がそだをくべる仕科の良さと、相変わらず良き所は多々ある。だからこそ、最後で落語の馬鹿馬鹿しさに戻るのも、「客任せ」で良かったものを、ちょいと定点越えをして「噺家さん自身が“なぁんだ”の先棒を担いでしまった印象で拍子抜けしちゃったのである。

★扇辰師匠『百川』

百兵衛が凄~く変な声の人(田舎の与太郎見たい)で、これに対応するように、河岸の連中は跳ねてんだけど、やや味付けが濃い。『扇辰・喬太郎』で聞いた時の「長い」しか印象の残らない高座とは違うけれど、長さや濃さを感じさせ過ぎる。会話のリアクションにいつも微妙な間合いのあるのがその原因か。扇辰師で言えば『三方一両損』の二人や大家たちみたいに、会話が登場人物のキャラクター通りスーッとは行かず、展開が筋追い・言葉追いになるのがまだもどかしい。ある意味、百兵衛と河岸の連中の両方にアクセントをつけたがために、人物像が平板になっちゃったのではないか。

◆3月3日 上野鈴本演芸場昼席

わたる(ロケット団代演)/小ゑん『下町せんべい』/三三)『しの字嫌い』/小菊/正朝(一朝代演)『井戸の茶碗』

★正朝師匠『井戸の茶碗』

 二ツ目時代から良かった演目で、先代柳朝師譲りらしいざっかけない愉しさが全編にある。また、鑑定家が三人同意見で井戸の茶碗と判明する、清正公境内掛け茶屋の一角が屑屋仲間の溜まり場になっているなど、近年の『井戸茶』にはまず無い、細かい設定、演出も多い。特に屑屋仲間のキャラクターがハッキリ違って聞こえたのは近年の『井戸茶』では珍しい(中の一人が権太楼師みたいなのも愉快)。卜斎の娘の美しさを清兵衛が高木に予め印象付けるセリフがあったりするのも面白い。良助の荒っぽさは先代柳朝師を思わせ、卜斉の物堅さと一面の「その方たちの迷惑になるなら」と折れる辺りは稲荷町の雰囲気を感じる。やはり芸系というものかなァ。

◆3月3日 第67回三三左龍の会(内幸町ホール)

三三・左龍「御挨拶」/小はぜ『垂乳根』/三三『紀州』/左龍『粗忽の釘』//~仲間入り~//左龍『花見の仇討ち』/三三『藪入り』

★三三師匠『紀州』

ネタ卸しとのひと。教わったまんまみたいな堅さで、噺というよりは講釈っぽくて、地噺にしても人間味が乏しくて面白くねェなァ。中に挟んだ小噺『御歴々』の蛙の方が遥かに面白いのは皮肉。

★三三師匠『藪入り』

親父が亀が湯に行く後ろ姿を見送って言う「何だかホッとしちゃった」の調子など、良くなった点もあるけれど、「職人」「情のこわさ」などが薄いのは弱味。亀も「健太くん」という感じで、佐藤紅緑の少年小説の主人公みたい。「奉公の匂い」がしない子供で岸田国士の戯曲に登場しそうな戦前山の手の「良い子」っぽいとも言える。

★左龍師匠『粗忽の釘』

ネタ卸し。亭主のキャラクターが抜群で特に前半、最近演じる人の少ない、箪笥を背負って豆腐屋に入っちゃう件のマンガ的な可笑しさは一寸真似手がない。豆腐屋から箪笥を背負って走り逃げる際、脚が車輪みたいに回転してるマンガが見えるてくる可笑しさがあった。後半では隣家へ行ってからの煙草の喫い方がやたらと可笑しい。また、お向かいの主人、隣の主人たちの呆然と主人公の相手をしているリアクションが何とも素晴らしい。全編、無邪気なマンガに出来る演目は強いなァ。『猫久』が聞きたくなった。

★左龍師匠『花見の仇討』

左龍師で聞くのは初めてのネタのようである(聞いた記憶が無い)。遊雀師と運びや演出が良く似ている。甚語楼師同様、三馬鹿トリオ的演目の登場人物が矢鱈と似合い、この噺の四人も本当にマジで馬鹿馬鹿しく愉しい。耳の遠い神田の伯父さんのキャラクターがピッタリだし、建具屋の熊が煙草の喫い過ぎでニッチャラニッチャラした顔で怒っているのも、マジな侍の無闇と気負う辺りもシリアスになり過ぎずに愉しい。因みに熊さんの扮する敵の役名は「橘家文左衛門」(笑)。

 ※言い訳になるけれど、今年初めからズーッと、午前中から午後3時半くらいまで何だか目に力が入らず、目を開けているのが辛くて弱っていた。花粉症(それも多少の原因の一部ではある)か、はたまた糖尿病が悪化したのかと思っていたら、どうやら、2009年から服用を続けている睡眠導入剤の影響らしいと昨日気が付いた。昼席の主任くらいの時間になればハッキリするけれど、兎に角、睡眠導入剤を体から抜かないと。昨夜は服用しなかったので朝八時まで眠れなかった。十一時に起きたが、その割に今日の昼間、聴覚はハッキリしていた。ただ、目をあけて高座を見ているのが辛く、上野の小菊師匠までは半眼で見ていた。

◆3月4日 雲助「お富與三郎」馬石「名人長二」連続口演第一夜(お江戸日本橋亭)

馬石『名人長二~仏壇叩き』//~仲入り~//雲助『お富與三郎~発端』

★雲助師匠『お富與三郎~発端』

「発端」を生で聞くのは1985年四月に民族芸能の会以来か。やはり、船頭扇太郎の小悪党ぶりと、関良助と扇太郎との遣り取り、世話味と切れのある良助の味わいに雲助師ならではの特色がある。水勢の増した大川の不吉な色合い、雪の堀端の夜、雪明かりの中に倒れる扇太郎の姿など、言葉を使わない雰囲気の描写も流石。

★馬石師匠『名人長二~仏壇叩き』

一寸短めかな。回を重ねて聞くと長二の短いセリフの呼吸は『火事息子』の「オイッ」など先代馬生師から雲助師が受け継いだ呼吸だと感じる。それだけに、馬石師独自の長二の呼吸はまだこれからの工夫だなとも感じさせられる。とはいえ、坂倉屋が仏壇を叩く呼吸には馬石師らしい「芝居の呼吸」があって面白い。禁欲的な長二のキャラクターにもう少し世話味が欲しく、坂倉屋の娘の心情や、坂倉屋が長二の家の前で書棚を叩き壊す件を聞いての心情が説明的な語りに聞こえるのは惜しい。

◆3月5日 上野鈴本演芸場昼席

金馬『権兵衛狸』//~仲入り~//わたる(猫八代演)/小ゑん『グツグツ』/三三)『垂乳根』/小菊/一朝『転宅』

★一朝師匠『転宅』

泥棒、お菊、共に可愛らしいキャラクターや運びは相変わらずの愉しさ。今日は珍しく細かい言い間違いが多かった。

★三三師匠『垂乳根』

寄席では珍しいんじゃないかな。花粉症なのか、鼻水を拭き拭きだったけれど、千代に色気のある辺りが面白い。八百屋相手の大仰なセリフの調子など、小里ん師に感じが似ている。

★金馬師匠『権兵衛狸』

 寄席でないと、こういう噺の愉しさは感じ難いし、ベテランが演ってこその小品の良さを感じる。「ゴ~ンベイ」の重くファンタジツクな調子を聴いているだけで和んでしまう。それくらい、一瞬にしてこの噺の世界が描かれる。稲荷町の「ゴンベイ」以降、最高の『権兵衛狸』なんじゃないだろうか。

◆3月5日 「人形町通ごのみ 扇辰・白酒の会」(日本橋社会教育会館ホール)

小辰『手紙無筆』/扇辰『匙加減』/白酒『天災』//~仲入り~//白酒『犬の災難』/扇辰『百川』

★扇辰師匠『匙加減』

大家の「こすっからい正義」の程の良い可笑しさ、加納屋のクサいけど狡賢そうな可笑しさが活きて、落語として面白い。『人情匙加減』ではないのが結構なのである。

★扇辰師匠『百川』

この時期に続けて2度聞く噺だろうか?という疑問もある。百兵衛はマンガで誇張の面白さがあるけれど、河岸の若い連中の意気がり方に力が入り過ぎていて重いのが辛い。長谷川町で道を教えてくれる人、鴨地先生は軽くて良いのに、跳ねようとし過ぎなんじゃないかな。変な言い方だけれど、「巧さが裏に回る」って奴で、河岸の若い連中に対するズームアップ的なキャラクター付けが強い分、噺の流れにクドさを感じるし、この演出だと「四神剣」の説明がそんなになくても良く、店が「浮世小路の百川」である必要も余り感じなくなってしまう。

★白酒師匠『天災』

名丸が目白系に近付いて、独特の乱暴さ、無知ぶりを発揮するを八五郎との対照が出るようになり、遣り取りや人間関係が自然に面白くなってきたと思う。『古今亭・金原亭』の『天災』が開拓されつつある印象。

★白酒師匠『犬の災難』

『猫の災難』より酒への執着が単的な分、あれよあれよと徳利(ちゃんと徳利になっている)の酒を飲み干してしまう可笑しさに違和感がない。結果的に志ん生師系のドライな人間の捉え方が巧く活かされていながらも、キャラクターが立って来る。これなら「隣への気遣い」が無くても成り立つんだね。

◆3月6日 上野鈴本演芸場昼席

柳朝『唖の釣』/ダーク広和(仙三郎社中代演)/金馬『長屋の花見』//~仲入り~//わたる(猫八代演)/小ゑん『即興詩人(上)』/三三『加賀の千代』/小菊/一朝『妾馬』

★一朝師匠『妾馬』

この八五郎が気質の点では一番好きだ。先代柳朝師の雰囲気。また、今日はいつもより矢来町を思わせる調子の場面も多かった。椎名町の気質に矢来町の調子だもんなァ。

★金馬師匠『長屋の花見』

ノンビリと馬鹿馬鹿しい展開が目白系とは違う「落語らしさ」を描く。中でも、大家に「酒を呑んだら顔を赤くしろ」と言われて、三人が「息みます」と息むのが可笑しい。「本物呑ませろ」サゲ。この芝居の金馬師、先日の『権兵衛狸』といい、膝の故障などものともせず、80代に入って寧ろ絶好調を維持している印象すらある。

◆3月6日 新宿末廣亭夜席

Wモアモア/松鯉『山吹の戒め』/茶楽『子は鎹』//~仲入り~//花助『薬罐舐め』/伸&スティファニー/金太郎『短命』/左圓馬『粗忽の使者』/ボンボンブラザース/栄馬『紺屋高尾』

★栄馬師匠『紺屋高尾』

圓生師の演出をほぼ踏襲。「王選手が国民栄誉賞を貰ったように」「マル優で三百両」なんてギャグは四十年くらい前のものか。『幾代餅』が今は大半だし、『紺屋高尾』も家元の純愛人情噺風演出が大半だけれど、全体の流れとして圓生師にこの噺を教えたおもちゃ屋の馬生師の演出力、地噺の上手い師匠だった、という事をを改めて感じさせる。人情噺でなく落語のほどに収まっているのだ。栄馬師の高座も「ベタな人情噺」なんて印象は全くなく、昔より更にモクモクした語り口乍ら、圓生師の持っていたざっかけない演出を軽めの愉しさとして感じさせてくれるのが面白い。

 ※家元の言っていた「圓生師匠の中に寧ろ馬鹿馬鹿しさを感じる」というのは事実だ。くっだらないくすぐりやギャグの愉しさが実はこういう、一見人情噺的な演目にもあったんだよね。

◆3月7日 雲助『お富與三郎』馬石『名人長二』連続口演第三夜(お江戸日本橋亭)

市助『垂乳根(上)』/馬石『谷中天龍院』//~仲入り~//雲助『玄冶店』

★雲助師匠『玄冶店』

最前列でメモを取り続けるお客のために気を殺がれたり、セリフを間違えたり、絶句したと終演後に聞いたが(雲助師や小満ん師の場合はお客さんにも節度ある態度を望まざるをえない。「落語は弱い芸」だから)、前半、源左衛門の迫力と貫禄は田舎の親分にしておくのは惜しいほど。松の端敵ぶりとのバランスも面白い(外伝めくが、源左衛門と松の流浪彷徨も聞きたくなった)。後半では安に面白さがあるのは相変わらずだけれど、鬱屈した與三郎に魅力があるのは雲助師ならでは。薬研堀の夜店辺りを抜けて(夜店の灯りとその灯りに身を隠す気分が分かる)、同朋町でお富を見掛け、うかうかと後を尾行てしまう「しがなさ」「うぶさ」「駄目さ」に一番若旦那らしさを感じる。お富はもう一つ、綺麗でありたい。ある意味、與三郎同様、鬱折した気分が強いのだけれど、横櫛のお富にしてはうぶが勝つかな?という風に感じる。最後は芝居掛かりになるけれど、「御新造さんへ」と入る調子の良さ、鬱屈の魅力を思うと素噺で聞きたい。

※「民族芸能の会」の頃は芝居掛かりを演ってたかな。「蓙莝松」の印象が強過ぎて「玄冶店」の事は余り覚えてないのである。

★馬石師匠『谷中天龍院』

 途中で携帯が鳴る不運はあったけれど‥余り登場はしないけれど、お柳が良いのは、馬石師らしい柔らか味の活きた特色か。兼松の面白さ、軽さも落とし噺で鍛えられた独特のものだろう。幸兵衛は雲助師の声音そのままの雰囲気。長二は禁欲的な雰囲気に加えて、実の親の不実を怒る辺り、幸兵衛殺しに繋がる気質を感じさせる。もう少し、堅い中に馬石師らしい二枚目ぶりが出ても良いのではあるまいか。

※全体に「師匠の前を務める」という気配を感じるのは勘違いかな。師弟の二人会の場合は仕方ないけれど。

◆3月8日 上野鈴本演芸場昼席

圓歌(金馬代演)『天覧』//~仲入り~//ロケット団/小ゑん『ステオク』(正式題名不詳)/三三『垂乳根』/小菊/一朝『天災』

★一朝師匠『天災』

「いつもより序盤の展開がユックリ目だな」と思ったら、名丸と八五郎の遣り取りになってから、名丸のリアクションにちらっと混じる感情とその変化の良い事と言ったらなかった。『七段目』で驚いた時と同じで、感情表現が全く笑いの邪魔にならず、人間関係の愉しさに奥行きを加える。「腹」の違いで、落とし噺は本当に結果が丸で違うなァ。

★三三師匠『垂乳根』

かなりスピーディーな展開で、それが八五郎の頓珍漢さ、千代さんの浮世離れを高めて可笑しい。「押入れに顔を突っ込んでる八五郎」ならば、もう少し千代さんにテレを見せると更に愉しさがグレードアップするかも。

◆3月9日 第九回らくご・古金亭(湯島天神参集殿一階ホール)

駒松『から抜け』/馬治『転宅』(ネタ卸し)/小里ん(ネタ卸し)『首ったけ』/馬石『崇徳院』/雲助『ずっこけ』//~仲入り~//遊雀『船徳』/馬生『今戸の狐』

※自分が主催する会なので感想は無し。それぞれ、『お富與三郎』、『名人長二』を連続口演中の雲助師匠、馬石師匠にはお疲れの所を申し訳ない。

◆3月10日 第三回柳家小満ん在庫棚卸し(橘家)

小満ん『石返し』小満ん『磯の鮑』~仲入り~小満ん『宿屋の富』

★小満ん師匠『石返し』

松公の可笑しさは立っており、明るいとこで声を掛けてきた客を断る遣り取り、門番との遣り取り、それぞれに面白い。細部まで演出は丁寧(朝之助さん譲りかな?)。石垣と溝に挟まれた番町の路地の夜景がもっと欲しいか。

★小満ん師匠『磯の鮑』

師匠の名前が梅村屋久兵衛、与太郎が飯匱を背負ったりしない、ギャグが違うなど、盲の小せん師型の小里ん師とは違いあり。久兵衛は洒脱な人で、廓の面々が与太郎の言う事に呆れないで、洒落たお客と勘違いするのかまた面白い。

★小満ん師匠『宿屋の富』

 前半、咳き込みが多く安定せず。亭主が去ってからサラサラと演じた。田舎者が結構性質の悪い割に嫌みにならないなど、目白系らしい、無駄な重たさの無い構成。

◆3月10日 雲助『お富與三郎』馬石『名人長二』連続口演第四夜(お江戸日本橋亭)

市助『手紙無筆(上)』/馬石『請地の土手』//~仲入り~//雲助『稲荷堀』

★雲助師匠『稲荷堀』

調子が柔らかく、圓朝系人情噺と落語の中間、雲助師の言われる「世話噺」の世界になってきた。大仰な奥州屋の硬いマジボケの面白さ、如何にも小悪党な富の面白さ、柔らか味を増して悪と色気の相伴ったお富の良さ、與三郎のうぶな面白さ(稲荷堀で傘を持ってズボッと立ってる形が若旦那でカッコ良さと間抜けさが入り交じっている)と、顔揃いの面白さ。お富と與三郎が稲荷堀へ相合傘をすぼめて走る描写のなかったのは残念。

★馬石師匠『請地の土手』

 えらく短く、20分一寸か。キレがあり、最後に酔って現れた長二にはデカダンスの香りさえあるけれど、全体としては「前講」の感じでタップリ感には乏しい。次回は雲助師が『茣蓙松』の長講だから『縁切り』の尺はどうするのだろう?

---------------------以上、上席-------------------


◆3月11日 第十二回射手座落語会(湯島天神参集殿二階座敷)

 扇『平林』/正蔵『安兵衛狐』/喬太郎『七両二分』/生志『柳田格之進』

 ※自分が主催する会なので感想は無し。


◆3月12日 雲助『お富與三郎』馬石『名人長二』連続口演第五夜(お江戸日本橋亭)

市助『狸の札』/馬石『縁切り』//~仲入り~//雲助『茣蓙松の強請』

★雲助師匠『茣蓙松の強請』

茣蓙松吉兵衛のケチで助平な可笑しさも愉しいけれど、掛合い人・伊之助の駆引きの面白さ、キャラクターが図抜けている。一種、江戸の「大家芸」の面白さ、人物像の裏表のある辺りにピカレスクの魅力があり、うぶ丸出しの與三郎のひ弱さとの対比も含め、『新三』の大家同様、場面の主役らしさを感じさせる。お富は茣蓙松をたらしこむ美人局の運びは巧みだと思う半面、昔と比べて、與三郎を懐に入れて可愛がるような年増の色気に乏しいと感じた。形容で美しさは感じるのだけれどね。

★馬石師匠『縁切り』

長二の作り物の酔態は、作り物としての迫力があり、裏腹な心底の思いも描けている。馬石師の二枚目ぶりが活かされて、肩から指先へ掛けて色気のあるのが「縁切り」の切なさを感じさせるのも特色だろう。一方、兼松(この役は長二が鞍馬天狗なら、杉作だね)が終始、長二を思う良さに比べると(兼松のセリフを聞いてて涙が出た)、清兵衛が長二の心底を推察する「腹」がイマイチ判然としないのは残念。あと、終盤、お政に口を聞かせるのは情味の分かりやすさでもあるけれど、同時に「男同士、職人同士の遣り取り」に女の情を入れる無駄、圓朝師匠の野暮さも感じた。これは馬石師の科ではない。

◆3月13日 池袋演芸場昼席

志ん輔『風呂敷』//~仲入り~//柳朝『宗論』/さん喬『浮世床・夢』/小円歌/正朝『三方一両損』

★正朝師匠『三方一両損』

運びはほぼ一朝師と同じだが、金が帰りがけにもブツブツぼやいていたりするのが嫌みにならず軽い可笑しさに感じられるのはキャラクターの良さか。金の大家がまた喧嘩好きの面白いキャラで、軽さもあるのが特徴。「もう少しパンチがあっても良いか?」とも思うけど、正朝師らしい軽い愉しさを薄めるのは勿体無いしなァ。

◆3月13日 第259回小満んの会(お江戸日本橋亭)

半輔『牛褒め』/小満ん『花見酒』/小満ん『粗忽長屋』//~仲入り~//小満ん『火事息子』

★小満ん師匠『花見酒』

二人とも酒が好き好きでで、ってのがちゃんと根っこにあるから、かなりシュールな遣り取りを二人が繰り返すのにも関わらず、背景はあくまでも長閑な花時分‥‥というのが流石の洒脱さ。『ゴドー』みたいで『ゴドー』より面白い落語。

★小満ん師匠『粗忽長屋』

「こんなことなら」と泣き出す熊に兄貴分の言った「男なら腹で泣け」が馬鹿に可笑しい。粗忽二人の会話が見事に馮仄が合っているのに驚く。「会話のリズム」でトントン行く、というよりキャラクターの的確さにブレがなく、あれよあれよと噺が転回しちゃう愉しさ。こういう『粗忽長屋』は珍しい。目白の師匠とはリアルさの方向が違うのも一興。

★小満ん師匠『火事息子』

マクラの丁寧な時代考証は小満ん師らしく、また気障ではない(多少、尺を延ばした気味もあるのかな)。入りは三木助師演出だが、稲荷町・金原亭・三遊亭も部分的に混じっているかな。小満ん師に相応しい江戸情話である。親旦那があまり意固地でなく、番頭に「よく言っておくんなさった」と涙ぐんで台所に向かい、「こっちへ来ないか!」とは言うが「今でも心配しているんだ」と優しい。そこに年取って出来た一粒種の雰囲気がある(両親が猫っ可愛がりした話を本題に入る前に振っている)。おかみさんがまた柔らかくて優しくて甘くて‥‥ある意味、若旦那が一番二枚目で凛々しく、世間に通用するキャラクターなのは、これから先の伊勢屋親子の仕合わせを予感させる。「ふた親は勿体無いが騙しよい」かな。

 ※六時半開演で八時半にはハネてしまう。この「充実してるけど楽」ってのが堪らないね。

◆3月14日 上野鈴本演芸場夜席「馬石渾身九夜」

小んぶ(交代出演)『そば清』/小菊/龍玉『鰻屋』/歌武蔵『不精床』/勝丸/白酒『馬の田楽』/雲助『千早振る』//~仲入り~//ホームラン/三之助『のめる』/アサダⅡ世/馬石(ネタ出し)『おせつ徳三郎』

★馬石師匠『おせつ徳三郎』

若き日の一朝師匠に「若いうちから大ネタばかり演ってると芸が堅くなるから止めな」と言ってくれたという先輩(誰なんだろう?)と、それを守った一朝師匠は偉いなァ。『名人長二』連続口演や『双蝶々』などの人情噺、今回の大ネタ中心のネタ出しなどの流れに巻き込まれたか、噺が堅~く重~くなっている。『花見小僧』の親旦那など完全に侍みたいだし、長松の調子もクドい可愛さになっていて、聞いていて胸焼けがした。長松が「植半」の奥座敷を覗きに行くというのも、この口調では「スケベ小僧」になってしまい後味が悪すぎる。『刀屋』になってからも、旦那にせよ徳三郎にせよ頭にせよ、みんな芝居になり過ぎ。「元の鞘に収まった」とサゲるなら、「徳や、お呑み」は必要ないだろうし、また水を掬って自分が呑み、徳三郎に「徳や、お呑み」と差し出す流れがサゲ前なのにダラダラする。「徳や、お呑み」は先代馬生師絶妙の件で、あの可愛らしい、大家のお嬢様らしい雰囲気がないと演る意味を感じられない。今回の高座に関しては、ある意味、40代の雲助師匠の落語が矢鱈と重くなったのを思い出した。折角、軽くて可笑しい『元犬』『鮑熨斗』『金明竹』『松曳き』が出来るのに、この手の重さに嵌ると抜けだすのに苦労しかねない。比べると、やっぱり、白酒師は噺家さんとして頭が良い。

★白酒師匠『馬の田楽』

久し振りに聞いた演目でかなりの進歩を感じた。高座尺が短いので長閑さを感じさせる面には物足りなさはあるけれど、以前の馬方の恐さはなくなった。馬方を噺全体の進行役に留める形に変えたかな。おんじいや茶店の耳の遠い婆はどちらもヨーダ系怪人で実に愉しく(『煮賣屋』が聞きたくなった)、気の長い男の大声は雲助師を思わせて非常に馬鹿馬鹿しく、酔っ払いのグズグズぶりも良い。子供はもっと可愛くなると思うけどね。

◆3月15日 池袋演芸場昼席

志ん輔『紙入れ』//~仲入り~//柳朝『黄金の大黒(上)』/さん喬『そば清』/ペペ桜井(小円歌代演)/正朝『明烏』

★正朝師匠『明烏』

今や懐かしい小朝師型。とはいえ、源兵衛・太助コンビのざっかけなさをはじめ、登場人物に変な芝居がなく、軽くて気楽な落語国のキャラクターになっていて愉しい。特にお茶屋で如何にもうぶな若旦那らしく挨拶した時次郎がサゲを言いながら愉快そうに微笑した変化・成長の妙が堪らなく可笑しく、愛しかった。

◆3月15日 第3回文蔵コレクション(らくごカフェ)

文左衛門『幇間腹』/文左衛門『開帳の雪隠』//~仲間入り~//文左衛門『化物遣い』

★文左衛門師匠『幇間腹』

 久し振りに文左衛門師から聞く演目。ラフファイト系の爆笑狙いネタだが、大分細部が抜けてたのは残念。

★文左衛門師匠『開帳の雪隠』

生之助師譲り。聞くのも生之助師以来。サラッとしているけれど、小品だけに一寸した言葉の無駄が耳につく。これを文左衛門師に「珍しい噺だから、六ちゃんのとこへ習いに行け」と言ったという文蔵師も面白い師匠である。

★文左衛門師匠『化物遣い』

白酒師型をすっかり抜けて文左衛門師の噺になっている。隠居の可愛く煩いキャラクターも愉しいけれど、隠居の目で見ている化物の可愛さが素晴らしい。『小言幸兵衛』が聞きたくなるね。

※文左衛門師は中ネタの少ない師匠だから、文蔵師の演目から寄席用の小ネタ、中ネタを演じて行く会なのは嬉しい。半面、文蔵師の演目一覧表から観客にリクエストを取るのは余り意味がないと思う。

◆3月16日 第23回赤鳥寄席桂文治おさらい会(目白庭園赤鳥庵)

音助『垂乳根』/文治『線香の立切れ』//~仲間入り~//文治『抜け雀』

★文治師匠『抜け雀』

オモチロイ!小柳枝師譲りというが古今亭直伝に近い雰囲気。古今亭系の講釈ネタが面白いのはキャラクターを志ん生師がおやかしているからだけれど、この文治師のおやかし方もひどく可笑しい。かみさんは亭主の顔を張り飛ばして痣を作る乱暴な女だし(「血頭の丹兵衛」「幼馴染みの菊之丞と一緒になれば良かった」には笑った)、亭主は盥で水を持って来るような気弱な馬鹿者だけれど正直である。若い絵師は傲慢だったのが最後は酒を止めて成長を感じさせる。父絵師は貫禄もある。また、筆遣いは荒っぽいが二人の絵師がちゃんと雀と鳥籠を描いているのが分かるのは珍しい。笑いの陰に細部の丁寧さを隠す含羞が落語らしい。十八番になる演目だな。

★文治師匠『線香の立切れ』

扇橋師譲りとのこと。若旦那、番頭共に些か無張った印象で前半が堅い。番頭の貫目や若旦那の「若い軽薄さ」はあるが、全体的にまだ柄が違う。小久の母は情に良い所のある半面、妙に扇橋師の表情や調子を真似しているように感じる所もある。もう少し文治師本人で聞きたい。

◆3月16日 白酒・甚語楼ふたり会(お江戸日本橋亭)

けい木『十徳』/白酒『浮世床・将棋~講釈本』/甚語楼『ねずみ』//~仲入り~//甚語楼『人形買い(上)』/白酒『山崎屋』

★白酒師匠『山崎屋』

スイスイ運んだが、少し急ぎ気味で言い間違いが多目。若旦那、番頭、親旦那のキャラクターの的確さだけでなく、番頭との比較で、親旦那の盲目的な親馬鹿ぶりやケチんぼぶりはもっと色が濃くても良いかな。花魁のしとやかさはかなりグレードアップしている半面、まだ最後の場面は付け足しっぽさが抜けない。この場面のためだけに仕込みも倍増するし、どうも小噺になっちゃうな。「倅が駄目ならわしが」のセリフから繋げるのに「親旦那は隠居して」と入るのが日常のスケッチにしては段取りめくのである。この噺、親旦那におかみさんがいちゃいけないかな?老夫婦と嫁の会話にするために。

★白酒師匠『浮世床・将棋~講釈本』

こういう噺は雲助師譲りでキャラクター表現が的確で、特別なギャグ無しでも非常に面白い。

★甚語楼師匠『ねずみ』

余り他に聞いた事の無い演出。甚五郎は非常に丁寧な口調で職人っぽくはない。良い町衆。卯之吉はやや作り過ぎか。卯兵衛は暗めの作りだが、世間話から改まらずスーッと回想談に入って行く。メリハリを余り付けないから面白さの弱い代り、卯兵衛の心の傷のような物を感じさせた。非常に人情噺的な独白。甚五郎が鼠を彫る気になるのがよく分かる。近隣の住人の暢気さも似合って愉しい。飯田丹下の恨み話はなく、割とスーッとサゲまで行く。二代目政五郎は所謂職人らしい。甚五郎が語り掛ける調子から鼠の返事までは一寸ファンタジックな良さがあり、間抜けな鼠が実に可愛い。

★甚語楼師匠『人形買い(上)』

『ねずみ』を引き摺らず、二人組、特に弟分の間抜けさは色々工夫があって馬鹿に面白い。小僧がちとクサ目で不気味。


◆3月17日 池袋演芸場昼席

柳朝『武助馬』/小里ん(さん喬代演)『磯の鮑』/小円歌/正朝『花見小僧』

★正朝師匠『花見小僧』

定吉が自分の悪さを喋るついでに「教えましょうか、番頭さんの悪事の数々を」と言い出して、旦那が奥にいる番頭の方をチラ見して気を遣う辺りの演出は無性に可笑しい。定吉は得意の小僧だし、旦那も終盤少し騒がしくなったけれど、悪く下世話になり過ぎず、長命寺の講釈もサラリと聞かせて、軽めの旦那として悪くない。番頭は「御注進番頭」という、一種お節介な雰囲気になっていて面白い。おせつと徳三郎がじゃれる辺りから「お長くなりますので本日は」とサゲるまで、リズムが良いのも特徴。安心して聞ける『花見小僧』である。

◆3月17日 雲助『お富與三郎』馬石『名人長二』連続口演第六夜(お江戸日本橋亭)

市助『ひと目上り』/馬石『御白州~大団円』・踊り「かっぽれ」//~仲入り~//雲助『島抜け』

★雲助師匠『島抜け』

鉄五郎の迫力が圧倒的な半面、與三郎のお富へのしがらみ具合を余り感じない。鉄五郎が断崖絶壁から身を投じる件が一番の聞き場であるものの、荒波を乗り越える辺りは普通の描写(といっても言葉に力があるから面白いんだけれどね)。三人が顔を合わせた桟橋から断崖絶壁へ掛けて雨嵐の吹き付けを感じないのは残念。源左衛門と同じで鉄五郎、松蔵の行く末の方が與三郎よりも気になる。今回の『お富與三郎』を通して、お富・與三郎は以前と違い、狂言回しの脇役っぽく、角場面に登場する悪党たちのピカレスクとなっているように感じる。

★馬石師匠『御白州~大団円』

原作のこじつけ的な解明と論理展開を喋るのがまだやっとの緊張感に終始した。この件は文字作夫婦と玄磧の三人を詳細に描き、これに奉行と配下の探索を『天一坊』みたいに入れないと面白くはなり難いだろうが、そうすると『政談物』になってしまって長二は脇役になっちゃうな。

◆3月18日 芸の饗宴「披く・落語」昼の部“醸”(池袋芸術劇場プレイハウス)

※余りにくだくだしい題名なので呆れた。

観世流「高砂」八段之舞 シテ・武田宗和/昇々『早生まれ』(正式題名不詳)/遊雀『悋気の独楽』/三喬『月に業雲』(正式題名不詳)/喬太郎『ハムバーグが出来るまで』//~仲入り~//白酒『松曳き』/昇太『花筏』

★三喬師匠『月に業雲』

初めて聞いた噺。『代書屋』の盗人版みたいだけれど、三喬師の軽い可笑しさが真に結構なもの。

★喬太郎師匠『ハムバーグが出来るまで』

近年聞いたこの噺では一番噺全体が明るかった。割と鬱というか、ダルな感じから入る噺だと思っていたけれど。

※昇太師が本題に入った所で関内へ向かう。昇太師『花筏』は大好きだけれど池袋⇒関内では時間が不安だったもので申し訳ない。会自体はダラダラ長い、締まりの無い流れだと思うとはいえ、遊雀師と喬太郎師の久々の共演を目に出来たのはもの凄く嬉しい。私は勝手に「喬太郎師の本当のライバルは遊雀師だ」と思っているので。

◆3月18日 第115回横浜小満んの会(関内小ホール)

半輔『寄合酒』/小満ん『羽衣』/小満ん『花見心中』//~仲入り~//小満ん『山崎屋』

★小満ん師匠『羽衣』

天女が伝法な口調に変わってからの可笑しさは出色。伯良の柄の悪さも愉しい。小品乍ら、真似の出来ない味わいである。

★小満ん師匠『花見心中』

 昔、正雀師で一度聞いた事があるかな。小満ん師で聞くとバタ臭さ、オー・ヘン
リー作品的な味わいが出るのは摩訶不思議。奇譚系の小品で愉しいが、『羽衣』同様、誰にでも出来る噺じゃあない。

★小満ん師匠『山崎屋』

番唐の「その目が“後を訊いてくれ”といっている」、若旦那の「エライッ!」、親
旦那の「バカァッ!」なんてセリフの面白いこと!なるほど『よかちょろ』から続く
噺だと頷けるように、スッキリとアクの抜けた、実に洒落た作品になっており、圓生師系噺の段取りの多い鬱陶しさを全く感じさせない。親旦那は志ん生師風のケチな人が黒門町の口調で喋ってるみたいで凄く愉しいし、番頭や若旦那にも変な後ろめたさ、悪党ぶりがなく、サラサラしている(若旦那が番頭の妾囲いをしつこく弄らないのがまた大店の若旦那らしくて良い)。その中で頭の江戸っ子口調がアクセントになっている。ラストの親旦那と花魁の場面もここだけが離れた小噺にならず、雰囲気がちゃんと繋がっているの素晴らしい。

※某落語会関係者(耳でばかり落語を聞いているせいかな?)のように、小満ん師を「言葉違えや言い澱みが多い」と買わない人もいるけれど、私が実際に高座を拝見した中では先代馬生師と並んで「言葉違え、言い澱み」なんてものが、ちっとも気にならないのは小満ん師である。言葉の前に噺の世界がちゃんと出ているからね。その意味では、黒門町・目白の御弟子さん乍ら、志ん生師・先代馬生師に近い芸風の師匠なのではあるまいか。

◆3月19日 池袋演芸場昼席

さん吉『漫談』/左龍『お花半七』/ダーク広和/志ん輔『片棒(中)』//~仲入り~//志ん彌(柳朝代演)『口入屋』/さん喬『短命』/小円歌/圓太郎(正朝代バネ)『藪入り』

★圓太郎師匠『藪入り』

マクラから45分程。パワフルさは変わらず、終盤、亀が親父を睨み返す辺りからサゲまでの「男の落語」らしさが更に加味された。


◆3月19日 第二期林家正蔵独演会その3「四季の正蔵~春の正蔵」(紀尾井小ホール)

正蔵『稽古屋』/はな平『黄金の大黒』/正蔵『伊勢屋稲荷』//~仲入り~//正蔵『明烏』

★正蔵師匠『伊勢屋稲荷』

『狐芝居』の書き換えだと聞いていたが実は違って、小佐田氏の全くの新作。『河内山』の玄関先のパロディを演じる割には、役者の化けるのが侍だったり、七五調のセリフに蛇足があったりと、趣向が一致しないなど、作品の欠陥がまだ多い。

★正蔵師匠『明烏』

二ツ目時代には演じていたネタで久し振り。非常にシンプルだけれど若旦那、源兵衛・太助、親旦那と大きな欠陥はない。若旦那に色気があり過ぎないのも長所。浦里が可憐。明るく愉しく持ちネタになる噺。

★正蔵師匠『稽古屋』

「道成寺」を教える手振り身振りの仕科が小さいので華やかさに欠ける。「立ち小便をしたら」を抜いたのは綺麗事好み過ぎないかな。

◆3月20日 赤坂青山寄席「志ん輔のシェイクスピアを楽しむ会」(赤坂区民センターホール)

半輔『寄合酒』/きらり『扇の的』/志ん輔『佐々木政談』//~仲入り~//小菊/志ん輔『婿入り天狗』

★志ん輔師匠『婿入り天狗』

多分に志ん輔師のキャラクターによる所は多いけれど、天狗になった平太郎の暢気な可笑しさが「曇り後晴れ」といった『テンペスト』の世界と落語の世界を結び付けて面白い。多少、手入れをして落語研究会などに出してみたらどうかな?

★志ん輔師匠『佐々木政談』

後ろの噺に気を取られてか、四郎吉に良い時の切れ味なく、言い間違いあって流れ悪し。ネタ卸し・目玉ネタは仲入りに演じるべきと知るべし。

◆3月20日 池袋演芸場夜席

小ゑん『フィッ』/伯楽(文生代演)『漫談』/仙三郎社中/小満ん『花見小僧』//~仲入り~//丈二『漫談』/さん喬(権太楼昼夜替り)『そば清』/正楽/白鳥(圓丈代演)『萩の月の由来』

★白鳥師匠『萩の月の由来』

寄席のトリで聞いたのは私は初めて。段々と枝葉が刈り込まれて、元ネタの『ねずみ』に近付いてきた雰囲気。馬鹿馬鹿しくて愉しい点は変わりがないけれど。

※丈二師の高座から感じたけれど、新作派って、繋ぎに掛かれる噺が殆どないんだな。『黄金の大黒』『浮世床』みたいに、何処で切っても良くてフルだと長いネタ。『歌謡曲の穴』の進化形みたいなのは必要だね。

-----------------------以上、中席---------------------

◆3月21日 上野鈴本演芸場昼席

文楽『六尺棒』/ダーク広和(のだゆき代演)/さん喬『そば清』//~仲入り~//のいるこいる/圓十郎(交互出演)『湯屋番』/市馬『長屋の花見』/猫八/歌武蔵(歌之介代演)『ボヤキ酒屋』

★圓十郎師匠『湯屋番』

物凄く軽く馬鹿馬鹿しい若旦那で、しかも愛嬌があって明るくて愉しい。これは売り物になる演目。

★市馬師匠『長屋の花見』

 市馬師で聞くのはかなり珍しい。長屋連中の細かいリアクションも良かったけれど、部分部分の工夫も活きていて良かった。特に「爺さんの骨上げ」から「次は大家の弔いだろう」や「“酔え”っ?!」の可笑しさは実に結構なもの。

★歌武蔵師匠『ボヤキ酒屋』

この噺に関しては、可笑しいけれど、妙に大間で何か聞いていて気が抜ける。はん治師の密度の高さとつい比べてしまう。


◆3月21日 落語協会特選会第54回柳家小里んの会(池袋演芸場)

けい木『十徳』/志ん吉『親子酒』/小里ん『ろくろ首』//~仲入り~//小里ん『お直し』

★小里ん師匠『ろくろ首』

 近年では珍しい演目。前半の伯父さんとの遣り取りで「おかみさんが欲しい!」と叫び出す前の煮詰まったような表情などはすこぶる付きの可笑しさ。「御尤御尤」で引っ掛かった辺りからリズムがやや狂い、御屋敷に行ってからも「左様左様」「御尤御尤」「なかなか」がこんがらがったのは残念。明るい与太郎、謹言実直な伯父さん、淑やかな乳母(これは実に良かった)とキャラクターは揃って良いだけに四月上席の主任での再演に期待したい。

★小里ん師匠『お直し』

落語の『お直し』の典型である事は揺るぎがない。客相手の口説から亭主相手の痴話喧嘩まで、落語らしい笑い、廓噺の愉しさを常に観客に感じさせる(神近市子的な価値観のお客には廓噺の洒落っ気や醍醐味は分かるまいが)。「廓暮らし」が骨の髄まで滲みた夫婦が織り成す形而下的な(だからこそ愛しい)夫婦愛の可愛さがあり、そこに廓の客の典型のような酔っ払いの面白さが絡む。「騙されるのが客の道」と分かっているような酔っ払いが言うから「直して貰いなよ」が洒落たオチになる辺りは独壇場だろう。

◆3月22日 新宿末廣亭昼席

小南治『鼻捻じ』/ナイツ(交互出演)/鯉昇『鰻屋』/笑遊『好きと怖い』/うめ吉/鶴
光『善悪双葉松』(この演目は2度目だけれど、鶴光師が最後に言った正式題名の真ん中部分が聞き取れなかった。※後日ネットに出ていた題名を記す)


◆3月22日 第一回神保町グイグイ系(らくごカフェ)

宮治・松之丞・一蔵「御挨拶」/宮治『反対俥』/一蔵『らくだ(上)』//~仲入り~//松之丞『寛永宮本武蔵・山田真龍軒』『桑原さん』/宮治『宿屋の仇討』

★一蔵さん『らくだ(上)』

 兄貴分が猛々しくはないので静かな展開乍ら、ジンワリと聞けて面白く、しかも何処か明るいのは持ち味の良さか。屑屋のへり下り方には何となく馬桜師っぽさを感じたけれど、展開そのものはかなり違う。長屋連中や大家はデフォルメでなく、かなりリアルなキャラクター付けだけれど、リアル過剰の重さはない。漬物屋が屑屋に向かって言う「長屋の人間でもねえくせに」が全体のキーワードになっている。また、らくだに屑屋の苛められた回想話が余り長くもなく、重くもなくて、ちょうど「落語」の範囲に留まる程の良さがあるので、これなら火屋まで行っても聞きもたれはすまい。 『猫と金魚』の辺りから「演出力があるな」と感じていたけれど、構えが大きく、ジワリジワリと噺を作る来る辺りは柳朝師、一之輔師、朝也さんとも違う良さ。一朝師一門は雲助師一門、さん喬師一門に続く精鋭揃いになってきたかな。

★松之丞さん『桑原さん』

 自作の新作(らしい)。鯉八さんの噺の世界に似ているけれど、鯉八さんより世界が分かりやすく可笑しい。現代のかなり田舎の畦道で「自殺したい」と呟いていた「空気の全く読めない桑原さん」の少年時代のエピソードについて、呟きをたまたま聞いていた同級生(だと思う)二人が話している。ふたりの会話から浮かんでくる「桑原さん」の自己評価の勘違いぶりが、微妙な共感を呼んで(ここの所は鯉八さんと違うな)、微妙に可笑しい。完全に「落語」の世界であり、圓丈師以降の新作では異色の持ち味。圓丈師系の新作と比べても、決して聞き劣りがしないだろう。

★宮治さん『宿屋の仇討』

 昨年五月に聞いて面白さに感心して以来の演目。宮治さん的に噺を動かして来てはいるけれど、キャラクターの基本である江戸っ子三人の跳ねまくった大馬鹿者トリオぶりと伊八の困り方、侍の何か異様な迫力、噺の細部の演出は保たれている。特に源兵衛の色悪噺の速度とリズムのある締め方には聞き込ませる力がある。やはり面白い。

※7時半から始まり、力押しの高座の連続で10時まで。正直、聞きへばりがした。次回以降、7時開演で一席ずつで良いよ(『らくだ』と『宿屋の仇討』が並ぶ事はないだろうけど)。尤も力押しでも三人の力押しの色合いが違うのは面白い。


◆3月23日 渋谷に福来るSPECIAL“落語フェスティバル的な”2013
『大吟醸」(渋谷区文化総合センター大和田・さくらホール)

さん喬・雲助・権太楼「鼎談」/市助『ひと目上り』/さん喬『幾代餅』//~仲入り~
//権太楼『猫の災難』/雲助『花見の仇討』

★権太楼師匠『猫の災難』

 こういうガランと間の抜けた空間の落語会だと、それを埋めてくれる権太楼師の華やかさ、明るさが愉しい。

★さん喬師匠『幾代餅』

人情噺系寄席主任ヴァージョンで安定感は抜群。

★雲助師匠『花見の仇討』

 出来は良いのだけれども、前もって浚ってきた時の雲助師に雰囲気が似ていて、切れ味と迫力に若干乏しい。結果的にさくらホールだと高座の輪郭が小さく見えてしまったのは残念。


◆3月23日 渋谷に福来るSPECIAL2013“落語フェスティバル的な”
「来温レーベルCD発売記念落語会」(渋谷区文化総合センター大和田・さくらホール)

一之輔『眼鏡泥』/白酒『粗忽長屋』/生志『悋気の独楽』//~仲入り~//白鳥『初めてのフライト』/文左衛門『笠碁』

※上手の前の方で聞いていたら音響が悪く、どの高座もかなり聞き取り難かった。このホール、空間的には「音響の死角」があるのではないか?白酒師と文左衛門師は良い出来だったと思うけれど、聞き取り難くちゃ仕方がない。

◆3月23日 渋谷に福来るSPECIAL2013“落語フェスティバル的な”
「圓朝噺」(渋谷区文化総合センター大和田・さくらホール)

馬石『大仏餅』(ネタ卸し)/小朝『死神』//~仲入り~//市馬『黄金餅』/小満ん『鰍沢』

★市馬師『黄金餅』

久々。明るく愉しい。噺の展開を軽く明るく持って行けるようになっている。半面、「市馬落語集」で聞いた、焼き場の戸にもたれて眠る金兵衛の良さはないけど、今夜の会ではそんな趣は不要か。

★小朝師『死神』

『誉れの幇間』に近い改訂乍ら、「優等生の考えた良い話」になっちゃっていて、
「落語」としては物足りない。感じる愉しさに乏しい。脱会以降の家元に似ていて、「落語の解説」をしている感じがしちゃうのだ。

★小満ん師匠『鰍沢』

序盤は命拾いした新助が、お熊が元は月の兎花魁と知って浮かれる気分中心。中でお熊が襟元をくつろげて傷跡を見せる仕科の色気がアクセントになっている。新助が玉子酒を啜るリアルさ、内外から温められた新助の火照り感も面白い。伝三郎の苦しみから序盤の暢気さが消え、ピカレスクの緊張感になる。終盤の言葉の追い込みは独特の面白さ。半面、ブロッサムでの市馬師との会に比べ、会場・観客の密度が高まり難いため、日本橋亭や赤鳥庵にも繋がる程の出来とは言い難い。

★馬石師匠『大仏餅』

 妙に巧すぎるくらいテクニックに長けた表現や可笑しさのある半面、人物はまだ余り出ていないように感じた(ネタ卸し故当たり前)。

※小満ん師と馬石師の高座に言えた事で、「感じる」よりも「理解しよう」としちゃ
う「渋谷に福来るの観客層」、まして、さくらホールでは(ホールというより間抜け
な講堂だから)、箱に慣れた小朝師のお局向き理屈、これは鉄板の武器である市馬師の明るさの方が絶対的に強い。その意味では、前の会の白酒師は小朝師、市馬師より、更に「このレベルの会」という見極めと、高座の展開に関する頭が図抜けて良い。応用力があり過ぎるくらいある。

◆3月24日 新宿末廣亭夜席

昇之進『大安売』/扇鶴/とん馬『稽古屋』/富丸『落語家の夢』/マキ/遊三『長屋の花見』/小柳枝『時そば』//~仲入り~//圓馬『弥次郎』/青年団(交互出演)/圓(松鯉昼夜替り)『近日息子』/蝠丸『幇間腹』/ボンボンブラザース/歌春『崇徳院』

★歌春師匠『崇徳院』

最近になく丁寧な流れを感じた『崇徳院』で、「瀬をはやみ」と大声を上げて道を歩くあたり以降、八五郎の了見が可笑しくて笑った。

★小柳枝師匠『時そば』

最初の男がハイスピードで二人目に掛かるとギヤチェンジして面白さが増すのに感心。二人目のそば屋が文句を言われてそっぽを向いてる、ってのも街角の風景として愉しい。佳作佳作!

※『崇徳院』『時そば』だけでなく、『稽古屋』『長屋の花見』『弥次郎』『幇間
腹』と骨格の確りした噺が続いて雰囲気が壊れず、良い流れの夜だった。芸術協会の夜席にはこういう「落語協会には少ない落語らしさ」が何より。

◆3月25日 噺小屋スペシャル弥生の独り看板『柳家小満ん・雪月花六』

市弥『高砂や』/小満ん『崇徳院』/小満ん『葱鮪の殿様』//~仲入り~//小満『佃祭』

★小満ん師匠『崇徳院』

若旦那がひよわで軽くて、親旦那がせっかちで、間に挟まった八五郎が気の毒なのがまた可笑しいという、暢気な江戸っ子揃いで、アクの抜けた馬鹿馬鹿しさ。最後の床屋で頭が「お坊さん」と声を掛けるとツルツル頭になった八五郎がへたばってるのが目に浮かんできて凄く愉しい。

★小満ん師匠『葱鮪の殿様』

「葱鮪が好物」という小満ん師らしい美味しい高座。殿様が無邪気で、煮売屋の大神宮様を拝するのが実に良い。三太夫には食べさせず葱鮪で二合飲んで雪見を忘れる御大名気質も嬉しいじゃないか。『目黒の秋刀魚』と逆に「三毛のにゃあ」だ「ダリ」だと言われた御膳部の家臣が廊下の隅で困ってる様子も愉しい。小満ん師が演ると『目黒の秋刀魚』とは別趣向の噺になるのは、人間関係の描き方が落語らしい、皮肉や風刺の無い人物の愉しさになっているからだろう。

★小満足ん師匠『佃祭』

「祭礼の中で佃の祭が一番好き」と言われる小満ん師らしく、先代馬生師以来の「全編が愉しい佃祭」。次郎兵衛さんの祭道楽ぶり、かみさんの焼き餅ぶりがまずクッキリと描かれ、佃の女房が次郎兵衛さんの前にピタッと手を付き、涙を流して礼を述べる姿が如何にも江戸、いや佃の健気な気質になっている。同時に「祭の根は鎮魂だと思うよ」という小満ん師匠の気質の現れでもあり、「人の生き死にを巡る騒動」の根っこになっている辺りは小満ん師の「祭ネタ」でも『百川』とは世界観の違う噺になっている。佃島の好きな師匠らしく、かみさんの亭主(今回は綱五郎)の家も、佃の船頭家の黒光りした様子(それは小満ん師の目に映った佃島の暮らし・風土・伝統ものの魅力にも繋がる)が次郎兵衛さんのセリフで活き活きと描かれる。神田お玉ケ池側では弔に集まった町内の連中の先っ走りな勝手さがまた可笑しく、次郎兵衛さんの衣装を帳付けしながら「欲しがったなァ」とボヤく奴の了見が落語としてステキに愉しい。「薩摩絣に茶献上の帯、お前の欲しがってた奴だよ」には笑った笑った。さんの語りも御法談臭くなく、与太郎が嵌まるのも分かるから、身投げ探しまでちゃんと噺が繋がっている。永代端の上で涙ぐんでいる若いかみさんの描写も丁寧で、与太郎ならずとも止めたくなる。先代馬生師以来の佳作佳作大佳作。

※『崇徳院』の上野の観音様、『葱鮪の殿様』の大神宮様、『佃祭』の住吉様と今夜は「参拝三部作」だな。

◆3月26日 新宿末廣亭昼席

米丸『夢のビデオ』//~仲入り~//小南治『九官鳥~モンキードライバー』/ナイツ(交互出演)/鯉昇『粗忽の釘・ロザリオ編(下)』/文治『好きと怖い』/うめ吉・夜桜/鶴光『試し酒』

★鯉昇師匠『粗忽の釘・ロザリオ編(下)』

 この可笑しさが本日の出色。登場人物がみんな(というより主人公夫婦の変さ加減にみんな巻き込まれるのだが)マジに変だから、ロザリオが出てこようが何が起ころうが、ちゃんと落語として成り立っている。

※山はかからなかったけれど、何となく可笑しかった日。


◆3月26日 第294回県民ホール寄席桃月庵白酒独演会(神奈川県民小ホール)

志ん公『権助魚』/白酒『山崎屋』//~仲入り~//白酒『花見の仇討』

★白酒師匠『山崎屋』

人物のキャラクターはかなり固まってきたので面白く聞けるが、洒落っ気が全体に乏しいので、まだ噺に膨らみは感じない。

★白酒師匠『花見の仇討』

 巡礼兄弟役の二人のキャラクターが固まって来ると共に、枝雀師風の直解主義的な人物造型を取り込んで面白さが増した。半面、リーダー役の熊さんの仕切りたがり、お節介のキャラクターがまだ明確ではなく、割と単純なおこりんぼなのには食い足りなさを感じる。

※ホール落語や独演会でネタの偏りから来る質の低下を感じる。圓生師、志ん生師、彦六師、目白の小さん師、先代馬生師みたいに「他の人が演じないネタを一杯持ってる人」が揃わないと落語会ってのは成り立たないものなんだな。「半日か一日浚えば出来る」というネタが二~三百はあるくらいの噺家さんが数いないと番組が成り立たない。「違う演者が同じ噺をしてる」という状態が寄席だけでなく、落語会でも蔓延しているようだ。矢来町、家元、小三治師が持ちネタにしていた噺の少なさが、特に落語協会の中堅以降の噺家さんに祟っている。みんな、力の及ばない大ネタを、ネタの力に頼って演じ過ぎていまいか。その前提になる小ネタ、中ネタをちゃんと仕込んでおかなきゃ大ネタの出来る訳がない。そりゃ、小満ん師に目が行かざるを得ないのは当たり前である。

◆3月27日 新宿末廣亭昼席

桃太郎『勘定板』/圓『菊石妾』/章司/米丸『夢のビデオ』//~仲入り~//小南治『鼻捻じ』/ナイツ(交互出演)/圓馬(鯉昇昼夜替り)『粗忽の釘(下)』/小柳枝(笑遊昼夜替り)『時そば』/うめ吉・夜桜/鶴光『荒茶の湯』

★圓師匠『菊石妾』

生まれて初めて聞いた噺。おそらくは先代圓馬師譲りだろう。芸術協会の楽屋帳では『あばた小僧』という名になっているらしい。入り方は『権助提燈』の定吉版。本妻が妾と張り合うだけの小品だが面白い。三代目の染丸師匠に『本妻』という題名で演じられた内容不詳の演目があったけれど、噺の展開からするとこの噺かな?

◆3月27日 落語協会特選会第回圓太郎商店「独演その16」(池袋演芸場)

一力『牛褒め』/圓太郎『小言幸兵衛』//~仲入り~//圓太郎『お若伊之助』

★圓太郎師匠『お若伊之助』

本来の長編人情噺『因果塚の由来』の発端としての演じ方なので、耳慣れた『お若伊之助』とは若干違いがある。お若はファザコンで父の死後、気鬱になっている。それを張らそうと母に頼まれた頭が伊之助を、亡き親旦那も稽古していた一中節の師匠として紹介する。伊之助の面差しが亡父に似ている、というのが最初のフック。お若と伊之助の間に具体的な間違いはなく、母が二人の思いを察して別れさせる。お若は根岸に行ってからも寝込まないが鬱々としている所に狸の伊之助が現れる。お若は割と陰にしてあり、伊之助は侍上りの若い二枚目らしい。頭は落語的にせっかちで直情で面白い。伊之助とお若の逢瀬を二人で見た後、長尾一角が根岸まで頭を走らせて伊之助の自宅所在を確かめるのは多少理につむけれども、納得感はある。長尾一角は剣士というより侠客的だが堅さが生きている。怪異な人情噺として、圓太郎師の強い口調が独特の魅力を感じさせる。今回は狸の双子を葬る終盤だったが、あと、15回分くらいの続きがありそうで(子供が男女で成長して畜生道に堕ちる幕末的なデカダンス噺)、完演したい意図が圓太郎師にはあるそうだが、誰か場を与える御人はいないか?

★圓太郎師匠『小言幸兵衛』

幸兵衛が手強い一方でやや変化に乏しいのは惜しいけれど、幸兵衛の心中話に仕立屋が相乗りになり、二人掛け合いでセリフや下座を受け持って心中場面を展開する辺りは面白い工夫。その分、最後の花火屋が益々付けたりになる憂いもあるが。「太田黒杢太左衛門」という名前も初めて聞いたが妙に可笑しい。

◆3月28日 新宿末廣亭昼席

米丸『漫談』(立ち高座:洋服)/章司/圓『漫談』//~仲入り~//小南治『鼻捻じ』/陽昇(交互出演)/楽輔(桃太郎代演)『元帳』/笑遊『ん廻し』/うめ吉踊り:夜桜/鶴光『ラーメン屋』

★鶴光師匠『ラーメン屋』

 鶴光師では初めて聞いた演目。若い男の調子が軽く明るく、大阪弁の表現による味やダジャレ混じりの演出も加味されて、メソメソした感じのしない落語になっていた。時々、六代目松鶴師の調子や雰囲気が混じるのは上方市井物の味わいに繋がる。「人より三倍の綿食い」オチ。

※この噺は「新作人情噺」ではなく、人情味のある新作落語なんだね。


◆3月28日 第537回落語研究会(国立小劇場)

才紫『武助馬』/正蔵『安兵衛狐』/雲助『つづら』//~仲入り~//市馬『藪医者』/花緑『妾馬』

★市馬師匠『藪医者』

演じなれたネタとはいえ、平常心に満ちた明るさ、応揚さで他を圧して面白く、落語らしかった。市馬師の地力を久し振りに堪能した。

★花緑師匠『妾馬』

井戸替えから酔態まででかなり長い。八五郎は広間まではとって付けたような意気がりが似合わなかったけれども、広間で平伏した辺りから『傷だらけの天使』のショーケンみたいな、センティメンタルさのあるチンピラになった。これはこれで一つのキャラクターになっていたと思う。但し、八五郎の愁嘆に続いてオフクロの愁嘆が入るのは如何にもモタれる。どちらか一つで良い。赤井御門守、大家、三太夫などは口調や仕科の基本が曖昧でちっとも様になっていないが、まず八五郎をショーケン的に通してから、脇の造型に入れば良いと思う。「ここはさん喬師匠?」「ここは矢来町?」「ここは雲助師匠?」と感じるように、色々な演出が入り交じっているらしく、そのためだろうか、時々、修辞に問題、違和感があるのは、まだ仕方ないか。

★雲助師匠『つづら』

前に上野で聞いた時より、先代馬生師色の強い前半の重さが気になった。最後の番頭と亭主の遣り取りの洒落た味わいで前半を組立て直しても良いのでは?

◆3月29日 新宿末廣亭昼席

圓『悔み丁稚』/健二郎/米丸『パンツ』//~仲入り~//小南治『芸比べ』/ナイツ(交互出演)/鯉昇『長屋の花見(上)』/笑遊『ん廻し』/うめ吉踊り:夜桜/鶴光『鼓ヶ瀧』

★鶴光師匠『鼓ヶ瀧』

やはり、鶴光師のように「住吉明神、人丸明神、玉津島明神が」と言った方が噺に箔が付くと思う。

★笑遊師匠『ん廻し』

鯉昇師の『長屋の花見』を受けた形で、今日は『長屋の花見』から疲れて戻った連中に木の芽田楽を振る舞う趣向に変えた(笑)。昨日トチった「金看板、銀看板」は速度を緩めて何とかクリア(笑)。昨日と変わらず、与太郎の『ミ~ンミンミン』が馬鹿に愉しい。笑遊師ならではの可笑しさがある。

★小南治師匠『芸比べ』

時間がなく、『地獄巡り』の芸比べを一寸演じた。

◆3月29日 J亭落語会一之輔独演会~冬~(J亭アートホール)

一力『小粒』/一之輔『長屋の花見』/一朝『淀五郎』//~仲入り~//一之輔『徳ちゃん~五人廻し』

★一朝師匠『淀五郎』

圧倒的。この一席で一之輔師の三席は見事に薙ぎ倒されちゃった。こんなに丁寧に、リズムを崩さず、仲蔵、團蔵の優れた先輩役者の了見を描きながら、それが分かりきらない淀五郎の若さを描けた『淀五郎』は一朝師でも珍しい。内蔵助が花道を出てくる際の、速さに頼らず、迫力のある表現にも舌を巻いた。

★一之輔師匠『徳ちゃん~五人廻し』

最近時々聞くけれど、一人の噺家さんが二つの噺をリンクさせて、その場の内輪受けを狙うのは感心しない。それより、『五人廻し』の江戸っ子の啖呵が単なる早口になって、ベースにある「自慢気」「いい気になってる奴の可笑しさ」を描く方が重要ではあるまいか。

★一之輔師匠『長屋の花見』

昼間の鯉昇師の『長屋の花見』を聞いた後では、人物の面白さがさっぱり出ていないのに驚く。それでも、中では長屋を出る辺りの大家と店子の温度差の面白さと、終盤、月番二人が酔っ払ってみせる辺りのキャラクターは面白かった。


◆3月30日 雲助蔵出し再び その十五 (浅草三業会館二階座敷)

つる子『手紙無筆』市楽『六銭小僧』/雲助『品川心中(上)』//~仲入り~//雲助
『山崎屋』

★雲助師匠『品川心中(上)』

お染が女郎女郎していて金蔵を心中に引きずり込む辺りが面白い。代わりに、お染が死のうと思い詰める切なさはない。金蔵はボワッとしたお馬鹿でお染に本当に惚れてるというより騙されやすい奴の雰囲気。親分のとこの若い連中の馬鹿馬鹿しさは出色。

★雲助師匠『山崎屋』

『よかちょろ』から通しで繋ぎの違和感はない。『よかちょろ』はこんなに黒門町っ
ぽかったっけ?若旦那は悪ぶっている割に意外と初心で番頭の口車に乗る。番頭は慌てている割に性根の据わった智謀家。親旦那は親馬鹿でケチで可笑しい。花魁は『よかちょろ』で若旦那の口から語られる程、鉄火ではないけれど、ラストでも割と女太郎女太郎していて繋がる。『よかちょろ』に阿っ母さんが出てくるので最終景の隠居所にいないのは何か違和感あり。一つ言葉を挟みたい。全体に「粋」な感じが意外と乏しいのは、メリハリの強さ重視の語りで(無言の仕科は絶妙に可笑しい)、全体のリズムがかなりユックリだったためだろうか。

◆3月30日 らくご@座・高円寺2013春うらら公演「落語事典探険部」(座・
高円寺2)

遊雀・彦いち・白酒・天どん「会意解説」/遊雀『薬違い』/白酒『喧嘩長屋』//~仲入り~//天どん『天狗山』/彦いち『徳利龜屋』

★白酒師匠『喧嘩長屋』

上方では先代文枝師が演じていたけれど、東京では先代馬生師以降、演者はいなかったかな?前に夫婦喧嘩の発端を付けたが、妙にシリアスな倦怠期の夫婦喧嘩でリアリティがありすぎ、白酒師の陰なとこが出てる。後半がナンセンスで可笑しいだけに、もっとくだらない、「喧嘩好き」ならではの些細なキッカケの方が良いと思う。

★遊雀師匠『薬違い』

馬桜師や圓遊師で聞いた『薬違い』より遥かに面白いのは遊雀師ならではのリアクションの可笑しさゆえか。冒頭、ブ男が隠居のとこへ相談に行く『色事根問』を付けて、当人が手製でイモリとヤモリを間違える方が自然じゃないかな。

★天どんさん『天狗山』

上方で、笑福亭福團治師から教わって五郎兵衛が演じ、今は文我師が演じてる筈の『高宮川天狗酒盛』。『三十石』を一番長く演じた際の最後の件だが、もう少し丁寧に演じた方が面白さが増すのではあるまいか。とはいえ、天どんさんや喜多八師みたいなキャラクターの立つ噺家さんには似合う演目だと思う。

★彦いち師匠『徳利龜屋』

 つまり、『リップ・ヴァン・ウィンクル』なんだけど、壺を持った老人など展開の
雰囲気は中国の説話っぽい。彦いち師が調べたという、「徳利龜屋」の子孫が現存するって話には驚いた。彦いち師も不思議な噺家さんで『長島の満月』やこの噺のように、笑いの少ない噺で聞き込ませる能力、魅力には驚かされる。主人公の体験する超時空性に何の違和感も感じず、聴き込んでしまった。

◆3月31日 鈴本演芸場余一会・柳家さん喬独演会vol.19(鈴本演芸場)

さん喬『御挨拶』/つる子『手紙無筆(上)』/さん若『鈴ヶ森』/さん喬『花見の仇
討』/松喬『お文さん』//~仲入り~//さん喬『百年目』

★さん喬師匠『花見の仇討』

狂言仇討になって、後半、殺陣がこんがらがる辺りの身のこなしの鮮やかな美しさ、可笑しさは無類。半面、その場に至るまで、稽古の件から「花見の趣向」に気負い立ち、浮かれる愉しさのテンションが低い。『八笑人』そのまんまな馬鹿馬鹿しさが序盤から欲しい。

★さん喬師匠『百年目』

松喬師の『お文さん』の直後だけに、上方商人感覚がベースにある『百年目』はちと損をした印象が強い。番頭が着たり脱いだりで一睡も出来ない場面は気分はリアルで動きがスラップスティックで面白く、旦那のセリフに「伜」が入るのは初めて聞いたが二番番頭だけを謗る感が無くなって良いなど、また動いて良くなった点のある半面、「熱い熱いと泣いたんだよ」のセリフから番頭の号泣までがどうも弱い。番頭の涙を嬉し泣きに感じさせてこそ、さん喬師らしいのではあるまいか。

※何だか今夜のさん喬師は初手からテンションが上りきらなかったようである。

★松喬師匠『お文さん』

ユッタリ、モッチャリと上方商人噺の面白さを堪能した。定吉の可愛らしい事は丁稚のお手本のようなもの。丸で柄違いに一見思えるお文や正妻のしとやかな良さも印象深い。手っ伝いの又兵衛の悪目立ちしない面白さも出色(巧さを全く目立たせない辺りは東京なら一朝師的)。親旦那が気の回らないせっかちな老人なのもまた可笑しい。「暖簾分け」と「暖簾を継ぐ」の違いのマクラから上方落語らしさを満喫した。病さえも取り込む松喬師の噺家ぶりにも感嘆した。

 ※「何でこの師匠が松鶴になれんかったのか不思議でならぬ」という位の味わい深さである。

------------------------以上、下席-----------------

石井徹也 (落語道落者)

投稿者 落語 : 2013年06月24日 22:08